かれい奔走
何かがおかしい。
かれいはそう直感しながらも行動できずにいた。
山道を登り続けても母の手は一向に緩まない。愛が深ければ疑惑も深い。
確信がないまま、分岐点に差し掛かる。
(う、ここは……)
かれいは詳細こそ知らないが恐ろしさを感じる場所だった。
城へと続く道とは別に暗がりへ進む道。
草木が鬱蒼としていて先が見えない。道は常にぬかるみ足を奪われそう。正体不明姿かたちがあるかわからぬ鳥のけたたましい鳴き声。
勝気な彼女ですら通過に億劫となる。
ふと、母親の歩みがゆっくりとなる。
「ここはかれいが苦手な場所よね」
「知っていたの?」
「お母さんだもの。当然でしょ」
「……別に怖くないし。手を離してくれてもひとりで行けるんですけど」
「一緒に行きましょう。転ばないように足元をちゃんと見てね」
こういう時は鎖となっている母親の手は心強いものだ。
(だめだめ、子供じゃないんだから甘えてちゃダメ)
身体は許しても心は許さず。
かれんは頭を働かせながらも足元に気を付けながら進む。
(あれ……?)
かれんは足元に大きな手形を見つけた。
手形が残っていたのは大きなぬかるみ。先を行っていた女性たちも転びたくない、衣服を汚したくないの心理で自然と避け、奇跡的に残っていた大きな手形。
一目で女性でないとわかる。自然と思い浮かぶのは一人の男性。
手形の先には目を凝らしてようやくわかる足跡。行きは二人分に見えるが帰りは一人のように見える。
立ち止まって確認したかったが、
「行くよ」
母親がそれを許さなかった。
かれいは今見たものを心に残しながらひとまずその場を後にした。
無事に城へとたどり着くと日はほとんど海に浸っていた。
門にはばあやが待っていた。
「……」
「……」
目が合うと頷き合う二人。
ばあやは両開きの門に閂をかけた。
かれいにとって城門に閂がかけられた瞬間を見ることは生まれ始めての出来事だった。
「どうして閂をかけるの?」
当然の疑問。ぶつけずにはいられなかった。
「みんなが中にまだいるのに……ここから皆を出さないため? 中に入れちゃいけない人がいるため? それともその両方?」
ばあやはにわかに湧いた汗を拭いて笑顔を浮かべる。
「これはだな、男人禁制なんじゃよ。ほら、たくさんの女子が集まって湯に入るわけじゃ。あの若造が覗くかもしれんじゃろ?」
「竜之助はそんなことしない」
「いやいや海向こうの男じゃわからんじゃろ? だからこうやってな」
「竜之助は絶対にそんなことしない!」
「だとしても万が一のことがあってはならないようにだね」
「ばあやさん、それくらいにしておきましょう。行くよ、かれい」
ばあやの言葉を遮り、あかめはかれいの手を引いた。
(矛盾している……)
ばあやは取り繕うために墓穴を掘った。
あかめの証言と食い違っている。
(お母さんは竜之助は城にいると言っていた。なのにばあやは城にはいないと言っていた)
確証はない。確証はないが仮説を立てる。
(竜之助は城にいない……いるとしたら、あの道の先にいる)
竜之助であれば島で起きている異変について何か知っているかもしれない。
かれいは真実を知りたかった。そのうえで自分も島のために力となりたかった。
しかし母親と手をつないだままでは何もできない。
(今は辛抱の時……手が離す、あの瞬間まで……)
かれいははやる気持ちを抑えて好機を待つ。
ついに脱衣所まで到着。
「お母さん、そろそろ手を離してくれない? 着替えられない」
「着替えの手伝いはいらない?」
「いらないに決まってるでしょ」
あかめは娘の手を離して着替えを始める。しかしその動きはゆっくりで、目は娘のわずかな異変をも察知するように光らせている。
(ここでお母さんをまくしかない……これ以上は時間がない……)
辺りを見渡すとちょうど湯上りの子供たちが大勢いた。母親に髪を拭いてもらっていたり、衣服を着せようとしてるのに逃げ回っている困り者も。
比較的に早い時間に寝る子供に先に入らせて、後回しになった年寄には時間を気にせずゆっくりと入ってもらう予定だった。
(これは使える……)
かれいは浴室中に聞こえる大きな声を発する。
「あれー、えびちゃん、あさちゃん、今上がり?」
まずは近くにいた少女たちに自然の流れで話しかける。
あかめは止めないものの、やはり目を光らせている。
「遅いよ、かれい。いままでなにしてたの?」
「私のこと、心配してたの?」
「違うよ。かれいがいないから私たちで子供の面倒を見させられていたんだよ?」
「そんなに大変じゃなかったでしょう?」
「大変だよー! あいつら、かれいの言うことしか聞かないもん!」
「そうかなー?」
「そうだよ。ためしてみようか? みんなー、かれいお姉ちゃんが来たわよー」
するとあっという間にかれいの周りには子供がわらわらと集まる。
「わあ、かれいお姉ちゃんだ!」
「ねえねえ、かれいお姉ちゃん、一緒にお風呂入ろー!」
「今あがったばかりなのに? でもいっか!」
風呂上がりでも元気いっぱいの子供たち。大人の風呂は疲れを取る目的で浸かるが疲れ知らずの子供にとってはただの水浴びに過ぎない。
「うんうん。みんな、まだまだ遊び足りないって感じだねー」
腕を組みながら頷いてみる。
「そうだ、みんな。いい遊び思い付いたんだけどやってみない?」
「やるー!」
「やるー!」
「やるー!」
即答。遊びを誘われて断る子供はいない。
「みんなで探し物をしよう! みんなに探してほしいのは竜之助とお姫様! せっかくお城の中にいるんだし、遊び場所はお城全部だよ!」
「うおー!」
「やたー!」
勢いづいていく子供たち。
不安が母親たちの脳内に過ぎる。
「でもただ見つけただけじゃつまらないよね! そこで見つけた人にはご褒美で食後の甘味をいつもの倍に増やしてあげます!」
「~~~~~~!」
「~~~~~~~!」
人の子とは思えぬ奇声もとい喜声。
「かれい、冗談はそこまでにしなさい。甘味を倍だなんてそんなの無理に決まってるでしょう」
さすがに見かねたあかめが止めに入るが、
「お母さん……もう遅いよ?」
かれいは悪い笑顔を浮かべる。
「それでは、始め!」
手を叩くと一斉に弾ける子供たち。
「探せ、探せー!」
「落ち武者狩りだー!」
髪を乾かし終えていない子もいれば、素っ裸で走る子供もいた。
「ちょっと待ちなさい、まちなさーい!」
混乱は子供だけに留まらない。その親も慌てて駆けだす。
全員が一つしかない出入り口に向かって走り出す。
一足早く子供たちは脱走し、大人たちは出入り口でぎゅうぎゅう詰めとなった。
かれいもすんでのところで脱衣所から脱走した。
「かれい! 待ちなさい、かれい!」
好都合なことに脱衣所にあかめを置いてこれた。
しめしめとほくそ笑みながら、かれいは子供たちに新たな指示を出す。
「二人がいるのは勝手かな? 広間かな? 厠かな? さあ、みんな散れ散れー!」
子供たちをバラバラに走り出させる。
「……よし、一人になれた」
自分が一人になったこと、誰もついていないことを確認し、門へと向かう。
幸運が重なってか、門の近くには誰もいなかった。
「誰かが来る前に急がなくちゃ」
見つかることを覚悟で門に接近し、閂を外した。
再度後方を確認する。親も子供もいない。
「よし、行こう」
門は予想よりも大きく重い。
「ふぬぬぬ……!」
渾身の力で引っ張って開ける。
少しでも隙間が出来ればいい。
隙間さえできれば、子供の身体なら通ることができる。
「待ってて、竜之助……!」
想い人を心に浮かべ、さらに力を込める。
そして、ついに扉に隙間が生まれた。
「や、やった、これで」
しかし次の瞬間、隙間の向こうから手が伸びてくる。
「え、えっ」
しわくちゃな手はかれいの手を掴んだ。
「すまんな、かれい。これも姫様の命令なのじゃ」
扉の向こうから現れたのはばあやだった。混乱を察知したばあやは門の向こうで待ち構えていた。
「かれい! あなたって子は!」
幸運は長続きしない。
あかめとその他の母親たちがこぞって門に集まる。
「あなたって子は! 来なさい、罰としてみんなのまえでお尻ぺんぺんをしますからね!」
あかめは血が止まるほどの力で娘の手首を掴む。愛ではない、怒りに満ちていた。
「いや、はなして! どうして城の外へ出ちゃダメなの!」
「だめと言ったらだめなの! 聞き分けなさい!」
「教えてよ! 島に何が起きてるのか、教えてよ!」
「あなたが知る必要はないの! 私たちはここにいなくちゃいけない! 姫様がそう決めたの!」
話にならない。埒が明かない。
かれいは覚悟を見せる必要性を感じた。
「ごめんね、お母さん……」
謝ってから、全力で母親の手首を噛んだ。
「ったっ!」
すかさず門まで走る。だがまだ隙間を通らない。
「お母さん。教えて。今この瞬間もこの島で一体何が起きているのか」
「だから知る必要はないのよ。お願いだからすぐにこっちに来なさい」
「いやだ。納得できない。ここにいなくちゃいけない理由を教えてよ。教えてくれないのに連れ戻そうとするならもう一回噛んでやる」
「いいわよ、好きなだけ噛みなさい。お母さんは手首を齧り切れられたって娘のあなたを離さないから」
引かぬ母娘。
先に観念したのは、
「……ここだけの話じゃ。くじら様から新たなお告げが届いたのじゃ」
ばあやだった。
「ばあや様! それは島の者には秘密のお話でしょう!」
「すまぬ……血の繋がった母娘がいがみ合う光景は見たくないのじゃ……血縁同士のいがみ合いは時に人の死よりもつらい……それに納得できるだけの理由があれば言うことを聞くのであろう? なあ、かれいや」
かれいは力強く頷いた。
「うん、教えて。全部」
ばあやもゆっくりと頷く。
「お告げは二つ。良い報せと悪い報せだ。まず良い報せは、当主様たちは明日帰ってくる」
ばあやの言葉に母親たちは賑やかになる。手をつないで跳ね上がる。
「やった、旦那たちが帰ってくるのね!」
「もう、着くなら着くで連絡をよこせばいいのに!」
場はにわかにわき立つが、かれいは冷静だった。
「それで悪い報せは?」
ばあやは俯きながら答える。
「……今夜、海坊主が上陸する」
母親たちの動きがぴたりとやむ。
「上陸なんて嘘でしょう? だってこの島は龍神様に守られてるから……」
「でもくじら様の占いの結果が上陸するって」
「どうしよう、家にいろんなものを置いてきちゃった……」
「だ、大丈夫よ、乙姫様に浦島様もいらっしゃるのよ? それにいざとなれば助太刀もいるし」
「あの海向こうの男を本当に信用しているわけ?」
「そ、そう言われるといないほうがましと思えなくも……」
不安と焦燥で錯綜する母親たち。
「やはり言わないほうが正解でしたね」
あかめはそう冷たく言い放つと母親たちは黙り込んでしまう。
「全ては当主代行たる乙姫様が決めたことじゃ。民の命、心を最優先としてわが身を犠牲にしてでも海坊主と立ち向かうとな」
「私とばあや様は万が一の時に備えての籠城です。姫様たちが後れを取るとは思えませんが万が一のためです。ここで夜を越えれば男たちは帰ってきます。一夜さえ越えればいいのです、一夜さえ」
「これでわかっただろう、皆の者。今の話は他言無用。日常に戻ってくれ。それが姫様のためにできる唯一のことじゃ」
母親たちは言いたいことは山ほどあった。しかし姫様の決断とあれば口出しはできなかった。気持ちは提灯のように膨らんだが、飲み込んで肩を落とす。
「……かれい。これでわかったでしょう。さあ、こちらへ戻ってきなさい」
慈愛に満ちた母の優しい声。嘘偽りのない愛情。
かれいの答えは、
「……いいや、そっちに戻れない」
まさかの拒絶。
「お尻ぺんぺんのこと気にしてるの? もういいから、お母さんの言い過ぎだったわ」
「……見くびらないでよ、お母さん。私は納得できないって言ってるの」
「……なんですって」
「話は聞いた。嘘はついてないんだろうけど、やっぱり納得はできない」
あかめの怒りはぶり返した。
「このわからずや! 何がわからないっていうの!」
「全部だよ! 姫様も、お母さんも、ばあやも、おばさんたちも全部! みんなこの島は素晴らしい、大好き、みんなで助け合っていきましょうっていつも言ってたよね! なのにいざとなったら姫様頼み!? 私たちはのんびりと温泉!? こんなのってないでしょう!」
「やっぱりわからず屋! それとこれとは話が別なの!」
「これ、二人とも喧嘩はやめてくれ……」
ばあやはその場を治めようと全てを話したのに振り出しに戻ってしまった。
「なんで別なの!? 姫様のこと大事じゃないの!?」
「大事よ、大事に決まってるじゃない!」
「お母さんは姫様にも認められてるすごい人なんでしょう! そんな人がなんでここにいるのさ!」
「決まってるでしょう! 大事な娘を側で守るためよ!」
「……ぇ」
あかめは続けざまに言う。
「見くびってるのはかれいのほうよ! 姫様に籠城を命令された時、私はどれだけ悔しかったか! 姫様が怪我を負えばすぐにでも駆け付けたい! でもね、戦場では医者は無力で足手まといなの! 敵は待ってくれない、治療中なんて亀を叩くより簡単なんだから! 万が一でも捕えれて人質にでもなったらどうする! 姫様の邪魔になるだけなんだから!」
かれいは自覚した。痛感した。
自分がどれだけわからずや屋だったか。
涙ながらに訴える母の姿を見て、どれだけ母が偉大だったか、どれだけ自分が愛されていたかを思い知らされた。
「……それでも、私は」
「かれい?」
かれいは母の胸元へ飛び込まず、逆に後ろへ一歩。
「……この島のために、姫様のために、お母さんのためになることをしたい。姫様の、お母さんの言うことを聞くだけじゃだめだと思うの。ほんと、わからず屋の娘でごめんね」
門の隙間に挟まり込み、城を脱出する。
「かれい! 戻ってきなさい、かれい!」
「あとでお尻ぺんぺんでもご飯抜きでもなんでも罰は受けるから! ごめん、お母さん! 今だけは許して!」
かれいは暗闇を走る。その先に光があると信じて。




