「開封」
ハンガーに、低い電子音が響いた。
それは警告でも、起動でもない。
ただ、「準備が整った」というだけの音。
フォックスの端末が、短く震える。
「……来たか」
通信を開くと、予想通りの声が流れ込んできた。
『フォックス』
「はいはい」
『予定通り、今日搬入です』
「了解」
『リボンも付けていないけど――
受け取って』
「わかったよ」
事務的なやり取り。
いつも通りのはずだった。
『……ふふ』
不意に、クイーンが小さく笑う。
『フォックス。
あなたじゃないわ』
「……あ?」
『サヤさん。
楽しみにしててね』
フォックスは、思わず天井を仰いだ。
「俺は呼び捨てで、
サヤは“さん付け”かよ……」
『あら?』
クイーンの声が、わざとらしく首を傾げる。
『フォックスさん、どうしたの?
拗ねた?』
「……やっぱりやめてくれ」
『なにを?』
「その呼び方」
即答だった。
「裏があるように聞こえて、
落ち着かない」
『でしょう?』
クイーンは、あっさり言う。
『このままで行きましょう』
「……くそ」
横で聞いていたサヤが、
控えめに手を挙げた。
「……あの」
「ん?」
「呼び捨て……」
一瞬、言葉を選んでから、
柔らかく続ける。
「少し、羨ましいです」
「……は?」
「仲が良いのが、
そのまま表に出ていて」
サヤは微笑む。
「素敵だと思います」
フォックスは、返す言葉を失った。
「……そうか?」
『そうらしいわよ』
通信越しに、
クイーンが楽しそうに言った。
『さぁ』
一拍。
『開けましょうか』
通信が切れる。
直後、
ハンガーの照明が一段階明るくなった。
シャッターが、
低く、重い音を立てて上がっていく。
フォックスは、
無意識に一歩、前に出ていた。
「……えっと」
言葉が、途中で止まる。
「これって……」
そこにあったのは――
白い機体だった。
装甲は、過剰な装飾を排した滑らかな曲面。
光を受けて、淡く反射する。
そして、頭部。
「……王冠」
見覚えがありすぎる意匠。
フォックスは、
背部へと視線を走らせる。
「ロケットは……小振り、か」
だが、
配置思想が同じだと、すぐに分かった。
「90ミリ滑空砲は……」
ハードポイントはある。
だが、まだ空だ。
「取り付け前、か」
フォックスは、
ようやく一つの結論に辿り着いた。
「……これって」
振り返らずに、言う。
「クイーンの機体だろ?」
一拍。
『正確には』
通信が、再び繋がる。
『その次期機種』
サヤが、息を呑む。
『プロトタイプよ』
フォックスは、
思わず乾いた笑いを漏らした。
「……は?」
『これから、データ収集ね』
淡々とした声。
『武装は、まだ完全じゃないわ』
『でも、順番に納入する』
『だから、
ゆっくり待ってて』
「待てるか」
即座に返す。
『整備班も、同時に入るわ』
「……整備班?」
その瞬間だった。
白いWFの背後、
影になっていたエリアから――
人影が動く。
一人。
二人。
三人。
作業着。
工具。
タブレット。
全員、
迷いのない足取りで前に出てくる。
「……おい」
フォックスは、目を細めた。
「全員、女か?」
『ええ』
クイーンの声に、
一切のためらいはない。
『全員よ』
ハンガーの空気が、
はっきりと変わった。
フォックスは、
白い機体を見上げたまま、呟く。
「……本気で来たな」
サヤは、
何も言わなかった。
ただ、
その機体から目を離さなかった。
――見習い、という言葉は。
もう、この場には存在しない。
フォックスは、
そのことをはっきりと理解した。
白いWFの背後から現れた女性たちは、
誰一人として周囲を見回さなかった。
視線はまっすぐ。
歩幅は揃いすぎず、だが乱れもしない。
前線の兵士とも、研究室の技術者とも違う。
現場を知っている人間の歩き方だった。
「……整備班、ね」
フォックスは腕を組んだまま、低く呟く。
一人が前に出る。
年齢は三十前後だろうか。
工具ベルトを腰に下げ、タブレットを片手に持っている。
「整備主任のミナミです」
淡々とした声だった。
「以後、この機体の整備と調整を担当します」
クイーンの声が、通信越しに被さる。
『サヤさん』
「は、はい」
『この人たちが、
あなたの機体を一緒に育てるチームよ』
サヤは、わずかに息を呑んだ。
「……私の」
『ええ』
クイーンは、いつもの調子で言う。
『WFは、
乗り手一人で完成するものじゃない』
『操縦者、整備、設計、データ解析』
『全員が噛み合って、
やっと“一機”になる』
整備主任――ミナミが、
サヤに向かって一歩近づいた。
近すぎない。
遠すぎもしない。
「私たちは、
あなたの癖を見ます」
はっきりとした口調。
「どういう操作をするのか」
「どこで迷うのか」
「どこで無茶をするのか」
「それを見て、
機体を直します」
サヤは、少し考えてから言った。
「……私が、間違えたら?」
ミナミは、即答しなかった。
ほんの一拍。
その間に、言葉を選ぶ。
「その時は」
静かに、しかし明確に。
「壊れる前に止めます」
フォックスは、思わず鼻で笑った。
「頼もしいな」
ミナミは、フォックスを一瞥する。
「フォックスさん」
「ん?」
「あなたの機体も、
似たことをしてきました」
「……ああ」
フォックスは頷く。
「だから、
生き残ってる」
ミナミは、それ以上は言わなかった。
別の整備員が、
白いWFの脚部にしゃがみ込み、
ハードポイントの確認を始めている。
「90ミリ滑空砲は、
第三ロットで納入予定です」
誰かが言う。
「推力制御の調整が、
まだ終わっていません」
別の声。
専門用語が飛び交う。
だが、空気は荒れていない。
前線に送る準備をしている現場の音だ。
サヤは、その様子をじっと見ていた。
誰も、
彼女を子ども扱いしない。
だが同時に、
無理もさせない。
ちょうどいい距離。
フォックスは、
その立ち位置に気づいていた。
「……クイーン」
通信に向かって言う。
「最初から、
こうするつもりだったな」
『ええ』
否定はない。
『“見習い”なんて言葉は、
時間稼ぎよ』
『サヤさんが、
自分の足で立つまでのね』
フォックスは、深く息を吐いた。
「ずいぶん、
手回しがいいじゃねぇか」
『当然でしょう』
クイーンの声は、少しだけ柔らかい。
『この子は――
預かりものじゃない』
『“戦力”よ』
サヤは、その言葉を聞いて、
小さく拳を握った。
怖くないわけがない。
だが、
逃げたいとも思わなかった。
フォックスは、
その横顔を一度だけ見て、言った。
「……歓迎されてるみてぇだな」
「はい」
サヤは、静かに答えた。
「そう、感じます」
白いWFの周囲で、
整備班が動き続ける。
この機体は、
もう“箱”じゃない。
人が集まり始めた時点で、
兵器はチームになる。
フォックスは、
そのことをよく知っていた。
「……中、見るか」
フォックスがそう言うと、
整備主任のミナミが小さく頷いた。
「どうぞ。
まだ最終調整前ですが」
「十分だ」
フォックスは一歩前に出て、
白いWFの胸部装甲を見上げる。
ゆっくりと、
コックピットハッチが開いた。
金属音は小さい。
必要以上に主張しない設計だ。
「……」
フォックスは、言葉を失った。
狭い。
だが、不快な狭さではない。
無駄がない。
体を預けるためだけの空間。
「……なるほど」
思わず、そんな声が漏れる。
シートは低め。
腰の位置が、明らかに彼の機体とは違う。
「サヤさんの体格に合わせています」
ミナミが説明する。
「肩幅。
骨盤角。
脚の長さ」
「……」
「操縦桿までの距離も、
“力が入りすぎない”位置です」
サヤは、息を殺して中を覗いていた。
触れない。
だが、逃さない。
視線が、計器へ移る。
「……教官」
「なんだ」
「丸型が、多いですね」
「だろ」
フォックスは頷く。
「数字で詰めさせない配置だ」
サヤは、ゆっくりと首を傾げた。
「でも……
教官の機体より、整理されています」
「当たり前だ」
フォックスは鼻で笑う。
「あの人が、最初から設計に噛んでる」
ミナミが、淡々と補足する。
「この機体は、
“クイーンの操縦ログ”を元にしています」
サヤの指先が、わずかに震えた。
「……ログ」
「はい」
「ロケット超速スライド時の、
姿勢変化」
「照準遅延と、
視線移動の関係」
「すべて、
“生き残ったデータ”です」
フォックスは、
苦い顔で笑った。
「……あの人らしい」
サヤは、計器配置を目でなぞる。
そして、ぽつりと言った。
「クイーン様は……
“迷わせない”んですね」
「……あ?」
「選択肢を、
最初から削っている」
サヤの言葉は、静かだが的確だった。
「人は、
迷った瞬間に遅れます」
「だから、
迷う前に、身体が動く配置」
フォックスは、
何も言えなかった。
それは、
自分が長年やってきたことと、
本質的に同じだったからだ。
「……サヤ」
「はい」
「もう一回、言うが」
一拍。
「これは、見習いの席じゃねぇ」
サヤは、目を伏せなかった。
「分かっています」
その声に、揺れはない。
「だから……」
一瞬だけ、息を整えてから。
「座る時は、覚悟を決めます」
ミナミが、
そっと一歩下がった。
それは、
「次はあなたの番だ」という合図だった。
フォックスは、
白いコックピットを見つめながら思う。
――これは、機体じゃない。
思想の器だ。
そしてそれは、
サヤを“試す”ためのものじゃない。
一緒に行くための形だ。
ハンガーの空気が、
静かに張りつめていく。
次にここに座る時、
もう後戻りはできない。
「……じゃあ」
整備主任のミナミが、静かに言った。
「ハーネス、装着に入ります」
サヤは小さく頷いた。
「はい」
フォックスは、一歩だけ距離を取る。
ここから先は、教官の出番じゃない。
整備班と搭乗者の時間だ。
サヤがシートに腰を下ろす。
動きは慎重で、教えられた通り。
それでも、迷いはなかった。
「シート位置、確認」
「腰、前に三ミリ……そこで固定」
「ログ記録。
シート初期位置、確定」
肩からハーネスが降ろされる。
カチリ。
乾いた音が、ハンガーに響く。
「胸部ロック、確認」
「ロック確認」
「腹部、締結」
「締結完了」
一工程ごとに、必ず声が重なる。
確認と記録。
記録と確認。
サヤの呼吸が、ゆっくりと整っていく。
「苦しくありませんか?」
「大丈夫です」
「心拍、安定。
呼吸、規定内」
ミナミは、サヤの顔を一度だけ見た。
「無理は、ここまでです」
「はい」
「この先は――
戻れません」
サヤは、はっきり答えた。
「承知しています」
フォックスは、無意識に拳を握っていた。
――震えてない。
その直後、ミナミがもう一つだけ手を伸ばす。
「バイタル、接続します」
サヤは小さく頷いた。
「はい」
兵士用のウェアには、最初からセンサーが織り込まれている。
心拍。
呼吸。
血中酸素。
微細な筋緊張。
戦場では、
機体より先に壊れるのは人間だ。
だから監視する。
だから、残す。
「バイタルコネクタ、接続」
軽い振動。
違和感は、ほとんどない。
「リンク、確認」
タブレットに数値が流れる。
「心拍、安定。
緊張レベル、許容範囲」
「問題ありません」
ミナミの声が、淡々と響いた。
――当たり前だ。
問題があって、たまるか。
俺の見ている前だぞ。
そんな簡単に、
崩れるような場面じゃない。
少なくとも、
ここまでは。
計器類が、段階的に灯っていく。
「主電源、投入」
低い唸り。
「補助電源、追従」
「油圧、立ち上がり確認」
丸型の針が、ゆっくりと動く。
「ジャイロ、初期化」
針が一度揺れ、止まる。
「姿勢制御、待機」
「スラスター、冷却開始」
ログが、淡々と積み上がっていく。
「操縦桿、ニュートラル」
サヤは、言われる前に手を添えていた。
「……触感、どうですか」
「軽いです」
「想定通り」
フォックスが、低く口を挟む。
「……軽すぎると、怖くないか」
「怖さが出るのは」
ミナミが即答した。
「判断が遅れた時です」
フォックスは、それ以上言わなかった。
「視線誘導、確認」
サヤの目が、自然に計器を追う。
「……見やすいです」
「でしょう」
ミナミは、ほんの少しだけ笑った。
「迷わせない配置ですから」
その時。
「……心拍、少し上がってきました」
整備班の一人が、タブレットから目を上げる。
「サヤさん。
緊張、していますか?」
一瞬の間。
サヤは、はっきりと首を振った。
「ううん」
否定は即座だった。
「違います」
ハーネスに固定されたまま、
それでも声は弾んでいる。
「最高に、気持ちいいんです」
整備班の手が、わずかに止まる。
「この機体に、
こうして乗れていることが」
「緊張じゃありません」
一拍。
「高揚です」
「心拍上昇、原因確認」
ミナミが短く指示を出す。
「情動反応。
問題なし」
「ログ、記録」
フォックスは、思わず息を吐いた。
――そうか。
怖がってるんじゃない。
前に出たがってる。
最後のチェック。
「各系統、スタンバイ」
「ログ、問題なし」
「外部接続、解除」
ハーネスのテンションが、わずかに変わる。
ミナミが、静かに告げた。
「サヤさん。
あなたの機体です」
一拍。
「起動シーケンス、移行」
整備班全員の視線が、計器に集まる。
「カウント、入ります」
「三」
「二」
「一」
そして――
「――READY」
白いコックピットに、
静かに文字が灯った。
音はない。
衝撃もない。
ただ、
生きているという気配だけがあった。
サヤは、深く息を吸い、
まっすぐ前を見る。
ここから先は、
もう“開封”じゃない。
――始動だ。




