第八話:観測者カコと、非魔力的な「衝突」の予感
アズーマ像が「筋肉の砂」となって崩壊し、サクミが満足げに気絶したその瞬間。
廊下の角、分厚い壁の影で、怪しく肩を揺らす者がいた。
「……計算通り。いえ、計算以上だわ」
白衣のポケットからメモ帳を取り出し、凄まじい速度で数式を書きなぐっているのは、科学同好会のカコだ。
彼女は、長い前髪で両目を完全に覆い隠した、いわゆる「目隠れ」スタイルの女生徒。表情こそ読み取れないが、前髪の隙間から時折覗く眼光は、顕微鏡のレンズのように冷徹だった。
この筋肉と魔法がすべてを支配する世界において、彼女は異端中の異端。「魔法とは現象の省略に過ぎない」と断じ、試験管と計算尺、そして前世の遺物とも思える『科学』に居場所を求めた孤独な女である。
カコは長い前髪を指先で少しだけ分け、崩れ去ったアズーマ像の残骸(粉末)をじっと見つめた。
「カーリーのようなスピード馬鹿には見えなかったでしょうけど、私の観測眼は誤魔化せないわ。今の『えいっ』……あれは魔力による破壊じゃない。像を構成する青銅の『固有振動数』に、魔力波長を完璧に同調させた……共振破壊ね」
彼女にとって、ヨウジの行いは「魔法」という名の神秘ではなく、極めて論理的で美しい「物理現象」に見えたのだ。
「マッチョたちは無駄に魔力を爆発させて、エネルギーの90%を熱と音として無駄に捨てている。でも、あのヨウジという男……彼は現象の最短経路を知っている。……これこそ、私が求めていた『科学的魔導』の完成形かもしれない」
「ちょっと、そこの目隠れ白衣!」
背後から、イライラを隠せないカーリーが声をかける。
「あんたも見てたんでしょ? あのもやし……ヨウジが、学園の象徴を粉にしたところを! 早く通報しなさいよ、このままじゃ私たちまで連帯責任でオクボ教官に『千回スクワット』の刑に処されるわ!」
カコは前髪を揺らしながらゆっくりと振り返り、口元だけで冷徹な微笑を浮かべた。
「通報? 無意味ね。証拠はすべて砂になったわ。……それに、私はあのアズーマ像の『筋肉だけ強調して解剖学的にデタラメな造形』がずっと気に入らなかったの。……感謝したいくらいだわ」
「な、なによあんたたち……どいつもこいつも筋肉(魔力)への敬意が足りないわよ!」
「敬意で腹は膨れないわ、カーリー。それよりヨウジ、あなたに提案があるの」
カコは気絶したサクミを抱える(重くて腕が震えている)ヨウジに、音もなく歩み寄った。
「私の研究室……といっても地下の備品倉庫だけど、そこに来なさい。あなたのその『省エネ理論』と、私の『科学知見』を合わせれば……この暑苦しい学院のシステムを、根底から書き換えられるわ」
ヨウジは、また一人面倒そうな(しかし自分と同じ「非筋肉派」の)人間が増えたことに、深い溜息をついた。
「……研究室に、椅子はありますか? 立って話すのは、ふくらはぎのエネルギーを消耗するので」
「特製の『人間工学に基づいた、座るだけで腰痛が治る椅子』があるわ」
「……行きます。椅子があればどこへでも」
即答だった。
こうして、「理論のヨウジ」、「実行のサクミ」、そして「解析のカコ」。さらに、それを見張る(あるいは巻き込まれた)「速度のカーリー」という、筋肉王国始まって以来の「非正規魔導ユニット」が、地下室へと向かったのである。
「ア、アズーマ様ァァァ!! 筋肉が……筋肉が消えて、ただのキラキラした粉にぃぃ!!」
廊下の向こうから、粉々になった像を見つけたオクボ教官の、野獣のような号泣が響き渡った。
「これは奇跡だ! アズーマ様は、ついに物質の肉体すら超越し、純粋な『筋肉素粒子』へと昇華されたのだ!! 全員整列ッ! この粉をプロテインに混ぜて拝領するぞッ!!」
「……やっぱり、早く逃げましょう。あの人、もう救いようがない」
ヨウジたちは、さらなる狂気が始まる前に、地下の研究室へと静かに姿を消した。




