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砂浜仕合

「あーあー、鞘の中まで海水が入ってら。この刀はもう駄目だな」


 柄を握り、鞘を足の指で挟んで引っ張ると鞘の中から海水が零れる。

 あちこち刃こぼれしているオンボロ刀。魚の骨を断つのがやっとの具合。


「刀の手入れがなってないね。それでも侍を名乗るつもりかい」


 浦島が煽ると竜之助はぺっぺっと唾を吐く。


「俺は生まれてこの方竜之助としか名乗ったことはねえよ。侍なんて柄にもねえ。仕官なんざ縁もゆかりもない、こちらからお断りの浪人だよ。この刀は戦場で拾ったもんだ。ぬくぬくと育った坊ちゃんにはわからんだろうが、戦場で満足の行く装備が整っているのは戦に加わらない高みの見物を決めた大将ぐらいだよ」

「どこで聞きかじった知見だい? 薄っぺらすぎて夕餉には忘れてそうだ」


 浦島は刀を中段に構える。右足を一歩前に出した、攻防の釣り合い(バランス)が取れた構え。


「忘れさせねえよ。刺身に蛸が出てくる夕餉(たこ)にこの手の話を耳に胼胝たこができるくらい聞かせてやる、楽しみにしてろ」


 一方の竜之助は下段。それも右脇に構える。


「なんだい、その構えは。まるで隙だらけじゃないか」


 わかったつもりでいる通ぶる素人のように見えて苦笑をこぼす。


「……お師匠様から教わった大事な構えだ。笑ったからには覚悟しろ」


 竜之助の取り巻く空気が変わった。いくら侮辱されようと理不尽な暴力を振るわれようと飄々と堂々としていた彼からあそびが消えた。

 乙姫はめざとくそれを感じ取った。


「おい、竜之助。お前まで本気になってないだろうな」


 そう心配して話しかけると、


「……まっさか~。これしき赤子の手をひねるようなもんですよ」


 握り飯を美味しそうに平らげた時の笑顔に戻った。


「時に浪人。お前、年はいくつだ」

「俺か? 今をときめく三十路だが」

「そうか、なら敬語を使え。僕は三十二だ」


 先に動いたのは浦島。セオリー通りに隙だらけの左から切りかかる。


「あら、意外と若作りなのねっと!」


 頭を軸に時計回りに回転しながら後ろに飛ぶ。


「そこだ!」


 離れているにも関わらず、濡れた刀を振るう。


「ははっ! 刃渡りもわかって……くっ!?」


 あざ笑いを崩して、顔をしかめる。

 顔を拭うと手のひらに水滴と一緒に砂利の感触。


「貴様! 目潰しか! 卑怯な!」


 竜之助は濡れた刀身を砂浜に落とし砂利を付着させ、顔に目がけて振りぬいた。思惑は見事に的中した。


「がはは! 敵将討ち取ったり!」


 刀を握り変え、刀身の背面である峰を頭に振り下ろそうと狙う。


「まだまだ!!」


 片目が生きている。距離感が取れないながらもがむしゃらに振り回し間合いを取る。


「浦島様ー! そんな卑怯者に負けないでー!」

「女の敵の首を取ってくださいー!」


 勝負は竜之助が有利ながらも空気は圧倒的に不利アウェー


「待て待て、首を取ったらいかん! 二人ともその辺にしておけ!」


 乙姫は止めるも二人の剣戟に止む気配はない。

 彼女としてはこのままどちらかが倒れるまでの戦いを望んではいなかった。血を流すことも命を落とすことも絶対に避けたかった。

 間に割ってでも止めるべき。そう考えていながらも二人の剣士の鍔迫り合いに飛び込む勇気を出せずにいた。


 勇気程度で止められるならとっくに止めている。

 試合は終わり、本気の切り合いに変わっていた。

 一瞬の判断、迷いが死に直結する命のやり取りに。


 竜之助が一人で十人を相手取ったと豪語した。武術の心得がある彼女なら彼の言葉に嘘偽り脚色はないと理解した。それは浦島もわかっているはず。


(なのに……なんで止まらないんだ……! 一体何がお前そこまで揺り動かすのだ!)


 唯一島に残った家臣。生まれた時から身を守ってくれる、血は繋がってはいないが家族とも呼べる存在。


(お前に罪を背負わせるわけには行かない……いざという時は、父上が残してくれた海神で……!)


 腰に帯びた脇差の柄を強く握る。




「ほあー! ちょー! とーう!」


 珍妙な掛け声と共にボロ刀が舞う。


「なんだ、この軽い剣は。まるで重みを感じない」


 両目の視界が回復した浦島は襲い掛かる剣戟をあっさりといなす。


 竜之助の攻撃は武闘というよりも舞踏。目を引く派手さがあり見世物としては最適だが、戦いでの実用性は皆無。


「てりゃー!」


 飛び回転切りした後に着地。竜之助は背中を見せてしまう。


「やはり! 卑劣な手を使わなければ生き残れない雑魚であったか!」


 隙だらけの背中に全力で刀を振り下ろす。


「よせ! 殺す気か!」

「はああああああああ!!!」


 乙姫の呼びかけに反応はしなかった。


 キン!


 血ではなく火花が舞う。


「……切った、と思うじゃん?」


 してやったりと微笑む。

 咄嗟に背中に刀を回し、しゃがみながら受け止めていた。


「な……!?」


 浦島は驚愕する。


 死角で受け止めたことにじゃない。


 刀が沈まないことに。


 振り下ろした者にとって受け止められたことは些細な問題ではない。その後、じっくりと力押しで沈めていけばやがて刃が肌に届き、肉を裂く。


 なのに竜之助は力が入らない姿勢にも関わらず、浦島の全力と全体重を込めた振り下ろしに耐えていた。


 驚異はそれだけではない。


「受け止めただけじゃない……! 押されているだと……!」


 歯を食いしばり腕を振るわせるほどの全力を、押し返している。


「ぐ、ぐぬぬぬ……!」


 形勢は逆転した。

 あっさりと攻めと守りが転じる。

 浦島の為すことは変わらない。刀を下に振り下ろすこと。

 しかし、


「……ぐぬぬぬぬ……!」


 必死さはまるで別。息を吹き出し腹筋が背中に届きそうなほど絞る。

 必死にならなければなならい。

 少しでも力を、気を緩めれば刀が吹き飛んでしまう。


(……この力、尋常ではない……!)


 認めざるを得ない。

 剣術はともかく、目の前の男には怪力が備わっている。


「……おい、色男」


 竜之助は奥ゆかしくも話しかける。


「……刀だけは手放すなよ。お前を応援してる者の期待を裏切るな」

「お前何」

「……っふん!」


 ふんばった瞬間、浦島の身体は大地を離れて空を舞う。


「なっ!?」


 突風に吹かれたように後ろに吹き飛ぶ。


 ガチャンガチャン!


 甲冑が砂浜に転がる。整った顔に砂が付く。刀は手放さなかった。


「浦島様!!」

「浦島様! どうなさったのですか!!」


 海女たちが心配し、駆け寄ろうとするが、


「来るな!!!」


 浦島は拒絶する。


 乙姫は緊張が解けた様子でふうっと息を吐く。


「勝負はここまで。この辺にしておけ」


 決着がついた。これで浦島も落ち着くだろう。彼女はそう考えていたが、


「まだですよ、乙姫様……」


 諦め悪くも立ち上がる。


「馬鹿者! 引き際がわからぬのか!」


 よろりと、ぎこちない頼りない立ち方だったが刀を握りなおす。表情にも戦意が残っている。


「おお、立ち上がるか。色男にしては気丈夫たふじゃあねえの」

「ああ、悍ましい。君みたいな男に褒められるなんてなんて最悪な日だ」

「勝負はついたんだ。大人しく引け。主の顔に泥を塗るつもりか」

「泥も何もまだ負けていない。君の怪力の正体を知っているんだよ」


 すー……はー……。


 呼吸を整え、刀を上段に構える。


「いいことを教えてあげよう……仙術使いは君だけじゃない……」

「いかん! 逃げろ竜之助!」

「っ!?」


 刹那、浦島は竜之助の目の前にいた。

 一丈をはるかに越えた離れた距離を一瞬にして縮めた。


「えいっ!!!」


 今一度、振り下ろされる刃。

 すんでのところで刀を横にして受け止める。

 真正面で受け止めたはずなのに竜之助の顔に余裕はなかった。


「ぐ!!?」


 苦悶の表情を浮かべてひざを折る。

 音のような高速移動から巨岩のような重量攻撃。


(これ、は……しんどい!!)


 みしぃっ……!


 オンボロ刀がしなり始めたかと思えば。


 パキン!


 重さに耐え切れず折れてしまう。


「ぐおおおおお!!!」


 眼前に迫る白光りする刃。

 回避は間に合わない。

 真剣白刃取りのような酔狂な真似はしない。


「こうなりゃ!」


 竜之助は腕を突き出した。


 カキィン!


 金属と金属が衝突する音。


「へへ、なんとか間に合ったぜ……!」


 竜之助は手枷の間の鎖で刃を受け止めた。


「姑息! だが虫の息だな!」


 刀は折れた。

 竜之助は丸腰。

 勝負は決したというのに浦島は引かなかった。

 凶刃が眉間に到達する。


(これは、死……!)


 死を覚悟した、その時だった。


「竜宮拳法、敷波!」


 玲瓏な声がした。

 次の瞬間、天地がひっくり返って、訳も分からず水中に投げ出された。





「はあ~、さすが姫様。大の男を拳一つで海へ吹き飛ばしたよ」

「あの男もかわいそうに。ちゃんと生きてるかしら」

「別に死んだっていいじゃない。姫様に下品なものを見せたのよ」

「それもそうね」


 海女たちはさながら日常のように受け止める。


「ふふふ、ざまあみろ」


 浦島は砂浜に尻もちをついていた。

 乙姫の気配に気付き、咄嗟に攻撃を止め、回避行動を取った。

 そのおかげで水浸しにならずに済んでいた。


「にしてもさすがは姫様……この島で仙術で右に出る者はおりませんね……」


 横目で乙姫を見る。

 その彼女は海に向かって叫んでいた。


「すまない! 助けるためとはいえ、やりすぎた! 生きてるか、竜之助ー!」


 口に両手を添えて大声で呼びかける。

 竜宮島の砂浜は遠浅。足が着く深さの場所に落ちたが打ちどころによっては命を落としかねない。


「おーい、竜之助ー!」


 もう一度呼びかけるが返事はない。


「……よもや死んでしまったか!? こうしてはいられん!」


 助けに行かないといけない。甲冑を脱ぎ捨てようと紐の結び目に手をかけた時だった。


「ぶはあ! 死ぬかと思ったー!」


 水面から竜之助が顔を出す。口から鼻から大量の海水を吐き出す。


「よくぞ生きていた! 迎えに行くか!?」

「結構だ! これしき歩いて行ける!」


 海の底に足が着いた状態で水面が首の高さにある。


「天然の湾内だ! 波は穏やかだが離岸流に気をつけろよ!」

「お気遣い、どうも!」


 砂の海底を踏むがなかなか前に進まない。


「泳いでいくか? いやこの手枷だ、体力の無駄だな」


 泳ぐにしても鉄の重りで前に進まず、沈んでしまいそうだ。


「地道に一歩ずつ進んでいくか。まったく、面倒な」


 ぐちぐちと文句を垂れながら陸へと向かう。


「……さてと竜之助の無事を確認したところで」


 乙姫は浦島の方向を向く。


「浦島。そこになおれ」

「……はっ」


 浦島は即座に跪く。日に照らされる砂浜をじっと見つめる。


「……おもてをあげよ」

「……」


 無言で顔を上げたところをバシンと平手打ちする。


「……これが何を意味するかお前にわかるか」

「……砂浜の番を無断で離れたことでしょうか」

「たわけ! 私が止めたにも関わらず、お前が仕合を続けたからだ!」


 もう一発平手打ちを浴びせようと構える。


「……」


 浦島は黙って、主の目を見ながらじっと待つ。


「……くっ」


 拳を握りなおして身体の横に収める。


「次はないと思え。下がっていいぞ」

「……はっ」


 頭を下げてから立ち上がり、砂浜を去っていく。


「……」


 海女たちは一部始終を見守っていた。限られた人数、島社会で生きていくためには厳格な上下関係は必要とわかっていながらも自分たちも慕う忠臣の浦島に非常に厳しい罰が下されたことに衝撃を隠せなかった。


「海女たちよ」

「は、はい!」


 ただの呼びかけに海女たちは萎縮しながら返事をする。


「長らく仕事の邪魔をした。お前たちのこの砂浜を返す」

「そんな返すだなんて……竜宮家あっての砂浜です」


 聞こえの良い他人行儀。昔からの顔見知りなのに距離を感じる。


「今日は岩場か? 潮干狩りか?」

「私たちは岩場で牡蠣を取ろうかと。潮干狩りは子供たちにも出来ますし」

「そうか。常に天候や潮流に警戒せよ。流されぬようにな。あと怪しい船や人間を見かけたらすぐに報告するように」

「ははっ、かしこまりました……」


 近所に住む気の知れたおばさんがまるで家来のように頭を下げる。


(そんなに畏まらなくても良いのに……)


 領民であることに相違はない。相違はないが、違和感を覚えてしまう。


(しかし情勢が情勢……これも領民の命を守るため、仕方がないのだ……)


 感情を押し殺し、涙を飲み込んだ。


「おーい、姫さーん! ようやく戻ってこれたぜ」


 竜之助がやっとの思いで陸に上がる。


「おお、竜之助。よくぞもどっ」


 乙姫は竜之助の姿を見ると死んだふりした狸のように固まる。


「なあ、姫さん。なんでもいいから服はないか。温かくてもな、ふんどしだけでは風邪をひいてしまい……は……は……ぶあくしょん!」


 唾を浴びせぬように誰もいない海に向かってくしゃみをする。

 その際、股間の揺れ、また風通しのよさに気付く。

 股間の竜が露になっていた。


「厚かましいがすまない。服の前に、もう一度ふんどしをくれないか」


 次の瞬間、竜之助は海の中へ。


「この不埒者ーーーー!!!!!」


 顔を赤らめた乙姫の平手打ちが炸裂した。


 一部始終を見守っていた海女の一人が、


「ぷ、ぷはははは! 笑っちゃだめだけど、だめだ! 笑っちゃうよ! あー、可笑しいなぁ!」


 我慢できずに吹き出してしまった。

 一人が笑いだしたら、二人目、三人目も釣られていく。

 あっという間に一人残らず笑ってしまっていた。


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