表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56/456

ぐぬぬ


 あまりにもチャチで、定員が小さくて使い道がなくて評価の低かった国鉄のレールバスであったけれど

(キハ01・02・03)、

他車に比べて、恵まれたところがなくもなかった。


 いえいえ、第3セクター私鉄向けの軽快気動車じゃなくて、もっとずっと以前、昭和30年代のお話。


 ローカル線のコストダウンを目指して、バスの部品を使ったキハを国鉄は設計したのだけど、やはり小さすぎてね…。


 結局は早々に戦列を離れたが、以下は全部私の想像ですよ。


「あー、このレールバスって奴ら、これから新造するのはいいが、なにもいいところがないな」


「そうですね。安いからバスの部品と言ったって、バス部品の耐用年数は、鉄道用部品よりもはるかに短いですから。それにね…」


「なんだい?」


「どんなローカル線でも、たまたま今日だけは小学校の遠足で団体客が来ているとか、そういう突発的な多客ということもあるわけでしょう? そんなのに対応できないですよ」


「そうだよな。閑散時は客が少なくても、朝と夕方に混む路線は多い。ラッシュ時用にキハ20を確保して、昼間だけレールバスを使っても、コストが二重にかかるだけ…」


 このように四面楚歌なレールバスちゃんたちだったのですが、そこはそれ、技術者たちにも親心があります。

 創造主の慈悲というやつでしょうか。


「あまりにも何もない状態で、このまま世へ送り出すのは忍びない」


 だから技術者たちは、レールバスに与えることにしたのです。

 誇れるものをただ一つ。

 誰にも負けないものをただ一つ。


「それを胸に秘め、きびしい鉄道人生をたくましく生き抜いてほしい」


 では、鉄道技術者たちがレールバスに与えたはなむけとは、いったい何だったのでしょう。


『こだま号(151系)と同じ塗色』!


 ああ、

「こいつは何を下らんことを言っとるんだ?」

 という皆様のお声が聞こえるようです。


 ところが実は、私なりに気が付いたことがあるのですよ。


 昭和33年に151系が登場する前、国鉄車両の塗色というのは、


「黒か茶、せいぜい湘南とスカ色」


 だけでありました。


 このほか、戦前から続く気動車用の青/灰、アオダイショウもありましたね。


 ここで私はハタと気が付いたのです。

 もしかしたら当時の国鉄は、


『いくら新時代とはいえ、華々しい塗色は特急列車にしか許さない。それ以外の列車は、寒色系か地味なものだけ許可する』


 という固い信念を持っていたのかもしれません。


 つまり、


「嬉しそうな塗色は特急以外ダメ」


 ということですな。


 にもかかわらず、それを与えられたレールバスたち。


 その例外的な塗色は、不遇人生フラグの立つレールバスたちへの、せめてもの親心的プレゼントだったのではないでしょうか。


 ちなみに、キハ01の製造は昭和29年。

 一般用キハの塗装変更(青/灰→一般色)は昭和34年でした。


 と、ここまで書いたところで大問題に気が付いた。


(1)

レールバスの塗色が本当に151系と同じであったかのソースがない。

頼みのウィキペディアにも書いてない。


(2)

レールバスの製造年が、あろうことか「こだま号」よりも『前』である。


 ぐぬぬ。

 これでは何一つ成り立ちません。

 放棄された仮説の一例ということで…


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ