《星-20XX0405》
私は彼にこのまま地面に下ろしてと頼んだ。
お前上履きだろ?と言葉を返す彼に、音楽室に土足で上がり込んだくせにいまさら何を言ってるの?と微笑みを浮かべて返した。
「それとこれとはちょっと違くないか?」
正直納得がいかなそうな表情をしていた彼だったけれど、そっと私のことを地面の上に下ろした。上履きのまま土を踏んでいる自分に不思議と罪悪感は無かった。むしろ何かが変わったようなそんな高揚感で胸が膨らんでいた。
「わっ、なんだよこれ」
聞きなれた声が窓の方から聞こえてくる。瑞月の声だった。そういえば自分から弾いてと頼んでくせにどこに行っていたのか。少々の苛立ちを隠すことなく言葉を投げた。
「サッカー部の人がやらかしちゃったの!すぐに戻るらしいけど当分学園ではヴァイオリン弾けなくなっちゃった!」
瑞月は窓の外にいる私の姿に驚いて目を丸くしている。私の後ろに立っている彼の姿を見つけるとより訳が分からないという表情をしてこちらを見やった。
「なんで日奈莉は外にいるんだ?それに……星まで」
「セイ?」
「え、知り合ったとかじゃないの?僕と同じクラスの……」
「久城星」
瑞月の声を遮るように後ろの彼が答えた。
振り返ると彼の双眸がしっかりと私を捉えていた。
「久しい城、星を音読みで星」
セイ。星。
日に照らされた彼の黒髪が星のように瞬いていたことを思い出した。
「……お前は?」
この学園で私は有名だ。おそらく彼も知っているだろう。けれど彼は私に名前は問いかけた。
心臓が跳ねるような心地だった。
自分の名前を発することにここまで緊張したことがあっただろうか。
「……花園日奈莉!」
声が震えてしまわないように丁寧に声を紡いだ。
「じゃあヒナ、だな」
(あ、笑った?)
彼―セイはごく僅かだけれど確かに私に向かって微笑んだ。
教師はこのままでいいと言っていたけれど、長い間過ごしてきて愛着のある第2音楽室の荒れ果てた様を見るのは忍びなくて、簡単なら掃除だけでもしようと思い立った。二人も手伝ってくれている。
「そういえば瑞月とセイって友達なの?」
「そうだよ。……って何その目」
私の問いかけに真っ先に答えたのは瑞月で、そんな瑞月のことをセイが何も言わずに軽く睨みつけていた。
「……恥ずかしいやつ」
そう呟くと手放していた箒をもう一度手に取った。これ以上話す気は無いらしい。
そんなセイの様子を見やった瑞月は私に近づいてコソッと耳打ちする。
「星って言葉足らずの不器用なんだよね。でも嘘はつけないんだ、僕の言うこと否定しなかっただろう?」
面白いだろ?と言わんばかりに呟いた瑞月の表情は予想通りニコニコしている。
確かに、セイは友達ではないとは否定しなかった。本当に仲は良さそうだ。
「でも、言葉足らず?には見えなかったけれど……」
私とセイが言葉を交わしたのはほんの十数分のことだ。けれどその短い時間の中でもセイは私に素敵な言葉をくれた。
「そりゃずっと憧れていたお姫様と初めて会話したんだからそれはもう舞い上がって……イッタ!!」
咄嗟に額をおさえた瑞月。
カランと音を立てて床に転がるホワイトボード用のペン。
セイが投げたペンが瑞月の額にクリーンヒットしたようだった。
「それ以上余計なことを言う気ならお前を的に貼り付けるぞ」
「遠回しに矢で射抜くって言ってるよね!?」
「セイ!コントロールがいいのね!」
「日奈莉はまず僕の心配してくれない!?」
瑞月はあからさまに不貞腐れているが、単純にすごいと思ってしまった。小さい音楽室とはいえ教室後方のここからホワイトボードまではそこそこ距離がある。
「あ、ごめん思わず。というか……的?」
「星は弓道やってるんだよ、僕は詳しくないけどかなり上手いらしいよ」
「なんでお前が答えるんだよ」
弓道か。私もちょっとかじったことがあるけれど弓を引くのにも力がいるし、集中力もいる難しい競技だと記憶している。
「弓道部には入っていないの?」
「俺はただ弓道してたいだけなんだよ。趣味みたいなもん。大会とか興味無いし」
「じゃあ、私のヴァイオリンと似たようなものだね!」
セイにも大事なものがあることに親近感を覚えた。
「そうかもな」
隣にいた瑞月がトントンと私の肩を叩いて小声で呟く。
「弓道してる星、日奈莉も気になるんじゃない?」
「え」
確かに気にならないといえば嘘になる。
(嘘になるというより、結構気になる……かも。弓道をあまり近くで見ることも無いし)
凛とした雰囲気があるセイの矢を射る姿は想像するだけでも綺麗だ。
そうやって一瞬考え込んだ私の様子をくんだ瑞月はいつもの笑顔で言い放った。
「星!明日の放課後君の家に遊びに行くから!」
「はぁ!?」
流石のセイも唐突な瑞月の言葉に困惑している。
「早急に音楽室を直すと言っても数日はかかるだろ?だからといって早く帰宅するというのも日奈莉は気が進まないだろうし」
「まあ確かにそうなんだけれど、セイにも都合が……」
「ずっーと日奈莉のヴァイオリン盗み聞きしてたくせに、自分は見せたくないの?」
瑞月は相手の精神を逆撫でするように煽る。
「……分かったよ、明日だな。別にいい」
仕方ないというように受け入れたセイには申し訳ないが、私の気持ちは彼の知らぬ内に高まっていた。
――瑞月以外で初めての友達の家に遊びに行くんだ。




