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木に転生したので神樹になろうと思う  作者: えのきだけ
はじまり
3/6

出会い

 最初は何とかなると思っていた。だって、俺は前世でどん底から這い上がった男だ。今度だって、きっとどうにかできる。


 そう信じていた。


 確かに動けない。声も出せない。けれど、植物には植物なりのやり方があるはずだ。実際に日光を浴びることで成長できると分かったし、この世界のルールに従って適応していけば、やがて道は開ける——そう考えていた。


 けれど、それが甘い考えだったと思い知らされるまで、そう時間はかからなかった。


 時間の感覚が曖昧なこの世界で、俺はどれくらいの間ここにいたのだろう。少なくとも、俺の中では一ヶ月ほどが経過していた。


 その間、何もできないという事実が、俺の精神を確実に蝕んでいった。


 風で葉が揺れる音、遠くで響く獣の唸り声、時折降る雨の音。俺はそれらをただ聞きながら、ひたすらに耐え続けた。


 夜になれば気温は下がり、体が冷える感覚がある。昼になれば灼けるような日差しが照りつける。動けないということが、これほどの苦痛になるとは思わなかった。


 そして、何より恐ろしかったのは、無力さだった。


 俺は風に吹かれるだけで体を揺らし、雨が降れば叩きつける雫に怯え、足元の小さな虫すら脅威になり得る存在だった。いつか踏み潰されるかもしれない。いつか喰われるかもしれない。そんな恐怖が、じわじわと俺の理性を削り取っていった。


 何かを話したかった。誰かと会話がしたかった。けれど、俺には声がない。誰かに助けを求めることもできない。


 だから、俺は目の前に転がっていた小さな石ころに名前をつけた。


 お前は今日から“タマ”だ


 無論、声は出ない。返事はない。ただの石だ。でも、俺はタマに話しかけることで、かろうじて自分を保とうとしていた。


 タマ、今日はいい天気かな


 もちろん、返事はない。


 タマはもしご飯食べれたら何食べたい?


 もちろん、返事はない。


 今日は冷えるね、タマ


 もちろん、返事はない。


 そんなことを毎日続けた。


 話していなければ、いつ死ぬかもわからないこの極限状態の中で、正気を保てる自信がなかったからだ。


 気がつけば、俺は周囲の他の石や、地面に生えている草にすら名前をつけるようになっていた。


 あの葉っぱはジローな


 その奥にいる苔はサブローだ


 タマ、今日は雨が降ったぞ。お前は濡れないからいいよなぁ


 ジロー、風に飛ばされるなよ


 サブロー、お前の上に大きな虫がいるぞ


 自分が何をしているのか、理解している。でも、やめられない。やめたら、俺の精神が崩壊してしまう。


 それとも、もうとっくに壊れてしまったのか?


 答えは分からなかった。


 しかし、もうどっちでもよい気がしてきた。


 正気だろうと狂気だろうと何もできない現状は変わらないのだから。


 だったら、もうかんがえないでいいや


 そうして、俺は徐々に考えることができなくなっていった。









 その日は森の中が異様な静けさに包まれていた。


 それは普段の静寂とは異なるものだった。風が吹けば葉がざわめき、木々が揺れる。小動物たちの気配がどこかしらにあり、鳥の鳴き声が森の息吹を感じさせる。しかし、今は何もない。


 風すら止まったかのような張り詰めた空気が支配し、まるで森全体が何かを警戒して息を潜めているようだった。


 止まった思考が動き出す。


 胸がざわつく。植物なのに根も葉もない不安が全身を侵食し、言い知れぬ予感が心を支配する。


 何かが起こる。


 それは、不安と期待の入り混じった予感だった。


 そして、それはすぐに現実となった。


 ズシン……ズシン……。


 地の底から響くような振動が伝わってくる。大地がわずかに震え、空気が揺れる。


 次第にその音は大きくなり、足音のように規則的なリズムを刻み始めた。


 何かが近づいてきている。


 否が応でも、ただの気のせいではないことを悟らせる。


 音の方角を必死で探り、目を凝らす。


 視界の先、森の奥に影が揺らめいた。


 黒い巨体。


 それが視界に飛び込んできた瞬間、俺の全身が凍り付いた。


 ——クマだ。


 否、クマのような生物、と言うべきか。全身を漆黒の毛皮に覆われたその獣は、まるで闇から生まれ出たかのような威圧感を放っていた。通常のクマと比べても遥かに巨大で、四肢の一本一本が丸太のように太い。


 だが、何よりも異質だったのは、その目だった。


 狂気に彩られた瞳。恐怖と焦燥に駆られた獣の目。


 ——逃げている。


 大きな体躯に鉈のような爪。木々を軽々となぎ倒しながら森を疾走する、圧倒的な力を持つであろうそのクマが、何かから逃げている。


 一体何から逃げているのか。


 しかし、そんなことを考えている余裕はなかった。


 次の瞬間、世界が閃光に包まれる。


 バシュッ!!


 ——光だ。


 雷光のように鋭く、視界を灼くほどの光が瞬いたかと思うと、轟音とともに黒い巨体が弾き飛ばされた。


 ゴォンッ!!


 大きな衝撃と暴風が俺を襲う。


 俺は、吹き飛ばされないように根っこに力を入れて踏ん張った。


 目を開けるとクマの巨体が俺のすぐそばの大木に叩きつけられていた。衝撃で大木は抉れ、軋みながらゆっくりと傾き、そして倒れた。


 ——空が見える。


 長らく閉ざされていた視界の先に、早朝の青空が広がる。


 暗く、色のない世界が一気に色づいた。


 そして。


 木々の間から、悠然とした足取りで現れたのは——


 白銀の狼。


 それは、まさに神話の産物だった。


 月光を編んだかのような白銀の毛並み。朝日の光を浴びて輝くその姿は、どこか神々しさすら感じさせる。額には一本の大きな紫色の角があり、淡い光を帯びている。


 ——美しい。


 その圧倒的な存在感に、ただ息を呑むしかなかった。


 狼は静かにクマへと歩み寄る。クマは未だに意識を保っていたが、その体は震え、完全に屈服していた。


 それでも、最後の抵抗としてか、クマは咆哮を上げようと口を開く。


 その瞬間——白銀の狼が動いた。


 目にも止まらぬ速さだった。


 次の瞬間には、クマの喉元に牙が突き立てられていた。


 クマの断末魔が森中に響き渡る。


 しかし、それすらも一瞬。


 狼が顎を強く締めると、クマの巨体が痙攣し、そして静かになった。


 ……強い。


 まるで、強者が弱者を狩るのが当然であるかのような、圧倒的な力の差。


 弱肉強食の残酷な美しさがそこにはあった。


 ——これが、この森の頂点に立つ存在。


 その圧倒的な力に、俺は畏怖し、そして、憧れた。


 狼は無造作にクマを咥えると、来た道を戻るように踵を返す。


 その刹那。


 狼の瞳が、俺を一瞥した。


 ——目が合った。


 その瞬間、全身が凍り付いたように感じた。


 視線だけで押し潰されそうな威圧感。


 だが、狼は何の興味もなさそうに、ただ俺を見下ろしただけだった。


 まるで、そこに落ち葉が転がっているのを確認する程度の、取るに足らない存在として。


 そして、何事もなかったかのように歩き去っていった。


 ——無視された。


 圧倒的な存在に憧れを抱いた直後に味わう、耐え難い屈辱。


 狼は確実に俺に気づいていた。なのに……無視された。


 俺は、その事実に、激しく悔しさを覚えた。


 このままでは、何も変わらない。


 何もできないまま、ただの木として朽ちていく。


 ——そんなのは、嫌だ。


 俺は強くなる。


 この白銀の狼のように、圧倒的な力を持つ存在になる。


 そして——


 ——いつか、お前を超えてやる。


 そう、これが俺とあの狼との出会いだった。


 そして、「神樹」となる第一歩だった。

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