4.新たな巻き込まれ予感
夕時…日暮れてはいるが夜は始まったばかりの頃合い、微妙に落ち着かぬ高級宿を抜け出したニュール。普段通らぬ…中央広場から繋がる大通りを離れ、通り2本程奥まった…馴染みのある区域に踏み入る。
自分が運んだ荷の状況を知りたくて、確認すべく…ニュールは商会へ赴いたのだ。
途中で荷物投げ出す事になってからの顛末は、砦門で聞かされてはいた。
其れでも…諸々の気掛かりが尽きず、直接確認すべく…此所まで来る。
新しく得た仕事に思い入れある訳でも無いのだが…此の場所への恩を感じる程度の義理は湧き、失うには惜しい…と思えるぐらいの愛着持てる場にはなっていた。
「お疲れさん、ニュール。砦門で引っ掛かっちまったんだって?」
商会で最初に出会った者に挨拶と共に…拘束された事指摘され、ニュールは思わず動揺する。
砦で対面したフレイの近侍が商会に報告した…と言ってたのは、事実だった。
荷物管理場に常駐するオッチャンさえも、既に事情を把握する。
『やっぱりクビか!?』
今まで味わった事の無い経験であり、一瞬…顔が強ばるニュール。
だがオッチャンの次の言葉と笑い声に、安堵の思いが湧く。
「がははっ、災難だったなぁ。まぁ、祭り前にゃ良くある事さね。気にすんな」
いつもと変わらぬ雰囲気での対応。
敢えて声掛けたのは、仕事に就いて日の浅いニュールへの気遣い…だったのかもしれない。
気楽に話題に出来る、些末な事であると示す優しさ。
「まぁ砂蜥蜴で明日は出入り出来んから、エイスには戻れんがな。まぁ…丁度良い感じに祭りを楽しめると思えりゃ、悪くない! 幸運な災難だな!」
笑顔で背中をバシバシ平手と叩きながら親愛の情示し、祭りの話題に軽口を添え…慰めてくれる。
此の時期に王都に入る荷車は、各商会1台か2台…毎年同じように砦門で引っ掛かるらしい。
其の場合…同様に確認が取れるまで、個別に待ち合いに拘留されるようだ。
但し、格子付きの素敵な小部屋にまで入る事は普通無いようなので…お茶を濁す。
同じ遣り取りを複数こなすのも面倒であり、正面玄関は通らなかった。
搬入搬出を行う入り口横の 砂蜥蜴厩舎から商会内の発注受付窓口のある部屋まで入ると、商会長秘書のルシャがニュールを待ち構えていた。
「お疲れさまですニュールさん。商会長からの伝言がありますが、時間が合う様なら直接連れてくるよう申し付かっておりますので…お手数ですが御同行下さい。少々お時間頂きます」
「ありがとうございますルシャさん。報告必要だと思うので是非お願いします」
今回は純粋に巻き込まれ事故のようなものと…自分では思っているのだが、更に…其処から派生する何らかに巻き込んでしまう可能性のある上司へ…報告という名の言い訳をしたかった。
会長室へ行く道すがら…案内役を買って出てくれたルシャに対し、ニュールの抱く気掛かりを確認する。
「あのぉ…、荷物は無事届きましたか?」
「大丈夫でした。砂蜥蜴も無事回収できましたよ」
「王都砦門で待機になり、自分で荷下ろしができなかった事への罰則は…」
「今までもそういった事例がありますがほとんど問題ないようです。今回は城門から使者の方も来てくださいましたし、安心していただいて大丈夫だと思いますよ。此の呼び出しも懲罰の申し渡し…等ではなく、一応状況を確認したい…と言う会長の意向反映した面談となります」
青みがかった砂色の瞳に…穏やかな完璧に調整された笑顔浮かべ、ルシャは会長室の中へとニュールを案内する。
そこには商会長が、苦い顔をしながら山積みの書類をさばく姿があった。
「やあ、ニュールくん。調子はどうだい?」
会長は書類をめくる手を止めずに話し掛けてくる。
ナルキサ商会 商会長サージャ・ナルキッシュ。
その口から紡ぎ出される言葉は相手を包み込むように柔らかく、話し方は大変上品である。典型的なエリミアの人々と同じ色合い、40代に見えるが50歳台前半だと本人が話していた。
厳ついが穏やかそう…と言う、相反する雰囲気を違和感なくひとまとまりにしている不思議な容貌の持ち主である。
体躯は筋骨粒々とし、商人と言うより要塞で盾でも持って矢を弾いていた方が似合いそうな印象の男。
其の瞳は、相対する人々の一挙手一投足を見逃さない。
行動の中に見える…心の奥底に秘めた機微読み取るかの如く、的確に相手の全てを把握する。
ニュールは一瞬書類から上げられた其の瞳を正面から受け止め、報告を始めた。
「お疲れさまです、お久しぶりになります。今回…受けた仕事を完遂できず、大変申し訳ありませんでした」
「うん、ご苦労様。直接は6の月ぶりだね。あぁ…今回の事は気にしないでねっ、仕方ないんだからさ」
報告前の謝罪で一気に許され、更に気遣いまで受けるニュール。
出鼻を挫かれる…と言うか、只…唖然とする。
「それに…ああ言った場面で勝手に抜け出しちゃったら、それこそ色々と不味いからねぇ…我慢してもらえて良かったよ。商会的に君を咎めることは、一切無いよ」
どの時点での事を指し…述べたのか定かではないが、まるで見ていたかの様。
もっとも…其れを語る本人は然したる事も無き様スルリと流し、新たな懸念事項…口にする。
「…ただね、微妙なのに関わっちゃったのはちょっと困ったけどね…」
最後の書類を監査しながら一瞬厳しくなった会長の瞳が書類から離れ、まじまじとニュールを見据える。
次の瞬間…厳しさ消えた穏やかな力抜いた視線に変わり、柔らかく…緩やかな口調で語り掛けた。
「君は国境砦外の砂漠…で遭難してた人だから、王城関連の人間との接触は避けた方が良いんだよね…」
単純な遭難では無い…と知りつつ、サージャはニュールを商会に受け入れた。
国境砦外の砂漠、其れは魔力巡るエリミアを守る境界壁の外…国外。
エリミア辺境王国は…ありとあらゆる他国との交渉を国で一括管理し、一般の者の国外への出入りを厳密に規制する国。
従って…極一部の例外を除き、身元確かな者を王城関係者…王族の招きで入国させる以外…国外の者を招き入れる事は叶わぬのだ。
故に色々と偽装してもらい、ニュールは今此処に在る。
7の月前から商会で働き始めたニュールだが、此の会長に9の月前に拾われた。
誰にも出会わなければ確実に干からび、命なき者へと変化するだろう砂漠で…。
あの場所を脱出したニュールは、絶対に追っ手のかからない方向かつ商人と出会える可能性のある地帯を目指した。
砂山の影しか影がないような場所を、ありとあらゆる力を駆使し…動けなくなるまで不休で移動した。
ろくな装備無く移動していたニュールは、文字通り手さえ動かせない状態にまで陥り…砂影の中精魂尽き…うずくまった身体が強制的に時の彼方へと誘われるのを待つしか無い状況だった。
其れでもニュールに後悔はなかった。
あの場所に留まるのなら…いずれ心と体をバラバラにされ、滅びの呪文の中に浸され腐らされるような状況が訪れただろう。
其れに比べれば、肉体と心と共に砂になっていくような此の感覚は…健全で幸せなことだとさえ思える。
決断への導きもあった。
行動に移した時、自身の中でも今でなければ…と言う賭けに近い予感めいた確信も持つ。
だが現実として考えるなら、此の状況は奇跡に近い。
たまたま…サージャの隊商の砂蜥蜴が脱走すると言う出来事があった時、砂山の影でうずくまるニュールが偶然発見されたのだから…。
「なぁ君、助けは必要かい? 有料だけど手を貸すのはやぶさかではないよ」
夢の中を漂うような朦朧とした意識の中、サージャにかけられた言葉は酷く現実的で…心強かった。
「?? …お願いします。動けるようになったらお返しします」
ニュールはそう答え、妙な安心感の中で意識を失う。
ニュールが発見されたのは、砂漠側の隣国…ヴェステ王国との中間よりはエリミア寄りの場所。ヴェステとの行き来は、砂蜥蜴の隊商で4の月ほどかかる距離だが…今は丁度3の月ほど経過していて後1の月ほどで国に帰れるぐらいだ。
此の場所は、人が着の身着のままのでいられるような場所でも、偶然生き延びていられるような場所でもない。
『間者…って感じでもないし、別の隊商が通る経路でもない。途中ではぐれたり…捨てられた訳でも無いだろうし、此の場所に来たのが自分の意思である…と言う事は確かそうかな…』
サージャは幌付の砂ぞり型荷車の中、寝かせてある男の顔を見ながら考え込む。
そして発見した時に回収した、一緒に落ちていた物を手に取り思い馳せる。
『こんな風になるまで、魔石を使い倒せるのって…』
芯から魔力導かれ崩壊しかけた魔石の名残と、倒れている男を見比べ観察する。
「随分と興味をそそる存在だねぇ…」
感慨深げに呟くのだった。
「僕はサージャ・ナルキッシュ。ナルキサ商会の商会長で、今回の隊商を管理する者だよ。君は?」
目覚めはしたが…未だ完全とは言い難い状態であると知りつつ、サージャは見極めるべく問う。
「ニュール…」
「どこから来たんだい? 」
「砂の…国」
「なぜあそこにいた?」
「逃げて…きた」
「捕まってたの? 君は犯罪者? 」
「……労働力として捕まってた」
「何年捕らえられてたの?? そう言えば君はいくつ?」
「17の年の間捕らえられてた…と思う。歳は今は26…ぐらい」
「「……??」」
サージャはルシャを横に控えさせ、尋問…に近い形で話を聞いていた。
連れ去られてからの年数にまず驚くが、ヴェステ王国の政策を一応知るため…痛ましい状況とは言え納得する。
だが真面目に申告しているように見えるニュールの自称年齢の違和感には、二人とも絶句せざるを得なかった。質問に答えるニュールの…状況や話し方に嘘偽りは無いであろうと判断できるのに、実際目にしているニュールの容貌は…40代後半から50代前半…と思われる状態。
其の時は…唖然としつつも取り敢えず言葉飲み込み、詳しく聞き出せる状態になるのを待つしかなかった。
祭り前の喧騒など…外部の音一切響かぬ商会長室。
其れは壁や建物の造りによるものではなく、防御系魔法陣が多重展開されている高度に防衛された空間だから…。
今…内側に居るものは、知る知らぬに関わらず把握しているようだった。
ニュールから荒れ地での報告を受けたサージャは、手にした小洒落た茶器に入った香辛料の効いた激甘ミルクティーを味わいながら感慨深げに話す。
「…あの場所で発見された君が、同じような状況で助け人をするとはねぇ」
見た目は同年代にしか見えぬのだが、雇用関係を抜きにして…サージャは明らかに見守るべき若者としてニュールを扱っていた。
ニュール自身も、無意識に其れを受け入れてるようである。
「居たのが子供だったので…」
「…でも其の子供、王城関係者みたいだよ。一応君は…不足した人員を補うべく、隣国で募集して臨時で雇い入れた者…の設定だからね。くれぐれも、必要以上には御近付きにならない方が良いよ」
ニュールがエリミアへ入国出来たのは、年に1度だけ組まれる…特別な権限持つ…特別な隊商だったから。
「わかりました」
ニュールは、現在の自分の状況や設定を再度認識させられた。
サージャは体躯に似合わぬ流麗な所作で卓上の菓子をつまみ、穏やかだが厳つい顔でにっこり微笑み無言で退室を促す。
一礼し、退室するため扉に向かって8歩程歩いたニュール。
其の時…座っていたサージャは、音もなく菓子の包み持と真後ろに立つ。
「御褒美…だよ、凄く甘くて美味しいよ。王都での2日間も、頑張った褒賞として楽しみなさい。でも変なことに巻き込まれないようにね。まぁ…変化、それもまた楽しいんじゃないかとは思うんだけどね…」
つかみ所のない笑顔で菓子を手渡し、ひらひらと手を振りながら振り返ることなく執務机へと戻っていった。
巻き込まれのオッサン青年、今の職場の上司に砂漠で助けられた上に雇ってもらっちゃいました。
果たして何を見込まれたのか…はたまた危惧されたのか…。