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ワフ


 

「ヨ」と「ワフ」の違いは、どなたもよくご存知であろう。

 ヨには車掌室があり、ワフはそれに貨物室が付け加えられる。

 だけど、さらに一歩進んで、


「じゃあ、その貨物室には何を積んでいたのか?」


 と質問されると、私などは途端に困ってしまう。

 二義的な使用法としてワフには、「荷物車の代用」というのは確かにあったと思う。

 昔の混合列車の写真を見ると、オハ61とワフが連結されていたりする。

 ある路線において、荷物輸送ももちろん行っているけれど、オハニ61が手元になかったりすれば、


「代わりにワフをつないじまえ」


 となったのではなかろうか。


オハニ = オハ + ワフ


 そして、この使用法には思わぬメリットがある。

 乗客数が少なく、客車が1両で済むような列車であっても、オハフ61ではなくて、オハ61で用が足りてしまうということ。

 終点駅に到着して、機回しのためにロコを切り離して客車を留置する場合でも、ワフには手ブレーキがあるからね。

(手ブレーキのないオハ61単体では留置ができない)

 それゆえ、ワフさえくっつけておけば、各地で引っ張りだこのオハフを用意しなくて済む。オハで代用できる。


「オハフは本当に引っ張りだこであったのか?」


 こう考えてくだしゃんせ。

 国鉄末期において、60系客車のうちで最後まで生き残ったのは、390両製造されたオハ60ではなく、109両しか作られなかったオハフ60だった。

 44系客車で最後まで生き残ったのも、スハ44(製造数34)ではなく、スハフ43(製造数17)だった。

 JR化直前、山陰線などで見られたラストラン的な旧型客車編成も、やたら「フ」の多い編成でやんした。

 国鉄は、廃車するならもっぱら「ハ」を廃車にし、「ハフ」は温存したのです。

 昭和56年、片上鉄道は国鉄から2両の客車を購入するが、この時期には旧型客車がまだ相当数、国鉄線を走行しており、だから売却されたのはオハフではなく、2両ともオハ35だった。

 それゆえ片上鉄道は、このオハ35に手ブレーキを取り付ける改造工事をしなくてはならなかった。

 国鉄にとっては、オハフはまだまだ大切な存在だったわけ。

 オハフはオハの代用をすることができるが、その逆はないから。

 少し後にオハ50系が製造されたころ、オハよりもやたらオハフが多いのを見て、さもありなんという気分だったけれど、いま調べてびっくりした。


 製造数は、

オハ50が  335両

オハフ50が 488両


 だそうで…。


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