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アニスの涼風となれ~頑張っても報われなかった少年が報われる異世界転生~

作者: 夢想曲

挿絵(By みてみん)

 飢えていた。雪が積もり、木々が青白く染る如月の街中を一人歩くボクは、お腹を鳴らしながら大人達の作る波に逆らい駅をめざしている。

 中学生はアルバイトをしちゃいけない。義務教育中は勉学に集中すべきだと。けどそんなのは余裕ある人間が考えた綺麗事だ。

 貧乏家庭に生まれたボクは高校に行くお金が無い。先生の言っている事が頭に入らず、運動を頑張っても精々持久走で息が続くくらい。家にお金が無いボクは、学歴社会日本で生きていく上で義務教育が終われば人生終了待った無し。

 嫌だ。死にたくない。生まれた時から詰んでいた人生で、頭が悪いから、金が無いからと言い訳ばかりして惨めな思いをし続けて死ぬなんて嫌だ。

 中学に上がって直ぐに始めた新聞配達。夕刊だけを配達部数の少ない区域を回ったり、チラシをポスティングする仕事に数時間。稼いだお金は全額貯金して、自分のお金で自分が選んだ高校に行く。専門学校が良い。手に職つけて、そしたら家から出よう。


 頑張らなきゃ。


 改札に定期を滑らせる。

 ホームで電車を待っている間に今日の授業で習った所を読み直そう。クラスの子達と違って物覚えが悪いから、何度も読み直さないと駄目なんだ。読み直しても、分からない事だらけなんだけど。

 頑張っても頑張っても、頑張れた気がしない。テストの点はいつも中の下、運動神経も運動部やってる奴には敵わない。

 本当、何をやっても上手くいかない。

 粉雪が降り出した青灰色の空を見上げ溜息をつく。

 お腹、空いたな……。そう思った時だった。


 トン――。


 背中を押された。

 突然の事で抵抗出来ず、ボクはホームから線路に頭から落ちた。敷き詰められた砕石や冷たく大きなレールにうつ伏せに全身ぶつけた痛みで呻くボクがみた最期の光景は眩しい光と迫る車輪だった。



***



 寒い。

 お腹空いた。

 寂しい。

 死にたくない。

 痛い……痛くない。


 痛くない?


「気が付きましたか」


 声がして目覚めるとそこには〝何も無い〟が広がっていた。正確には真っ白すぎる空間が広がっていて、確かに床に寝ているのに温度を感じず、壁も天井も無いように見える真っ白な世界がどこまでも続いている。

 辺りを見渡して、お姉さんがこちらを見ている事に気付いた。さっきの声の人だ。


高松忍たかまつ しのぶさん。貴方は死にました」


 頭上に自由の女神のような四方八方に伸びる光を束ねた輪を浮かべ、蜂蜜のような金色の瞳を持つ美しいお姉さんは優しげな表情のままでとんでもない言葉をボクに投げつけた。


「え、あっ……」


 普段誰ともまともに話していなかったボクが久々に出した声はマヌケで、情けなく掠れた音を漏らすだけだった。小さく咳き込んでからやっとまともに言葉を話す。


「ここは、天国? お姉さんは神様なの?」


 金色のお姉さんは一度ゆっくり瞬きすると少しだけ首を振った。


「私はドゥクス。導く者」

「あ、えっと……シノブです」


 つい名乗った相手に名乗り返してしまった。ドゥクスさんはここの主なのだろうか。聞きたいことは山ほどある。自分はどうなったのかとか、ここはどこなのかとか……。


「貴方の死にたくないという強い思いと、とある巫女の死にたくないという願いが、この空間を作りました」

「巫女……?」

「貴方のいた世界では貴方はもう死んでいます。しかしまだ生きたいと思うならば、巫女の呼び声に応えてあげるのです」


 ボクは本当に死んだのか。

 嫌だ。ボロアパートに生まれて友達もろくに作れず虐められて、今の環境から逃げ出したくて働き始めたばかりなのに。頑張って勉強して仕事して……最期は何も報われずに理不尽に死にましたって、こんなのあんまりだ。

 僅か十三年の人生を思い返し、いつの間にか泣いていた。大粒の涙が目尻から零れ落ち、拭っても拭っても涙が出てくる。みっともない。ボクはせめてもの抵抗に声を殺した。

 真っ白で静寂に満ちた空間に鼻をすする音だけが木霊する。

 ドゥクスさんはボクがようやく落ち着いた所でゆっくり腕を上げ、何も無い空間を指さした。すると示した所にいつの間にか扉が現れていた。辺りを見回した時は何も無かったのに……。音も無く突然現れた扉を指さしドゥクスさんは言う。


「扉の向こうから呼ぶ巫女の声に応えるならば貴方に再び生を与えます。巫女の願いを叶える為、貴方に力も授けましょう」

「よく分からないけど、その巫女って人を助けたら良いんですね? ボクなんかに何が出来るか分からないけど、行きます!」


 貴方は死んだと言われた時点で、ボクは半分諦めていた。死にたくない気持ちは変わらない。けど心の中で悔しいと思った時点で、ボクは死を認めたんだと気付いた。

 死んでしまったなら仕方ない。そう切り替えていきたい気持ちとこんな死に方したくないという反骨心がぶつかり合って出た結論がこれだった。


「どうせ一回死んじゃったんだ。でもやり直せるっていうなら、機会をくれた巫女って人を助ける為に頑張ってみます」

「頑張る……そうですか。ではシノブさん、右手を扉に翳すのです」


 言われた通りに腕を伸ばし、手を扉に翳すと突然体が光り始めた。


「わあ……!?」


 正確には光り輝いたのは体ではなく着ていた学ランだった。黒くて硬い生地の詰襟の指定制服が光と共に消滅すると、次の瞬間ボクの体は学ランではなく袖や襟に細かな刺繍が施されたチュニックを身に纏っていた。固く動きにくかった長ズボンも動きやすい半ズボンになっていて、靴も頑丈そうな革の脛当がついたブーツに変わっている。


「あの、これは……?」


 翳した右腕には服装に合わない黄金に煌めく腕輪が装着されていた。はめ込まれた宝石は光を拒絶するかのように真っ黒い。あまりの大きさと美しさに、一瞬売ったら幾らするのだろうと邪推した頭を振って煩悩を追い払う。


「貴方にトラバミラを授けました」

「トラバ……?」

「簡単に説明すると〝頑張っただけ奇跡を起こす能力〟です。頭の中で唱えるだけで能力が発動します」

「頑張れば報われる……」


 気休めみたいな力だな。そう言いかけたがやめた。自分の今までの頑張りが本当に無駄になってしまう気がして。


「トラバミラの力の蓄積状況はその腕の石が示してくれるでしょう……それでは、もう時間です」


 ドゥクスさんがそう言い終えた瞬間、目の前の扉が開かれ隙間から眩い光が漏れ出てきた。これから何が待っているのか。不安でいっぱいだ。けど、時間は待ってくれなかった。


「あれ、なんか引っ張られ……」


 強烈な追い風を感じる程の吸引力を体で感じた時には既に体が浮き上がりそうな程になっていて。掴まる所などない真っ白な空間で抵抗などできるわけもなく。


「わああああああああ!」


 両足が浮いた瞬間、扉の奥の光に全身が溶けていった。



***



 目が覚めると見知らぬ部屋にいた。

 風の音と心音がうるさいくらいの静寂。

 薄暗く、ゴツゴツした石壁に囲まれた丸い部屋。ガラスも無い窓から差し込む月光と、夜風に揺られる篝火が部屋をぼんやり照らしている。

 いつの間にか寝ていたようで上半身を起こすと、人がいた。重そうな鎧を身につけた大人が三人に、綺麗な銀色の髪をした女の子。

 銀髪の女の子が起き上がったボクの顔を見て微笑んだ。そして直ぐに近くにいた髭の巨漢に満面の笑みを向けた


「や、やりました! やりましたよ義父(おとう)さま!」

「三人の大魔法使いの魔力を束ねねば起こせぬ上位召喚魔法、一人で本当に起こすとは、流石巫女だ」


 巫女と呼ばれた女の子の頭を撫でた巨漢はボクを見るなり笑顔を歪めた。


「しかし、守護者の召喚でまさか子どもを呼び出してしまったのは、やはり魔力が足りなかったか」


 近寄ってきた巨漢はボクに歩み寄ると手を差し伸べた。


「お前名前は?」

「ボ、ボクはシノブ……」


 差し伸べられた手に掴まり起き上がる。


「なんだ、少しは鍛えてるようだな」


 起き上がる体と掴んだ手の感触で何か感じたのか、巨漢はボクをつま先から髪の先まで舐めるように見た。


「部活とか、したことないですが配達とか……筋トレとか……」

「なんだ向こう側にも労働階級とかあるのか。こんな子どもが、異世界も世知辛いもんだな」

「えっと、はぁ……」


 肩をポンポンと叩かれ、なぜだか勝手に同情されてしまった。でも悪い人ではないのは分かった。


「あの、ここは?」

「ここは――」

「もう、おとうさまばかりずるいです!」


 巨漢の後ろから顔を出したのは巫女だった。女の子が小さいのと巨漢が大きすぎるせいか、巨漢の腰くらいの高さに巫女の顔がある。


「私はバニリン! こちらは私のおとうさまのオイゲン! アニスへようこそ!」

「よろしくなシノブ」

「あ、はっハイ……! でも、ボクはどうしたら」


 戸惑うボクにバニリンが微笑む。


「そうでした。シノブ様はこの世界の人ではないのでした。これから色々教えて差し上げますね」

「あ、ありがとう……ございます」


 同い歳くらいの女の子に様付けで呼ばれたことなんてなくて変な汗が出てきた。でも変な奴だと思われたくない。呼び出されて半ば歓迎ムードとはいえ、折角呼び出した奴が無能で変な奴だなんて思われたくない。


(が、頑張らなくちゃ……!)


 そう思った瞬間、右腕が一瞬あたたかくなった。それはまるであたたかい人の手が僕の手首を掴んだような感覚。

 右手を見てみると、腕輪にはめこまれた黒い宝石が僅かながらに内側から光を放っているように見えた。それは見る角度を変えると石の表面の光沢で見えなくなる程に僅かで儚い光。

 ボクが腕を見ているとバニリンが首を傾げながら視界に入ってきた。


「わわ……!」


 女の子の顔なんて間近で見た事ないのに、まるで漫画やゲームに出てくるような美少女だ。驚いたって仕方ない。思わず後ずさったボクはかかとを何かの溝に引っかけ、思い切り尻もちをついてしまった。


「いっ……たたた」


 足元を見ると溝はボクを召喚する為に作られた魔法陣の一部だったようだ。情けないところをいきなり晒してしまい、顔が熱くなるのを感じながら素早く立ち上がった。

 バニリンは笑うことなく、ボクの手を優しく握った。


「これからお願いしますね、私の守護者様」


 向けられた眼差しがあまりにも真っ直ぐで力強く、そして綺麗で、どうしようもなく心臓がうるさかった。



***



 この世界、アニスと呼ばれる世界は過酷だった。水は不味いし、上下水は辛うじて整備されてはいるけどトイレもお風呂も元の世界ほどの機能などあるはずもない。ご飯は、お腹空いてたから何でも美味しい。異世界ってもっと漫画やゲームで見たような煌びやかで綺麗な世界だと思っていたんだけどな。

 でもそんな事でへこたれてはいられない。

 何故ならボクには使命があるからだ。


「私、もうすぐ生贄にされてしまうんです」


 昼下がり、村の案内を受けている時にバニリンはそう言った。その前に何を話していたかなんて忘れてしまうくらいの衝撃だった。笑顔でそういうバニリンが何を考えているのか分からなかった。


「イグニスという邪竜がブラックフレア山に住み着き、配下の竜を使って周囲の村々から高い魔力を持つ人間を拐うんです。抵抗すれば、村が滅ぼされます」

「滅ぼされるって……」


 おもむろにバニリンが森のある方を指さす。


「去年まであの森の向こうに姉妹村がありました。それが生贄を用意せずに反抗した結果……この村の大人達が駆けつけた時には跡形もなく焼き尽くされていました」

「村を丸ごと!?」

「はい。その惨状を知り、私が大人しく生贄になれば村は助かるかもって思ったんです」

「そ、そんなのダメだよ!」


 反射的に出た声は自分で驚く程大きかった。空気が凍りついた気がして、目を丸くしているバニリンを見て一秒程度の沈黙が永遠に感じた。


(ボクに生き直すチャンスをくれたのが君なら、君を守るのがボクの使命なんだ……ま、守らなきゃ!)

「ボクを呼んだってことは、大人しく生贄になる気は無いんです……よね」


 声に出しかけたけど途端に恥ずかしくなり咄嗟に出た言葉のなんて味気のないことか。でもバニリンはボクの考えなどお見通しといったふうに口角を上げた。


「優しいのですねシノブ様は」

「うっ、からかわないで下さい。それに呼び捨てでいいですよ。大して歳も離れてないし、身分だって……」


 言いかけて、本当に大したことなかったなと自己嫌悪。言葉が詰まる程急激に込み上げる卑屈な感情。


「分かりましたシノブ。貴方が言うように、今は戦う決意を固めました。おとうさまや私を守る為に戦う意思を示した守護隊の皆さんを見て、私だけ諦めていたらいけないと……だから貴方を異世界より招きました」


 バニリンはボクの手を両手で包み込むように握ると、上目遣いでボクを見つめた。儚げな表情の銀髪の美少女が、ボクに救いを求めている。どんなに卑屈でも他人と壁を作ってしまうような性格でも、ボクは……。

 ここに来る前から決めていたけど、こんな姿の女の子に頼られて断ったら、今度こそボクは自分が大嫌いになってしまう。


「戦いますバニリンさん」

「あら、私もバニリンでいいですよ。ふふっ、楽に話しても構いません。これからお友達、いえ、一蓮托生の同胞(はらから)になるんですから」

「……ありがとう、バニリン」


 バニリンの歓迎の言葉にお礼をすると遠くから足音と鎧の擦れる音が聞こえた。


「おーいシノブ! これから剣術をお前に仕込む! ついてこーい!」


 オイゲンが歩きながら手招きしているのを見てバニリンはクスクス笑って僕の耳に口を近づけて囁いた。


「子どもだけに頑張らせたら大人として恥だって思ってるみたいなんです」

「そんな」

「おとうさまは剣術、槍術、弓術に長けた村一番の戦士です。是非沢山学んで下さいね。稽古が終わったら今度は私が魔法の基礎を教えますね」

「時間が無いし頑張らないとだね」


 ボクはバニリンとの時間を惜しみながら、オイゲンさん指導の下で修行に打ち込んだ。


 打ち込んで、転ばされて、(かわ)されて、投げられて――。


 痛かった。泣きたかった。悔しかった。

 真剣なんて握ったことの無くても忖度など無い。ボクが成長しなければ、ボクだけじゃない、みんな死ぬ。

 死にたくない。今もそう思うけど、それ以上に、死なせたくない気持ちが日毎に強くなっていった。

 寝ても覚めても剣と魔法の鍛錬。

 バニリンを攫いに来る竜は待ってくれない。村から出て、村に向かう竜を迎え討つ。

 ドゥクスさんから与えられた力はぶっつけ本番で使うしかない。

 出撃の前夜、腕輪の黒石はいつの間にか幾つもの光が内包した夜空のような石へと変わっていた。



***



 アニスに来て幾つもの朝を迎えた。

 服の上から革の鎧を身につけ、身の丈に合った剣と丸盾をオイゲンさんから貰った。


「よく修行に耐えた。まだ半人前だが、短期間で剣に振り回されなくなったのは大したもんだ」

「ありがとうございます! でも、大丈夫でしょうか」

「なぁに守護者様が一番不安がってるんだ。どうせ大人しくしてても竜どもに食い潰されるんだ。それに、お前一人の戦いじゃねえ。なあ?」


 オイゲンさんが言うと駆けつけた村の大人達が各々武装して隊列を組んで現れた。


「おうよ。巫女様と守護者殿だけに任せて畑の面倒なんて見てられねえ!」

「何カッコつけてんだサボりたかっただけだろうに!」

「うるせえどうせ死んじまったら畑もクソもあるかって話だ」


 普段は農夫の人達も年季の入った槍や斧で武装していて、狩人の人達も普段から使っているのだろう弓を手に闘志を燃やしていた。

 そうだ。これはボクだけの戦いじゃないんだ。


「大丈夫ですよ。私もいますから」

「へ!?」


 バニリンが背後から突然声をかけてきて変な声をあげてしまった。


「バニリン。ごめん。本当は村にいて欲しかったんだけど」

「危なくなったら、シノブが守ってください!」

「……うん!」


 竜との戦いに巻き込みたくなかったけど、バニリンも魔法使いとして役に立ちたいんだ。義父のため、村のため……。

 ボクは、誰かの為に頑張るなんてアニスに来るまでは考えたことも無かった。自分のことで、必死で。


「よおしお前ら行くぞ! 手筈通りにな!」


 オイゲンさんを先頭にボクらは村を出た。

 少し土をならしただけの並木道を進む。

 遥か彼方のブラックフレア山は霞みがかって見えたが、暗雲立ちこめる山頂部が青空から浮いて目立っている。

 山を見ながら歩みを進めると、空に紛れて小さい何かが飛んでいるのが見えた。


「オイゲンさん。アレは」

「前見た奴とは違うが、間違いない。竜だ! 皆の者配置につけ!」


 指示と共に大人達は木々の影に隠れるとみんな武器を構えて気配を消す。

 ボクとバニリンとオイゲンさんだけが道の真ん中で竜を待ち受ける。

 豆粒程の小ささだった姿が直ぐにその巨体が鮮明に見えてくると、ボクは震え上がった。

 氷のような青い光沢を放つ鱗の巨体。広げた皮翼は羽ばたく度に空気を裂く音を響かせる。ボーリングの玉くらいあるエメラルドのような瞳がボクらを睨みつけている。

 竜の口が開かれたのを見て剣を構える。


「人間ども、村で待てと命じられていた筈ではなかったか」


 流暢に人語を話し出してボクは焦った。


「しゃ、喋った……」


 いや、人語を話す竜なんて小説や漫画にいくらでも出てきたじゃないか。

 宙を羽ばたきながらボクらを見下ろして青き竜は言う。


「自ら差し出しに、という訳ではないのだろう、人間」


 企みなどお見通しだと言わんばかりに長い首を動かし辺りを見渡し、声を荒らげた。


「小賢しいのは古の時代から変わらんな!」

「いかん! バニリンを守れ!」


 オイゲンさんが叫ぶとボクはバニリンを守るように立ち、丸盾を構えた。

 木の影に隠れていた大人達が弓を構えながら姿を現すと一斉に矢を放った。


「この氷竜にそんな物が通用するものか!」


 氷竜が一度強く翼を打つと吹雪いたような冷たい突風が吹き荒れ、氷竜に向かっていた矢は中空で凍りつき地面に跳ね返されてしまった。

 一本の氷の矢がこちらに向かってきたのを丸盾で咄嗟に受け流すと手に伝う振動に腰が抜け駆けた。


(こ、怖い!!)


 声には出さなかったが、ボクは結局修行という死ぬわけじゃない状況でしか戦いをしたことがない。初めての実戦、それも相手は人じゃなく竜だ。ボクは逃げ出さないようにその場で踏ん張るのが精一杯だった。


「くっ……うおおおおお!」


 オイゲンさんが雄叫びを上げ、走りながら短弓を構えてなんども矢を射る。

 バニリンを捕まえようと高度を低くしていた氷竜の体に矢が当たるも、竜の鱗は短弓の矢を通さない。だが鬱陶しいのだろうか、氷竜は駆け回るオイゲンさんを目で追っている。


「ええい! そんなものでワタクシを傷つけられるとでも?」

「ならこれならどうだ!」


 よそ見をした竜に向けてボクは魔法で作り出した火球を飛ばした。


「ファイアボール!」

「わたしもいきます! ファイアランス!」


槍の形をしたバニリンの炎とボクの火球が氷竜に直撃した。


「やった!」

(わっぱ)ども、そんな低級魔法では竜の体に傷一つつけることはできんぞ」


 そう言って氷竜は口から凍えるようなブレスを吐き出し瞬く間に炎をかき消してしまった。ボクは基本となる魔法しか使えないし、バニリンにもっと凄い魔法を使ってもらうには詠唱する時間稼ぎをしないと。

 ボクはオイゲンさんに倣ってバニリンから離れないようにしつつもジグザグに移動しながら何度も火球を放った。ブレスを吐いてわざわざかき消したということは、一切通用しない訳ではないんだ。そう確信したボクはオイゲンさんと連携しながら氷竜を翻弄した。

 でも、このままではこちらの魔力切れでお終いだ。今、あの力に頼るべきか。タイミングを見なければ。発動した力がどう働くか分からないけど、だからこそ慎重にならざるを得ない。そう思っていた矢先だった。


「このままではジリ貧だ! 矢がダメなら斧だ! 槍だ! ぶん投げろ!」


 オイゲンが叫ぶとまだ控えていた大人達が現れ、手にした斧や槍を氷竜に向けて投げ放った。確かに矢よりも質量兵器としては優秀だろう。手斧なら上手く投げれば低空にいる標的にも当たるだろう。

 だが、ボクや大人達は竜の防御力というやつを甘くみていたらしい。

 投げ放たれた斧も槍も、尽く翼で叩き落された。


「飛べない種族の悪あがきか、醜いものだ」

「生にしがみつくことの何が悪い! 俺は生きたい! 娘だって死なせてなるものかよ!」

「オイゲンさん……!」


 そうだ、死にたくない。死なせたくない。必死になる事は、醜くなんてない!


「オラアアアア!」


 オイゲンさんは雄叫びを上げながら手にしていた槍を振りかぶった。ダメだ、槍なんかじゃ!

 その時、右腕がじわりと熱を感じた。


「食われる側め。そんなに死にたいなら先にやってやろう」


 氷竜の口が大きく開かれる。ダメだ! オイゲンさんが殺されちゃう!

 もうチャンスを待つなんて悠長なことやってられるか!

 右腕を天高く突き上げ、強く念じた。


(今こそ報われろ……トラバミラ!)


 念じた瞬間、煌めきを宿した宝石が強い輝きを放った。だが……。

 何も起きない。


(何で!? 詠唱間違えた!?)


 焦りで戦いの状況が見えなかった間に、オイゲンさんの手から槍は放たれていた。

 真っ直ぐ氷竜に向かって放たれたそれはまるで化け物を射抜かんとする銀の弾丸に見えた。

 そしてそれは氷竜の皮翼に突き刺さった!


「ワタクシの翼に傷を……!?」

「ハッ! 人間舐めんじゃねえ空飛ぶ蜥蜴が!」

「愚弄しおって! タダで済むと思うな!」


 深々突き刺さった槍は皮翼を貫通しており、反対側に突き出ている。


「あれは……! くらえッ! サンダーボルト!」


 まだ狙った所に落とせない雷撃魔法、だが今は狙わずとも当てられる!


「グアアアアア!」


 魔法により呼び出された雷は真っ直ぐ鉄槍に吸い寄せられ、氷のような鱗を焦がした。氷竜の口から放たれたのは吹雪ではなく黒い煤だった。

 空中でぐらりと揺れた氷竜の体はそのまま地面に落ちかける。だがしかし、雷一発では竜を沈めることは出来ないみたいで。


「この、小僧!」

「バニリン! 合わせて!」

「ええ!」


 よろけた氷竜は直ぐに体勢を建て直し、一度宙で旋回し勢いづけるとボクに迫り大口を開けた。


「子どもだと思って甘くみていたが、改めよう。一撃で噛み殺してくれる!」

「シノブ!」

「今だ!」


 目の前まで迫った氷竜に手を翳す。

 そしてバニリンと息を合わせ、同時に叫んだ。


「ファイアボール!」


 合わさった言葉は炎を束ねて巨大な火球となり、氷竜の口の中へ飛び込んだ。

 目の前まで引き付けられて放たれた火球を高速で突っ込んできた氷竜が避けられる訳もなく、口内で火球が炸裂した。


 ドォン――!!


 火球の勢いで吹き飛んだ氷竜はとうとう地面へ墜ちた。


「よもや人間の、それもたかが子どもに土をつけられるとは」


 氷竜がそう零している内にオイゲンさんや大人達が氷竜を囲んで武器を構えた。

 ボクはそれを見て慌てて前に出た。


「ま、待ってください!」

「シノブ、何故だ」


 オイゲンさんが鉄槍を引き抜いてその矛先を氷竜の瞳に向ける。

 氷竜はあくまでイグニスに遣われていただけだ。だったら。


「氷竜さん。教えてください」

「なんだ……いや、貴方は勝者でしたね。答えられることなら」


 負けた瞬間からボクを敬うように頭を垂れる氷竜に高潔なものを感じ取り少し安堵した。


「あなたは、イグニスの手下なんですか?」


 質問に氷竜は頭を上げて口角が吊り上がった。


「あれは、ワタクシの縄張りに勝手に入り込んだ無礼者……手下と呼ばれるのは屈辱的です」

「ごめんなさい。でも良かったです」

「良かった?」


 氷竜が首を傾げると、バニリンが察したのかボクの傍に駆け寄ってきた。

 ボクの話したかった事を引き継ぐように、バニリンが優しく氷竜に話しかけた。



***



 飛行機に乗ったことが無かったボクは雲の上の景色を見ることなんて前の世界ではできなかった。

 金持ちの友達が家族旅行で飛行機に乗った自慢話を聞きながら悔しさで唇を噛んだ記憶が蘇る。でも、そんな悔しさなどこの爽快さの前では些末なもの。

 青空が一面に広がり薄雲の上をボクたちは行く。青き竜・ヒサメの背に乗って。

 竜の背には許された者しか乗れないらしい。大きく広い背中に、ボクとバニリンとオイゲンさん三人だけでの空旅。状況が状況ならきっとはしゃいでいた事だろう。

 やがて視界にしっかりと入って来たブラックフレア山にボクは息を飲んだ。

 黒い岩肌と立ち上る灰色の噴煙。窪んだ山の│いただきにその巨大な体が見えた。

 陽光とマグマに照らされた黒く光る全身の鱗と、眼光鋭く瞳は航空障害灯のように光っている。捻れた一対の角は悪魔を連想させる。

 地鳴りのような咆哮が山頂から放たれた。


「遅いぞ氷竜! 人間一人連れてくるのに何手間取っている! まさか餌の横取りをしてはいまいな!」


 怒りは凄まじい圧となって、突風のようにボクらを揺さぶった。


「あれが、イグニス……」


 呟くボクにヒサメが小さく頷き、そしてイグニスに向かって答える。


「今ここに」


 騒がしいイグニスに対し、静かに舞い降りるヒサメ。

 首を上げ、イグニスと正面にとらえた。


「さあ、巫女。降りなさい」

「は、はい……」


 バニリンだけがヒサメから降り、イグニスの前まで歩きだす。

 ギラついた赤い瞳でバニリンを舐るように見下ろすイグニスは口角を上げ震わせた。


「お前がお前の里で一番魔力が高い人間、贄か」

「そ、そうです! 私がその……村の人たちは食べないでください!」


 バニリンの懇願する姿を見てイグニスはほくそ笑む。


「お前の魔力でオレが満たされたらな……クククッ! さあ、お前の味を確かめてやろう」


 大口を開けたイグニス。その瞬間――。


「オラァァァァァ!!」


 頭を低くしてヒサメの体の陰に隠れていたオイゲンさんが雄叫びと共に手にした槍を投擲した。それを合図にボクは魔法を練りだし、ヒサメは極寒のブレスを吐いてオイゲンさんの槍を加速させた。


「な、なにぃ!」


 驚いたイグニスはヒサメを見て目を見開く。

 咄嗟に口を閉ざしたイグニスだったが加速した鉄槍はギリギリの所でその隙間に滑り込んだ。

 口に銜えた鉄槍を直ぐに吐き捨てようと首を振ったイグニスに向けボクは手を翳した。


「嘶け! サンダーボルト!」


 声と同時に閃光が走る。噴煙の隙間から幾つもの光が漏れ、一瞬にして天から電撃がイグニスに撃ち降ろされた。

 竜の外皮にどれだけ魔法が通じるか分からないけど、内側からの攻撃なら通じるだろう。

 そう思いつつもバニリンを守る為にヒサメから飛び降り、駆け出す。


「奇襲か、卑劣な人間が考えそうなものだ。だが、奇襲するなら一撃で殺すつもりで来るんだったな!」


 イグニスは鉄槍を吐き捨てるとそのまま息を大きく吸い込んだ。


「いけない!」


 ボクの背後でヒサメが叫び、思わず足が止まってしまった。

 そして、それが過ちだった。

 イグニスの口から放たれたのは火炎放射。いや、それは爆炎。爆発が意志を持ったように真っ直ぐボクに向かって。


「うわあああああ!」

「人間の小僧が、巫女を守る勇者気取りをするには早すぎたな! 塵と消えよ!」


 咄嗟に避けたが、それも無駄だった。

 爆炎の直撃は避けたが爆炎が纏う火の粉や真っ赤に熱せられた塵は革鎧などで防げるものではなかった。


「あっ……うっ……」

「イグニス貴様ァ!」

「氷竜、見ないうちに力をつけたか。その怒りよう、小僧に名でも貰ったか」


 何が起きているか分からない。声が出ない。

 身体中が痛い。脇腹が熱い。足が熱い。猛烈な爆風によって加速した塵は、まるでショットガンのように体を貫通していったみたい。

 遠くでヒサメとイグニスの声が聞こえる。戦っているんだ。


「シノブ! シノブッ!」


 バニリンの声が近い。

 痛みで目が開けられない。

 でも分かる。顔の近くで聞こえる。泣いている。

 頬に落ちる涙が冷たい。


「治って! ヒール! 治りなさい!」


 回復魔法が体の傷を癒すが、痛みが引かない。

 傷が塞がりかけているが、衰弱していた。


(ああ、何が守護者だ。突き落とされて死んで、この世界、アニスに来てまだ間も無いのに)


 落胆。ボクはやっぱり頑張っても頑張ってもダメなヤツなんだな。

 痛みの中で、身体の力が抜けていくのを感じる。前にも感じたことのある喪失感。死ぬ瞬間の……。


***


 やがて痛みが感じなくなり、体が浮かんでしまいそうなほど軽く感じた。


『やはり、戻ってきてしまいましたか』


 聞いたことのある声がした。

 ゆっくりとまぶたを開ける。そこは一度見たけど見慣れることはないだろう空間だった。

 どこまでも白い空間。ボクはいつの間にか立っていて、目の前にドゥクスさんが立っていた。


「ドゥクスさん。ここは、ボクは死んでしまったんですか?」


 よく見ると、ドゥクスさんの姿は半透明で、まるでガラスに映っているかのようだ。ここにいてここにいないような。

 ドゥクスさんは首を横に振った。


『あなたに謝らなければなりません』

「え……?」

『あなたに与えた力。あれは、何の効果もないものだったのです』

「え、でも、ボクは竜との戦いで確かに力を使って勝利を……」


 トラバミラは目に見える超強力な魔法とかではなく、勝つ為に運命を変えるような、奇跡を引き寄せるようなものだと思っていた。

 ドゥクスさんは申し訳ないといった苦々しい表情のまま頭を下げた。


『それは、あなた自身の頑張りで掴み取ったものです』


 何故だろう。

 与えられた力なんて無かった。そう言われたのに。

 怒りが湧かない。悔しくもない。なんなら、嬉しいと思った。

 

「そっか、ボクは、ボクたちの力だけで勝てたんだ。他人から与えられた力だけじゃなくて……」

『期待させてごめんなさい』

「ありがとう」

『えっ?』


 ドゥクスさんが驚きの声をあげたその時、ボクの背後から涼しい風が吹いてきた。それと同時に声が聞こえた。


「シノブ……シノブ……!」

「ヒサメ……?」

『あなたはまだ死んでいません。さあ、戻るのです』


 弱い追い風が次の瞬間向かい風に変わる。吸い込まれているみたいだった。後ろに向かって体が吸い込まれ、体が浮かび、ドゥクスさんが遠ざかっていく。

 ボクは聞こえるように声を振り絞った。


「ドゥクスさん! ありがとう! ボクはこれからも頑張り続けます!」


 声が届いたかはわからない。

 けど、最後に見たドゥクスさんは微笑んでいた。


***


 目を開くと、そこにはバニリンとオイゲンがいた。


「シノブさん!」

「シノブ! 生きてるか!?」

「バニリン、オイゲンさん……」


 むせるような熱気と気持ち悪くなる程の地面の熱さから体を起こすとヒサメが目の前に降りてきた。

 降りてきたヒサメは身体中ボロボロで、翼は穴だらけになっていた。


「シノブ、彼奴に勝つにはこの手しかないようです」


 覚悟を決めたように言うヒサメにボクは頷いた。どんな事でもいい。ボクは受け入れて戦う覚悟ができていた。


「何をしたらいいヒサメ」

「シノブ、あなたに私の心臓を与えます」

「え!?」


 何でも受け入れるつもりだったが思わぬ案にボクは狼狽えた。

 ヒサメは続ける。


「竜は心を許したたった一人の者と心臓を入れ替えることで、片割れが死ぬまで(つがい)として不老長寿と得て互いの魔力を合わせる事が可能になります。人とこれをした例は殆どありませんが、した人間は竜と人の間の存在、竜人となってしまいます。ただの人としては生きていけないでしょう……それでも、イグニスに勝つには」

「わかったよ。なるよ、竜人に」


 即答だ。てっきりヒサメが死ぬとかだと思ったから。誰かの犠牲が必要とかじゃないなら良い。

 迷いのないボクにヒサメは一瞬目を丸くしたが、直ぐに目尻を下げた。


「本当に良いのですか?」


 バニリンが心配そうにボクの顔を覗き込む。

 ボクは心配かけまいと笑顔を作って見せた。


「大丈夫。だってボクは君の守護者だからね!」

「シノブさん……!」

「覚悟が決まっているのなら始めます。彼奴が戻らぬ内に」

「うん!」


 ヒサメの前に立ち、ボクは呼吸を整えた。


「瞼を閉じて、ワタクシの心臓を感じ取ってください」

「どうやって?」

「暗闇の中に光が見えてくるはずです。手を伸ばして、それを両手で受け取り、胸の中へ送り込むのです」


 言われた通りに瞼を閉じ、精神を集中させた。 

 青白い光が瞼を閉じているのに見えてきて、直感でコレだと確信し、手を伸ばす。

 空を掴む感覚だったのに、光はボクの手の内にあるように動いた。これが、ヒサメの心臓。

 ヒサメの心臓をボクの胸に入れる。すると急に吐き気が襲ってきた。


「うっ、うぅ……!」

「我慢せず吐き出しなさい。何も出ませんから」


 あまりの苦しさにボクは何かを吐き出した。

 でも、何も喉を通って口から出ていく感覚がなかった。

 ヒサメの心臓を受け取った胸が、体が段々と熱を持ってきた。体が熱い。しかしその感覚も直ぐに治まると外気が熱くない事に気付いた。マグマが近くを流れる場所で、ボクは汗もかかずに体も火照っていない。これが竜の感覚なんだ。


「終わりました。目を開けて良いですよ」


 ヒサメの言葉で瞼を開けるとバニリンが側にきてボクの体をまじまじと見渡した。


「回復魔法でも消えなかった火傷跡が消えてます! それに、瞳の色がヒサメさんみたいな緑色に……綺麗です」

「見た目だけじゃなくて暑さにも強くなったみたい」

「まあ! それが竜人の……!」


 怪我も無くなり元気そうな僕を見て笑むバニリン。

 勝たねば。この笑顔を守るためにも。

 ボクは決意を胸に空を睨んだ。

 たちこめる灰色の煙の向こうから空気を震わす怒号が轟く。


「氷竜! このオレを相手に逃げ回るとは巫山戯るなよ。逃げ切れると思うな!」


 ヒサメが頭を上げて口の端から白い冷気を漏らす。


「行きなさいシノブ。竜のように飛びたいと念じ、風になるのです」

「風に……わかった!」


 背中に意識を集中し、大地を蹴った。足元の硬い土がヒビ割れ、風を切り、一秒足らずでボクの体は噴煙を吹き飛ばしていた。少し踏み込んだつもりだったのに。

 ボクの背中には、いつの間にか氷のように白く透き通った翼が生えていた。

 晴れた青い空にいるには相応しくない黒々とした巨体が目に留まる。イグニスだ。


「ドラゴニュートだと! 小僧、氷竜に名を与えただけでなく契りまで交わしていたのか」

「イグニス! 覚悟!」

「例えドラゴニュートだろうと小僧は小僧!」


 イグニスが大口を開ける。あの爆炎だ。

 いくら熱に強くなったとはいえ、直撃したら丸焦げは免れないだろう。

 剣を構え、慣れない翼での飛行をしながらイグニスの懐に飛び込めないか様子を伺う。


「ちょこまかと翻弄しようとしても無駄だ! 薙ぎ払ってやる!」


 イグニスの口から放たれた爆発のブレス。それはまるで何発も同時に爆発した八尺玉だ。鼓膜が破れそうな程のとんでもない爆音は平衡感覚を奪いかけ、直撃を避けても細かい火の玉が横殴りの雨のように降りかかる。


「うっ……くっ……!」


 火花の眩しさと五月蝿さで頭がクラクラして真っ直ぐ飛べない……!


「燃え尽きろ! 小僧ォ!!」


 イグニスは更なる攻撃の為に息を大きく吸い込む。しかしそれを見ていることしかできない。

 吐き出した爆炎の爆発がまだ続いており、音と光で目眩を起こしたボクはそれを避けるので手一杯だったからだ。

 それでも、諦めたくない。

 フラつきながらもイグニスに一太刀浴びせるべく黒い巨体に向けて飛び込んだ。

 その時だ、イグニスの体に白い光が直撃した。


「ぐぬぅ!?」


 下から突き抜けた白い光はイグニスの腹部全体を覆い、青白い塵が宙を舞い、陽光に照らされ煌めいた。

 それは氷の粒だ。白い光はの筋はヒサメの吐き出した圧縮された吹雪。

 悶えるイグニスを見て弱点に気づいた瞬間、ボクは飛行速度を上げながら剣に魔法で冷気を纏わせた。

 竜の心臓によって強化された魔力は基礎的な魔法も強力なものとなって――。


「墜ちろ! この、トカゲ野郎!! うああああああ!!」

「この、クズ共があああああ!!」


 イグニスが爆炎を吐き出す。

 ボクは怯まない。自分の力を信じて、爆炎の中を突き進む。

 冷気を纏った剣を突き出し、突進する。すると爆炎が意思を持ったように左右へ避けていった。

 爆炎の渦を抜けイグニスの真下に出ると、一気に腹へ向けて剣を突き立てた。


「これがボクたちの、全力だあああああ!!」


 腹に突き刺した剣に力を込め、冷気を体内に送り込む。魔法の吹雪がイグニスの体内を吹き抜けると、遂に飛ぶ力すら失い、黒い体が隕石のように落下を始めた。


「馬鹿な……こんな、小僧に……! ぐおああああ!!」


 イグニスの腹に刺さった剣が抜けずに共に落下していく。何とか引き抜こうとしたがくい込んで抜けない。

 この世界に来て初めての装備品と、惜しい気持ちを我慢して剣から手を離す。

 そして地面から飛び立つ時と同じように、イグニスの腹を思いっきり蹴飛ばして離れる。頭から真っ逆さまに墜ちるのは、お前だけでいい!


「ブラックフレア山が、お前の墓場だ!」


 イグニスはやがて噴煙の中へ消えていき、激突音が辺りに響き渡った。

 最早断末魔をあげる暇もなかったのだろう。

 激突音に混じって聞こえた肉や骨が砕ける湿り気を帯びた破裂音は、耳を塞ぎたくなるような気持ち悪さだった。


***


 イグニスを討ち取り、バニリンを生贄という運命から守ったボクたちは村に帰った。ヒサメも村の仲間として迎え入れられ、その日は宴が開かれる事に。

 お酒が飲めないボクは宴会の空気でのぼせそうになり、冷たい空気を吸うため村の広場から出てブラブラと散歩をする。

 すっかり夜になった空は星々が煌めいていて、前の世界では見れなかった夜空に、大きな影が飛ぶ。


「シノブ」

「ヒサメさん」


 月の光に照らされた水晶のように美しいヒサメの体は神秘的で、いつの間にか見とれていた。


「ヒサメさん、イグニスを倒せたのはあなたのおかげです。……ありがとう」

「それは違いますよシノブ」

「え?」

「あなたが私を倒し、イグニスに立ち向かう姿に心を動かされたから、私はあなたに賭けた。だから、勝てたのはシノブ、あなたの頑張りの結果です」

「ボクの……頑張り」

「はい。だからもっと誇って良いんですよ」


 ヒサメの言葉に、自然と涙が溢れだしていた。

 そうか、ボクは、やっと努力が実ったんだ。

 熱い涙が頬を伝う。嬉しい。


 頑張って、良かった。

本作を読んで頂きありがとうございました。

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