たから号
またまた空想を一つ。
国鉄が最初に走らせたコンテナ貨物列車が「たから号」といい、チキ5000(→コキ5000)で編成されていたことは、よくご存じだろう。
だがあの頃はまだコキフ(チキフ?)など存在しなかったから、最後尾に連結される車掌車は、ヨ5000をわざわざコンテナと同色の黄緑に塗って使用した。
ところがここで疑問に感じるのが、高速貨物列車なのだからそれなりの速度を出すのだろうが、新造されたチキ5000はともかく、
「ヨ5000は大丈夫だったのか」
ということ。
と思って調べてみたら、コキが85キロまで速度が出せるのと同様に、なんとヨ5000も85キロがOKとのこと。
なあんだ。
ということはけん引機のEH10も、85キロは出せたということか。
ところでヨ5000だけど、75キロまでしか出せなかったヨ2000やヨ3500を改造して作ったものだそうで、
「わざわざそんなことしなくても……」
と思ったのは私だけですかね。
『宅扱』
といっても、
『宅急』
ではありませぬ。
戦前に走行していた高速荷物列車のことで、ワキ1で編成されていた。
このワキの最高速度が85キロだったのですな。
そしてこの編成の最後尾を締めたのが、ワムフ1。
ワキがワムを引き延ばしたような車体なら、ワムフはワフを引き延ばしたような感じ。
台車は、高速対応のTR24がつく。
だから、
「別にヨ5000など作らなくても、ワムフを黄緑色に塗り替えて、『たから』に連結すればよかったのに」
と思ったが、その頃にはワムフはまだ荷物列車に使用されており、転用は不可能でした。
ああ残念……




