3/捜索開始+β
/2
昼休みから数時間経って放課後。
この後の行動は九ノ瀬に押し付けられた案件を片付ける方針で動くか、それ以外かの二択から選ぶことになる。俺の選択は前者。進行度ゼロで解決の見込みはまだないが、だからって放っておいては一向に進展など訪れない。当てはないが手をつけることにしよう。面倒事は手元に置いておきたくないからな。
九ノ瀬曰く投書主は一年の女子であるらしいから、情報収集を行うならば一年を捕まえてソースになってもらうのが正攻法だ。問題は誰に協力を仰ぐかであり、部活に所属していればいざ知らず、帰宅部の俺には後輩と呼べる人間が存在しない。
いたとしても何と説明すればよいだろう。
そもそも、この方法は今の俺に適していない。正当な生徒会委員ならば問題はなくとも、俺はそれでないのだ。一年から話を聞きだすのには、上級生というだけでは弱すぎる。九ノ瀬の推測が正しいならば、しかも相手は女子でなければならない。面識のない上級生男子としては立ち回りが憚られる。
でなくてもなんて聞けばいい。おまえのクラスに誰か苛められてる奴はいないか、なんて言えるはずがない。そんなことが可能なら九ノ瀬が自ら実行すればいいのだ。俺が動く意味がないし、何やらを嗅ぎ回ってる二年の噂はすぐに広がる。本末転倒もいいところだ。
「どうしたんだ律。浮かない顔をしているな」
「ああ、蒼か」
ホームルームが終わってからも席を立たない俺の前に帰り支度を整えた蒼がやってきた。
ふむ。妙案が浮かんだ。
蒼に手伝って貰うのはどうだろう。蒼なら学年を問わず絶大な人気を誇っている有名人だし、その人格は広く学園内に流布している。変な疑いを掛けられることはなく、簡単に口を割ってくれるかもしれない。情報を引き出す相手が剣道部の後輩ともなれば尚成功率が高い。
「本当にどうしたんだ? さっきから私の顔をじろじろと」
「いや、なんでもない」
冷静になって考えてみれば、蒼を中継ぎ役にしても同じことだ。蒼に事情を話してしまえば、こいつはあらゆる手段でことを解決し、犯人――この場合は仮定としてイジメを行っている側の人間――を半死半生状態になるまで痛めつけるだろう。それが解っているから、九ノ瀬も俺に案件を持ってきたのだ。なら、この案も破綻する。
「怪しいな。律、おまえは嘘を吐くとき、まずはじめに『いや』と口にするんだ。さらに『なんでもない』と続いた際は大抵なんでもある」
「なるほど。よくご存知で」
「十年も幼馴染をやってるんだ。私を簡単に欺けると思うな。ほら、困ってることがあるなら話してみろ。それとも私には話せないことなのか?」
話せないことだと、今まさに結論を下したところなのだが。
こうなった蒼を納得させるのはなかなかに困難だ。
「……解った。蒼、よく聞けよ」
「う、うん。急に畏まって、びっくりしたぞ」
小さく息を吸う。
吐き出すのは吸い込んだ空気だけではなく、蒼に対する答え。
「好きだ、蒼」
揺るぎない瞳で俺は言い放った。
「な、なにをいきなり! さては、律、そうして私を混乱させるつもりなんだな!」
「いいや、真剣だよ。蒼、おまえを愛しているんだ」
「う、あああああ、愛とか言うな!」
「アイ、ラブ、ユー」
「解った! もういい! 詮索した私が悪かった!」
全速力で教室を飛び出していく蒼だった。
まだ帰っていなかった生徒達の眼が痛い。なにも叫ばなくていいだろうに。
無敵と思われる蒼にも弱点と呼べる部分は存在するのだ。知っているのは俺と九ノ瀬くらいだが。
さて、と呼吸を整える。
蒼に全てを詳らかにしてしまうことは避けたが、問題は一歩も解決に向かっていない。その気配もない。昔の人はこういう状態を指して八方塞と言ったのだろう。困難を切り開く術が見つからず、問題の始発点で立ち往生。俺は途方に暮れて窓の外を見た。毎日飽きもせず同じ場所に沈んでいく太陽と、やはり普段通りの赤い空。
あ。
これは盲点。俺にとって協力者になり得る一年は意外と近くにいることを忘れていた。いや、自覚がなさ過ぎて気付けなかったというべきか。
朱空末那もまた、なにを隠そう市坂高校に席を置く一年生女子だった。
だがどうだろう。朱空が、果たして俺に情報提供などしてくれるだろうか。それに相手が朱空になったとしても用件柄、俺が自分の目的と意図を共有しなければならないことに変わりはない。昼休みのこともあるし俺の気分上、掌を返すにしてはタイミングが悪い。
しかしながら他に有効な選択肢がない以上、いくら劣悪な発想とはいえ今はそれにすがるしかない。頭があれこれ考えている内に、体はその結論を導き出していたのだろう。ポケットから取り出した携帯のディスプレイにはメール制作画面が映し出され、宛先は『九ノ瀬渚』を表示していた。
朱空末那のクラスを尋ねる本文を考えうる中から最短の文章で打鍵して送信。指先が文字を生み出す間に教室を出、上の階を目指す。
一年と二年は校舎が同じで、五階建ての校舎をそれぞれツーフロアずつ占拠している。二階と三階が二年のフロアで、同じように四階五階が一年となる。
三階の階段を登り終えたところで携帯のバイブレーション。九ノ瀬の返信が届いた。俺がメールしてからまだ五分と経っていないはずだ。メッセージを見た後で調べたのであればやけに早い。事前に調べていたのだろうか。曲がりなりにも朱空は目安箱を通じて生徒会に依頼を持ち込んだのだから、それくらいはしていても不思議はない。
メールの内容は実にシンプルで無駄がなく、与えられた情報は朱空のクラスと出席番号。出席番号までは頼んでいないが、これは確かに役に立つ。余談を付けるなら、朱空の出席番号は一番だった。それもそうだろう。これで数字が二桁の方がおかしい。
かくして俺はさらに上のフロアを目指して階段を踏む。
そこで、
「あっ、律。珍しいねここで会うなんて。なにしてるの?」
鞄を肩から提げた下校スタイルの双色遊季に出くわした。
「この階に何か用? 渚ならもう生徒会室に行ってると思うよ」
俺と蒼が同じクラスなら、遊季は九ノ瀬の隣のクラスに所属している。
廊下を歩く九ノ瀬を見かけたのだろう。遊季の言っていることは正しいと思うが、九ノ瀬に用があるならそれは既に済んだことなので関係がない。それに直接会う必要もないので、遊季からの情報提供はまったくの無意味というわけだ。
「いや、別に九ノ瀬に用があるわけじゃない」
俺がここにいる理由に少なからず九ノ瀬が関係しているのは事実なのだが。そんなことを遊季にいう必要はないし、言っても事態が拗れるだけだろう。なので俺は、一目に解り切っていながら遊季に質問してみる。
「今から帰りか?」
「うん。生徒会の手伝いなら協力するよ。この階のことなら僕の方が土地勘はあるわけでしさ」
土地勘とかいう言葉が適応されるほど我が校の校舎内は複雑ではない。ていうかどの階も同じだ。
「大丈夫だよ。俺一人で問題ない」
「よっし。それじゃあ決まりだね。で、なにをしてるの律?」
「……つまりおまえは、俺が何を言ってもついてくるつもりなんだな」
すたこら。遊季の小柄な体躯が俺の隣に回り込んだ。
どうしたものか。別に遊季一人引き連れて歩いていても不信感が増すわけではない。いても邪魔にはならないと思うが、どうだろう。俺は構わなくとも朱空の方は構うのではないか。昨日今日の接触から朱空末那の人格を分析すると、奴は非常に解り辛い人見知りだ。初対面の人間に懐かない猫、とかそんな感じ。
「ほらっ、黙ってたら解んないよ。なにをしてるのか教えてくれないの?」
急かされてもなあ……。
俺は現段階でまだ、おまえの同行を了解した覚えはない。やはりここはきっぱり断っておくべきだ。ただでさえ扱いの面倒な人間と話をしに行くのに、遊季を連れていってはかかる手間が三割増しする。
「律ぅ……」
遊季、ご立腹。
解り易く頬に空気を溜めて膨らませ、上目遣いはいつしか視線の鋭角を成していた。
「解ったよ。好きにしろ」
ふっ、と遊季の表情が緩和する。引いていた顎を上げたことにより上目遣いが見上げる視線に移り変わり、細くなった瞳が通常の大きさに戻る。それを確認してから俺はご機嫌を取り戻した遊季に「ただし」と注釈を付け加えた。
「用があるのはこのもう一つ上の階だ。仕事の内容も俺一人で事足りるから、おまえは大人しくしてろよ」
「オッケー。解ったよ」
本当は解っていない奴の返事を俺は聞いた。なんで俺の周りの連中はみんな、俺の話を聞かないのだろう。壮絶な無視が行われている気がする。
「それにしてもよくやるよね。いっそのこと正式に生徒会入っちゃえばいいのに」
「面白い冗談だよ、それは」
面白くも笑えない。そんなものを冗談と呼んでいいのかは解らないが、先行して階段を上がる俺に一段分後方下部から遊季が戯言を投げてくる。
「冗談のつもりはなかったんだけど……。律が生徒会のお手伝いしてるのってさ、渚が会長だからなの?」
「まさか。んなわけねえよ」
冗談というならその方がまさしくだ。
「だよね、やっぱり。うんうん。律だったらそう言うと思ってたかなー」
なんか楽しそうな声のトーン。からかわれてるのか、俺。
「でもさ、律が何て言っても、どんな風に思っても結果的には手伝っちゃうんだよね。無視できないんだよね。他人事だとか、面倒くさいって言いつつも、いつだって頼まれたら断れなくて最終的には協力してるんだよね。昔から困ってる人は放っとけないもんね、律は」
「なにが言いたいんだよ、おまえ」
「言いたいことなんてないよー。でもちょっと思っただけ。律はずっと変わってないな、ってさ。随分無愛想にはなっちゃったけど。相変わらず自分以外には甘いよ」
歌うような声は続く。
「だけどそういう考えは早目に棄てた方がいいよ。律本人は破棄したつもりかもしれないけど、実際周りから見たら全然そんなことないんだよ。昔のまま、変わってない」
罪状を謳い上げる遊季の声。先の読めない訴え。
一オクターブ低くなった声のトーンが、二分休符の間を挟んで言った。
「ずっと気になってたんだけどね、律。律はさ――て、うわッ」
これまでに比べて控え目な声を遮ったのは謀らずして俺だった。正確を期して描写するとすれば、上機嫌に舌を回す遊季は喋りに熱が入った結果正面で立ち止まっていた俺に気付かずそのまま衝突した、といった成り行きだ。舌噛んだりしてないだろうな。
「あ、悪い」
「もー! 急に立ち止まらないでよ! 現実でこんな風に事故るなんて思ってもなかったよ!」
急にと言われても。俺は単に目的の教室に到着したから脚を止めただけで、そんなこと、いちいち告げなくても雰囲気で察せるだろう、普通は。それに立ち止まった途端にぶつかるほど近距離に遊季がいたことも気づかなかった。
階段の下で会ってからここまでずっと背中越しに会話をしていたことに、遅まきながら俺は今自覚する。会話なんて言っても実質、遊季が一人で喋っていただけだが。振り返らなかったのは遊季の話は聞き流す程度で真剣に耳を傾けていなかったので、興味がなかったからといえばそれが理由になる。
関連して俺は昼休みのことを思い出す。
背中を見せて話をするのが昨今、密かに浸透しつつあるブームなのだろうか。
「痛いよー、鼻打ったよー」
騒ぐのを止めた遊季が鼻を押さえて俯き加減に泣き言を漏らしていた。下を向いているからよく見えないが、視認できる範囲で鼻血は出ていないようだった。重症になるほど勢いのある衝突ではなかったと思うけど。
「悪かったって、大丈夫か遊季?」
「窪んだかもしれない……」
「安心しろ。絶対にない」
遊季の受けたダメージは俺が思うよりも大きいらしく、涙目が引くまでにはもう少し時間が掛かりそうな様子である。俺としてはこれからターゲットと接触しなければならないのだから、遊季には静かにして貰える方がありがたい。
とはいえその前に一つ。
「遊季、気になってたことってなんだ?」
最後に言いかけて、けれど遂げられなかった言葉の先を促す。
と、遊季は。
「もういいよ。……もういいってば!」
怒号して明後日の方向に顔を背けた。俺が悪いのか?
「興が削がれたよ」
「涙目で言っても似合わないな、それ」
「黄昏たよ!」
「意味解らねえよ」
楽しげな様子はどこへやら。本人の言う通りすっかり興が削がれてしまったらしい。黄昏てはいないけど。遊季はあれだけ饒舌だった口を硬く閉ざして窓に凭れ掛かった。この様子だと続きは訊いても教えてくれないだろう。
遊季が大人しくなった隙に俺は正面の教室内部を窺う。
今日の時間割だと一年も二年も授業数は同じのようで、既にホームルームが終わったと見える教室には数えられるほどしか生徒は残っていなかった。机に腰掛けて談笑する数人の女子集団を概観して窓際の席を前から順番になぞる。この時期だとまだ席替えは行われていないだろうから、朱空の席はその辺りにあるはずだ。
なのだが。
窓際の席はどれも空席になっていた。
よく見ると教室に残っているのはさっきの女子達となかなか作業を開始しない掃除当番(箒を持ってる連中)だけだ。念の為にもう一度教室全体を見渡してみたが、やはり朱空の姿はない。
「……あいつ、もしかして」
帰ったのか?
自分の視界を信用するならば、当然導き出される解答。
結果から言うと、もしかしていた。
教室は間違いなくここで合っていたし、出てきた生徒を捕まえて質問してみたところ朱空はさっさと帰宅してしまったとのことだった。否、帰宅した、とは正確ではない。正しくは教室を出た、だ。それはまだ校内に留まっているかもしれないということでもあって同時に、前述の通り帰途についてるのかもしれないということになる。
「誰か探してるの、律?」
機嫌を直した様子で遊季が訊いてくる。首肯。そして尋ね人が予想地点にいなかったことも付け加えた。
「そっか。でも意外だな、律って一年の知り合いなんていたんだね。あ、知り合いっていうか生徒会関係だから、目安箱の投書主かな?」
問われて俺ははじめてその疑問に思考が及ぶ。朱空はこの件について何者かと問われた答えは、あちらの言葉を借りるなら協力者だ。だが俺個人にとってならば、生徒会への依頼主でもある。この場合遊季にはどっちで応えるべきなのだろうか。
「そんな感じだよ」
どっちでもよかった。
前者でも後者でも生徒会、目安箱関連なのに差異はない。俺にとって朱空は問題事項の種。その意図だけ伝われば口上の表現などなんだって構わない。遊季自身そこまで詳しく追求する気はないだろう。
さあ。
教室を出るときと同じ、冒頭に立ち返って再び選択肢は二つ。
あるはずもない心当たりを基にした朱空捜索の第二劇を開始するか、
この時点で事を切り上げて帰っちまうか。
続行か、中断。
決定に寸陰を費やして、俺は踵を返した。