修学旅行
神戸市内の某駅。ホームの特定の場所に立つたびに思い出すことがある。
あれは小学校の修学旅行の日、担任教師の引率のもと、私と同級生たちはこの駅のこの位置に列を作り、普通電車を待っていた。
普通電車に乗って、まず神戸へ行き、団体専用ホームから貸し切り列車でもって伊勢へと向かう。
修学旅行の貸し切り列車と言っても155系ではなく、キハ58-800でもなく、旧型客車の7、8連。
私の属する6年生は6クラス。つまり270人ほどだったが、ハフとハを平均して、1両84人としても、4両あればおつりがくるはずだから、他校と乗り合わせていたのだろう。
草津までは東海道線を上ってゆく。
京都の手前では左手に桂の自衛隊基地があり、当時はまだ国鉄から引き込み線が伸びていたけれど、その先にM3ハーフトラックが何台も置かれているのを見ることができた。
考えてみれば、74式戦車もまだ制式化されていない頃のこと。
京都駅で、ロコがEF58から付け替えられるが、私が狙ってわざと大きな声で、
「あっ、DD51だ」
と言ったものだから、当時はSLブームが始まりかけた頃でもあり、案の定D51と聞き間違えて、みんな大騒ぎ。
(そういえば当時、「DD51とはデラックスD51の意味である」というジョークが存在した)
草津線に入って貴生川駅までやって来た時、駐泊所のターンテーブルの上には、今度こそ本物のSL、C58の姿があり、再び全員で大騒ぎ。
ところで、最初の某駅で普通電車を待っていた時の話。
あの時代の大阪緩行線の普通電車は、103系と73系の混成部隊で、どちらがやってくるかは50パーセントぐらいの確率。
すると賭けが成立するわけで、
「次にやってくる電車は、103系か73系か?」
と私はK君に持ち掛けた。
といっても、何か物を賭けてのことではない。
少しやり取りがあり、確か私が103で、K君が73系に賭けることになったと思う。
そして数分後、ついに普通列車が姿を見せたのだが、まだ鉄道ファンでなかったK君には、どちらだかわからない。
「どっちが勝ったんだ?」
「ううん、まあ…」
私は言葉を濁して、車内に乗り込んでしまった。
もちろん姿を見せたのが73系だったからだが、50年ほど昔のことだ。
K君よ許せ。




