タネ車
本を読んでいて、以前からの疑問がやっと解けた。
例えばここに、オハ35とオロ36があるとする。
昭和も中期を過ぎれば、どう見ても車内設備が他のロザと比べて見劣りするから、オロ36をロザ車として運用するのは難しくなってくる。
だからハザに格下げされ(1964年)、オハ55になった。
といっても何か改造をしたわけではなく、等級帯を消して改番しただけ。
しかしこの連中も、何年かで姿を消してしまった。
通勤列車の混雑を緩和するため、ロングシートの通勤用客車に再改造されてしまったからだ。
(オハ55→オハ41)
ここまではいいのだが、私がずっと疑問に思っていたのは、
「何かの客車を改造してオハ41を作るのは結構だが、その種車がなぜオハ55だったのか?」
ということ。
元はロザで、座席のゆったりしたオハ55ではなく、座席の狭いオハ35を種車にするのではダメだったんですかね?
「普通列車の乗客に、元とはいえロザの座席なんか使わせるものか」
と国鉄は思っていたのだろうか。
だからオハ35などではなく、オハ55をオハ41の種車にしたのだろうか、とまで邪推したりした。
ところが本を読むと、その疑問は一瞬で解決。(※)
(オハ55は)『立派な座席だが2等車に使用すると痛みが激しく、保守に手間がかかった。』
(引用文は二重カッコ内。「2等車」とはハザのことを示す)
そういう立派な理由があったのですな。
どうも私のようにケチくさい人間は、ケチくさい発想をするようだ……
ゆ、許して下せえ。
格下げロザと言えば、アッシはクハ85しか乗ったことがねえんでございます。
あの座席は、どう見ても痛みやすそうには見えなかったもんで……
(※)RMライブラリー 275 33ページ




