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竜宮島の乙姫と一匹の竜  作者: 田村ケンタッキー


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満月にほど遠くとも

 竜宮甚平は月に向かってため息をつく。


「はあ……つい最近まで後ろをついて回った愛娘が……男と……いくら島を救った英雄とはいえ出会って間もない男と……! ばあや、もう一杯!」

「飲みすぎですよ、甚平様……」


 そっとたしなめるばあや。

 わずかな月明かり差す天守閣に二人はいた。

 甚平は娘の人生の歩みにやけ酒を、ばあやはそのお供をしていた。


「まったく最近の若い連中は慎みがない……もっとね、ゆっくりと進展すべきなんだよ……俺が甲姫とそういう仲になるのにどれだけ時間を重ねてきたか……」

「二十回目です」

「ん? なんの回数だ」

「その話は二十回目です。いくら同じ話を繰り返す癖のあるばあやも二十回も聞かされてはうんざりしてきますよ」

「大事な話だ。何度だって聞いてくれるよな?」

「はあ……甲姫様がご存命でしたら天守閣から海に放り投げられていますよ……」


 故人の昔話で笑っていると、階段を上ってくる足音。


「む、こんな時間に……何者だ」


 ばあやは膝を立てて警戒するも、


「よいよい。この足音は我が娘だ」


 盃を置き、背筋を伸ばす。


「失礼いたします、父上。乙姫です」


 髪をしっとりとさせた湯上りの寝間着姿の乙姫が床に手を着いての礼をしてから天守閣へ足を踏み入れる。


「ちょうどよかった。お前とはいろいろと今後について話をしたかったのだ。竜之助殿は一緒ではないのか」

「竜之助は疲れて眠っております。私の寝室で」

「………………………………そうか」


 改めて娘が女としての段階を進んだ事実に気が遠のく父。


「粗相はありませんでしたか、乙姫。ばあやの助言は役に立ちましたか」


 世話役、それも女性であるばあやは遠慮なく追及する。


「……初陣ゆえ至らぬ点は多々あったと思う。思いだすだけで恥ずかしい。竜之助が十回ほとばしるまで私は──」

「乙姫! 話があって来たのだろう!」


 娘の事細やかな情事を聞きたがる父親はいない。


(十回!? 十回といったか!? 俺だって全盛期は六回が限界だったのに、いや今はそれはいい!)


 男としての敗北感を味わいながらも当主としての体裁を保つ。


「……思ったよりも早かったな。もう代替わりか」


 甚平はそもそも竜宮家直系ではない。竜宮家の歴史から見れば彼こそが当主代行といえる立場だった。

 甲姫が選んだ男とは言え、余所者の男。竜宮家の上に立つこととなり少なからず不満を抱く者もいた。


「……これで竜宮家もより盤石になるな。血だけではない、島を守った実績もある。時期尚早ではない、皆が納得する。これで私もお役御免、朝から晩まで釣りに没頭できるというものよ!」

「何をおっしゃいます。しっかりと前当主として姫様を支えていただかなくては」


 微笑みあう二人。だが乙姫の変わらぬ真剣な表情に察する。


「二人とも。それについてなのですが、もう少し先延ばしにしてもらませんか」

「……なにゆえだ。つまらない私情だったら娘とはいえ許せんぞ」

「……ゆくゆくは島の将来のためです。おそらく竜之助は未明にもこの島を抜け出し二度と戻らないつもりでしょう」

「あの男、姫様のような美女を抱いておきながら逃げるつもりか!? なんと無責任な!」

「ばあや、竜之助を悪く言わないでくれ。寝室へと誘ったのはほかでもないこの私だ。そしてあの男は責任を重く感じているからこそこの島から、私から離れようと思っているのです。この島では英雄でも、海向こうではお尋ね者。迷惑をかけないためにも何も言わずにずらかろうとする。あやつはそういう男です」

「乙姫。それでどうして、代替わりを先延ばしに関わってくるのだ」

「失敬。話が逸れました。逃げ出すのであれば逃げ出さないように策を巡らすのも手ですが、それでは原因の解決も状況の好転もしません。だからあやつには心苦しいですがまず島を出て行ってもらい、そして姿をくらまさないように私がついていこうと考えています」

「な!? 姫様が島を出ていく!?」


 動揺するばあやに、


「……うーん」


 静かに唸る甚平。


「いけませんよ、姫様! 海向こうに行くなんて鮫が泳ぐ海に飛び込むも同然です!」

「なに、鮫なら噛まれる前に掴めばいい話だ!」

「こんな大事な話に屁理屈はやめてくだされ!」


 甚平もばあやに同調する。


「そうだぞ、乙姫。噛む噛まれるじゃない、すれ違い際に肌がふれあうだけでも互いに傷に負うのが向こうの常だ。この島の常識も良識も向こうでは通じない。竜之助からも聞いているだろう」

「承知しております。あの竜之助すらも追い込むほどの過酷な場所だと重々承知しております。だからこそ、なのです。そんな場所に竜之助を一人にさせてはいけない。島を抜けたから、海を越えたからと言って受けた恩は消えません。いいえ、消してはなりません。私を守ってくれたように、私も竜之助を守ってやりたいのです」


 見ているだけで心を撃ち抜かれそうなまっすぐな瞳。

 かつての添い遂げようとして無我夢中だった頃の自分を思い出させられた。

 むず痒いか、不思議と悪い気持ちではなかった。


「……わかった。代替わりの先延ばし、そして島を離れることを許そう」

「本当ですか、お父様!」

「ただし! 条件がある! 本来当主となるべきお前をいつまでも新婚旅行ハネムーンに興じさせるわけにはにいかない! よって三年! 三年だ! 三年経っても何ら進展のない場合はお前だけでも帰ってくること! それが条件だ!」

「三年……ですか……」


 無条件で島を離れることを許されるとは思っていなかった。

 三年。若い彼女にとって長くも短くも感じられる時間。

 

「三年も猶予を与えた。これ以上は譲れない」

「……承知いたしました。父上の寛大さ、痛み入ります」


 海坊主の襲来に家臣の裏切り、混乱が収まったかと思えば、姫が島を離れる。

 こんな我儘を許してもらうのだから、感謝しながら受け入れるほかない。


「誠に僭越ながらばあやに口を挟ませてください。甚平様、よろしいのですか。家臣に相談もなく、こんな大事な話を進めて」

「……まあ良い機会ではないか。書物だけでは決して得られない見聞を広められるというもの。海を知らぬ猿山の大将では内外にも格好がつくまい。ただでさえ女とあるだけで見下されてしまうからな。腕っぷしだけでなく見識もあるに越したことはない」


 旅を通して娘の人間としての成長に期待する。


「甚平様のお考えはわかりました。それでは次にお姫様」


 ばあやは正座しながら体の向きを変える。


「姫様。竜之助の罪の追求から逃れるほかにもやらなくてはいけないことがあります。男心と秋の空は一夜にして七度変わるといいます。島に引き留めるというのであればあなたは何を為さなくてはいけないか、おわかりですね?」


 甚平は喉が渇き、置いていた盃を口に含む。


(俺が知ってるのは女心と秋の空だなぁ……)


 乙姫は熟考し答える。


「子を成す、だな?」

「ぶふううううっ!!??」


 生々しい答えに吹き出す甚平。


「その通りですじゃ!」


 骨折した利き腕を振り下ろすばあや。


「その通りですじゃないぞ、ばあや! まだ、まだ早くないか!? 子を成すのは!!」

「すみません、父上。今はおとなしくしていてください」

「姫様の言う通り。男の甚平様は黙っていなされ。これは女の話ゆえ」

「いいじゃん、混ぜてよ! まだ俺当主!」


 子供みたいなダダのこね方をする。


「そうだ、乙姫。便宜上、対外的には私が当主を続けるが、こちらはお前が持つふさわしい」


 壁際に丁重に飾られた脇差、海神を乙姫に手渡す。


「聞いたぞ、抜いたのであろう。いつか抜くとは思っていたがこんなにも早く抜けるとはな」

「……よろしいのですか? 私は一度抜いただけで体力を吸われてふらふらになる未熟者ですよ?」

「未熟か……それを言ったら俺はもっと未熟だぞ? 俺は触れること自体は許されるが一度も抜けた試しがない」

「父上が、ですか」

「ほら、これで誰が持つべきかはっきりしただろう。盗まれることはないだろが、落としたり亡くしたりするんじゃないぞ」

「……」


 手ひらの上の海神を見つめる。刀身に似合わぬ重みを感じる。

 初めて預かった時と変わらない緊張で手が震える。


「……父上はいつもこれを持っていたのですね」

「……甲姫から託されたからな」


 甚平は故人を思い出しながらも柔らかな笑顔を見せる。


「……やはり当主を継ぐのはまだ先になりそうです」

「はは、どうしてそうなる」

「私は……乙姫は父の背中を到底越えられそうにありません。ですがいつか、きっと、偉大な父上を越えてみせます。だから、もう少々お待ちください」

「………………なるべく早く頼むぞ。その分、余生で釣りができるからな」


 その後、竜之助の行動を先読みし、こっそり同船し船出する計画を乙姫主導で練った。

 会議が終わると乙姫は身だしなみを丹念に丹念を重ね整えて寝室へと戻った。


「……布団に戻るために化粧をするか、普通」


 娘の狡猾さ、徹底ぶりに汗をかく。


「まったく甚平様は。いつになっても乙女心というものをわかっておりませんな。だから婚期が遅れに遅れたのですよ」

「し、仕方ないだろう。家族は八人兄弟だったが、いずれも男だったし母は兄弟の世話でろくに話せもしなかったからな」

「はいはい、そうですか。それではそろそろ宴もおひらきにしましょうかね」

「それなんだが、ばあや」


 片づけられそうになったお猪口を手で上から押さえつける。


「あと一杯だけ付き合ってはくれぬか。乙姫の門出を……成長を祝して」

「あらあら、さっきまで浮かない顔で酒を飲んでたのに……うれしいことでもあったんですか」

「……偉大な父上を越えてみせます、だとよ。こんなん言われて喜ばない父はいまい」

「それなら仕方ありませんね。ばあやも一杯だけ付き合うとしましょう」


 数滴の酒を分け合い、こちりと盃を合わす。

 月は上るもの。しかしいずれは海に帰る。

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