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3/昼休みの来訪者+δ

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 朱空の言葉の真意を俺が知ることになったのは、二日後の昼休みだった。

「いなかったわ」

「……なにが?」

 教室中にある全ての衆目が俺と、俺の席の前で腕を組む朱空に集まっていた。そしてそのどれもが好奇心や猜疑心やあるいは野次馬的精神でもって俺達を注視するのではなく、ただ純粋に途方に暮れるかのごとき唖然とした面持ちをして蜃気楼でも見るような目をしている。ようするに、状況を正しく理解できている人間は朱空を除けば他に、この教室内に当事者たる俺を含めても一人として存在しない。

 水を打ったような沈黙に誰かのまばたきの音が聞こえた気がして、そいつが俺の瞼が立てた音なのではないかと思い、自分の意識はどうやら正常に稼働しているらしいことに気が付いた。

 状況を確認しよう。今は昼休み。場所は二年三組の教室で俺のホームルーム教室。俺はこれから普段通り生徒会室に行って弁当を広げようと椅子を引き――時間が停止したのはその直後だった。

 変に鮮明な記憶を辿る。教室の扉は閉まっていたはずだ。だからこそ並外れた開扉に伴う馬鹿でかい音に反応して反射的に俺はそちらに顔を向けたのだし、ついでにいえば朱空末那というそこに有り得ない幻を発見したのはその時だ。朱空は顔色一つ変えずに目の焦点を、俺が昨日朱空を捜している際にしたのと同じ動作で室内に振り撒き、サーチライトの眼光はやはり俺を捉えることで動きを止める。上級生達から注がれる不審の眼差しを一身に受けながらも威風堂々と、朱空は俺の前にまでやって来て――冒頭直後の台詞をのたまった。

 夢見心地(夢といっても悪夢の方だ)で数回瞼を開閉させてから俺はもう一回問う。

「なにが、いなかったんだ?」

 ていうかこの状況はなんだ。

「なにを寝惚けたこと言ってんの。あんた四限目ちゃんと受けてた? 目開けたまま寝てたんじゃないの」

 ずい、と中腰になって顔を近づけてくる朱空。鼻の頭がぶつかり合うくらいの近距離で俺の目玉を抉る朱空の黒瞳が放つ光。ややあってから、何事もなかったように顔を離される。

「……解った。いやちっとも解らんが、とりあえず解った。そうしよう。だから朱空、話があるなら場所を移させてくれ。ここは人目を引き過ぎる」

 目線でギャラリーの群衆を示す。朱空はそれでやっと自分が衆目の中心になっていることを悟ったのか、不快そうに喉を鳴らしてから言った。

「そうね。それじゃあ移動しましょ」

 そして言うなり唐突に俺の腕を掴み、強引に引き寄せる。抵抗する間もなく体勢を崩された俺は、引っ張られるよりもむしろ引き摺られる形でたどたどしい足取りを刻んで廊下に出た。

 まだ目の前で起きた現象に思考が追い付いていないクラスメイト全員から見送られながら、視界の端に蒼の姿を見出す。蒼は、沈黙がざわめきに変わりつつある空間の中で唯一静観の姿勢を保ち、というか保っていたのだろう。喰い広げた途中の弁当が何よりの証拠だ。蒼は俺と目が合って箸を置く。助けを求めたつもりはないが、客観的に見ればその時の俺は濡れた野良犬みたいな瞳をしていたかもしれない。

 俺と目を合わせた蒼はなにを思ったか親指を上に立て、口元を歪めた。

 いや、止めろよ幼馴染み。

 蒼の見せた謎の微笑みが最後。以後の忌まわしい記憶の一部始終は俺の海馬から一切を残さずネガごと焼き払ったので覚えていない。忘却は人間の持つ素晴らしき自己防衛本能だなあ、とか考えつつここは屋上前の踊り場。俺は埃を被った鉄扉に背中を預けて立っていた。

 朱空は何重にも施された厳重なる鎖の閉鎖を解こうと奮闘していたがやがて、我が校の屋上侵入に対するセキュリティは素人手におえないレベルだと観念。絶対無敵も不遜。ここに勝敗は決し、ナンバーロックと二つの南京錠並びに頑強な鎖の束縛とキーロックの防御精鋭に朱空は苦杯を喫した。

「もうっ! なによこいつ! 律、なんかこいつムカツクわよ!」

「扉を擬人化するな。つうか、開いてないんだから諦めろよ。いくら生徒会のバックアップがあっても校則違反までは帳消しにできないぞ」

「南京錠が一つだけ外れないのよ……。あんたちょっと用務員室行ってチェーンソー借りてきなさい」

「んなもんは置いてねえ」

 冷静に突っ込みつつ、

「ちょっと待て……他は開いたのか!?」

 やっぱり感情を圧し殺せない。ピッキングの達人が俺の前にいた。

「ピッキング? ううん違う。錆びてたから壊しちゃっただけよ。楽勝だったわ」

 九ノ瀬に言ってもっと頑丈な鍵を用意させよう。

 自分の器物破損行為を朱空は誇らしげに語る。現行犯だ。今すぐに手錠を掛けられたとしても文句は言えない。だが困ったことに俺まで連帯責任を負わされる恐れもあるので密告したりはしないが。

「昼休みの密談とくれば場所は立ち入り禁止の屋上だって相場が決まってるのに……」

「どこの相場だよ」

 俺は肩に被った埃を叩きながら訊く。

「話ってなんだ?」

「はあ? なんで解ってないのよ。さっきも教室で言ったじゃないの」

 朱空が教室で言っていたことは、確か『いなかったわ』だったと記憶している。その発言だけで用件を察しろといわれても無理があり過ぎやしないか。俺には読心術のスキルなんてなければ、多くを語らずに心中を察し合う仲になった覚えもない。

 薄暗い踊り場に舞う浮埃が吹き飛ばされるほどに大きな溜息を、朱空はこれ見よがしに吐いた。

「信じられないけど、ほんとに解ってないみたいね……。言ったじゃないのよ、あんたに全面協力して上げるって」

「そういえば言われた気がする。おまえあれ、本気だったのか?」

 答えを聞くまでもない。

 朱空の仕出かした無茶が本気の証だ。

 積もった埃を踏み締めながら朱空は俺の前の壁に移動した。暗がりでも目立つ端正な白い顔が呆れ半分と癇癪半分のブレンドされた顔色でもって、黒の瞳に俺を据える。

「昨日調べてみたけど、あんたが捜してたような奴はどこのクラスにもいなかったわよ。勿論絶対とは言えないけどね。でも、信憑性はあると思っていいわ。あたしの眼から見ても、この学校の治安は安泰だから」

 唖然として調査報告を受ける俺。

 用意した原稿が尽きた様子の朱空は、感想の一つも述べない俺に不満を訴えて眼を細めた。正直ちょっと怖い。

「そ、そうか。悪いな、わざわざ調べてもらって」

「別に。あたしがあたしの意思でしたことよ。あんたの為じゃないし、お礼なんて言わなくていい。それにこんな結果じゃ協力もなにもないでしょ? 手がかりがなくなっただけじゃないの」

「いや、そうでもない」

 元より俺が捜しているのは有象無象の雲みたいな人物だ。存在しないなら、それはそれでこの件は九ノ瀬の杞憂だったという結論の下に幕を下ろす。一年が投書主と決め付けたのは九ノ瀬だが、あくまで推論の域を出ない。一年に該当者がいないという調査結果は、三学年の内一つの可能性が潰れたことを意味する。

 残る二つの可能性に関しても上に同じ。

 先日の内に俺と九ノ瀬で二年の可能性は潰したし、三年は元からないものと考えている。僭越ながらも進学校と呼ばれるこの高校において、三年にもなってそんな問題は起こらないだろう。生徒会役員のほとんどが二年であることもあり、三年は調査の対象外と捉えていいはずだ。

 これらより導き出される結論は一つ。

 つまり、投書はそのもの悪戯だったのだ。

 肩の荷が下りた心地でそれを受け入れて、俺は改めて朱空に言う。

「十分だよ、助かった」

「だ、だから、お礼はいらないって言ってるじゃない!」

 言ってないけどさ。

「ふん。このくらいのことも一般生徒の協力なしでできないなんて、生徒会も無能揃いよね!」

 生徒会に罵詈を浴びせても俺の心はちっとも痛まない。

「だいたいさ、高校生にもなってイジメってなによ。アホらしい。どんだけ根暗なのよ」

「おまえがそれを言うかよ。小学生の時なんて苛めてる側だったんじゃないのか」

 度々睥睨を挿みながら顔を背けて罵倒を続ける朱空に軽口を利いてみると、いかにも心外だといった面持ちで正面から睨み返される。暗くてはっきりと確認できないが、仄かに頬が赤い気もする。

「失礼ね! あたしだって苛められれば少しくらい悦ぶわよ!」

「なんか……ごめんな」

 否定しつつさらりととんでもないことを言われ、謝ることしか出来ない俺であった。

 何はともあれ、朱空の証言を最後にしてこの案件は一旦幕だ。九ノ瀬の話ではここ数日で例の投書が行われることはなくなったらしい。一年の投書であるとの予想が最有力だったこともあり、朱空を信じるならばその可能性も九割方潰えたと見ていいだろう。結局九ノ瀬の危惧は杞憂に終わり、この件は悪戯という形で決着がついた。

 俺に課せられた役目は投書主の発見だから、厳密にはまだ完遂に至ってはいないが。しかし悪戯なんだとしたら必死になって探すこともない。俺はここで下ろさせて貰うつもりだ。

 なぜなら。九ノ瀬より与えられた、俺が果たさなければならない案件はもう一つ残されている。

 朱空の依頼に次は取り組まなければならない。

 それは依頼者本人こそ助勢を拒んでいるが、解決に至らない限り俺の自由が訪れることはないので早目にけりをつけたい。とは思いつつも、俺の中には楽観も存在していた。朱空は、自分には捜している人物を見つけ出す秘策があると言った。どんな手を使うのかは知らないが、捜索に明確な手段があるなら解決は思うより早いかもしれない。

 すぐにでも案件を片付けたい俺はその旨を朱空に伝え、活動方針をそっちに向けることを提案した。

 だが。

「なんでよ。言ったじゃない。あんたの協力なんて必要ないって」

 仏頂面で一蹴に伏される。

「勘違いしてるなら言っとくけど、あたしは『この件に関してあたしがあんたに協力する』って言ったの。協力の相互関係になったわけじゃないんだから、逆は必要ない。あたしのことはあたしが自分で解決するから、あんたは余計なことしなくていいのよ」

 頑なに朱空は俺が自分の抱える案件に関わることを拒否する。朱空の言葉と瞳は、明確に両者の境界線を定めるように静かな拒絶を訴えていた。それを見てどこか高揚らしい感情の昂りが冷め、信頼に似たなんらかの感情が芽生えかけていたようで自分が嫌になった。

 朱空が俺に協力する気になったのは、気紛れや酔狂などではなく、俺の案件を解決することで生徒会と自分との距離を作ることが目的だったというわけか。そんなことは少し考えればすぐに解る単純な行動理念。自信の為に行動する、実に人間らしい理由だ。

「それじゃあこれでおしまいね。あたしの方は大丈夫だから、あんたは何も心配しなくていいわ」

 当たり前のように告げて、当たり前のように去っていく。別れの挨拶もなしに背を向けて階段を降りる後ろ姿をすぐには追いかける気になれなかった。なにをしているんだろうまったく俺は。

 かくして、朱空と俺の間にあった繋がりは一層希薄になり幕を閉じる。朱空の『策』に俺は必要ではないだろうし、また普段の平穏が舞い戻った。その平穏が束の間なのか、悠久なのかは今のところ解らない。どちらにしても精々有効に活用させて貰うさ。

 実は朱空が俺を必要としなかったことは、後に大きな救いになる。

 なにせ俺はこの後、新たな厄介事を背負うことになってしまうのだから。

 もしも人間の人生に筋書きがあって、その台本を運命などという陳腐な名で呼ぶのならば――俺の運命が決定的に歯車を狂わせたのはこの後の事件で間違いない。

 しかしこの時まだそのことを知らない俺は、残り少ない昼休みで弁当を食べ切らなければならない焦りだけを感じていたのだが。

 いやはや。

 全く以てつくづく――この世界は笑えない。

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