目撃
生まれて初めて赤い交流ELを目にしたのは中学の頃、神戸市内でのことだった。
写真を撮る友人たちに連れられてある踏切へ行ったときだったけれど、やって来た下り貨物列車の機関車の次位に、ED75が連結されていた。
「なぜこんなところに?」
恐らく300番台の新製回送だったのだろうと思って調べてみたが、年代がぜんぜん合わないことに気が付いた。
どういう理由でED75を西へ送らなければならなかったのか。
あれは何だったんだろう?
300番台をメーカーへ戻す必要性でもあったのだろうか。
分からないと言えば、高校の頃、こんなこともあった。
私は京都駅のホームにいて、そこへ上りの貨物列車が接近してきた。
あの時代のことだからワムの多い雑貨で、けん引機はEH10で、それだけでは珍しいことではなかった。
ただEHの次位に連結されていたのがEF81だったんですな。それも300番台。
当時はまだ関門トンネルで走っていたはずのロコだが、工場送りというのはおかしい。
吹田工場へ回送する可能性を考えても、目撃場所は京都なのだ。吹田よりも東になる。
これもED75と同じように、メーカーへ戻す必要があったのか?
ところが調べてみると、EF81-300のメーカーは日立で、戻すとしても山口県下松市のはず。
だからやっぱりわからない。




