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坂本龍馬達に人権を

作者: 安藤ナツ

 私は坂本龍馬である。

 勿論、幕末を生きた坂本龍馬本人ではない。

 だが、私は私を坂本龍馬であると辞任している。

 しかし狭量な社会は私のようなマイノリティに理解を示さない。

 会社の面接では私が坂本龍馬を辞任していることを理由に採用しなかった。薩長同盟に尽力した私に対する敬意は微塵も感じられず、あろうことか頭の狂った人間だと嘲笑する始末だ。日本の侍魂は何処に行ってしまったのだろうか? 嘆かわしい。

 しかも愚か者達の中には、坂本龍馬である私に『坂本龍馬であることを証明しろ』と言う者がいる。なんて馬鹿馬鹿しい話だろうか。私が私であることに、どうして理由がいるだろうか? そう言う貴方はどうやって自分が自分だと証明するつもりなのだろうか? 戸籍? あんなもの人間が作った制度でしかない。水と言う言葉がなくなっても、水はこのよに存在し続けるように、人間のつけた名前に意味はない。大切なのは本質だ。私が坂本龍馬であるように。

 腹立たしく悔しい思いをしたことは多い。『坂本龍馬なら土佐弁を喋れ』もその一つだ。坂本龍馬であると言うことは、そんな小さな要素の問題ではないことをどうしてわからないんだろうか? 先にも述べたが、上辺だけを取り繕った所で何の意味もない。私が私をどう認識するか、それこそが重要なのだとどうしてわかろうとしないのだろう。

 ほかにも語れることは沢山あるが、要点を言ってしまえばこれは人権の問題だ。現代社会が抱える大きな問題であり、私は同じように坂本龍馬を自認する仲間達を集めて活動を始めた。聖戦の始まりだ。

 まず、我々が人権無視された弱者であることを知って貰わねばならなかった。如何に我々が非人間的な扱いを受けているかを声高に主張し、様々な媒体で活動を行った。蒙昧な大衆の中には当然のように我々の活動に理解を示さない者も多かったが、そう言った連中は人権意識の薄い差別主義者の蛮人として糾弾してやった。

 そうやって活動が大きくなっていくと、政治家先生から声がかかった。彼等の支援もあって我々の活動は、一歩前進した、同じように人権問題で苦しむ人々への救済に公金が受け取れるようになったのが特に大きい。これでより多くの人間の苦悩を取り除くことが可能となった。

 資金を得て活動範囲が広がると、我々に対する認知も広がった。我々マイノリティの存在が知られるようになると、世間は我々えお消極的な肯定の態度を取った。弱者を否定することは“悪”であることをわかっているからだ。弱いものは守らなければならない、人間なら当然のことだろう。

 そうして徐々に社会への影響力を得た私達は、ついに法的に坂本龍馬である権利を手に入れた。長い戦いだった。だが、ようやくその苦労も報われる。人々が自由に坂本龍馬を名乗れる、人権的に正しい社会が誕生したのだ。

 そう。私は坂本龍馬。日本の近代化に尽力した英雄である。

 この事実を否定することは、人類の人権意識の進歩の否定だろう。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 勢いのある語りに引き込まれました。 [気になる点] 坂本龍馬達が未だ弱者・マイノリティであることに変わりはなく、社会やマジョリティ側の「悪」の基準も時代ごとに変化していくことを考えると、ま…
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