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お師匠様と竜之助

 あれは忘れもしない。お師匠様と歩んだ最後の日。

 百戦錬磨、常勝無敗、海千山千の英雄武将たちが集う酒宴。

 勝利を目前、確信し、酒池肉林の前夜祭を開いていた。

 錚々たる面子の前で、強者ぞろいの目の肥えた武将たちの目をも引く派手な演武を披露するは竜之助。


 舞う。

 舞う。

 幾度となく空中で舞う。

 飛蝗バッタのような脚力で地を蹴り、独楽コマのように目まぐるしく回転する。


「いよー! ほー! はあああ!」


 掛け声を上げながら追いかけるは一匹のはえ


「いいぞー! あんちゃーん! もう少しだー! 追え追えー!」

「蠅一匹に何をてこずってる! 師匠の宇美仙人様が泣いてるぞ!」

「そこだー! ふりぬけー!」


 応援にも熱が入っていく。

 武闘ではなく舞踏。

 雅さ、煌びやかさは欠片もないが舞いや音楽がわからぬ武の者たちを楽しませるのにはうってつけの余興。

 竜之助の剣が最も生きる瞬間であった。



 演武を終えた竜之助はある者の前で跪く。


「お師匠様! 見てください! おひねりがこんなに! これで当分は生活に困りませんよ!」


 笑顔で白い紙を開いていく。錆びていない、よく輝く金貨がざくざく。


「ねえ! お師匠様!」


 そんな嬉しそうな弟子の頭を、


「たわけぃ!」


 お師匠様は踵を落とす。


「なにゆえ!?」

「人が見てる場所で金を数えるな、浅ましい。それにこれからは帝に仕える身。それくらいは端金はしたがねだ」

「コレガハシタガネ!?」

「まったく……我が弟子ながら世間に疎くて困ったものだ」


 困りながらも笑って見せる彼女こそが竜之助のお師匠様、宇美仙人。化粧をしていないのに誰の目にも艶やかに映え、男を惑わす肉体美に溢れ、男にも勝る身長たっぱの美女。

 年齢出自共に不明。龍か虎かも不明。定かではないが大陸からの移住者という噂もある。

 これについては弟子である竜之助すらも知らされていない。

 わかることといえば無敵であること。

 剣を握らせては一騎当千、拳を握らせても一騎当千。向かうところ敵なしの最強の仙術使い。戦場では敵から味方からも鬼神美人と恐れられている。

 

「困ったといえばお前の人相もだな」

「俺の人相ですか」

「お前が老け顔のせいで大きくなった息子を持つ、それなりに年が行った母親に見えてしまうんだよ」

「ええ、俺のせいですか? 姉ではなく母親に見えてしまうのはお師匠様の責任では?」


 なんとなし漏れた本音。

 宇美仙人は笑顔のまま、竜之助の耳を引っこ抜く勢いで引っ張る。


「あだだだだだだだだ!!!?」

「あとお前のデリカシーのなさにも困ったもんだな。そんなんじゃ女にモテぬぞ」


 彼女は武力だけでなく知力をも備えていた。大陸の言葉に留まらず、西洋の言語をも習得していた。いつどこで誰に学んだかも謎に包まれている。


 師匠と弟子が戯れていると一人の美女が多くの侍女を連れて現れる。


「良き夜でございますね、宇美仙人殿」

「これはこれは雨虎あめふらし様」


 胡坐をかいていた宇美仙人は跪く。後ろで竜之助も続く。


 雨虎。南方の帝の妹君。宇美仙人に負けず劣らずの美人であり、その美貌でいくつもの武人たちを服従させている魔性と求心力の持ち主。兄には及ばぬも彼女自身も強力な発言力を持ち、少なからず実権を握っており政治への影響力は計り知れない。


「このようなむさ苦しい場所に高嶺の花がなぜおいででしょうか」

「まあ、高嶺の花なんてお上手ですね。此度は南方のために尽くしてくれた英雄たちに勝利を祝して最上級の酒を振る舞いに来たのです」

「勝利を祝してですか……まだ戦は終わっていない。こうしている今も身分の低い兵士は戦っているのですがね……」


 宇美仙人は小声で漏らす。


「何か言いましたか?」

「いいえ。何も」

「宇美仙人様にはとりわけお世話になっておりますのでね、まずあなた様から#一献__いっこん__#差し上げたいのです。余の手からな」


 脚付きの大盃たいはいに注がれる透明無色の酒。

 酒好きが思わず顔ごと突っ込んでしまいそうな強烈に甘い香りを放つ。


(ああ、これは口に着けては駄目だな。毒が入っている)


 宇美仙人は一目で一瞬で看破する。

 かといって毒が入っていると指摘したらせっかくまとまりそうな戦乱がぶり返してしまう。やんわり断るとしてもそれ相応の理由もなしに断れば角が立つ。


「あいにくですが……今は穀断ちの真っ最中。お酒も禁じているのです」


 仙人の立場を利用し、修業を理由にする。然しもの帝の妹君も仙人の修行を邪魔はできない。

 しかし興味を持つ権利は許されている。


「まあ、穀断ち。そんな美容法があるのですか。だからいつまでも若々しくいられるのですか。そうなんですか」

「美容法だなんて大それた術ではありませんよ」

「そうですか。それもそうですね。若さの秘訣はおいそれと話せませんものね。あなた様が正しいですわ、おほほほ」

「ははは、ははは……」


 宇美仙人は苦笑いをこぼす。

 雨虎はひとしきり笑ったのちに、


「……それではお弟子さんはどうですか」


 標的を変える。


「お、俺ですか!?」


 まさかのお声掛けに月と川底のように離れた身分の上の人の前でうっかり素っ頓狂な声を上げてしまう。


「これ竜之助! 雨虎様の前だというのに大声を!」

「あらあら、見た目に似合わず初心うぶなのですね。可愛らしい。うふふふ」

「可愛らしいだなんてそんな……」


 素直に照れてしまう竜之助。一見で雨虎の虜になっていた。


「それでは一献」

「あ、それなのですが、お師匠様が飲んでいないのに弟子である私が飲むわけにはいかないっす」


 背筋を伸ばし、きっぱりと断る。

 雨虎はわずかに眉をひそめる。

 宇美仙人は小さくため息を漏らす。


「……竜之助と言ったか」

「はい、竜之助と申します。嬉しいです、雨虎様のような美人な方に名前を覚えてもらえるなんて」


 雨虎はニッコリと笑ったのちに、


「……何か勘違いしていないか?」

「……え?」


 竜之助は気付く。目の前の女性が雨虎であって雨虎ではないことに。

 人を引き寄せる愛嬌は人を突き放す侮蔑へ。

 姫様から権力者に豹変していた。


「宇美仙人という高名な師匠を持ちながら不勉強よな……それとも弟子だからこそ自分の立場を勘違いしたか?」

「……あ……の……」


 竜之助は青ざめる。緊張で声が出ない。

 周囲の目は冷たい。大笑いを上げていた武将たち全員が酔いが醒めたかのようにこちらを窺っている。


「余の盃を断るとは……は~嫌だ嫌だ」


 竜之助は師匠である宇美仙人を見る。無言で助けを求めた。

 しかし、


「……」


 彼女は雨虎の前で石像になっている。


「……」


 緊張で声が出せない。緊張のあまり吐き出しかけているがぐっと喉で抑え込むのがやっと。

 かろうじてできることといえば、


「……」


 黙って、両手を前に差し出す。

 杯を受け取る意思を示した。

 これで全てが解決するとは限らない。

 全ては雨虎が決める。定めれらた裁量はなく、規則はなく、気分次第で簡単に首が飛ぶ。


 雨虎の答えは、


「……まあ、よしとしましょう」


 答えは変わらない。

 首をはねるか、毒入りの酒を飲むかの違い。

 死は決定づけられていた。


 竜之助は大盃を受け取る。毒が入っているとは知らない。飲めば命が助かると思っているが違う。飲もうと飲むまいと死からは逃れられない。


「有難く頂戴致します」


 大盃を傾ける。

 毒入りの酒が唇に触れる直前、


「申し訳ありませぬ、雨虎様」


 宇美仙人が横入りし、


「我が弟子はつい今しがたまで英雄たちを慰労し英霊たちを慰霊する演武を踊った身。師匠として運動直後の飲酒は見過ごせませぬ」


 大盃の端に指を一本かけて水平に戻す。


「また弟子の不始末、師匠として心から詫びねばなりませぬ。この一献、私が預からせていただきます」


 宇美仙人が大盃を強引に奪い取る。

 一升以上は間違いなく注がれたこれを、


「有難く頂戴します」 


 恐れずにぐいっと。

 喉を三回を鳴らしたのちに、


「ぷう……あまりの美味さに飲み干すのを躊躇ってしまいました」


 盃には半分が残っている。つまり半分は宇美仙人の中。


 飲んだことを確かめた雨虎は元の愛嬌豊かな笑顔に戻り、


「いえいえ、余は気にしてませんよ。せっかくの宴の場、祝勝会。ごゆるりと楽しんでいってください」


 そう言って次の武将へ挨拶しに行った。

 すると空気が冷めきっていた酒宴はみるみるうちに乱痴気騒ぎに元通り。

 竜之助は息を整え、吐かないようにしながら声を出す。


「申し訳ありませぬ、お師匠様……! どんなお叱り体罰も上等! この未熟者をきつく、いや遠慮なく破門なさってください!!」


 拳が飛ぶか、足が落ちるか。

 答えはどちらでもなかった。


「たわけ。師匠として当然のことをしたまでだ」


 宇美仙人は開き直って大盃を傾ける。毒は入っているがそれを抜いても酒は大変美味だった。


「……だがしかし、指導が行き届いていなかったのは事実ではあるな。ところで竜之助よ、いくつになった」

「正確な年齢はわかりません。親に捨てられた身であるので」

「その前置きはとうに聞き飽きた。何度も同じことを言っては湿っぽい顔をするでない」

「お師匠様から拾った時を十歳と仮定すると今年で二十九になります」

「そうか……二十九か……え、二十九!? 数え間違いではないか!?」

「いいえ、間違いありません。お師匠様に拾われたのが虎治十年。それから虎治二十九年です。そういや聞きましたか? 今年で年号が変わるというお話。合戦が終わって平和になるんですからね、そりゃ変わりますな。いやあ年号が変わる瞬間に立ち会えるなんてなんかわくわくしやすね」


 竜之助は年号の伝統に心躍らせているが何回も年号が変わる瞬間に立ち会ってきた宇美仙人にとってはどうでもいいこと。政治だけでなく人の世からも距離を置いてるからなおのこと。

 それよりも驚愕すべきは、


「時の流れとは恐ろしいものだ……そうか、まだ十九だと思ったが二十九にもなっていたか……鼻垂れ小僧が老け顔になるわけだ」


 宇美仙人にとっては土に埋もれていた筍が空に届かんとするばかりの竹に育ったかのような感覚。


「お師匠様。あなたの弟子は老け顔をこんぷれっくすにしているのですよ。親しい身としてあんまりではありませんか」

「来年には三十路。結婚していないと社会的立場として大変だぞ?」

「あははは! それを生涯未婚のお師匠様が言いますか痛ぁぁ!?」


 愛の鉄拳げんこつが下される。


「私は良いのだ。人の常識から外れた仙人なのだからな」


 そしてまた酒で喉を潤す。

 竜之助は頭をさすりながら自嘲的に笑う。


「それならば俺も人の道から外れた身。今更妻を娶るなんておこがましいにも程があります」


 さも当然のようにあっけからんと笑う弟子を見た宇美仙人は、

 

「……やはり指導が足りなかったか……いや必要だったのは指導ではなく……」

「お師匠様、何か言いましたか?」

「いや、なんでもない。独り言だ、聞き流せ」

「そうだ、お師匠様。水は要りますか。ずっと酒ばっかを飲んでは飽きるでしょう。水ですっきりりふれっしゅをしたらどうです」

「ふん、聞きたて覚えたての西洋語を使いよって。ああ、水を頼む。外に井戸があったはずだ。遠いがまあうん、修行の一環だ。そうだ、お前も喉が渇いただろう。充分に喉を潤してから、ゆっくり戻ってくると良い」

「わかりやした」

「いいか、ゆっくりだ。かたつむりのようにゆっくりと戻ってこい」

「なんです、それ。修行の一環ですか?」

「男なら黙って女の言うことに従え。ぐずぐず言うな。急げ」

「ゆっくりしろと命令した後に急げっすか。俺は精霊馬じゃないんすよ」


 文句を垂れながらも命令通りに機敏に動く竜之助。


「竜之助」


 呼び止める宇美仙人。


「まだなんかあるんすか」

「言いたいことはいっぱいある。いっぱいあるが一言だけ伝えておく」

「なんすか」

「お前もいい年だ。いい人見つけろよ」

「なんすか、それ。二言じゃないすか」

「はーやーく!」

「はいはい」

 

 急かされた竜之助は宴会場を後にする。

 歩きながら考える。お師匠様の言葉の意味を。


「いい人か……俺にゃお師匠様より大切な人はいませんのに……」


 意図を理解できずにいた。

 年号が変わる瞬間をあと何回共に立ち会えるかはわからないが寿命が尽きるその時まで側にいるつもりだった。


 そして竜之助は宇美仙人の指示を律儀に守る。外の井戸で水を汲み、喉を潤し、ゆっくりと戻った。


 戻った頃には酒宴はこの世の地獄と様変わりしていた。


「…………………………………………は?」


 阿鼻叫喚の地獄絵図。

 肉で食い散らかされていた床に首のない死体、酒臭かった空気が血生臭く、雅な曲と麗しい声は剣戟と狂った女の笑い声に。

 見苦しい血みどろの足の引っ張り合いが紛糾する混乱の最中、竜之助はぽつんと立ち尽くす。


「………………………………………………………………………………お師匠様?」


 尋常ではない血の量を吐き出し倒れている宇美仙人の姿。戦場では矢の雨が降ろうと足元で火薬が爆発しようと高笑いしながら縦横無尽自由自在に駆けまわっていた彼女が今はぴくりとも動きはしない。


 遠くで聞き覚えのある女の卑しい高笑い。


「ふきゃきゃきゃきゃきゃ! これで#海__わだ__#の原国は余のものだ!! 兄でもない、仙人でもない、この余のな! ふきゃきゃきゃきゃきゃ!!!!」


 この世の全てを手に入れたかのように陶酔している。


「ああああ……!」


 竜之助は全てを察した。


 お師匠様の優しさを。

 そしてその優しさに付け込んだ悪の存在、その罪深さを。

 これより刹那たりとも生を許さず断罪しなければならない使命を。

 万死如きでは生温い。

 足元にはちょうどよく、持ち主不明の刀剣。

 視界に入った瞬間これを拾い、抜き、咆える。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 


 そこから先は全ては覚えてはいない。

 思い出せるとしたら、視界に入った全て、抵抗する者しない者関わらず鏖殺おうさつした事実、その感触のみだった。

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