《自覚-20XX0903》
慣れたように私が落ち着くまで待ってくれた瑞月。
どうすればいいか分からない様子で私の様子を伺っていたセイ。
私の涙がようやく落ち着いた頃、ヴァイオリンを認めて貰えたことと家族と初めて分かり合えたことを二人に伝えると、二人揃ってほっとした表情をしてまるで自分のことによかったなと言ってくれた。
こんなにも気遣ってくれる友達が二人もいることが私は嬉しかった。
あの後、また家族と私の進路について話し合った。
そんなにやりたいのなら本格的にやれ、とお父様は海外留学を勧めてくれた。確かに音楽を極めるなら国内よりも海外に出た方がいい。私はオーストリアの音楽学校への進学を目標にした。
大切な友人達と簡単には会えなくなってしまうことに寂しさはあるけれど、不思議と心が軽かった。
背中に羽が生えたような気持ちで未来が輝いてみえた。
そして時の流れは早いもので二学期が始まり、夏の暑さもようやく和らいできて過ごしやすくなってきたと感じていたある日のことだった。
「急で悪いんだけど、今日は早めに切り上げて僕の家に来てくれない?」
いつもの第2音楽室で数曲だけ軽く演奏した後、待っていたかのように瑞月は私とセイに問いかけた。
「別に私は構わないけれど……急になんで?」
「それは来てからのお楽しみ。星は?」
「俺も大丈夫だ」
「じゃあ、行こうか」
(……?)
そう言って笑顔を浮かべる瑞月のいつも通りにも見える表情に少し陰りがあるように感じた。
いつも私たちが過ごすのは第2音楽室かセイの家の弓道場かのどちらかであるため、瑞月の部屋に来るのは私がお父様に話をしに行った日以来のことだった。
瑞月の部屋に入った時その時と変わらない部屋を想像していたため、少々面を食らった。
「……?これなに?」
テーブルセットが脇に寄せられている広い空間に見覚えのない簡易ベッドが設置されていた。寄せられたテーブルの上にはパソコンが2台とヘルメットのような装置、そしてその横にいくつかモニタが装備されている機械が置かれていた。
「夢を見る機械だよ」
「夢?」
「前言ってただろ?自分で発明できるなら素敵な夢を見せてくれる機械がいいって」
「え……作っちゃったの!?」
「時間かかっちゃったけどね」
ほんの私の思いつきがこうして形になるなんて夢にも思わなかった。私があの発言をしたのは確か5月辺りで……3ヶ月程前の話だ。たった3ヶ月でそんな装置を作ってしまうなんて、昔から知ってはいたけれど瑞月はやっぱりずば抜けた才能を持っている。
「どうやって使うんだ?これ」
セイが機械やパソコンの方に近寄ってその画面に映る内容を眺めている。私が見てもこれっぽっちも意味が分からないけれど、セイだったら少しはわかったりするのだろうか。
「このヘルメットを被って自分が見たいと思う夢を想像しながら寝る、それだけだよ」
瑞月は机に置かれていたヘルメットのような装置をトントンと軽く叩く。
「素敵な夢を見せる、とは言ってもこれはあくまで補助装置のようなもので、もっと詳しくいえば、『寝る直前まで考えていた世界をそのまま夢の世界まで延長する』という装置だ」
「じゃあヴァイオリンを弾く想像をしながら眠るとそのまま夢の世界でもいつもの感覚でヴァイオリンが弾けるってこと?」
「うん、そういう認識であってるよ」
「よく作れるな、高校生の域超えてるだろ」
「私もそう思う……」
そう言って感心する私たちを横目に見ながら瑞月は椅子に座ってパソコンを操作している。
「でもこの装置は一つ欠点があるんだ」
「欠点?」
「実際に経験したことじゃないと夢の中での再現が厳しいんだ。鍵は想像力なんだよ」
瑞月は私たちの方に向き直った。
「例えば、『生身で空を飛ぶ夢』を見たいと考えたとしても、実際にそんなことは出来ないし、経験したこともないだろ?」
「経験したことがない事柄は、経験じゃなく想像力だけで世界を構築しなきゃいけないわけだから、かなりチープな世界感になっちゃうんだよね」
「経験談みたいだな」
「そう、一度やって見たけどあまりのお粗末さに夢の中で夢が醒めたね」
瑞月はやれやれとでも言うように肩を竦めた。
「その身で経験したことがなくても、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚……五感全てを完璧に補完できるほど圧倒的な想像力があれば可能かもしれないけどね」
「普通の人間じゃ無理そうだな」
「でも逆に言えば、自分が経験したことがあって印象に残っていることだったら、夢の世界の解像度はかなり上がるはずだよ」
「すごいね……」
なるほど。欠点があるにしてもかなり魅力がある装置みたいだ。
瑞月は私に向かってヘルメットの装置を手渡した。
「体験してみる?」
「いいの!?」
「そのために呼んだし、説明中目がキラキラしてたし」
瑞月は私を見てゆっくり微笑んでいた。
受け取った装置を頭に装着したあと、用意されていた簡易ベッドに仰向けに横たわった。
ヘルメットのようだけれど中はクッション材が取り付けられていて横になっても頭は痛くない。
「日奈莉はどんな夢をみたい?」
「やっぱりヴァイオリン弾きたい!一番慣れ親しんでいる事だし、解像度が高そうだから」
「日奈莉らしいね、じゃあ見たい夢の想像をして。時間が経ったら起こすから」
瑞月は片手でそっと私の目元を覆い隠した。
ヴァイオリンを弾いている自分の感覚を思い出す。いつもの音楽室、ピアノに背を向けて背筋を伸ばす、ヴァイオリンを構える。そんな三人だけの空間。
「おやすみ日奈莉。いい夢を」
不思議なほどすぐに私の意識は夢の中へと誘われた。
いつもの音楽室でいつも通りヴァイオリンを弾いている。
そんな途中で急に思い立った。
「これ!夢!?」
「わっ!急にどうしたの日奈莉」
突然演奏をやめて叫んだ私に対して、瑞月は目を丸くして反応した。セイも手元で読んでいた文庫本を開いたまま何があったのかとこちらを見つめている。
ヴァイオリンを弾く感覚も、外から微かに聞こえる運動部の掛け声も、少し小さなこの第2音楽室も、友達二人の反応も。
「……ゆ、め?よね?」
夢であることを疑ってしまうくらいには本物だった。
「夢?急にどうしたんだよ」
いつもの一定のトーンの声でセイが私に尋ねる。
「これ夢の中のはずなの。だから二人は私の夢の中の……二人?」
夢の中に入る前、瑞月が言っていた。
『でも逆に言えば、自分が経験したことがあって印象に残っていることだったら、夢の世界の解像度はかなり上がるはずだよ』
この夢は私の日常の再現だ。ヴァイオリンを弾く感覚や音楽室の様子だけでなく、瑞月やセイも私の感覚の一部なんだ。夢だとわかっているのにまるで起きているように。明晰夢ってものに近いのかもしれない。
「すごいよ!これって私の夢の中なんだよ!」
興奮して語りかける私を、二人は訳が分からないという表情で見ている。
当然だ。夢の中の二人は私の事情など知るわけが無いと『私が』ちゃんと知っているから。
私は右手をセイの手、左手を瑞月の手に伸ばしてしっかり手を繋いだ。
セイは、はっ!?と上擦った声を上げたあと、繋がれた手と笑顔の私を見てそれ以上は何も言わずに目を丸くしている。
(ふふ……セイ『っぽい』)
一方の瑞月は、どうしたの?と私に視線を合わせるように軽くしゃがんで私の瞳を見ている。
(……っ!……これも瑞月『っぽい』)
真正面からじっと見つめてくる瑞月に何故かいたたまれなくなって目を逸らした。
「……このまま時間が止まってしまえばいいのにな」
ふと零れた自分の言葉に驚いた。
口に出してしまうと今まで閉じ込められていたはずの悲しい、寂しいという寒色系の感情が心を満たしていく。
ずっとヴァイオリンと一緒に、家を出て生きていくことを決めた。私が望んだことだ。
それでも、この音楽室での日々が私の大切な宝物であることは一生変わりないのだ。
いつまでも三人で一緒にいられるわけはないことは私だって分かってる。
(これ向こうに持っていけないかな……)
でもきっとこの装置を使えば思い出は色褪せることなく、夢として蘇る。
(すごいよ、瑞月。とっても素敵な発明)
いつも通りヴァイオリンを弾いて、家に帰って身支度を済ませたあと、ベッドの中でゆっくりと目を閉じた。
……起きて、と耳に馴染む声が響くのを聞きながら。
「はっ!」
目が覚めると瑞月の部屋の簡易ベッドの上だった。
「どうだった?」
「……すごく楽しかった!」
「ちなみに夢の中で感じる時間は現実のものと結構ずれてて、こっちでは5分程度しか経ってないよ」
「えっ!?」
放課後から寝るまでの時間は過ごしたから6、7時間程度は夢の中にいた気分だ。
「夢の中、お得だね。ずっとヴァイオリンの練習してようかな」
「日奈莉は音校の試験も控えてるだろ?あくまで夢の中だから手先の感覚としては残らないからやめた方がいいよ、絶対に鈍る」
「む……確かに。でもこんな装置作っちゃうなんてすごいよ!私思いつきでポッと言っただけで作らせるつもりなんてなかったのに……」
正確に言えば、そんな装置作れるとは思わなかった。なのだけれど。
「まあね。でも……いつか君は遠くに行っちゃうだろ。だから近くにいられる今のうちに」
瑞月はこちらをまっすぐにみて目線を合わせた。夢の時みたいに。
「日奈莉の願いはなんでも叶えてあげたいって思っちゃうんだよ」
照れくさそうにでも心から嬉しそうに私を見つめて、ニッと口角を上げて子供みたいに笑った。
(……小さい頃から見てきた顔なのに)
そんな表情を目に映すと、
なぜかギュッと胸が締め付けられるような心地がして、
耳が熱を持つのを感じて、
今まで感じたことない感情が、
全身を駆け巡っていた。
「さて日奈莉が起きたことだし、星もやってみる?」
「いや俺は別に……」
「せっかく来たんだから体験していきなよ、日奈莉は楽しんでただろ」
「何となくまだ信用しきれてないんだよ」
「いいからいいから!大丈夫だから!」
「お前絶対実験体が欲しいだけだろ!?」
顔を顰めてそう言いながらも結局ヘルメットの装置を被っている時点でセイはやっぱり優しい。
セイは数分眠って起きた後、頭をおさえて顔を歪ませていた。頭痛と吐き気がするらしい。
瑞月曰く時差酔いならぬ夢酔いかも、とのことだ。
「僕や日奈莉はならなかったんだけどな……個人差かな」
「……軽く知ってる道を歩いてみたが、鮮明に再現されている部分と曖昧な部分がまちまちだった。夢の中の報告は後でいいか?」
「問題ないよ、むしろ無理させて悪かったね。飲み物用意するよ」
「あ!私も行く!」
セイはよろしくというように軽く片手を上げるとそのまままたベッドの上に突っ伏してしまった。
「セイ、辛そうだったね……」
「そうだね。日奈莉は問題ない?」
「私は元気!」
キッチンに向かうため二人で階段を降り始める。瑞月の家だって小さい頃から何度も通った。私の家ともセイの家とも違って、近未来的でスタイリッシュで無駄のない家。
「……この階段を降りるのは、残り何回になるのかな」
「そんなの数え切れないよ。君が留学すると言っても僕たちの友情が切れる訳じゃないだろ?」
瑞月は私のつぶやきに明るい口調で返した。
卒業すれば離れ離れになること。
私よりも瑞月の方が割り切れているのかもしれない。
「……今まではお互いに知らないことを数えていたのに、きっとこれからは知ってることを数えるようになっていくんだね」
――そうやってあっけらかんと言ってのける、
「そう思うとやっぱり寂しいかな」
――目の前のこの幼なじみに、
「……日奈莉?」
私は咄嗟に前を歩いていた瑞月の服の袖を掴んでいた。
「あ、ごめん!」
自分は何をしているのか。
ハッと気づいて手を離した。
「不安?大丈夫だよ。日奈莉はいつでも前を見て頑張ってた。僕がいちばん知ってる」
「……違うの」
将来への展望の不安もある。けれど、違う。
想像してしまった。
お互い知らないことなんてなかった幼なじみの、知らない部分が増えていくこと。
これから先取り巻く環境が大きく変わってしまうこと。
その中で瑞月だって、友達以外の大切な誰かを見つけること。
――瑞月の隣にいるのが、私では無いこと。
私は今初めて、変わっていくことが怖かった。
(そっか、これってきっと)
物語の中でよく語られるありふれたこの感情に。今更気づくなんて鈍すぎる。
「本当にどうしたの?セイみたいに気分悪くなった?」
何も言わずに俯く私に彼はいつも通りの―友達に向ける笑顔を浮かべた。
(瑞月は、大切な人になら、どんな表情をするのかな)
「大丈夫大丈夫!早く行こ!」
今にも泣き出しそうな自分の姿を彼の瞳に映したくなくて、逃げるように階段を駆け下りた。
「わっ」
勢いよく駆け下りたせいで足を踏み外してしまった。私の体が地面に吸い込まれていく。
「日奈莉!」
瑞月は私の腕を掴んで力強く引き上げた後、私を包み込むようにして階段を一緒に転げ落ちた。私の身体は全然痛くない。
「瑞月!ごめん!」
血の気が引く思いで向かい合った瑞月の顔を覗き込んだ。
「日奈莉は怪我ない?」
「ないよ……」
自分の方が痛い思いをしているくせに。
人のことばかり気にかける優しい人。
ずっとずっと傍にいてくれた友達。
「なら良かった」
そう言って笑う表情に。私を包み込む温かい温度に。
私の心臓は跳ねるみたいにリズムを刻んで、この音が彼に聞こえてしまわないようにと、ただそれだけを願っていた。