29.流された先
フレイリアルにとって、昨日夕方から明け方までの半日は久々の衝撃的な1日だった。しかも問題は山ほどあり、何から解決して良いのか悩むばかりだ。
だが、目覚めると別な意味で仰天した。
豪奢で柔らかで広々とした布団の上。安心出来る暖かな腕の中で…。
『…腕のなか?!!』
覆い被さる腕の持ち主はアルバシェルであり、頭上でスヤスヤ寝息をたてている。
『……』
フレイはその状態を保ったまま絶句していると、ベッド脇の椅子に腰かけて冷ややかに見守るタリクが其処にいた。
小さな声でまたしてもあの言葉を言われてしまう。
「迂闊で愚かです…自分が女性の端くれであることを忘れないで下さい。アルバシェル様にも傷が付きます」
冷淡に言い放つと席を立つ。
そして酷薄な微笑みを浮かべながら面白そうに告げる。
「罰として、もうしばらくアルバシェル様を起こさないように抱き枕にでもなってなさい。アルバシェル様の寝起きは悪いですから下手に起こすと何が起きるかわかりませんからね!」
言うだけ言うと控えの間に去ってしまった。
フレイリアルはアルバシェルを起こさないよう慎重にゆっくりとソロリと腕を外し、反対側からの自力脱出を試みる…が、敢え無く失敗し…今度は背後からしっかりと抱き抱えられてしまい万事休すとなる。
タリクの言う通り諦めてそのまま抱き枕になりきった。
アルバシェルはフレイを抱えて部屋に戻った時、疲れきっていた。
自分の無力さや、これから再び王宮へ向かい対峙せねばならぬ面々を考えると心が重くなった。
フレイは運んでいる内に眠ってしまった様だ。
疲れた気持ちに宿る希望…この謎多き癒しの姫君を手に入れることが出来れば、自身の自由が少し保証されるようになる…と。
安心して寝入る少女をベッドに降ろし自分の中の打算と欲が増していることに気付く。
今、手に入れてしまえば良いでは無いか…。
心の中の魔物が囁く。
熟してはいないが味わえないわけでも無い、自分が生き残る為に必要な果実を手に入れるのは悪いことだろうか…。
表面に出ない思考に絡め取られそうになる。
フレイリアルの頬にかかる髪を払ってやり暖かい肌に触れると、アルバシェルは自身の熱を感じる。
その場所に座し、見つめて暫し考える。
そして徐ろに一緒に横たわり、立て続けの事件に疲れ休む少女の身体を優しく抱き締める。
暖かな体温を感じ、回路が繋がり魔力の循環が出来上がる。
一瞬で癒やされ浄化されていく心と身体。
守りたい思いが強く湧いて来て、打算と欲が影を潜める。
『この繋がりを大切にし、望み望まれる関係でいたい…』
情が欲に勝ち、真剣な思いが身体を満たす。自身への満足感の中、自然と微睡みそのまま眠りに落ちた。
だが、昼過ぎに目覚めるとフレイは既に起きて椅子の上に居たが、端の方で小さく固まり自身の髪の中に隠れ真っ赤になっていた。
そしてタリクの氷のような冷ややかな目が何故か飛んできた。
しかしアルバシェルはフレイリアルに対する無体な思いは押さえきったと言う、清々しい位の自信があった。
故に、その時は全く思い当たる節が無かった。
遥か昔、しなやかで柔らかな暖かい豹型魔物のコドコドを飼っていた。
その幼き頃の夢を見て、かつての愛情のままに夢の中のコドコドを思う存分可愛がった気がする…暖かな感触に何とも幸せな至福の時を得た気がした。
しなやかで伸びやかで柔らかい頭やら腹やら腕やら足やら…全身を撫で回し頬ずりした様な記憶がある。
だが夢の中のコドコドは現実では目の前に居たフレイであったようだ…寝ぼけてフレイの全身を撫で回しコドコドの様に可愛がってしまった。
現場を目撃したタリクが見かねて救出したらしい。
タリクからの説明を聞き釈明の余地が少ないと悟ったアルバシェルは、ひたすらフレイに謝罪と言い訳をして何とかその場を乗り切った。
水面の光を受け輝き湖上に浮かぶ白亜の塔。その姿は隠され誰も彼もに見えるわけで無く、ひっそりと其処に建つ。
フレイの暴走した魔力を受け止め満身創痍のニュールだったが、そこに現れた幼い白い少女が注ぎ込んだ魔力によって意識を手放し…此処に連れて来られた様だ。
その手段も、この場所も、ニュールには皆目見当付かなかった。
ダメ押しの最後の魔力注入は相当の痛手をニュールの内側に与えたのか、未だ思考がハッキリしない。
「それにしても、ここは…」
部屋全体からの降り注ぐような魔力を感じた。
「リーシェライル様が居た塔と同じように、澄んで快適な魔力溢れる清浄な空間…ではあるが、あそこのと違ってここは無色…曖昧な魔力だな…」
「「ここは主無き塔です」」
ニュールは自身では質問してない…と感じていたので、勝手に察して説明してくれたと思っていた。
鏡を置いてあるのかと思うようにそっくりな幼女が声を揃えてニュールに伝えてきたのだ。
「貴方が回路を開き繋がる予定の場所です」
今度は別々に、こちらが疑問にも思ってない事までソレゾレ話し始める。
「回路を繋いで下さい」
「何をいきなり言っているんだ…?!」
戻ったばかりの自身の意識のせいで考えが纏まらないのか、この双子が訳がわからないのか…ニュールは混乱した。
「……」
ニュールが無言で戸惑っているのを感じると、詰め寄り要求する様な態度を一旦保留した。
だが強制的な態度は変わらなかった。
「「今はまだ休んでいてください」」
双子はニュールに手を伸ばしながら、丁寧な口調のまま声を合わせ指示をした。そして伸びた手が額に触れた時、抵抗する事も出来ずニュールの意識は沈んだ。
次に目覚めたとき…周りに幼女が溢れていた。
「いやっ、何でオレの回り子供ばっか?!更に年齢下がってるし…そんな趣味無いって!!もう子供は勘弁!お姉ちゃんにしてくれよ…」
甲斐甲斐しく働く幼女達をみて頭を抱える。
「「認識は主観です。変えられてしまえばソレが真実です」」
最初に来た双子幼女が現れた。
そして魔力を纏わせ変化する。
「「幻術です」」
其処には20代と思われる絵に描いた様な美しい肢体を持つ妖艶な美女が二人、ニュールの左右に立っていた。
見た目は幼女が大きくなった時の姿と思われた。
「「感覚だってだませます…」」
大人の姿になった幼女は、それぞれニュールの手を取り自身の体へと導く。
そして、その感触を確かめさせた。
確かに手から溢れるほどの柔らかな…丁度好みの大きさの感触があり、夢見心地…と言った気分になれそうなのだが、先程の幼女姿を知っているので微妙に気持ちが落ちてしまう。
そこら辺の機敏はあまり理解してもらえなかった様だ。
翌日からニュールの周りで働いていた幼女達が全員昨日の双子と同様の変化を遂げ、其処には色とりどりの華咲く楽園が出来上がっていた。
ただし、以前の幼女姿が記憶から消えないので、折角の景色だがニュールの心は背徳感で一杯になったのだった。
「取り合えず、いつでも対応出来るように体調だけでも戻さないと…」
ニュールはもう、期待だろうがお願いだろうが無理やり強制されたことに従うつもりは更々ない。
「逃げてきたのは自分で道を選ぶため!」
そう思えるだけで力が湧くのだった。
「あいつらも自分の選択で道を選びとっているはず」
離れた場所にいるニュールの庇護下にいた者が、思う道を進めることを願うのであった。
モーイは昨日の事件でニュールを奪われた事を後悔していた。
『アタシ史上、最強の口説き落としが出来てニュールがアタシにクラクラしてたのは確実だったのに!!あのクソ餓鬼がぁ~』
後悔しているのはそこだった。
クリールを飛び出させてしまったのだって、ニュールを目の前で奪われたことだって、モーイは自身の力無さを悔いはした。だけど最初から及ばなかったモノは後悔しても仕方ない。
むしろ上手くいってたのに奪われた機会はとてつもなく悔しい。
『後悔した事を悲しんだって変わらない。だったら悔しいと怒った方が何百倍も自分に優しい!』
これがモーイ流、前向き理論であった。
モーイはもう心の中で決めている。
『アタシは、絶対にアタシが欲しい者は諦めない!~相手に正当な理由が無い限り!』
狙いを定められたニュールは生半可な覚悟では逃れられそうもなかった。
フレイは昼食時間の後に鳴る鐘で厩舎前に集まり、モーイと一緒にクリールの所へ行くことになっていた。
今日の状況で今後のクリールの処遇が決まる。
主人を認識出来ず攻撃してくる様なら処分が確定してしまう。
基本的に魔物化した獣は即処分になる事が多い。だが今回、アルバシェルが手を回して保護してくれていた。
厩舎で隔離されているクリールは、遠くから見た限りだと今までと変わらない。
しかも夜中に瀕死の状態だったのに、今は全く問題なく怪我は完治しているようだった。
繋がれたままだが元気に動き回っている…やはり生物として違うモノになってしまっている様だった。
恐る恐る結界の施された柵へと近付く。
近づくと頭の2本角がはっきりと目に入った。
フレイの中に自身が起こした事への罪悪感が押し寄せてくる。
引き起こした行動や選択で、魔物化してしまったクリールがここに居ると思うと後悔で涙が出てくる。
横にいたモーイが涙を溜めて沈むフレイに言う。
「後悔で涙したって何にもならないよ!後悔するなら悔しがれ!!」
モーイは持論を展開して笑顔でフレイの背中をポンっと叩く。ちょっとニュールみたいでフレイは嬉しくなった。
背中を押されたフレイは結界を解いてもらった柵の中にモーイと共に入り、クリールに向き合う。
もちろん、モーイが自分達に直接結界を展開してくれていた。
角は付いてるが、普通に動き大人しい。
フレイを見つけると飛んできて叫び声をあげる。
モーイは少し警戒したがフレイは、いきなり結界を越えてクリールに近付き…抱き締めた。
クリールの長い首がフレイに巻き付き、目を細め甘えるように鳴き頭を擦り寄せる。
フレイもクリールと同じようにその柔らかな羽に埋もれて頭を擦り寄せる。
フレイの目に溜まっていた涙が喜びの涙に変わり溢れ落ちていった。
モーイもクリールに近付き、柔らかな羽にポフッと手を置くとクリールは頭を擦り寄せてくれた。
モーイは何だか無性に嬉しくなった。
そして改めて思うのだった。
『この繋がりの切っ掛けをくれたニュールの側に居たい。絶対に取り返さねば!』
モーイは改めて決意し、フレイにも問う。
「フレイ!アタシはニュールを取り返しに行くけどアンタはどうする?」
「勿論行くよ!!もう計画は進行中だよ!」
既にフレイはニュール奪還作戦実行のため動いていた。
昼食をアルバシェルと共に摂る時、ちょっとしたお願いをしてみたのだ。
「アルバシェルさん。お願いがあります…」
寝起きの一件で多少負い目のあるアルバシェルはフレイのお願いにビクリとした。ちょっと後ろめたさでドキドキしていた。
「どんな願いだ?」
『近寄るな…とか言われたらどうしよう』
アルバシェルは内心そんな小っちゃな事に怯えながら尋ねた。
「私に情報を下さい…そして…」
言い淀むフレイの言葉を待つ。
「お金を貸して下さい!!」
「…っぷは、はははははっ!!!」
思わず吹いてしまった。決死の覚悟で言った言葉を笑い飛ばされてフレイは少しむくれる。
「…だ、大事な事です!ニュールが管理してたので私は無一文なんです!」
守護者で保護者なニュールが管理してたのは当然と言えば当然であった。
「いやっ、済まない!…ぷふっ…存外しっかりしているので安心した…クククッ」
この期に及んでまだ笑い続けるアルバシェルを今度は本気で睨んだが、アルバシェルはそれさえも可愛らしいと思って笑いになるのであった。
「今回の事は国として君の国へ謝罪すべき事でもあるんだ。だからニュールの捜索にも協力するし、帰国にあたっての助力もする…ただ、そのためには王宮へ同行してもらわねばならぬのだが…」
王宮…の言葉を口にしてからアルバシェルの表情が曇り固くなる。
だが今、フレイは自分のすべき事に手一杯で気にしてあげる余裕が無い。
「私はいつでも赴きますので、ご助力お願い致します」
エリミア辺境王国第六王女フレイリアル・レクス・リトスが、従える守護者ニュールを取り戻す手立てを講じる為そこに居た。
「仰せのままに…」
アルバシェルも、本気で進むと決めたフレイの真剣な思いに抗うことは出来なかった。
そして可能なら訪れたくない王宮へ足を向けるしか無くなったのだった。




