英雄の褒美 昼
竜之助が目を覚ますと布団にくるまっていた。
「ここは……天国?」
香り立つ鮮やかさ残る緑色の畳にお日様の匂いがするふかふかの布団が揃っている。
そして、どこからともなく美味を直感させ反射で腹の虫が鳴らさせる馳走の香り。
「っつう~、頭がいてえ……」
痛みがあるということは何よりの生きている証拠。
虫もホコリもついていない新品で上等な服の下には丁寧に包帯が巻かれている。
深手の傷を負っていた背中は不思議と痛みが少ない。
「頭の痛みは、血の出しすぎか……」
女を夜通し抱いた後の朝の頭痛に似ている。
「そうだ、姫様は……あのあと、どうなって……」
するとふすまの向こうから、
「いやー! やめてくれー!」
乙姫の悲鳴。
「はっはっは! よいではないか!」
続く酒やけした野太い男の笑い声。
「なんてこった、まだ戦いは終わっちゃいなかった……!」
助太刀しようとふすまを開ける。
「姫様! 無事ですか!」
ふすまの向こうに広がっていたのは、
「それでな、乙姫は言ったんだ。『父上がさみしいなら、乙姫が結婚してあげる~』ってな~! いやー我が娘ながらかわいいがすぎる!」
「もうよろしいではないですか、そんな昔の話! いい加減酒の席のたびに掘り返すのやめてください!!」
穏やかな笑い声。
大広間では盛大に宴が行われていた。座っているのは屈強な男たち。傍らには刀が置かれている。全員のお膳に酒と皿よりも大きい鯛が行き渡っている。
「お、主役のお目覚めだ!」
「わりいな、兄ちゃん! 先におっぱじめてたぜ!」
酒をこぼしながら頭上に高々と盃を上げる猛者たち。
「これはこれは竜之助殿。ささ、上座へどうぞ」
えらく腰の低い男が竜之助を席へと誘う。
「今、料理を持ってきますね~。できたてのほうがいいでしょう?」
「あの、そんなに気を使ってもらわなくても……ここに並んでるもので」
竜之助の言葉は届いていないのか、男は台所に小走りで向かっていった。
「今のは一体……」
なぜか周りの男たちはにやにやしながらこちらを見ている。
少し居心地の悪さを覚えていると、隣の席の目麗しい美女が話しかける。
「竜之助、体の具合はどうだ」
綺麗に着飾った美女だった。上等な水縹色の晴れ着を着こんでいた。目に焼き付くようなあでやかさはなかったが、日が昇る海を眺めるように、まぶしいのにいつまでも見ていたくなる美しさがそこにあった。
美女にあまりにきさくに話しかけられたため、竜之助は困惑してしまう。
「あ、はい、だいじょぶっす」
あぐらをかけず、正座になってしまう。
「腹が空いているだろう。私のてんぷらをやる。例の山菜だ。どれも今朝採れた新鮮で絶品だぞ。どんどん食え」
口の前まで箸で運ぶ美女。ぜひともお近づきになりたくなる美しさだが、距離を詰められるとそれはそれで戸惑ってしまう。
「あの、自分で食べられるんで」
「身体はまだ癒えてないのだろう? 遠慮するでない。私とお前の仲ではないか」
波のような強さがあれば包み込むような優しい声。
こんな声の持ち主は一人しかいない。
「…………姫様?」
「ん? どうした、突然かしこまった呼び方で」
予想は的中。
「い、いやー、なんでもーないっすー、ははー」
竜之助は箸先のてんぷらを指先でつまんで食べる。
「む、行儀が悪いぞ。それでは手が汚れるではないか」
「姫様のはどうなんですか、姫様のは」
竜之助はあぐらをかき、肘を立てて、楽な姿勢を取る。
「私はいいのだ、これは治療行為だからな」
新たにてんぷらを箸に挟むが、
「姫様。これ以上は……家臣の前ですので」
「竜宮島は伝統的に酒の席では無礼講だ。気にするな」
「いやそこは気にしてほしいんですけどね……」
流れで上座に座らされたものの、歓迎の空気ではない。並々ならぬ嫉妬と殺気を感じていた。
どれもこれも戦場から帰ってきたばかりの猛者たちからだ。
(そりゃそうだよな……命を賭けた戦場から帰ってきたら、どこの馬の骨かも知らぬ男が娘同然の姫様と仲良くしてたら刀を抜いてもしかたねえぜ……)
おいしいと勧めてくれたてんぷらも緊張で味がしなかった。
もしも二口目も人目憚らずに食べていたら血祭りにあげられていただろう。一口目を食べたのは目上の人間の施しを無碍にするのは不作法になるからだ。
ここはもはや和気藹々の祝賀会ではない。隙を見せれば生きるか死ぬかの品評会に変わっているのだ。
困ったことに乙姫はそれにまるで気づいていない。本心からもてなそうとしているからだろう。
(せめて抜け出さずとも下座に……)
熟考する竜之助をよそに、
「今朝釣ったばかりの鯛もあるぞ」
乙姫は袖を抑えながら箸を伸ばす。
その際に手首が露になり、包帯が痛々しく巻かれていた。
「姫様!? 怪我してんのか!?」
手を取って袖をまくる。包帯を巻かれた箇所は少なく、血のにじみもなかった。
「あはは、大げさだぞ、竜之助。かすり傷だ。とっくにふさがっている」
「……すまねえ。俺がいながら大将に傷を負わせるなんて」
「違うぞ。お前がいたからこの程度で済んだのだ。それにこの傷は私の弱さが招いたものだ」
「しかしですね──」
言い合いに水を差すように、
「こほん」「あー、げふんげふん」「うぉっほん!」
下座から咳の嵐。
「どうした、みんな疲れで風邪を引いたか?」
「たぶん、すぐ治りますよ」
竜之助は空気を読んで手を離すと嘘のように咳が止まった。
「そうだ、姫様。ばあやは、ばあやは無事ですかい。あの人がいなけりゃ助太刀に間に合わなかったんだ」
「ああ、そのばあやなんだがな……」
乙姫は箸を置いて俯く。
「まさか……」
「その、まさかだ。骨折をしてるというのに、台所で指揮を執っている」
「いや生きてるのかよ!!! いや生きてて結構なんですがね!」
「まったく……いくら仙術で治してもらったからと言って高齢の身には変わらんのだ。休めと言ってもまるで言うことを聞かない頑固者だ。座って口出しだけの条件で台所をいることを許してやった」
話の最中に台所へ走っていた男が戻ってくる。二人の会話の邪魔をしないように存在感を消しつつもなおかつ竜之助に盃を持たせつつ酒を酌む。
「ははは、姫様もばあやには強く出れませんか」
そして癖で盃を口に運ぶ。喉が渇いていたため、一口で飲み干してしまう。
「お、意外といけますかな」
酌んだ男はけらけらと笑う。
乙姫は遅れて思い出す。
「おい、竜之助! それは酒だぞ!」
呼びかけても無駄。意思とは別に酒は喉を通っていた。
酒を飲んでしまった竜之助は、
「……ぷはー! うめえ! ほんと、竜宮島にはまずいもん一つもねえな!」
頬を赤らめて気を良くする。
「……おい、お前、酒が飲めないはずだったのでは? 初めて島に着いた日はすぐさま厠に駆け込んだではないか」
「…………そういや、そうでしたね」
「おい! 自分の体のことだろう!」
「うーん謎を追求するためにも、もう一杯いただけますかな」
「どうぞどうぞ」
竜之助が盃を見せると男は待ってましたと新たに酌む。
「父上もほいほい注がないでください!」
「何を言うか、乙姫。島の一大事を救ってくれた英雄で、龍神様にお通しかなったえびす様だぞ。私がおもてなししなければ誰がするのか」
竜之助は久方ぶりの酒の味に酔いしれて頭の回転が遅れる。
「父上……父上……」
二杯目を飲み干した後に自分にお酌してくれた気のよさそうなおじさんの正体に気づく。
「父上!? 乙姫様の父上で竜宮家当主の甚平様!?」
竜之助は座布団から飛び降りて土下座する。
「申し遅れました、竜之助と申します! 特技は剣舞です! 決してあやしいものじゃありません! あと今までの数々の非礼もどうか、なにとぞお許しを!」
必死に弁明する。
忘れてはいけない。島のために戦ったとはいえ、所詮お尋ね者という身を。
せっかく生き延びた身なのに帝に突き出されては一巻の終わり。
少しでも印象を良くしなくてはいけない。
「まあまあ堅苦しいのはなしだ、竜之助殿。酒の席では無礼講がこの島の決まりだ」
甚平は竜之助の背中をぽんぽんと叩く。
「まさか気さくに世話してくれる方が当主だとは夢にも思わず……乙姫様からとても、威厳のある方だとうかがっていたものでして」
頭を下げ続ける竜之助。
どうしたものかと頭をかいた甚平は、
「者どもー、酒は足りてるかー!? 飯は足りてるかー!?」
唐突に家臣に問いかける。
「ぜんぜん足りませんなー!」
「もっとですよー、もっと!」
「ありったけの飯、でてこいやー!」
思い思いに叫ぶ家臣たち。
「甚平様こそ足りてるのですかー!?」
「ううん……全然飲み足らんな!」
腹の、心の底からの笑いにあふれる。
思わず竜之助は顔を上げて異様な光景を目にする。
宴の席には何度も参加したことがあったがこんな和気藹々とはしていなかった。
笑顔はあるものの、誰一人腹を割って話していなかった。火花を散らして誰が偉い人間の隣に座り、酌をし、取り入ってもらうことばかり考えていた。
ここは違う。上も下もあるが労いや相互理解がある。最低限の礼儀をお互いわきまえたうえで楽しんでいる。
(もしかして宴ってのはこういうもんだったりするのか……)
戦場を練り歩き、そして常に傍らに仙人がいた彼にとって初めて見る光景だった。
「これが竜宮流の宴だ、遠慮はいらん。存分に楽しんでいってくれ」
甚平は徳利を斜めに構える。
「……そこまで言われちゃあ仕方ありませんな」
腹をくくって座布団にあぐらをかき、盃を差し出す。
「そちらも殿なんて畏まった呼び方はおやめください。私とあなたの仲じゃないですか」
盃を飲み干すと今度は徳利を受け取ってにやりと笑う。
「あははは! それもそうだ! こりゃ一本取られた! さあさあどんどん飲もう、竜之助君!」
「あはは、君もいらないんですけどね……」
甚平の盃にこぼさないよう慎重に注ぐ。
盃を満たす前に徳利から酒が出なくなってしまう。
「ううむ、また空になってしまった。また取ってくるとしよう!」
盃を飲み干してまたも台所へと走っていった。
「……せわしない世話焼きな人だな……」
「見ての通り、あれが父上だ。驚いたであろう」
ぽかんとする竜之助をしてやったり顔で笑う乙姫。
「聞いてた話と全然違うんですが……もっと厳格な方のはずでは? もしかして父上二人います?」
「たわけ。あれも父上の姿の一つだ。まあ娘である私もたまに別人なのではないかと疑う時がある。ほかに釣りをしている時も童心に帰って心底楽しそうにしてるな」
「兎にも角にも底知れない人物ってことですか……病み上がりとはいえ普段から神経尖らせてるんですが、まんまと背後を取られてちまった……お師匠様が見ていたら雷が落ちてましたよ」
「父上は強いぞ。私は組手で一度も勝ったことがない」
「姫様相手にですか!? もしや海向こうまで走っていけるとか?」
「いや……父上はだな──」
「いやはや私は仙術はてんでだめで、とっくに娘に追い抜かれてるんですよ」
「戻ってくるの早いですね!?」
「足の速さもとっくに娘に敵いませんよ」
吊るした徳利二本を竜之助のお膳に置く。
盃は空き知らず。あまりの回転の速さに口の中が酒の味に染まる。
「接待では負けませんがね。すみませんね、娘は気が利かなくて。お客人の前だというのに食って飲んでばっかで」
乙姫のお膳の皿の上はきれいさっぱりなくなっていた。おかわり待ちである。
「い、いま、酒のおかわりを持ってこようとしていたところなのです!」
慌てて立とうとするが、慣れない振袖によろめいてしまう。
甚平は瞬時に背後に回って支える。
「まったく……この年になっても父親の支えなしでも立てぬのか。先が思いやられるな」
「……父上の支えなくともちゃんと立てました。私をそこらの箱入り娘と思わないでください」
乙姫は台所へ向かう。
「なんだ、茶碗の飯では飽き足らず台所のおひつを食いに行くのか?」
「違います! 家臣に酌するための酒を取りに行くのです! もう!」
とととっ、と足音を立てて走っていった。
「……どうせ酒しか持ってこないのだろうな……」
気の利かない娘の将来を憂いながら、
「騒がしくてすみませんね」
客人の前では笑顔を忘れない。
「騒がしいなんてとんでもない。親子仲が良いことで」
竜之助は立てた片膝を座布団に落とす。
「仲が良い? あはは、今のを見てですか」
「にしても驚いた。甚平様は人が悪い」
「といいますと?」
「先ほどは謙遜してましたが恐ろしく早いですな。姫様を支える瞬間がまるで見えませんでした」
一瞬が見えなかった。それと同時に、
「音すらも聞こえなかった。足音だけじゃねえ。服が擦れる音までも。どういう仕掛けかわからねえがなるほど、あの姫様が組手で勝てねえわけだ」
放浪する武人は悟る。本気でやりあっても勝ち目はないと。そもそも剣を抜くつもりなど毛頭ないが、武人というものは敵であれ味方であれ自然と腕を比較してしまう性分。
「これが本当の能ある鷹は爪を隠す。いやはやお見それしやした」
「うーむ、竜之助殿が何をおっしゃってるかいまいちわかりませんな」
甚平はとぼけてこめかみを掻く。
「あくまで白を切るつもりですかい……まあいいですけど」
鯛の刺身をつまむと乙姫が意気揚々と戻ってくる。
「皆の者! 酒のおかわりを持ってきたぞ!」
「ほらやはり、酒しか持ってきておらぬではないか」
「え、馳走も持ってこないといけませんでしたか」
「それも違う。そろそろ皆が盃でちまちまと飲むのに飽きてきたところだ。升を持ってこねば」
「はっ、そうでした! 今すぐ戻って取りに行ってきます!」
「もうよい。とっくに私が配り終わっている。お膳の下に忍び込ませている」
「え!? いつの間に!?」
乙姫は膳の下を覗く。すると本当に各自に升は行き渡っていた。
「いやあいつ見ても摩訶不思議ですな! 甚平様の早業は!」
「まさに神懸かりですな!」
どうやら神懸かり的な早業は日常的に披露しているようで、
「……あんまり爪を隠していないな」
竜之助は升を持ちながらぽつりとつぶやく。
「にしてもこの升、でかいな。おまけにこの香りは……杉ではなく檜か」
「お、さっそく気づいたか、竜之助。それは竜宮島のみで流通する、いわば竜宮升だ」
乙姫は楽しそうに寄ってくる。
「名前そのままですね。わかりやすいのはいいですけど、年貢の時は大変そうですね」
「年貢の時は海向こうの小さめの升を使っている」
「え、じゃあ、なんで大きい升が残っているんです?」
「決まっているだろう……美味しいお酒をより多く飲むためだ!」
そういうと乙姫はあらかじめ並々と注いでいた酒を一気に煽る。
「ぱーっ! 美味い! たまらん!」
「いい飲みっぷりですね、姫様……」
あまりの豪快さに引いてしまう。
過去に酒豪の女にこっぴどい酒がらみされた思い出があるからだ。
酒自体は嫌いではない。飲むのも好きだ。ただ酒に溺れ、見境がなくなる人間は少し苦手だった。
「まったくやはり飲んでばかりで気が利かぬ……木の香りが苦手であるなら漆塗りも用意してますので」
「さすが甚平様。気が利きますね。ですがせっかくですので檜の升で馳走になります」
「遠慮深いね、お客人なのに。注文とかないのかね」
「ぜいたくを言えば当たり前のように音を立てず背後に立たないでくれますかね。びっくりしますので」
「おっと失敬。君は生粋の武人だったね。次からは横にしよう」
「そういうことじゃないんですが、うん、まあ、次からはそれでお願いします」
檜の升で酒を飲む。
(うん、やはりこれを選んで正解だったな)
檜の香りが混ざり、風味が変わる。
味がガラリと変わるわけではないが、微妙な変化を味わい嗜む。
「竜之助~! 飲み足りてるか~?!」
「……姫さん、戦いが終わったからって気が緩みすぎじゃありませんか!?」
首に腕を絡めてくる乙姫を振りほどかずも抵抗は見せる。
「むうう、竜之助まで父上みたいに説教するつもりか~?」
「あーあ、もう完全に出来上がってるよ……」
ここまで酔ってしまうと華やかな振袖も馬子にも衣裳、台無しである。
「私のことはいい、竜之助! 飲み足りてるのかって聞いてる! 私はもっとお前に竜宮島のことを知ってほしいし、好きになってほしい! 家臣はまだお前のことを信用してないようだが、この酒の場で少しでも、少しでも打ち解けあってほしいと私は思ってるんだ!」
「おーい、姫さん。本音が漏れてきてますよ」
「娘よ……志は立派だが行動が伴ってないぞ……」
酔いが回った姫様は止まらない。
「そういうわけだ、竜之助! ここに酒樽を用意した! これを一気飲みしろ!」
どんと置かれる酒樽。
「どういうわけ!?」
「なんら、おまえ、私の家臣なのにいうこときけんのか!」
「いやぁ姫さんはすげえ尊敬してるし信頼してますけど……あ、すみません、やっぱ今のなしで。今のあんたを見てたらとてもじゃないがそうは思えん」
「竜宮島のしきたりだぞ! 盃! 升! その次は樽で飲むんだ!」
「ぜってえ嘘だ! おかしいでしょう、飛躍する段階! うそですよね、甚平様!?」
助けを求めるが、
「いや、むすめのいってることはほんとだよ?」
甚平、まさかの裏切り。
「うそうそ! ぜってえうそ! おもしろそうだなとおもって見逃してる!」
「みんなはどうおもう? 本当だよな」
「ほんとほんと」
「びっくりするくらいほんと」
空気を読んで肯定する家臣たち。
「ずるい! 当主ずるい!」
竜之助に逃げ場はない。
「とうっ!」
乙姫は手刀で酒樽の蓋を開ける。
「受け取れ、竜之助! これが龍神様のお恵みだ!」
そして酒樽を担ぎ、酒を浴びせた。
口だけでない。目から鼻から酒が襲い掛かる。
(あ、これ、死んだ……)
御馳走にほとんど口を付けられずに気を失ってしまう。
空酒は身体に悪い。




