方向転換
本にこんな記述を見つけた。(※)
銚子電鉄のデハ501という車両は、
1972年7月21、某私鉄から譲渡を受けて入線したのだけど、何かしら不都合があったようで翌日、国鉄銚子機関区へわざわざ送って、転車台で方向転換をして、逆向きにしてから使用を開始した。
といった意味のことが書いてある。
それで私は思ったのだけど、当時の国鉄ではやはり、
「車両の方向転換、1台あたり○○円」
といった料金表のようなものがあったのだろうか。
方向転換といえば、もう一つトピックがある。
C62がけん引していた時代の東海道線の特急「つばめ」だけれど、車両はスハ44系だから、大阪側での方向転換はどうやったのかというと(※※)、
大阪に到着して乗客を降ろした後、そのままC62けん引のまま福知山線に入線し、塚口駅で停車。
塚口でC62を機回しして、逆向きけん引で宮原に入る。
翌日は宮原から前向きけん引で、北方支線を通って西から大阪入りすれば正しい向きになる、ということだったそうな。
これはこれで結構なのだが、私が何を思ったのかというと、昭和31年に東海道線は全線が電化される。
けん引機はC62からEF58に変わるのだけれど、するとどうなる?
どうやって方向転換をしたのか?
大阪へ到着して乗客を降ろしても、福知山線は非電化だから、もちろんEF58は塚口へ入線できない。
だからSLがやってきて、EF58がついているままか、あるいはEF58だけ先に宮原へ単機回送して、客車だけを引いて塚口へ向かう。
私にはこれぐらいしか方法が思いつかない。
ではSLの形式は何だったのだろう?
昭和31年現在で宮原に何が配置されていたかは知らないけれど、吹田にはD51が山ほどいたはずで、そいつらの仕事だったかもしれない。
考えてみて下せえ。
回送列車ではありますが、D51が青大将色のフル編成を引いている姿を。
なかなか結構なシーンだったかもしれない。
(※)RM Reライブラリー第3巻 P86
(※※)RM ライブラリー第287巻 P53




