窓
オハ35やスハ32を思い浮かべてほしいが、明治時代からずっと、客車の窓とは四角い形をしたものであり、窓桟などなかった。
(こんな形→口)
この窓の下を「腰板」、窓の上を「幕板」と呼ぶことはよくご存知であろう。
窓が並んでいるところを図にすると、
(幕板)
口口口口口口
(腰板)
ところが昭和が始まってしばらくたつ頃、
「窓の上下寸法を大きくデザインしたほうがカッコイイ」
と電車のデザイナーたちは気が付く。
南海電鉄には1201型という電車があり、初期型と後期型で窓の上下寸法が異なる。
ネット等で写真をご覧いただければ、
「窓が上下に大きい方がカッコイイ」
という意味がお分かりかと。
ところが、ここで問題が生じるのですな。
幕板には、窓を開いた時の窓枠の格納場所という意味もある。
(上昇窓の場合)
しかし、
・窓の上下寸法が大きくなる
↓
・当然、幕板の上下寸法が小さくなる
(座席高さとの関係があり、腰板の上下寸法は小さくしずらい)
すると窓を開いた時に、幕板が小さすぎて、窓枠を収納しきれないという問題が出てきちゃう。
だからどうするかというと、
「桟をつけて、窓を2枚に分割する」
口(←窓桟のない窓)
日(←窓桟のある窓)
こうすれば、狭くなった幕板にも窓がキチンと収まり、問題解決。
さらには、分割した窓は当然、一枚ものの窓よりも軽く、開け閉めが楽になるというメリットまで出てくる。
だがそのうち、開くのは下半分だけにして、上半分は固定して動かなくしてしまう。いわゆる「はめ殺し」にする例まで出てくる。
この固定されて動かない上半分だが、さらに進んで、
「どうせ動かないんだから、いちいち窓枠を作ったりせずに、上半分だけは車体と一体にした方が簡単ではないか」
という意見が出てくるのは理の当然。
鋼製車体と一体化するとなると、ガラスはHゴムで固定するのが簡単だ。
↓
はい、バス窓の誕生であります。




