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大垣夜行


 あの列車には当時まだ、


「大垣夜行」


 という名はついていなかったと思う。

 〇〇〇Mと列車番号で呼ぶか(数字は忘れた)、大垣発東京行きと言っていたかもしれない。

 私が初めて乗車したのは大学生の春休みだったか、あまり混んではいなかった。

 神戸からどうやって行ったのかは忘れたが、とにかく165系の車上の人になった。

 それが真夜中を過ぎ、横浜あたりで発見したのは、


「この列車は、横浜で終電を逃してしまった人たちの救済列車になっている」


 ということ。

 いかにも”飲んでいた”という感じの人が車内に何人も目に付く。午前様で東京入り。

 私が下車したのは鶴見で、時間は確か4時40分だったように思う。

 一番電車に乗るにもまだ少し早く、鶴見線ホームは薄暗かった。

 私が小学生の頃まで、大阪緩行線といえば73系の天下で、103系がやってくるのはもう少し後のこと。

 だからある時期まで、73系など珍しくもなかったのだが、いなくなるとなれば、あっという間。

 それゆえ、鶴見線における73系との再会は、


「お久しぶり」


 の一言なのだが、その後のことは自分でも意外だった。

 だってさ、3連とは言え(大阪緩行線は7連)、73系がボンボンやってくるんだもん。

 まるで現実とは思えず、あまりの出来事に脳がついていかない景色。

(あの当時、弁天橋電車区はツリカケ率100パーセントだったと思う)

 あまりに数が多すぎて圧倒されるみたいな感じ。分かります?

 結局、ろくに写真も撮らずに、私は引き揚げてしまった。


「次回こそはちゃんと腰をすえて、もう一度来ればいいや…」


 と思いつつ、そのままになってしまった。


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