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親切心に下心

「これはこれは姫様。おはようございます。今日もいい天気でございますね。あ、こちらが例の不埒者ですか? 浦島様とタイマン張って負けたんだって? そんなに気を落となさんな。あの浦島様とやりあって生きてるんだ、幸運だと思いなよ」


「ああ、姫様おはようございます。今朝も見廻りお疲れ様でございます。それとあなたが島外から来た不埒者さんかい? 良い大人なんだから童みたいなイタズラはよしなさいよ」 


「姫様おはよー! 不埒者もおはよー!」


 道端の竹を編んで組まれた長椅子に竜之助はどすんと腰を落とす。


「なあ、姫さん」

「どうした、竜之助」

「この島は裁判なしに市中引き回し刑にするのかい? それとも露出狂は即死罪ですかい?」


 らしからず落ち込んでいた。特に子供にすれ違いざまの不埒者呼ばわりは相当堪えた。


「ち、ちがうぞ? 打ち首獄門になんてしないぞ? ただまあ、小さな島に寄り添って暮らしてるからか噂はすぐに早まる。子供の頃の話だ、寝小便をしたら昼までには島全体に知れ渡っていたことがあったよ……」


 肩を落とす乙姫。恐らくは成人した今でもその話でからかわれるのだろう。

 苦労を滲ませる姿に竜之助は同情する。


「お姫さんも大変ですな……」


 二人は山城へと向かっていた。竜宮島の山頂には小さいながらも城郭が存在する。数少なく背も低いが野面積みの石垣も備わっている。海や島全体を眺望できる軍事拠点となっている。そして近くには洞窟があり、鉄格子がはめられた牢屋がある。


 そう、竜之助は連行されていた。腰には縄が巻かれ、逃げられないように乙姫が紐を握っている。まるで猿回しのように。


「まだ着かないんですかい?」

「なんだ、竜之助。骨が折れるとでも言いたいのか」

「骨が折れる前に心が折れそうだよ」

「心中察する。今は下町の半分。下町を抜け上町まで行けば、まあ、人に見られることは少なくなるだろう」

「まだ半分! 本州から見えるけども離島。小さいと思ってましたが結構広いんだな」

「島外の人間はよく言う。広いだけじゃない。栄えてるともね」


 自慢気に胸を張る。


「仰る通りだ。こりゃ集落じゃねえ。立派な町だ」


 今一度、歩いてきた道を振り返る。


 道は馬一頭が走るくらいの細さながら、家はどれも立派だった。木造一階建ての平屋だが屋根には瓦が敷き詰められている。


「ここらへんは武家屋敷か?」

「ん、なんでそう思うんだ?」

「え、だって、屋根が瓦葺で……」

「いや、どれも大抵は漁師の家だぞ。下町は海に近いからな」

「はあ!? 庶民の家に瓦!?」

「なにをそんなに驚く。雨にも火にも強い。すごく便利だぞ?」

「……ちなみに代金はどうしてるんだ。漁師の家には厳しいはずだ。瓦だ、金がかかるに決まってるだろう」

「そんなの……竜宮家が負担するに決まっているだろう」


 きょとんとする乙姫様。


「……うん、まあ……小さな島だし……そういうこともあるか」


 一つの山、一本の川を越えると言語や文化が変わるのはよくあること。

 異常としか思えない事柄であったが、無理やり飲み込むことにした。


「……だけどよ」


 竜之助は目を光らせる。


「整備は行き渡っていないようだな」

「……なに?」

「気付いてなかったのか? 一軒や二軒じゃない。瓦が剥がれている」


 乙姫は目を凝らす。すると指摘通り瓦が剥げた屋根が見受けられた。


「あのままじゃ雨漏りしちまうぜ。最近嵐が来たんじゃないか?」

「ああ、一週間前に嵐が来た。被害があったら報告するようにと命じていたのだが……」


 乙姫は手を震わせる。うずうずと、心の中で揺れ動いている。

 竜之助は手に取るように、彼女が何を悩んでいるかはっきりとわかる。


「……そんなに領民の生活が気になりますかい?」

「ああ、だがしかし、私には他に使命が」

「……領民の生活より大事な使命がありますか? 俺のことなんて気にせずにそちらを優先しましょう」

「しかしだな」

「逃げやしませんよ。そんなに心配なら首に鈴をつけてくれたって構いませんぜ」

「猿の次は猫か。お前はつくづく物好きだな」

「人を家畜扱いする姫さんこそ物好きじゃないんですかね」

「まさか。私はお前を人間として見てるつもりだ。気付いてくれてありがとう。少し寄り道するとしよう」


 二人は表の道を逸れ、さらに狭い路地へと進む。


「この先にホタテという老爺がいる」

「領民の住所と名前、いちいち覚えているんですかい?」

「それしき当たり前だろう?」

「……ご丁寧なこった」


 狭い道を抜けると一軒の平屋が現れる。ごく小さな庭があり、背の低い柿木が生えている。その根元に砕けた瓦が山となっていた。

 乙姫は玄関の戸を叩く。


「ホタテ! ホタテはいるか!」


 しばらくして、


「……はい。その声は姫様ですかな」


 玄関ではなく、庭の方面から腰の曲がった老爺が壁に手を付きながら歩いてい来る。


「突然呼びたてて悪いな。苦労を掛ける」

「いえいえ。滅相もありません。久々に姫様の声を聞けて寿命が伸びた心地ですよ。それでこの老いぼれに何用でしょうか」

「用というほどではない。ただ、困っていることがあるんじゃないか? 例えばその、雨漏りをしているとか」

「姫さん、回りくどいようでまっすぐに聞きましたね。何がしたいんすか」

「うるさい」


 乙姫は竜之助の脇を軽く小突く。


「おや、もしやあんたが不埒者さんかい?」

「ご老人。俺の名前は竜之助だ。不埒者竜之助でもないぞ。皆にもそう伝えておいてくれ」

「それよりもだ、ホタテ。雨漏りはしていないか? 先日の嵐が過ぎてからも雨の日があったはずだ」


 竜之助が拗ねる横で話は進む。


「……そうですね、ちと居間で……雨漏りをしております」

「なぜ早く言わない。私はすぐに知らせよと命じたはずだぞ」

「その……姫様にご迷惑をおかけしたくなかったのと……若い大工が出払ってしまっているので」

「うっ……それは……すまない。私の配慮が足りなかった」

「滅相もありません。雨漏りと言えど無視できる程度です。桶を置いて、溜まったら捨てればいいだけのことなので」


 遠慮するホタテ。人に迷惑をかけること、世話になることを極端に嫌がる性格ではない。しかし島は緊急事態で人手不足。贅沢を言ってはいけないと考えていた。


 すると乙姫よりも先に竜之助が身を乗り出す。


「おいおい、ホタテのじいさん。そりゃ無視できる程度で済ませる話じゃないだろ。命を守る大事な家だ。雨漏りといえど無視してたらあっちゅーまに腐っちまう。虫歯のようなもんだぜ。無視してたら命取りになる」

「もう少し若ければ自分で直せたんだがね……道具や素材は揃っているんだけにもどかしい……」

「道具ってのは槌に釘、それと梯子か?」

「ああ、そうだが」

「なんだい、それを早く言えよ。梯子がありゃ手枷のままでも屋根の上に登れるな」


 ホタテの垂れていた瞼が力強く開く。


「まさか……直してくれるのか……不埒者」

「竜之助だ!」

「竜之助か……悪いな、こんなおいぼれ相手に……恩に着る」

「……まあ直すつっても応急処置だがな。瓦の敷き詰め方なんか知らねえ。槌や釘の使えるがノミや鉋かんなはてんでだめだ。それでもいいならな」

「ありがたい……本物のエビス様だ……」


 ホタテは両手を擦り合わせて感謝する。


「……というわけだ、姫さん。ちょっと屋根に上がってきていいかい? 難しいかもしれんがそこんとこ頼むぜ」


 竜之助は両手を擦り合わせて願い出る。


「猿や猫は高いところに上りたがるもんなんだよ。見張りを増やしてくれたって構わない。それとも俺に槌や釘のような武器になりそうなものを持たすのは認められないか?」


 乙姫の判断は、


「まったく仕方のない奴め……許可するが、一つ条件がある」

「その条件ってのは?」

「くれぐれも落ちないように気を付けるのだぞ。猿も木から落ちるというしな」


 厳正な審査の結果、許可が下りた。


「任せてくれよ。高所での作業は猿よりも得意だ。落ちる時も猫顔負けの着地を見せてやるよ」

「やや、落ちちゃだめだぞ?」

「ホタテじいさん。それじゃあ梯子はどこにあるんだ。教えてくれ」

「もうやってくれるのか。すまないねえ。裏の壁に紐でくくりつけてあるんだ。すぐにわかると思う」


 ホタテは親切にされて嬉しいのか、二人を置いて早歩きで奥に先走る。

 竜之助は手のひらを見せて乙姫に先に譲る。


「そんじゃあ姫さん。行きましょうか」

「……やれやれ。変わった奴だよ、お前は……」


 こうして奇妙な猿回しの慈善活動が始まった。




 トントントン。


 タンタンタン。


 トントントン。


 タンタンタン。

 


 町に槌の音が響き渡る。

 珍しい音を聞きつけて女たちがふらりふらりと集まってくる。

 皆の願いは同じ。うちも雨漏り修理をしてほしい。

 しかし遠くの物陰から様子をこっそりと覗くに留まる。

 皆の考えは同じ。堂々とお願いすると浅ましく見えてしまうからだ。


 その領民の心を乙姫は汲み取る。


「お前たちの家も雨漏りをしているのか」


 ただし堂々と聞きこむ。


「姫様。あの、これはそういうつもりでは」

「いい。遠慮せずに申せ。ただし修理の順番は深刻なほう、年寄りが暮らしている順からだ」


 女たちは偽りなく正直に家の現状を話す。

 乙姫は雨漏り修理が必要な領民の名前を覚え、情報をもとに順序を決めた。円滑に物事は進んでいく。


 女たちが散った頃に竜之助は屋根から梯子を伝って下りてくる。


「ふう、いい汗かいたぜ」

「ご苦労であった、竜之助。ホタテが茶と羊羹ようかんを用意してくれたそうだ、馳走になるといい」

「この島には羊羹まであるのか。なんでもあるんだな」

「ああ、そうだ。竜宮島にないものはないぞ」

「ほお、それはいいことを聞いた。それが本当なら俺に惚れ込む女も探せばいるんだな」

「竜之助。ないものはない。諦めが肝心だぞ」

「ないものはないってそっちの意味かよ!」


 縁側に着くと廊下にホタテが正座して待っていた。


「恩に着ります。こんなものしか用意できませんがどうぞ召し上がってください」


 二人分の湯呑と羊羹が用意されていた。


「ささ、姫様もどうぞ」

「私の分か! すまないが此度の私は何もしてない。貰うわけにはいかない」

「そう遠慮なさらずに、ささ」

「いやいや気持ちだけで」

「まるで矛と盾。いつまでやっても決着はつかなさそうだ」


 そこで竜之助は一計を案じる。


「それなら姫様の分も俺が頂くとするよ」


 竹のつまようじを刺し、ひょいっと平らげる。


「なかなかの食いっぷりじゃのお。ちと足りなかったかな」

「羊羹は腹にたまる。こんぐらいがちょうどいいのよ」


 湯呑を傾けてお茶を飲み干す。


「ぷはあ。一仕事終えた後の茶は格別だな!」

「おかわりが必要だな。しばらく待ってくれ。すぐに用意してくる」

「構わんのだがな、貰えるなら貰っておこう」


 ホタテは立ち上がり、台所へと下がる。


 縁側には竜之助と乙姫の二人になる。


「初対面なのに随分と気に入られてたな」

「困ってるところを助けただけだよ。そうすりゃ手枷つけてようが誰だって感謝されるよ」

「ホタテは職人気質でなかなか気難しい老人だぞ。それもいともたやすく、まるで孫のようになったではないか」

「じいさんにモテたって仕方ないわ。それよりも姫さん、ホタテじいさんは一人暮らしかい?」

「なんだ、会ったばかりの老人の生活を気にしてるのか?」

「そんなんじゃねえよ。衣服は綺麗に洗濯されてる。ということは女と一緒に生活してるに違いない」

「その通りだ。ここにはホタテ以外に孫娘のアワビが暮らしている」

「孫娘のアワビちゃんだな!」

「お前……さては……」


 乙姫は察する。


「大工仕事に励んだのは親切心からではなく、下心からか」

「あたりまえよ! 大工仕事を覚えたのだってお師匠様から女にモテると教わったからだ!」

「感心したと思ったのに……見損なったぞ……」

「将を射んとする者はまず馬を射よ。よく考えられた諺じゃないと思わないかい?」

「考えた学者も、こんな形で引用されるとは思わなかっただろうな……」


 ため息を吐く。尊敬の念が一緒に出て来て霧散する。


「島外の男はみんなお前みたいなのか? 見返りを求めない真に心優しき男子はいないのか?」

「男に島外も島内も関係ないっすよ。みーんな、女に優しくするのは下心あてのことですよ。たとえ優しくする女がとんでもねえ不細工だとしても、その友達の美人にお近づきになれるきっかけを作れる。例え友達に美人がいなかったとしても良い評判が女に広まる。女ってのは噂話が好きだからね、火よりも早く町中に広まるってもんよ! がはは! がはは!」

「なるほど、火よりも早くか……それは恐ろしいな」

「お姫さん?」


 一喝されるかと思っていたのに肩透かしを食らう。


「あらーお姫様! それに不埒者さん! まだいらっしゃったんですね! よかったー、お礼を言わないと思って急いで海を上がってきたんですよー!」


 そこに一人の女性。


「おお、アワビか。礼ならすでに受け取ってるぞ」

「おお、アワビちゃん! 帰りを待ってたんだぜ! 礼なら君の……心で……」


 孫娘の登場に舞い上がった竜之助だったがアワビの姿を見ると意気消沈。


「おっと、竜之助は年上の女性は好まないか」


 乙姫はにやにやと笑う。


「嫌いではないが……そう、あと二十……せめて十歳若ければ……」


 アワビは六十を過ぎた女性だった。

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