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竜宮島の乙姫と一匹の竜  作者: 田村ケンタッキー


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竜之助の身の上話 中

 山に入った竜之助の足取りは確かなものであった。渓流を跨ぎ、大岩を昇り、倒木をくぐる。糸に引かれるように、一点を目指して行く。

 早い話、竜之助は山賊のねぐらの場所には見当がついていた。

 山に潜伏する前から人目につかれないように心がけていた。その人目は山賊にも当てはまる。山に潜伏を始めた初期段階には彼らの縄張りを把握し、生活範囲が重ならないように距離を置いていた。逆に彼らがこちらの縄張りに踏み込んで狩りをしても見て見ぬ振り、悟られぬように徹した。大事に育成を見守ってきた山菜を横取りされても怒声をあげそうになったがなんとか我慢した。彼らが山賊としての仕事を見かけても、見て見ぬ振りをした。

 山は広い。全体の把握に遠く及ばないが、山中で集団生活するに適した土地は見当がついている。

 山に入ってから一度も止まらなかった足が止まる。

 泥道を覆う生い茂る草を払い、地面に残った跡を確かめる。


「よおし……大当たりだ……」


 熊も寄らなさそうな山奥でついに見つけた。人の足跡だった。

 個人ならまだしも集団生活では跡を隠しきれない。

 ねぐらに飛び込む前に、


「お前はもう帰っていいぞ、隊長殿。つか、なんでいるんだ?」


 単身で乗り込むつもりだったがなぜか一人、山に入る前からついてきた。


「そりゃ……もちろん……あれだ……」


 槍を持つだけでも体力を奪うのに、山道を馬もなしに担いできたために呼吸すら危うい。

 彼は山中で姫を助ける時に指揮を執っていた侍。窮地に陥ても戦いを捨てなかった勇敢な男。ただし腰を抜かしていた。


「助太刀ならいらねえぜ。腰抜けはいるだけで邪魔だ」

「だ……だれが……こしぬけ、だ……おれもたたかう、ぞ……」

「言っていることは立派だが、槍を杖にして立っている奴が言うとどうも頼りねえな」


 竜之助は無精ひげをぼりぼりと掻く。


「俺が逃げないようにするための監視だったのかもしれねえがこの通り、賊のねぐらは見つけたぜ。目と鼻の先だ」

「う、うむ……大義……で……あった」

「そして接近に気付かれないうちにとっとと叩く」


 前のめりになっていた身体が途端背を伸ばす。


「ま、まて」

「援軍を待つべきだって言いたいんだろ。援軍なんていらねえよ。いるだけ邪魔だ」

「ち、違う。私も戦わせてほしいんだ」

「あ?」

「……賊は仇なんだ。奴らに家族を奪われた。それをきっかけに俺は櫂から刀を握るようになった。身体は丈夫だし、物覚えも多少よかったから……後は運が良くて隊長にまで上り詰められた」

「そうかい。せっかく出世したのにわざわざ死地へ赴くのか」

「……やはり家族を忘れらないのだ。賊どもの首の一個や二個落とせなくては顔向けできないというものだ」


 隊長の呼吸は整ってきた。言葉も途切れ途切れではない。

 言葉は勇ましく、嘘偽りはない。

 ない。ないのだが、


「それなら今も残る手足の震えは武者震えか」


 隊長の手足は休憩したはずなのにいまだに震え続けている。


「こ、これは……そうだとも、武者震えだとも」

「はいはい、そうかい。ところで刀を預かってくれねえか」


 竜之助は唐突に刀を手渡す。

 隊長は一度は受け取るが、刀は重く、落としてしまう。


「すまない、いま、拾おう」

「やっぱりお前いらねえ」


 竜之助が素早く刀を拾い上げ、隊長に背を向ける。


「待ってくれ。嫁と、娘の、仇なんだ」


 立ち上がろうとするが力が入らず、よろめいてしまう。

 竜之助はそれを一瞥するとわざとらしく大きくため息を吐く。


「しょせんカエルの子はカエルだな」

「……っ」


 泥はよりぬかるむ。これより先は進めなくなった。

 たとえぬかるんでいたとしても前に進むこともできたが、彼にそれはできなかった。


「俺は……俺は……」


 何もしてやれない。敵を目の前にして何もできない自分に嫌気がさす。


「ちくしょう……俺は……何もしてやれないのか……死んでいった者たちへの弔いすらも……」

「……」


 二度。竜之助は足を止める。

 ゆっくりと引き返し、小さく丸まる男を見下ろす。


「おい」


 今更彼を引き連れてねぐらへと強襲するほどお人好しではない。

 体よく、あしらう。


「もしものことがある。お前は山を下りて、賊どものねぐらの位置を知らせろ」

「お前さっき援軍はいらないって」

「うっせえ。さっさとしろ。報告も立派な戦いの一つだ」


 竜之助は言うだけ言うとさらに森の奥へと消えていった。

 残された男は竜之助の言葉に強く心を動かされた。


「報告も……戦いの一つ……」


 慰めかもしれない。傷は癒せはしないが痛み止めにはなる。

 男は、久方ぶりに人の優しさに触れた。名も名乗らぬくせに、これから死地へと向かうというのに、こんな足手まといに気をかけてくれた。


「……なんてことだ。あの男は、死なせてはならない」


 彼の歩みを鈍らせていたのは恐怖。痛みや死といった恐れ、山賊への恐れだけではない。もう一つ、恐れがあった。


「いけない……あの男がたとえ山賊との戦いに勝ったとしても生き残れない……急いで止めなくては……!」


 永遠に進めないと思っていた一歩。

 その一歩を踏んだ瞬間だった。


「いいえ、その必要はありません」


 ずっ……。


「え……この声は……高千穂様……」


 男の声は再び鈍る。声を出すたびに喉からではなく首から空気が抜ける。


「こ、れ……」


 声はついに途切れる。

 ぬかるんでいた道は血でさらに混沌と化す。


「……おおかたの位置は把握しました。一旦戻り、最終段階に入りましょう」


 高千穂は蛇のように足跡を残さずにその場から消えた。


 カエルは川で生まれ、無念のままで山に死んだ。彼の短い人生に意味はなかったのかもしれない。しかし大海を知らず生涯を閉じる同類もいる中、一匹の竜に出会えたことは彼にとって幸運だったのかもしれない。




(煙の臭いがする……うまく風下に回れたようだな……)


 竜之助は茂みに身を潜める。敵は目と鼻の先にいた。

 賊は洞窟を根城にしていた。唯一の入り口前では必要最低限の火を焚き、夜食を作っているようだった。


(こりゃ好都合だ……敵は腹を空かし、そのうえ楽しみである食事の前に気も緩んでいるだろう……)


 見える範囲での人数は五人。小さい火を大柄な男たちが囲っている。

 強襲するには好都合。しかし焦ってはならない。敵の数は未知数。

 闇の中に紛れたとしても十人以上の相手は仙人の元で修業を積んだ竜之助でも非常に厳しい。


(まずはよく観察だ……)


 悟られないように竜之助は抜き足差し足で前に進む。

 耳を澄ますと話し声が聞こえる。不用心にも大声で、時折笑い声も混じっている。やはり食事を前に油断しているようだった。


「さあさあ! 一日のうちに一番で唯一の楽しみ! 夜食の時間だ! それに喜べ、兄弟! 今日は肉が入っているぞ!」

「おお、なんの肉だ!? 鹿か!? 猪か!? まさか人間じゃないだろうな!」


 下劣極まりない冗談。だがしかし火を囲う男たちの間で隅から隅まで笑いが生まれる。


(賊たちも極限状態なんだろう……こんな山奥で息を潜めてりゃ無理もねえか)


 皆が一斉に中心にある鍋に箸を突っ込む。


「お、さっそく肉が取れた」


 男たちの中で最も若い男が大きめの肉を取って喜びの声を上げる。

 すると見るからに凶暴そうな髭を蓄えた屈強な男が若い男の手に拳を振り落とす。


「いたっ」


 零れ落ちる箸と肉。

 すかさず屈強な男が箸で探り、大きな肉を横取りする。


「俺より先に肉を食うんじゃねえよ、若造が」


 そして見せびらかすように肉を頬張る。


「……」


 若い男は文句も言わず、屈強な男と目を合わせず、鍋を探る。

 それを見ていた竜之助は閃く。


(こいつは使えるな……)


 手元に都合の良く投げやすそう小石。

 竜之助はそれを掴むと放り投げる。

 石は見事に屈強な男の頭に当たる。


「ってえ!?」


 屈強な男は頭を擦りながら、隣の若い男を睨む。


「てめえ、やりやがったな!」


 間髪入れず顔を殴る。勢いは凄まじく若い男は倒れる。


「え? は?」


 何が何だかわからず、殴られた頬を抑えながら見上げる若い男。


「とぼけたって無駄だぞ! 真正面から喧嘩を売らずにこそこそと殴ってくるとは女々しい奴め!」

「まってくれ、なにがなんだかほんとうに」

「いっちょまえに言い訳をするのか!」


 屈強な男は追い打ちを仕掛ける。

 突如始まった理不尽な躾に、周りの男たちは止めようとしなかった。止めるそぶりも見せない。また始まったかと言わんばかりに知らん顔。巻き込まれたくないという気持ちが強かった。そして今のうちに鍋料理を掻きこもうと考えていた。


(さあて、これで仕上げだ)


 竜之助はもう一度石を投げた。次の目標は人ではない。


 ガコン!

 

 鍋がひっくり返り、貴重な肉が泥にまみれる。

 すると傍観を決めていた男たちにも火が付いた。


「おい、てめえ! お前が暴れるから鍋がひっくり返ったじゃねえか!」

「はあ!? 知らねえよ! 勝手にひっくり返ったんだろ!」

「男が言い訳か!? 女々しい!」


 見事な仲間割れに発展する。


(まさかここまで上手く行くとはな……)


 しめしめと腹で笑いながら竜之助は刀に手をかける。


(さて仕掛けるか……それとも……)


 刹那の逡巡。

 しかしその間に事態は沈着する。


「夜中にぎゃーぎゃーとうっさいよ、馬鹿ども!!!」


 洞窟の中から女が怒声をあげながら姿を現す。すると暴れ回っていた男たちはたちまち縮みこんで地面に正座する。若い男も泣きながら正座する。


「……さて、どういう状況か説明しろ」


 女が腕を組んでひと睨み。

 屈強な男は背筋を伸ばして答える。


「えっと……鍋を囲っていたら、こいつが俺の頭を殴りまして……」

「へえ、そうかい……それは本当なのかい?」


 女は問うが、若い男はすすり泣きするだけ。


「いつまでめそめそ泣いてんじゃないよ! 男だろうが!」

「な、なぐってません! なぐってませんって!」

「だよな。お前はそういう男だ。なにされたって怒れない根性も玉もない男女だ」

「う、ううう……」


 若い男はさらに泣く。


「……さて、それでどうしてそろいもそろって殴り合いに発展した? 二人の問題のはずだろ?」

「それは……こいつが暴れるから鍋がひっくり返って……」

「だから俺はしらねえよ! 勝手にひっくり返ったんだろ!」

「誰がしゃべっていいと言った!」

「す、すみません、お頭……」


 お頭と呼ばれた女は足元に転がっていた小石を拾う。それは竜之助が投げた石だった。


「おい、お前ら。この石に見覚えは?」

「そこらへんに転がっている石に見覚えなんてあるわけないじゃないですか……どっかから転がってきたんじゃないですか?」

「いいや、ありえない。ここは手下にいつも清掃させている。すぐに異変に気付けるように整理整頓している」


 お頭は次にひっくり返った鍋を拾う。


「ああ……せっかく作った料理が台無しだ……」


 肉は泥をかぶり、おまけに踏まれて、すっかり冷え切っていた。

 しかしお頭はそれを何の躊躇いも見せずに拾って食べる。


「うん……砂利が混じっているが食えなくはないな」


 咀嚼した後に砂利を吐き捨てる。


「お前らは水で洗って食べるんだよ。腹を壊すからね」


 男たちはそれを目を丸くして見ていることしかできなかった。

 

「それよりもだ。お前ら、これを見てみろ」


 お頭は鍋を指さす。


「これがわかるか?」

「それは……鍋ですね」

「うんうん、そうだな、鍋だな……」


 お頭は笑顔を浮かべながら回答者の頭にかかと落としをする。


「そんなの見ればわかるだろうが! よく見ろ! ここに凹みがある!」

「凹みなんて使っていればできるもんですよ」

「まったくこれだから男どもは……これがついさっき拾った石だ」


 凹みの部分に石を当てる。


「……俺の考えすぎか? 形が一致するように見える……」

「奇遇だね。私も同意見だ。鍋は今、こっちにひっくり返っていたね? 汁の零れも角度が一致する」


 汁のこぼれと逆方向を見る。

 ちょうど人間一人が隠れられそうな茂み。


「……」


 お頭は声に出さず目配りと顎で手下一人を仕向ける。


「……」


 手下は無言で頷き従順に動く。

 抜き足差し足。周囲に警戒しながらゆっくりと近づく。

 そして茂みの裏を覗く。


「い……いない……」


 茂みの裏には誰もいなかった。


「いません、特に、形跡も見当たりません」


 男たちの怯えた目がお頭に集まる。


「敵、なんでしょうか」

「ついにここもバレてしまったのか……」

「俺たち、どうしたら……」


 弱音を吐く男たち。

 お頭はその者たちの頭を小突いて回る。


「大の男がめそめそ泣くんじゃないよ。最接近してたのは恐らく斥候。分の悪い賭けだがまだ追いかければ間に合うかもしれない。こんな時のためにあらかじめ罠を仕掛けておいた。空っぽなお前らの頭にここらの地形を叩きこんだ。夜道は暗いがそれは向こうも同じだ」

「もしも斥候を逃がしたら……」

「……その時こそ、私たちのおしまいだよ。腹くくんな、男ども。無事に帰ったらたらふくご馳走を食わせてやる」

「それって……お湯を入れただけのすいとんじゃないですよね?」

「ちゃ~んと味噌も入ってるぞ」


 男たちの間に笑みが戻る。


「おい、聞いたかよ」

「よし、じゃあ斥候を捕まえた奴が一番食えることにしようぜ」

「賛成」

「いや、それじゃあ俺に勝ち目ないじゃん……」


 士気がにわかに蘇る。


「こおら、お前ら! 談笑してないで追いかけるんだよ! ぶっ殺すぞ!」


 怒鳴り声を上げると蜘蛛の子を散らすように、各々が役割を理解して走り出す。

 勇ましい男たちを見送るとお頭は急いで洞窟に戻る。


「お前ら! 起きろ! 敵襲だ! すぐに支度しろ!」


 闇に包まれた洞窟内で彼女の声だけがこだまする。


「……聞こえてるのか! おい、お前ら! 返事をしろ!」


 しかし期待の反応は帰ってこなかった。

 お頭はようやく異変に気付く。


「洞窟内の明かりが消えている……まさか……!? 姫様! 姫様、ご無事ですか!」


 暗闇の中で駆けだす。すると柔らかく温かい何かにつまずき、鉄臭い水たまりに手を突っ込む。


「……っ! 姫様、ご無事ですか、姫様ー!」


 自分に何が起きたのか確認せず奥へと向かう。

 そしてついに期待していた返事。


「……そんなに大声を出さなくても聞こえますわよ、朽葉」


 奥から姫様は姿を現す。


「……よかった……あなただけでも無事なら私は……私は……」


 一歩近づき、彼女の胸に飛び込もうとした瞬間のことだった。


「おっと、それ以上動くんじゃない」


 姫の後ろには見知らぬ男が立っていた。

 仲間の誰よりも凶悪な人相。

 そして抜いた刀を姫の首元に近づけていた。

 その男は竜之助だった。


「お頭さんよぉ、あんたは頭が切れるようだが大失態をしでかした。わかるか? 俺に侵入を許したこと? それとも仲間を外に出してしまったこと? いいや、違う。このお嬢さんに人質の価値があるとわからせてしまったことだ」

「ちぃ、卑劣な……!」

「山賊がそれを言うのかい? それに今は動乱の時代。無駄に血を流さないためにも人質ってのは有効な手なんだぜ。さあて洗いざらい吐いてもらおうか。集団の規模、装備、他に仲間か拠点があるかもな」

「言えるか! 仲間を売る真似なんて私には……!」

「そうか、だったら……」


 竜之助は首に突きつけていた刃を耳に移動する。

 刃の先で人質の女の耳たぶに向ける。


「一思いには殺しはしねえ。じわりじわりと拷問みてえにいたぶってやる」

「汚い! 汚い! これだから男は、侍ってやつは……!」


 朽葉は悔しさで涙を浮かべる。男を腕力で従えていた割に繊細な一面があった。

 それでも簡単には仲間を売ろうとはしなかった。しかし大事な姫様も守らなくてはいけないという板挟みに心を揺さぶられていた。


「……拠点はここだけです。総人数はここの二人を合わせて十四人です」


 竜之助の作戦通り、賊は恫喝に落ちた。

 ただし読み違いがあったとしたのならば、


「……まさかお嬢さん自らが話すとはな」

「あら、意外ですか? うふふふ」


 刃を向けられているというのに落ち着いた様子。


「姫様、どうして……!」

「ごめんなさい、あなたがとっても辛そうでしたからつい……」

「時間を稼げばもしかしたら仲間が戻ってきて……」

「そう、都合よく帰ってくるかしら? たとえ帰ってきたとして脱出できる打算はあるの?」

「それはありませんが……しかし、真実を洗いざらい話してしまっては……!」

「ええい! ええい! 勝手に会話するな! 合図でも送り合ったか!? 変な真似したらただじゃおかねえぞ!」

「そういえばお侍さん、あなたのお名前はなんていうの?」

「……お侍さん?」

「まあ、お名前はお侍さんっていうの?」

「違うわ! なんだよ、お前、突然名前なんて聞き出して」

「お話するのに名前がわからないと不便でしょう?」


 圧倒的な優位のはずなのに場の空気に飲まれ、


「………………竜之助だ」


 つい、うっかり、本名を名乗ってしまう。


「ちっ、龍か。やはり忌々しい」


 舌打ちしたのは朽葉だった。


「こら、朽葉。人の大事なお名前を貶すものではありません。すみませんね、うちの朽葉が」


 へらへらと笑いながら謝罪する姫様。


「……調子狂うな」


 竜之助は刀こそ落とさなかったものの、力が抜けていった。


「やはり姫様、悉くを話すのはおやめください! 聞きたいことをすべて聞き終えた後に用済みと切り捨てられるかもしれません!」

「あら? 話さなくたって無用だと判断されれば切り捨てられますよ? 逆にこのように協力的、友好的に接すれば刀は鈍るものです」

「姫様! それともう喋らないでください! その男を刺激してしまいます!」

「あーもー女二人そろって姦しい! 喋っていいのは片方だ! 話が通じそうなお嬢さんのみ話すことを許す!」


 うふふ、と笑う姫様。


「聞きたいことは全て聞いたでしょうに、まだ私を生かしてくださるのですか? お優しい方ですね」

「や、優しくなんかねえ……!」

「そんなお優しい竜之助様にお願いがあるのですが」

「だから優しくねえっての!」

「……このまま私たちだけを見逃していただけませんか?」


 突然の提案。


「姫様、それは……!」


 当然異を唱える朽葉だったが、


「誰が発言を許しましたか」


 真っ先に諌めたのは姫様だった。


「っ……」


 上下関係をしっかり叩きこまれているようで屈強な男にも有無を言わせない朽葉が黙り込んでしまった。


「竜之助様。聡明なあなたならもうおかりでしょうが、ここの暮らしはもう行き詰っているのです。あなたが手を加えるまでもなく、冬を待たずして皆が飢え死にします。死ぬのは弱いほうから……まずは私でしょうね」

「……まあ、そうなるだろうな」


 竜之助は身を近づけてわかった。

 どのような力関係があるのかわからないが、姫様になんの武力を感じられなかった。どんな理不尽な暴力だろうと、逃げられずに声すら上げられらずにねじ伏せられてしまうか弱さをひしひしと感じた。


「私は弱く脆いです……生きていても全く脅威を感じられない……だからこそこうして運よく生き延びているのですが……」

「……」


 暗闇の中。息を潜めて、びくびくと怯えた小さな女がいた。

 仲間の悲鳴を聞いたわけではない。血まみれの見知らぬ男が見えたわけではない。

 明けない暗闇に、いつ来るかわからぬ死に恐怖していた、ように感じた。

 突き立てようとした刃が止まった。

 寝首を掻いた数人と同じように即死させようとしたが迷いが生まれたのは事実だった。


「あなたがどうしてここを襲いに来たのかは聞かないでおきます。ですので、私たちもここであったことは口外しないこと、そしてこの山を下りて二度と近づかないことをお約束します」

「そうやって別の場所にいる仲間を呼ぶんじゃないか」

「竜之助様。これは私の勘ですが、あなたはここにいる誰よりもこの山を知り尽くしているのではありませんか? ここを見つけられたことがその証左。逆に問いますがそう簡単に仲間など隠せる場所なんてあると思いですか? もしも心配だというのであれば私たちより先に下山されてはいかがでしょうか? そうすればあなたの身は安全安心だと思いませんか?」


 上手く丸め込まれそうになる。竜之助は頭より本能で否定する。


「買いかぶってくれるなよ。俺は不勉強だし臆病なんだ。女であろうと、平気で、切ってきた」


 忘れたくても忘れられない過去がある。

 柄をきつく握る手が震える。


「まあ、怖い。もっとお優しい方だと思っていたのに」

「それはこっちの台詞だ。お嬢さんよ、可愛い顔してえらくえぐいことをするじゃないか。仲間を見捨てて命乞いだなんて恥ずかしくないのか?」

「私は侍でもなければ男でもないので」

「ずるい女だ」

「今は動乱の時代。こうでもしないと生き残れませんので、おほほほ」


 竜之助は悩む。依頼を受けた以上、賊の殲滅が義務であり果たさなくてはいけない。償いようのない罪に苛まれていても義理の心を持っていた。

 見逃すこともできる。仲間と合流しようとしなかろうと冬を待たずして人知れずに消えるであろう。もしも本当に二人きりで下山したとしてももう今ほどの勢力に、脅威にはならないであろう。

 西方将軍には適当な人相の悪い男の首を持っていけば納得してくれるだろう。

 それではその娘、啓子はどうだ。騙すのは簡単だ。昔話の桃太郎の活躍劇のようにあることないことを話せば彼女は信じるかはともかく楽しく笑うだろう。

 果たしてそれでいいのだろうか。

 竜之助は別の道を見つける。


「……神妙にお縄につくのはどうだ」


 自分で言っておいてなんだったが名案だと評価した。

 賊は掴まり次第死罪。しかしそれはその土地の権力者の裁量による。西方将軍とは見知った顔。啓子を説得し味方にすれば、男は難しいが女であればあるいは。


「竜之助様……」


 姫様は呆然とした顔で竜之助を見る。


「……生活は今より窮屈になるかもしれないが、だけどよ、しっかり自分の罪を償って──」

「ねえ、竜之助様……私は自由が好きなのです……」


 竜之助の動きが止まる。

 姫様の声色が変わったからではない。

 艶めかしく股間を擦られたからだ。


「お、おまえ、何を……!」

「夜も更けてまいりました。もしも見逃していただけるなら私がお相手しますよ。こんなに張り詰めて……相当ためていらっしゃるのでは?」

「く、この期に及んでっ」

「口ではそう言っても体は正直ですね、ふふ」


 竜之助も我慢を強いられた生活を送ってきた。思考が頭脳から股間に引きずられる。男の性。

 姫様の提案は実に魅力的だった。


「外は寒かったでしょう。ささ、どうぞここで温め下さい」


 竜之助の手を引っ張り、服の下に。

 わずかな膨らみに、固い突起。


「……ん」


 くすぐったそうな声がさらに男を駆り立てる。

 竜之助が落ちる直前、


「竜之助!」


 朽葉の声。

 正気に戻った竜之助は刀を握りなおす。


「しまった、罠だったか!」


 だが違った。

 目の前にはいつの間にか全裸になった朽葉が立っていた。足元には衣服と長めのサラシ。


「私も加わる。少しでも姫様の負担を減らせるのであれば」


 朽葉の体格は背丈がそうであるように胸も健やかに育っていた。

 再び竜之助の思考は天高く飛翔する。悩みから重さから一時的に解放される。


「……二人ともそこの壁に手をついて並べ」


 竜之助は久方ぶりの女を堪能する。

 喉の渇きを麗しい冷水で潤すがごとく贅沢な快感。

 しかし女二人の気が失うまで抱き続けたが彼は満足することはなかった。




「ふぅ……」


 股間の身軽さと全身のけだるさの両方を抱えながら竜之助は身支度を始める。


「あら、もう行ってしまわれるのですか」


 身体を重ねているうちにいつの間にか気を失った姫様が先に目覚める。元々身体が弱い彼女は先に体力の限界を迎え、途中からは朽葉が一人で相手することになった。


「なんだ、もう一度相手してくれるのか」

「あなたが我々についてくれれば喜んで身も心もお預けしますよ」


 なんと喜ばしい提案。これが心のこもった言葉だったらどれだけ良かっただろうか。

 出したものを出した竜之助はひどく冷静だった。涙を流して抱き着かれても一切心が揺れない自信がある。


「……お嬢さん、最後にもう一度だけ聞く。罪を償うつもりはないんだな」

「罪の償い方にもいろいろとあると思います。悪いことをしましたごめんなさいと頭を下げれば許されるなんて虫のいい話だと思いませんか」

「その先に破滅が待っててもか?」

「……竜之助様。あなたは私がどれだけ業の深い人間かお分かりでしょう?」

「何を突然」

「いいんです、わかっています。男たちが私や朽葉の目の届かないところでどんなことをしているのかわかっているのです。そして我々はそれを見て見ぬふり、知らぬふりを通してきました。こうでもして外で鬱憤を晴らさなければいつか中で破裂してしまいます」


 けだるさが一層増す。無駄な正義感でも燃やして退治してやればよかったのだろうかと考えてしまう。


「あら、あなたを責めているわけではありません。むしろ感謝しているのです。これで多少は民草の気持ちがわかったつもりになれます。どれだけ悔しかったか、どれだけ怖かったか……ええ、ほんの少しだけわかりました」

「……俺の前でそれを言うかい」

「ふふ、意地悪でしたね」

「意地悪のお返しだ。俺はここに来るまでにあんたら賊に家族を殺された男と知り合った」

「……まあ……それは……」


 姫様は塩をかけられたようにしおれていく。


「本来なら俺は斬らなくちゃいけない。でもあんたが直接手を下したわけじゃない。そうだろ」

「変わりませんよ。すべては私がワガママで始めたことですから」


 浮浪者を集めて従えて山賊を結成しなければ家族が死ぬこともなかったかもしれない。


「……もっとも、やりたくてやったことではありませんが」

「なら──」

「くどいですよ、竜之助様。忠告は最後だとご自身で言っていたではありませんか」

「そうだが……そうなんだが……」


 ひどい頭痛に襲われ、足元が崩れ落ちるような立ち眩み。すっきりの反作用ではない。


「……竜之助様、なんだか臭いませんか?」

「え? 風呂入ったつもりだったんが」

「そうではございません。煙たくありませんか」


 姫様の言葉に竜之助はようやく気付く。

 仙人に常在戦場を徹底的に叩きこまれた男に隙が生まれていた。


「……賊の奴らが俺をあぶり出そうと火をつけた……わけないよな……」


 すると洞窟の入り口から誰かが走ってやってくる。気配も殺さず、たえたえの呼吸も隠さずに。


「誰だ!」


 竜之助は松明を音のする方向へ投げる。

 火は照らす。至る惨状を、来る悲劇を。


「……に……」


 そこに立っていたのは男だった。人相と服装から、山賊の一味だとわかる。

 姫様は彼にねぎらいの言葉一つ掛けられなかった。

 ただ小さく、悲鳴を上げた。


「ひぃ」


 無理もない。

 男の首には矢が一本貫通していた。


「……げぇ……」


 息が漏れる。首には塞ぎきれない穴ができていた。

 伝えなくてはならない言葉を紡ぐ前に背中から鮮血が噴き出して倒れる。


「案内ご苦労であった」


 男の後ろに隠れるように、闇に紛れるような黒装束の男が立っていた。

 顔は口以外を布で覆っていたが竜之助は声で正体を見破る。


「お前、西方将軍の側にいた……高千穂か!?」

「ほう、拙者の正体を即座に見破るとは……少々甘く見ていようだ」


 次の瞬間、苦無が飛んでくる。


「な!?」


 投げる瞬間も見えない、完璧な不意打ち。

 竜之助は面を食らいながらも回避する。


「ほう、今のを避けるか。しかし頬を掠めたようだな」

「おい、これはどういうことだ……!」

「おっと、あまりしゃべらないほうがいい。毒が回るぞ」


 言う通り、かすり傷ができた頬が麻痺し始める。


「この地域にしか生息しない蛇から採取した致死性の毒だ。四肢を猛牛に引っ張られるような多少の激痛が全身を襲うがそれさえ乗り越えれば気持ちよくなって死ねる。まあほとんどの人間が激痛に耐え切れず自死を選ぶがな」

「しのび……く……に……よく……しゃべ……」

「ははは、もう舌がろくに回っていない。さて、邪魔者を排除したところで」


 姫様と高千穂が対面する。


「高千穂。よく私の前に顔を見せることができましたね」

「ええ、多少骨が折れましたが波に乗ってしまえば案外あっさりでしたね」

「そういう意味で言っているのではありません……!」


 初めて見せる姫の怒りの感情。だがやはり恐怖や威厳は足らず、可愛げすら感じられた。


「私とて古くからの知り合いを手にかけるのは心が痛む。どうです? ここは大人しく言うことを聞いてくれませんか?」

「この世で一番信用ならない男が何を言いますか」

「やれやれ、私の言うことを素直に聞いておけば楽に死ねたものを」


 苦無を見せつける。猛毒が付着した凶刃。


「冤罪を擦り付けられて首を晒すよりもましです」

「残念ですよ。父上だけでなく、その娘までも手にかけることになるとはね! お覚悟を、山吹殿!」


 その時、高千穂の背後に朽葉の影。手には匕首。

 蛇が獲物を狙っている時、自分が狙われているとは考えないもの。


「……しっ!」


 怒りが込められた匕首は高千穂の脇を突いた。

 鮮血が飛び、大の男が情けなく悲鳴を上げるかと思われたが、


「この俺がお前の存在を忘れるとでも思ったか」


 無情。匕首の刃先は貫通せず弾かれる。


「この感触、鉄を着込んでいたか!」

「いまさら気付いたって遅いんだよ!」


 距離を取ろうとした朽葉を追撃する。膝蹴りが脇腹を襲い、骨が折れる音。


「ぐあああああああ……!」


 純潔を失った時も出さなかった悲鳴を上げる。


「とことんあまっちょろい女だな、朽葉! 忍たるもの、悲鳴を上げるんじゃない!」


 高千穂は苦無を握りなおす。逆手に、より振り下ろしやすいように。


「出来損ないだったが弟子は弟子だ……一思いに、やってやるようとしよう!」


 ざしゅ。

 肉を切り裂く鈍い音。


「朽葉……やはりお前はとことんどうしようもない女だ……守るはずの主に、守られてしまうなんてな!」


 凶刃は姫様──山吹の背中を襲った。

 咄嗟に朽葉を庇ったのだった。


「姫様!! どうして!」

「どうしてって……領主の娘らしく意地を見せたかったのよ……本当、今更だけどね……くっ!!」


 切創とは別の痛み、発熱。

 毒は回る、待ってはくれない。


「そうら、朽葉! 早く解毒なり、反撃をしないとお前の主が苦しむぞ! それともお前の手で楽にしてやるか!」

「貴様あああ外道があああああ」


 朽葉を涙を浮かべて叫ぶばかり。

 高千穂は止まらない。迷わない。もう一度、元主に刃を立てようと腕を振り上げる。


 ざしゅ!

 再び、肉を切り裂く鈍い音。


「な、にぃ……」


 呻き声をあげたのは高千穂。

 手から鮮血と苦無が零れ落ちる。


「貴様ぁ、まだ動けるのかぁ! 竜之助ぇ!」


 彼の手を襲ったのは苦無。最初に竜之助に投げ、傷をつけた物と同じ。


「……」


 竜之助は返事をせずにゆっくりと刀を構える。

 追い込まれているはずなのに、まるで焦りを感じさせない研ぎ澄まされた空気で圧倒する。

 だが高千穂は騙されない。


「……いや、こけおどしか。毒を受けてまともでいられるはずがない」


 息遣いや瞼の動きから正常ではないと見抜いた。

 そのうえで、


「この俺も毒を受けては無事ではいられない。急いで解毒しなければ。どのみちお前らはここで死ぬ。賊を根絶やしにするためにも一帯に火をつけたからな」

「つくづく馬鹿な人ね……ただでさえ資源が不足しているというのに山に火をつけるなんて……」


 山吹が蔑む。怒りを通り越して憐みの境地に至った。


「庇を貸して母屋を取られた女に言われたくはありませんな。ではまた後ほど。火が落ち着きましたら首を頂きにまいります」


 高千穂は暗闇に紛れる。

 誰も彼を追えなかった。

 今この場所に立っているだけでも必死だった。


「姫様! どうして、どうして私なんかを庇われたのですか!」

「強く揺すらないで……毒が回るわ……」


 竜之助と同じ毒を受けたが刺し傷の箇所の違いで山吹は言葉を発せた。


「はっ、私としたことが……!」

「朽葉。解毒薬の隠し場所、覚えてるわよね?」

「お任せください! ただちに持ってきて治療いたします!」


 朽葉は洞窟の奥へと走る。


「……竜之助様。先程は助けていただきありがとうございました。このご恩は必ずお返しします」


 身体をよじらせながら壁に背中を預けて、やっとの思いで上半身を起こす。身体の下には血だまりができていた。

 それでも命の恩人への礼は欠かせない。何かも今更遅い、矜持を見せる。


「ふ、ふーっ……うっ……ふっ……」


 竜之助は呼吸が難しくなっていた。首まで毒が回ってきた。じわりじわりと感覚が失い、呼吸するための筋肉がしびれ始めた。

 傷口から毒を抜こうとするが上手く行かない。想像以上に毒の足が早い。


「ふ……哀れな男だな……どうあがこうと地獄行きは免れないというのに」


 薬を持ってきた朽葉は、振りほどいても振りほどいても手を伸ばしてきた男の必死さを嘲って笑う。


「薬はある。しかし一人分しか残っていない。姫様が命からがら残してくださった貴重な薬だ。当然姫様に使う」


 朽葉の言葉を無視して竜之助は生存に繋がる細い糸をたぐる。蜘蛛の糸よりも脆くとも。


「せいぜい苦しみもがけ。姫様に手を出した報いだ……お前が来なければ、こんなことにはならなかった……自業自得だ……」


 山吹の前にしゃがみ、治療を始めようとすると、主は首を横に振る。


「違うわ、朽葉。治療する相手を間違えてる」

「……え?」

「早く解毒してあげて、竜之助様を」

「な、なにを仰ってるんですか、姫様!」

「毒を消したところで……この傷じゃあ、どうにもならないでしょう」

「そう、ですが、そうじゃありません! あいつは先程まであなたを慰み者にしてたのですよ!」

「それはこっちからお願いしたことだったし。それに案外悪くなかったわよ?」

「……っ!? いいえ、姫様! こればかりはあなた様の命令でも聞けません! 傷は後でどうにかします! だからまずは解毒を──」


 治療を始めようとする救いの手を、山吹は押しのけた。

 冷たく力のこもっていない手。薄弱としているがそれでも主の固い意思であった。


「……どうして、姫様は、そういうことをなさるのですか……!」


 蜘蛛よりも脆い糸をたぐるのは朽葉も同じ。主の命が助かる見込みがないのはわかっていた。それでも知らぬふりをして、到底起きぬであろう奇跡に賭けたかった。


「ふふ、ごめんなさい……」

「……ん、ッフー!」


 目から零れ落ちる液体を首を振って切り、朽葉は解毒薬を持って竜之助の元へ。


「……姫様の恩情に感謝しろ。助けるからには生きろ。お前の命はお前だけの物じゃないと思え」


 そして存外手際良く、治療を施したのだった。

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