《出会い-20XX0405》
そのまま手を引かれて第2音楽室までやってきた。
いつもわたしがヴァイオリンを弾くのは第2音楽室だ。第1音楽室は確か吹奏楽部が使ってる。
グランドピアノがあって、申し訳程度に周りに数脚程度椅子があるだけの小さな音楽室は学園の中で唯一の私の居場所だった。
ヴァイオリンケースは朝ここに来た時に置いたままだった。この部屋は日中鍵をかけているし私以外は使わない。そうなってしまっている。
「弾いてよ、日奈莉。楽しみにしてたんだ」
瑞月はそこら辺の椅子を跨ぐように座り、背もたれの上で腕を組みながらこちらを見た。
毎日聴いている癖に大袈裟だなと思いながらもそう悪い気はしない。
「じゃあ今練習している曲ね!」
早速ヴァイオリンケースの蓋を開けて、ヴァイオリンを取り出した。姿勢を整え、弓を構えるといつもの感覚にしっくりきた。弓を動かし始めると瑞月はゆっくりと目を閉じた。
私の家はいわゆる金持ちだ。
努力しても勉強も運動もごく平凡でヴァイオリン以外取り柄のない私にいつしか親は愛想を尽かして放り出した。私に向ける期待も愛情も全て。親の期待に答えられなかったのだ、仕方ない。もう受け入れている事だ。
何でも好きなことをやっていい代わりに顔と身体に傷は作らないでくれと頼まれた。結婚に支障が出るかららしい。政略結婚ってやつだろう。
私の親はこの学園の経営もしているためか学園の皆は先生も含め私を必要以上に大事に扱う。下手に関わって理事に目をつけられたくないから必要以上には近づかない、でも怪我だけはしないように見張っておく。
いつか自分が自分のものではなくなる。
その来るべき日まで、私は小さな音楽室の中に瑞月とヴァイオリンを抱え込んでこの広大な学園で生きていくのだ。
私の全ては今、この小さな音楽室だけに収まってる。
「どう?結構上手く弾けたと思うんだけど…」
そう言って振り返るといつの間にか瑞月がいなくなっていた。
「え!?一体どこへ行ったのよ、聴きたいって言ったの瑞月のくせに……」
夢中になってヴァイオリンを弾いていると意外と周りの音が聞こえなくなるものだ。瑞月を探しに行こうとヴァイオリンを一度ケースに戻そうとしたその時、突然窓ガラスに円形の影が差した。
「え?」
大きな音を立てて音楽室の窓ガラスが砕け散った。
反射的に目をつぶったが、すぐ目を開いてみると窓近くで散らばったガラスの破片と勢いを失ったボールが床に佇んでいた。窓からは遠い位置だったためガラスの破片はこちらまで飛んできていない。念の為ヴァイオリンの状態もすぐに確認したけれど特に問題はなさそうだった。
「よかった…」
いや、私は良かったけど私以外は良くないか。
「おい、怪我ないか?」
聞き慣れない男の子の声が窓の方から響いた。声の主は窓を開けて身軽な様子で校庭に咲く桜の花びらを巻き込んでそのまま音楽室入り込んできた。黒髪で切れ長の瞳、一見萎縮してしまいそうな程の威圧感と存在感を持つ綺麗な男の子だった。
「え……あ、怪我は無いけれど……」
思わず彼の足元に目をやる。
「土足……」
「こんな惨状なのに今更そんなことを気にするのか?」
確かに音楽室は散々たる有様で今更土足がなんだとも気にしていられない状況だった。
「お嬢様!大きな音がしましたがどうされましたか?!」
慌てた様子で駆け込んできたのはこの学園の音楽教師だった。必要以上に私を立てる言動は普通の学生にとってはありえないことだろうが、私にとっては日常だった。
教師は荒れ果てた音楽室の様子を見渡すと、すぐそばに立っていた彼に疑惑の目を向けた。
「あなたがやったんですか?」
睨まれた本人は全く動じることもなく言葉を返した。
「違う。サッカー部の奴らがシュートミスったとかだろ。俺はたまたま通りがかっただけだ」
それどころか面倒なことに巻き込まれたと怪訝そうだ。
実際にサッカー部の新入生がコントロールミスしたことによる悲劇だったらしい。すぐにサッカー部の人達がこちらに謝りに来た。教師は私に第2音楽室はすぐに修復させるように言っておくと念を押すと、サッカー部の人達と共にこの場を去った。
「お嬢様がご無事で良かったです。もしお怪我でもされていたら理事長がなんと仰るか……」
去り際に教師が言い残したひとことだけが私の耳に張り付いていた。
今この場に残っているのは私と桜と共に現れた彼だけだ。
彼はガラスの割れた音がしたから確認しに来てくれたんだろう。怖そうに見えるけれど心優しい人なのかもしれない。
(にしても駆けつけるのが早かったような……?)
「お嬢様、ね」
彼はすぐそこら辺にある椅子に無造作に腰掛けた。
「名家の一人娘、教師はお前をごく丁重に扱い、放課後も大好きなヴァイオリン三昧……この学園の中なら何の不自由もないお姫様だな?」
嫌味を滲ませるような言い方ではなかった。ごく普通に事実を述べるように彼は告げた。
「そう見える?」
私はそう答えた。ただ単純に疑問だった。
学園の中なら自由を許される。逆に言えば学園を卒業した後の自由は許されない。
まるで綺麗に保管してきた人形が他人に引き渡されるように。
私はいつしか、顔も知らない誰かのものになる。
「私は学園が大きな鳥籠に見えるわ」
ヴァイオリンケースからヴァイオリンを取り出して大切に抱きしめた。
「ならいっそ飛んでいってしまえばいいだろ」
彼はそんな私のことをじっと見つめて事も無げに言い放った。
「自由に生きたいなら生きればいい、外に出たいなら出ればいい。それだけの話だろ。自分の人生なんて誰かに縛られるものなんかじゃない」
彼は立ち上がって、入り込んできた窓からまたするりと外に抜け出した。
私は呆気に取られてその様子を眺めていた。
「そんな簡単な話じゃないの。私はお父様の期待に答えられなかった。答えられなかったから結婚相手だけはお父様の……」
「お父様のためにって?出来が悪くたってなんだって娘を人形のように扱う親がおかしいだろ」
仮にも自分の通っている学校の理事長に対してそんなふうに言ってのける。
「だいたいお前ここが鳥籠に見えるって……それもう答えが出てるんじゃねぇの?」
彼は窓の外から私に向かって手を差し出した。
「それってお前の目の前に広がる世界はもっと広いってことだ」
期待に応えられなかった自分が悪いからと、ずっと考えないようにしていたけど。言えなかったけれど。
私も自分で自分の人生を選んでいきたかった。
「自由になりたかったの、ずっと」
私は差し出された彼の手を取って窓の外に身を乗り出した。
彼はそんな私の身体を両手で受け止めて抱えあげた。
桜の枝に手が届きそうな程の高さからみる学園はいつもより少し広く見えた。
「お前自身はずっと不自由だったのかもしれないけど」
彼は私を抱えたまま見上げた。
彼の瞳の中に映し出された自分が見えた。
「お前のヴァイオリンの音はどこでも飛んでいけそうなくらい、いつだって自由な音だったよ」
外の陽射しに照らされた彼の黒髪が星が瞬くように輝いていた。
「ヴァイオリン、聴いていたの?」
「……ああ」
彼は私からふっと視線を逸らして横を向いた。
「聴こえるんだ、帰る途中の廊下で。でも今日は聴こえてこなかったから……」
音楽室は締め切っていたら中の様子が見えない。だから中の様子のを伺うには校庭側の窓を覗くしかないのだけれど……
「もしかして窓の外まで様子を見に来てくれてたの?」
「……そうだよ!そしたらサッカーボールが飛んでくるし……」
投げやりにでも照れくさそうにそう答える彼のちょっと赤くなった耳を見て、なぜだか心が暖かくなるのを感じた。
今でも思い出せる。
4月5日の放課後のことだ。
遅咲きの桜の花びらが舞い散る中、
運命の二人が出会った。




