平凡に暮らしたい村娘は、蜘蛛に魅入られる
忘れたい記憶。
赤く染まった記憶。
おれが12の頃、母上が殺された。優しくおれを抱いてくれた胴体は真っ二つに切り裂かれ、無惨な血溜まりが足元に広がる。
最後の母上の言葉を思い出す。
「逃げてお幸せにおなり。わたくしはいつでもあなたのことを思っていますからね」
母上から渡されたこの青い結晶は、一回限りテレポートが使える。いつか、母上が帰りたいと願っていた故郷に行ける片道切符。
「おい。生き残りがいるぞ」
「待てクソガキ」
まずい…
敵の剣先がおれの横腹を掠め---
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「おねーちゃん、くもこわいよーはやく殺そう」
「蜘蛛は益虫よ、悪い害虫を食べてくれるの。
わたしたちを守ってくれるのよ」
心地よく優しいヒトの声。
テレポートした先は、
住んでいる場所からずっと離れた森だった。
横腹を切られて動けないおれは、薄暗い森の中で弱っていたところを少女が掬い上げられて、二人の姉弟に助けられた。
「青い血…怪我をしてるみたい。連れて帰りましょうよ」
「えええ!気持ち悪い。セラ姉、ありえない!」
セラと呼ばれた少女は、木で編まれたカゴの中にハンカチをひいて、優しく置いてくれた。手つきがとっても優しい。
『キキィ……』
「怪我が治るまでゆっくりしていいからね」
「うえ……そんなおっきい蜘蛛どうするんだよ。セラ姉の部屋から出さないでよね。はやく目的のもの取って帰ろうよ」
その後は、彼らの家で傷が癒えるまでお世話になることにした。どうやら、あの姉弟には両親はいないらしい。おれとおなじだな、と親近感が湧いた。この二人は一緒に森へ潜ると、薬草やキノコ採取をして、村の薬師に売る事で食い扶持を稼いでいるらしい。
そんで、おれは彼らの家に侵入する害虫(ハエやG)を始末するのが仕事だ。
「いつもありがとうね、アリス」
扉の上の天井で巣を作って用心棒をするおれを撫でてくれる。セラは変わった少女だ。手のひらサイズの蜘蛛であるおれを怖がりもせずにお世話してくれる。しかも、おれにアリスという仮名までつけてくれたのだ。ま、気に入っていなくもない。
「うげ!!セラ姉、この蜘蛛に名前つけたの!?ってか、部屋から出さないでよ!」
「シィス、いいじゃないの」
この生意気な弟はなにかとおれを目の敵にしてくる。姉さんと取られて嫉妬しているのだろう。
まぁ……でも、二人とも嫌いじゃない。
そろそろ傷も癒えて力が戻ってきたし、おれが本当はただの蜘蛛じゃないって教えたい気持ちが芽生えた。
もしかしたら、怖がらせてしまうかもしれない。でも、
せめて、セラだけには伝えたい。
「でもね、アリス、元気になったから、そろそろ森に帰りましょうか」
そ、そんな!!!!!おれは……。
「そうだよ、セラ姉。その方がこの蜘蛛も幸せだよ」
あのガキ、睨みつけながら言うじゃないか。やっぱり気に入らない。
『キィキィ!!』
数日間、おれはセラと話をしようと必死に説得したが、『キキキィー』「どうかしたの?アリス」てな感じで、話も通じず、薬草採取に向かうついでに森に返されてしまった。
「じゃあな!」シィスは心底嬉しそうに別れを告げた。
これでセラは自分にずっと構ってもらえるからだ。
そして、セラは涙を浮かべて笑って見送ってくれた。
おれは別れたくなくて、追いかけようとしたが、歩くスピードに追いつかずに彼らの姿は見えなくなってしまった。
『キィ……』
でもおれは諦めなかった。度々、森に採取に来る彼らを見つけては、バレないように身を潜め、陰ながら見守ることにした。
他の危険な魔物がいたら、バレないように蜘蛛の糸で仕留めてあげた。
いつか来るチャンスを待つために----。
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5年後……。
いつも通り、薬草採取を終えて村唯一の薬師であるカトラさんを訪ねた。
カトラさんは私たち姉弟の叔母さんにあたる。両親に捨てられた私たちに仕事をくれ、時には親代わりにと助けられている。
「ねぇ、セラ。あんたはいまいくつだい?」
「16です」
「そうだよねぇ、そろそろどうだい?」
「なにをですか?」
「お見合いなんてどうだい?」
「えっ!
い、いやいや、私にはまだ早いです。弟もいますし」
「弟っていってもね、もう15の男だろ。村の男どももお前が気になってしょうがない。そろそろ嫁がないか?」
「私には無縁ですよ。私、変わってますし」
「ああ、無類の虫好きねぇ。たしかに変わりもんだが、容姿は整ってるんだから、貰い手はいるだろう?」
「私は……虫を愛でながら、地味に人生を送れれば何もいりませんよ」
「はは、だがね、ちょっとばかし、面倒なことがあってね。
なんと、村長の息子があんたをきにいっちまってね。返事は早めに」
カトラは村長から送られた手紙を渡す。ぜひ、息子の後妻に来て欲しいと綴られていた。この村長の息子は訳ありの曲者で乱暴なため、気に入らないと暴力で前妻達を躾けているそうだ。村長の息子という身分をいいことにやりたい放題。
「ダメです。姉さん」
すっかり声変わりし、身長も私を超えてしまった弟のシィスは猛反対した。
「あの無頼漢です!姉さんも殴り殺されてしまいます」
「でも…‥逆らったら、カトラ叔母さんもあなたを危ないの」
ゴンゴンゴンッ!!
乱暴に叩きつけられたドア。
夜分,失礼も考えずに乗り込んでくるあたり、村長の息子が来たのだ。
「おい、セラフィーヌゥ。いるのは分かってんだ」
ドア越しに低い獣のような声がする。強引にドアを開けられ、齢35の巨体な男が家に入ってくる。
「光栄だと思えよ。この俺がお前を後妻として迎えてやるんだからな?たっぷり可愛がってやるからよ」
「分かりました。いま、行きます」
「お前に拒否権はないから、おとなしくした方が身のためだぞ。お前の可愛い弟とおばさんのためにもな」
「姉さん!!!!」
「いいのよ! シィス……幸せになってね」
強めに腕を掴まれてセラは家を後にする。拒否権なんてものはない。言いなりにならねば、嬲り殺されるだけ。
私が我慢すればいいの。
「おいセラフィーヌ。黙って俺に尽くせ。逆らったらお前の居場所はないからな」
「……はい」
「お前は顔だけは良いからな、気になってたんだよ。今日は初夜だ。俺を満足させろよ」
村長の息子には前妻が3人。子供も5人いる。だが、女をただの性処理の道具しか考えていない。
薄汚い寝室のベットに押し倒される。シーツには前妻の血がついていた。無理やり犯され続けているのだ。私も今日からそうなるのだと……諦めた。
男はセラの服を破り捨て、露わになった乳房に噛みつこうとした瞬間----。
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
村長の息子が蜘蛛の巣に囚われていた。天井に張り巡らされた蜘蛛の巣によって。そしてその横には大きな蜘蛛が一匹。とても大きな蜘蛛だが、どこかで見たような毛並みをした蜘蛛だった。
あの日お別れしたはずの……。
「ま…まさか?」
『セラ、おれはアリスだよ。あの日あなたに助けてもらった』
蜘蛛は人型へと形を変えて、端正な顔立ちの男性が天井からぶら下がっていた。クールな表情は、段々崩れて顔を赤らめる。
『セラ、胸が……』
「ひゃっあ!?」
アリスはとっさに蜘蛛の糸で、セラの胸を包み隠してあげた。
『人間、おれですら触れたことないセラに気安く触れてタダで済ますと思うなよ!?』
アリスはマジギレの様子。顔が黒く染まった。
「ん!?んっーんんーーー!?!?!」
アリスは男を八つ裂きに仕掛けたが、なんとか止めた。
その場を後にして、アリスと共に夜の森へ身を潜めた。
「ほんとうにアリスなの……?」
アリスと名乗る青年の顔に手で触れてみる。嬉しそうな表情をうかべて、セラの手の上に自分の手を重ねた。
『ああ……やっとおれはセラに告げることができる。聞いてくれるかい?』
「うん」
『おれはアリス。だけど、本名はセシリス・アラクネシス。
魔族のマスル王とアラクネ姫の第七王子。おれは蜘蛛の魔族なんだ』
「そう。びっくりしたわ」
『あの日、国を滅ぼされて死にかけたおれを救ってくれたセラ、セラフィーヌに惚れてずっとずっと陰から見守ってた』
「ほ、惚れ!?
な、ならどうして、あの時に教えてくれなかったの?」
『伝えようとしたさ。魔力が足りなくて、蜘蛛の姿にしかならなかったから、まともにセラと話せないし、シィスに邪魔されるし
ちゃんとした姿で君に会いたかったんだ』
「……っ」
『それに君に怖がられたら、どうしようって不安だったんだ。嫌われたら、おれはとても生きていけない……』
「アリス……」
『だから、セラ、おれね』
「アリス…‥蜘蛛の姿に戻れる?」
『えっ?』
「お願い……」
青年は1メートル越えの大きな蜘蛛の姿へと戻る。不安げな様子だ。セラはまじまじと見つめて、頬にキスをした。
『セ、セラっ!?』
「セラフィーヌって呼んで……ね?」
『セラフィーヌ、あいしてる!』
「声大きいわよ! 私も大好き。セシリス・アラクネシス」
『なな、なんでフルネーム。。。アリスでいいよ。
おれはもう幸せだ‥‥。今死んでもいいくらい』
アリスはまた人の姿に戻り、セラの耳元で色っぽく囁く。
『さっきの野郎がセラフィーヌに触れたところ、俺が上書きしたい』
「どこでそんな破廉恥なことを!?」
『ね、お願いだよ、セラフィーヌ。おれとまぐわおうよ。そんで子供たくさん作っておれと国取りにいこうよ』
キスしながらおねだりするアリスの腰のあたりに何か硬いものを感じた。もしや……。
「け,結婚前の性交渉はお断りよ!!!」
その後、安堵したシィスとアリスが喧嘩する様を見てセラは心底幸せを感じたのでした。