表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
136/457

キット

 おそらく港のクレーンの性能が理由であろう。

 そのクレーンが持ち上げることのできる重量の限界のことを扱重きゅうじゅうと呼ぶことは、よくご存知であろう。

 想像なのだが、明治や大正時代の日本では、港のクレーンの扱重が大きくなかったのだろう。

 だから現在では、輸出入される車両というのは完成品として、せいぜい台車を外したぐらいで貨物船に積み下ろしされるのだが、もしもクレーンの扱重が低ければ?

 車両は完成品ではなく、パーツごとのばらばらの状態で到着するしかない。キットだ。


 そんなこんなで、大正11年に秩父鉄道が輸入したデキ1というELも、ご多分に漏れずキット状態でご到着。

 秩父鉄道は、この組み立てを国鉄の大井工場に依頼した。


「ほいさ」


 と大井工場はすぐさま組み立てを始めたのかって? 

 まさか! 大正時代の人々ですぜ。組み立てる前に各部を分解して、まず中身の構造を調べたのだそうだ。

 大正8年からED40の製造を自力で始めていた国鉄だけれど、アプト式でない平坦線用のELは経験がない。デキ1をその参考にしたらしい。

 そのかいあってか、平坦線用ELを国鉄が自力で開発するのは昭和3年のこと。

(EF52のことですぜ)


 碓氷峠用として輸入された3900というSLも、キットの姿で日本へやってきた。

 組み立てをどこの工場がしたのかは知らないが、アプト式のギアを左右間違えて組んでしまったらしい。

 だからいざ碓氷峠へ運んでも試運転ができず、工場へ戻して組み立てなおしたのだそうだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ