プロローグ
かつ、かつと背後から靴音が響いてくる。くぐもった音は次第にクリアになっていき、すぐ後ろから気配を感じられるほどにまで接近してきた。
「……遅かったじゃないか」
来訪者に背を向けたまま、あくまで予定調和のように語り掛ける。正直、今の彼女にここまでできる力があるとは思わなかったが……。
だが、禍々しい気配は消えぬまま、ぎらつく双眸が私を貫くのを感じる。若者の成長には目を見張るばかりだが、ここまでだと最早笑いしか出てこない。
「誰の命でここに来た?」
現状、我々の軍隊は地上には進出していない。むしろ地上に這い出ようとする軍勢を抑え込むのに苦労すらしているくらいだ。
だが、それでも「魔王」という身分を気に食わない権力者も存在する。それらの差し金だろうか――と巡らせた思考が、軽く高い音に遮られた。
「…………だれにも」
言葉の意味を理解するのに数秒掛かった。
「……ならば。何が目的なのだ? お前のような――未来ある若者が」
振り向き、彼女の表情を一瞥する。
まだ幼さを感じる顔立ちに、べったりと返り血が塗り付けられている。だらりと下げた両手には使い込まれた大剣を装備しており、ろくに整備もしていないのか、血によるさびと刃こぼれだらけでただの鉄の棒と化してすらいた。
……以前、参謀に彼女の素性を探らせたところ、産まれてからまだ十年と少ししか過ごしていない孤児だという情報が送られてきたことを思い出す。そのような少女が、どうしてこんな死地に――?
考えに沈む私の耳に、返答が返ってくる。
甲高い音を立てて擦り合わせた双大剣を一振りして、首を傾げ、勇者は――。
「あなたと、仲良く……なりたかった」
「……………………………は?」
与えられた言葉をかみ砕き、咀嚼し、飲み込んで、反芻する。それでもまだ理解には至らず、混乱で頭が埋め尽くされる。
そんな独善的な考えで、私の民を蹴散らし、軍を搔き乱して、ついには側近すらも退けここに立ったというのか、この少女は。
憤り、混乱、狼狽。様々な感情が駆け巡り、次の言葉を考えていると――ふいに、勇者の瞳が潤んだ。
「……わっ、わたしと……やっぱり、友達には、なれ、ぐっ、なれませんか……?」
その年相応の表情と潤んだ声に、考えが全て消し飛ぶ。
「――――――――――――いや、いや……でもお前は私の民を、その手で」
いや、待て私。選択を誤るな。
少なくとも目の前の少女は、菓子を買う金が足りず、店の前で立ち往生する哀れな子と同じ表情と感情をしている。
そのような人間が、殺戮を繰り返していた……?
「……少し待て」
ぱんと手を張り、この場に設けていた様々な結界を消し去る。音にびくっと身体を跳ねさせた勇者に心の内で謝りつつ、参謀に暗号を送り駆けつけさせた。
「魔王様、何か――?」
影の後ろ側からの声に、相変わらず気持ちの悪い感触だなと思いつつも疑問を呈する。
「……ここに至るまで、勇者は何人の命を奪った?」
少し戸惑ったような雰囲気を出していた参謀だったが、すぐに切り替えて確認を行った。
「……被害、ではありませんよね」
「ああ、命だ。警備にあたらせた軍は? 側近たちの損耗は?」
少し言葉に詰まり、そんな自分に驚いたような参謀が、いつもとは異なる声音で私に確信をもたらす。
「――――ゼロ、です。その、怪我を負ったものこそおれど、奪われた命は――動員した化物を除けば。いえ、自分の記憶違いやも――」
「……いい。下がれ」
……きっと、この少女は戦うことなど、はなから望んでいなかったのではないだろうか?
そもそもこの少女は、その手で人間の命を奪うことなどできるのだろうか?
改めて、勇者に視線をやる。こちらの返答を待つ少女は、どこか怯えを感じる目でこちらを上目遣いに見ていた。あたかも――いや、まさしく小動物のように。
今の今まで、このような少女に対抗していた自分に恥じ入る。恐らく、この少女に対する情報操作もあったに違いない。それこそ、「勇者」などという称号を与え、絶対悪とした存在が――。
だが、それは正当化にはならない。
ゆっくりとしゃがんで、低い目線に合わせる。
だからこそ、今、ここで試そう。
すっと腕を捲り、少女の前に差し出す。混乱した様子の勇者に、一言。
「切れ」
突然の言葉に狼狽した少女が、すぐに首を振って否定する。
「いいから切れ! お前が勇者で、私が滅されるべき魔王ならば!」
涙目の少女は、ずっとゆるやかに首を振り続ける。それでも睨んで行動を待っていると、意を決した様子の少女が大剣を握り直して、ぐっと力を込めて……。
固く目をつむり、震えた腕を脱力して、からんと音を立てて双大剣を地面に落とした。そのまま嗚咽し、しゃがみこんでしまう。
……こんな無垢な少女に、人間が殺せてたまるものか。
「……済まない。酷なことを……済まない」
ぎゅっと前から抱きしめる。急な感触に勇者が身体を硬直させるのを肌に感じつつ、これからどうするべきかと思いを馳せる。
少なくとも、この少女を殺戮者だと思い込んでしまった側近たちの対応は考えたくないほど面倒くさいだろう。
抱きしめられた熱をそのまま涙として還元した少女に笑いをこぼして、また強く抱きしめた。
――ここに、二十年というごく短い時間でもって魔界を掌握して見せた、幼き女王の名を冠する「天才」と。
たった十余年の生を謳歌することすら許されぬ、強大な力を生まれ持った哀れな「天才」とが。
あり得ぬはずの友情を芽生えさせ、この物語は始まる。




