嫌いだった雨を、ほんの少しだけ好きになれた話。
雨が──嫌いだ。
古傷が疼くとかそういったことはない。だけど、どんよりとしたあの曇り空を見るだけでこちらの心もそっちに引っ張られて飲み込まれるような心地に襲われるから。
それに、特に身体が強い訳じゃない僕自身──日向晴太は雨にしばらく打たれようものなら翌日は確実に風邪を引いてしまうか弱い男子だという理由もある。
だから僕はいつ如何なる時も傘を持ち歩いている。おかげで、メリーポピンズとかいうあだ名をつけられた。もちろん、傘を差して空を飛べるなんてことは出来やしない。
それでも、変なあだ名で呼ばれる方がマシだった。僕にとっては曇り空を見ないこと、雨に打たれないこと、それらの方がもっと重要なのだから。
「……あーもう、最悪」
しかしながら、僕の気持ちは現在進行形の雨空と同じく黒く沈んでいた。
傘を忘れた? そんなはずはない。だけれども僕の手に必需品の姿はなかった。突如吹いた強風が骨組みをバッキリと折ってしまい、長年愛用し続けた相棒はお亡くなりになってしまったからだ。
何とか無人のバス停まで走って雨風を凌ぐことに成功、でも次のバスが来るまでは1時間以上待たなければならず。
田舎特有の数字が少ない時刻表を僕は恨めしく睨んだ。
「止まないかなぁ……雨」
タオルで頭を拭いたりして応急処置をしながら、僕は天に願った。とはいえ「知ったことか」と言わんばかりに雨は降り続けているので、願いは虚しく雨の音にかき消されるのみ。
それでも僕は願い続けた。瞳を閉じて、何度も何度も心の中で念じた。どうかお願い、止んでください。じゃないと僕が心身共に病んでしまいます……と、天照大神に必死に願った。
「ねぇ、ちょっと空けてくれる?」
と、遂に天が応えたのか天照大神は僕に話しかけてきた。
だけどもなんか言い方がフランクだし、そもそも逆に問いかけてきてるし、それに……これは女の子の声だ。それも、聞き覚えのある声。
「あっ……」
声のした方に顔を向けると、僕はそこでハッとした。
そこにいたのは、水も滴る綺麗な女性、もとい僕のクラスメイトの女子生徒──天津水レインだった。
「ねぇ、聞こえてた?」
「あっ、うん。ごめん」
僕はすぐさま彼女の分のスペースを空けた。そのまま、天津水さんはお礼の言葉を言うまでもなくその場所に座る。
天津水さんのこういう所が僕は苦手だった。なお学校では男女を問わず大人気だ。テレビで見る都会の女優とかと比べても、静謐で洗練された透明の水のようなその美しさは目を見張る。
日本人らしい黒髪と日本人離れした蒼の瞳のコントラストは、雨に打たれたこの日でも息を飲むほど美しかった。
けれども容姿は良いとしても、この性格が苦手になる一番の要因だった。
今もなお降る雨のように容赦なくこちらの都合を考えないような言動は、彼女が圧倒的な美貌を持っていなければクラスでも顰蹙を買いまくっていただろう。それこそバーゲンセール並に。
ん? よくよく考えたら、天津水さんもここに雨宿りしに来たってことだよな。それって、雨が降り止むかバスが来るまでずっと一緒にここにいるってことだよね、二人きりで。
なんという地獄……雨で憂鬱な僕の気持ちはさらに落ち込んでいく。天照大神はなんということをしてくれたんだ。せめて天津水さんに傘を持たせて差し上げれば良かったのに。
「何、空睨んでるの?」
「あっ、いや……早く止まないかなって」
「ふぅん」
空を睨みつけるのを見られて恥ずかしい。けれども、彼女が一切気にしてなさそうなのが唯一の救いだった。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
雨音が沈黙の気まずさを和らげてくれたり……はしなかった。なんならいたたまれない気持ちを余計に増長させるくらい。
田舎とはいえスクールカーストの頂点に君臨する彼女と、身体が弱くて学校にあまり行けてない上に友達もいなくてこれといった特技がある訳でもない地味な僕。
共通の話題なんて何もなかった。同じクラスであるだけ……それだけの関係だった。ただそれも、人間としての価値やスペックで見れば平等ではなかったのだった。
ピコンっ。
「……ん?」
雨音にかき消されなかったその電子音は、僕と距離を取った隣から聞こえて来た。
少しだけ横目で見ると、気がついた僕の声になんて一切構わず自身の携帯電話に視線を落とす天津水さんの姿が。
それから、隣に僕がいるということを忘れているかのように音量ダダ漏れのまま天津水さんは携帯のゲームをし始めた。
ピチュン、チュオオオオン、ポッポッポッピー、チュインチュインチュイーン。
そんな感じのコミカルな音が次々と聞こえて来る。しかしどうにも、それは聞き覚えのある音であった。
「……ちえっ、やられちゃったか」
ズゥゥゥゥン……。
そんな落ち込むような感じの効果音の直後に聞こえて来た彼女の呟き。それで僕は確信に至った。
彼女がやっているのは''フォトンナイト''、三人称視点シューティングであり、フォトンという文字通り”光子”がモチーフの携帯用ゲームだ。
シンプルな操作性とは裏腹に武器の種類の多さから生まれる奥深い戦略性、光子であるが故の色鮮やかな世界観に自由度の高いキャラクタークリエイト、大型コラボも頻繁に行いガチャの確立もさほど渋くないため無課金勢にも課金勢にも楽しめる人気のアプリだ。学校でもカースト上位の人達が毎日騒がしくやってるのを恨めしく見つめるのが僕の日常となっている。
でも、天津水さんがやっているのはこれまでに見たことがなかった。僕の記憶の限りでは取り巻きに誘われても首を横に振っていたか「興味ないから」で無碍に断っていたはず。
「チッ、芋プレイばっかしやがって……出てこいやオラぁ」
僕が推理する中、最早自宅でプレイしているかのように天津水さんは盛大に独り言を放っていた。
僕のことを一切気にしていない、存在していないかのような扱い。本来だったら悲しむべきことなのだろうけど、それが今は逆に好都合だった。
僕はそれから、独り言を漏らしながら”フォトンナイト”をプレイする天津水さんをひたすら見続けた。
正直に言うと、彼女は上手い部類だった。狙いは正確、咄嗟の判断力も優れていて近接戦ではかなりの勝率を誇っている。ただ……
「あークソっ。芋野郎が」
そんな文句と共に、舌打ちをしながら画面を睨みつける天津水さん。
彼女はとにかくガンガン距離を詰めていくタイプで、建物など一ヶ所に留まって安全圏を確保し相手を倒す、いわゆる”芋プレイ”をする相手には相性が悪かった。
もちろんそれはそれで戦略であることは否めない。だけども、”芋プレイ”に徹せられるのは対戦していて気持ちの良いものではないだろう。特に、天津水さんは近接での撃ち合いを相手にも望んでいるような節があるので尚更だった。
「ねぇ」
「へっ?」
「さっきからジロジロ見てて何なの? 気が散るんだけど」
「えっ、あっ、ごめん……」
ストレスが頂点に達したのか、八つ当たり気味に僕に吐き捨てる天津水さん。でも同じ立場だったらと思うと、確かに画面を隣からジロジロ見られるのは気が散って仕方がない。先程から精彩を欠いた動きを連発していたのは、僕のせいだったのかもしれない。
興が冷めたのか、天津水さんは一度アプリを閉じて空を見上げた。ブスッとした顔もそれはそれで可愛いけれども、自分のせいであの表情をしているとなると僕の気持ちはますます曇り空となっていった。
「あの……天津水さん」
「何?」
「良かったら、”フォトンナイト”一緒にやらない?」
その言葉に、天津水さんの顔は不機嫌なものから一転して驚きに満ちていた。
僕自身も内心驚いていた。教室でも誰かを誘うことも誘われることもなく、ただ家でひたすらソロでやっていた僕の口からこんな言葉が飛び出るなんて。
「私が、あんたと……?」
「う、うん。僕も一応”フォトンナイト”やってるんだ。天津水さんさっきから惜しい所まで行ってて、何とか1位にしてあげたいなって……駄目かな?」
「……ふーん」
天津水さんはそう言うと、まるで品定めするかのような瞳を僕にぶつける。その刺すような視線に僕は生唾を自然と飲み込んでしまっていた。
雨音が再び沈黙の時間を穿ち、余計に緊張感が増していく……そんな中で。
「じゃあ二つ約束して。私の足を引っ張らないことと、私が”フォトンナイト”をしていることは学校の誰にも言わないこと」
「う、うん。分かった!」
条件付きではあるけれども、なんと天津水さんは了承してくれた。驚きと嬉しさに僕は思わず声が裏返った。
ん? どうしてこんなに嬉しいんだろう……? と、その理由を追求する暇もなく、天津水さんはアプリを起動していて僕も慌てて自分の携帯を弄った。
「”Thanatos2666”……これがあんた?」
「そうだよ」
「ふーん。なんかどっかで……まぁいっか。じゃあ、始めるよ」
「う、うん」
フレンド追加も滞りなく行い、僕と天津水さんの戦いが幕を開けた。
「おー、最初から激戦区に降りるんだね」
「当たり前じゃん。物資のんびり探しながらなんてつまんないし。文句でもあんの?」
「いや、生き残れるよう善処します」
マップの中央付近、夜の空を貫く摩天楼の建物が密集する激戦区とされる区画を迷わず選んだ天津水さんに僕はタジタジだった。基本的に激戦区とされる場所は良い物資や装備が揃いやすい分、それだけ人も多く集まり混戦となりやすい。しかも最初に降り立った場所によってはショボい装備が落ちていることもあり運ゲーの要素も強い。
僕はどちらかと言えば最初に激戦区には降りたくないタイプだ。天津水さんとはまさに逆だ。
「おっ、結構良いの落ちてるね」
「喋ってないで手を動かして」
天津水さんに怒られながらも、今回は中々に好スタートだった。
武器も防具も回復用アイテムも滞りなく揃っている。ベストという訳ではないけれども序盤を凌ぐには十分な装備だった。
「じゃあ行くよ」
「了解」
装備が整ったとなると、天津水さんはすぐに動き始めた。
周辺から聞こえて来る物音や銃声から、近くにいる相手はざっと10人ほど。撃墜ログなどを見ても早速ドンパチが始まっているか、中には物資が揃わなかったのか拳で倒す人もいたみたいだ。
それはそうとして、天津水さんは最短距離で相手との距離を詰めていく。序盤は相手の装備が整っていないこともあるので、この選択は正解だった。
辿り着いたのは二階建てのバー。そして、足音や物音は明らかに2階から聞こえている。
「突っ込むよ」
「うん」
天津水さんの合図で僕らはバーの中へと押し入った。
先陣を切るのは天津水さん、その背を追うのは僕。しっかりと周囲の物陰に隠れていないかを索敵しながら、足音などが聞こえた二階に一気に押し進む──ところで。
「天津水さんストップ!」
「──‼」
ギュイイイイン、という独特の駆動音。それに気がついた僕は咄嗟に叫んだ。
天津水さんもそれにすぐに反応してくれて足を止めた。もう二階に辿り着こうという所に、巨大なレーザー砲の光が眩く輝いていて。その光はドアごとぶち破って天津水さんの頭の上を掠めていった。
「あっぶな!」
「よし、詰めよう!」
「うん!」
レーザー砲の威力は絶大で、当たれば最高レアリティの防具を身につけていても一撃で瀕死になるロマン武器だ。故に芋プレイヤーの中でも愛用されているが、ハイリターンには当然ハイリスクがあり一発撃つと再充填に時間がかかるというデメリットがあった。
だからこそ今詰めれば必然的にこちらの有利になる。叫ぶまでもなく天津水さんはそれを分かっていたとは思うけれども、僕は思わず指示を出してしまっていた。
「貰ったッ‼」
二階に侵入を果たすと、天津水さんはその実力を遺憾なく発揮した。
相手は部屋の隅に2人。しかし片方はレーザー砲の発射による再充填に時間を費やしていて、実質自由に動けるのは1人のみ。
1人が連射型の武器を用いて弾幕を張るが、その間を縫うようにして天津水さんは距離を詰めていき、近距離でなら威力が格段に高い散弾銃型の武器を2発撃ち込む。それで1人は瀕死状態となった。瀕死状態になると、味方から回復して貰わない限りは地べたを這いずり回ることしか出来なかった。
片方は瀕死、もう片方は再充填中。最早余裕の戦況……そう思った瞬間だった。
僕の瞳に、いないはずの存在が映る。2人で行うタッグマッチにはいないはずの……3人目が。
「ッ!?」
天津水さんがそれに気づいた時には既に遅く、3人目の敵は彼女と同じ型の散弾銃型の武器を持っていて。銃声が1発鳴り響いた。
それだけで、5段階にレアリティが分けてある内の2段階目までの防具しか手に入らなかった天津水さんの体力《HP》は瀕死寸前にまで減った。もちろん、敵は間髪入れずに次の一撃を放たんとしている。その間は0.5秒にも満たないほんの僅かな時間。
でも僕には、それだけあれば十分だった。
「……へっ?」
数秒後、天津水さんは驚きの声を漏らした。
二撃目を撃たんとした相手、そしてレーザー砲を再充填していた相手が倒れたことで。
「えっ、何これ? なんで倒れたのこいつら」
「あぁ。頭を射撃したんだよ」
「ヘッショは分かってるって。でも、あんたのその武器……そもそも狙撃銃じゃん?」
「うん。いつもこれ使ってるんだ」
僕は武器を掲げる動きを見せて天津水さんにアピールしたけど、天津水さんはぽかんとしていた、ゲームの中でも現実の方でも。
確かに、狙撃銃で近接戦を行う人は珍しい……というか滅多にいないだろう。レーザー砲には劣るものの威力は銃の中ではトップクラスだし、強いっちゃ強いけれども連射には向いてないし。そもそも近接戦で威力高めのものを使いたいならそれこそ天津水さんが使っているような散弾銃型の武器を装備すれば良い話だ。
ただ、僕は普段のプレイでも常に狙撃銃を装備している。使い慣れた武器の方が戦いやすいからこそ、近接戦に不向きと分かっていても使ったに過ぎなかった。
「あ、あんた狙撃銃で至近ヘッショとか常にやってんの?」
「まぁ、そうだね。でも今回はたまたま上手くいっただけだよ。普段だと命中率は5割くらいかな。エイム力をもっと鍛えないとね」
「……」
あ、あれ? 天津水さん黙り込んじゃったな。
とは言え仕方ないか。命中率5割は端的に言えば2発に1発は外れるってことだしなぁ。下手だと思ってるに違いないか……。そもそも成功率半分くらいで仲間の命を天秤にかけるのは狂気の沙汰だと思われてるかもしれない。
「……ま、まぁ助けてくれてありがと」
「えっ? あ、あぁ、うん。当然だよ」
お叱りの言葉を覚悟していた僕だったけれども、天津水さんは許してくれたみたいだ。
寛大な心に感謝しつつ、僕と天津水さんは再び激戦区の渦中へと身を投じていったのだった。
「あんた、中々やるじゃん」
「えっ? そうかなぁ、ありがとう」
マッチが開始されて20分ほど経過して、残り10人を切ってマップも狭まった中、唐突に天津水さんがそう話しかけてきてくれた。
「私が10キルであんたが15キル、でも私の前衛があるからこそあんたがおこぼれを貰えてることに感謝しなさいよね」
「あはは、分かってるって」
もちろん身の程は弁えている。それを間違えることはない。
にしても今日は本当に調子が良い。何せ、倒した敵は全て頭部への射撃での撃破だった。普段一人でプレイする時ですらこうはならないのに……。
天津水さんと一緒にプレイしてるから、なのかな?
「ふーん、あんたも笑うんだ」
「えっ?」
「今、明らかに笑ってたじゃん。いっつも教室だと曇り空みたいにどんよりした顔してるのに」
天津水さんに指摘されて僕は驚いた。
笑ってる? この僕が? 誰かと一緒にいて?
そんなこと、ここ最近というか高校に入ってからはほぼ記憶になかったのに。
「なんであんたってあんなにどんよりしてんの? 今のこの空みたいにさ」
「……」
「ほら、その顔だってば。学校、楽しくないの?」
「……楽しくないよ。だって僕には……何もないから」
「何もない?」
「天津水さんには分からないと思う。天津水さんみたいに綺麗で可愛くて、友達もいっぱいいて勉強も運動も出来て、何もかも持っているような天津水さんには……何にも持ってない僕のことなんて」
酷いことを言った。その自覚はあった。
だからこそ、僕の顔は天津水さんに指摘された時よりも落ち込んで見えたことだろう。心なしか雨の音が強くなったような気がする。
そして、天津水さんは幻滅したに違いない。スクールカーストの底辺にいる僕が口ごたえをしたのだから。しかも、ほぼ僻みのような形で。
明日からいじめられるかもしれない、そんな予感さえしている中。少しの間黙っていた天津水さんが口を開いた。
「日向は、このゲーム好き?」
雨の音を容易にかき消して、その言葉は僕の耳に届いた。
そして雨が静かに染み入るように、その言葉は僕の心に届いた。初めて呼んでくれた苗字と共に。
「……うん、好きだよ」
「だよね。じゃないと相手を全員ヘッショで倒すほど上手くなんてなれないよね。だったら、日向はこのゲームが好きっていう想いを持ってるじゃん」
「想い……」
「だったら、何にもないことないって。好きなものがある人が何も持ってないだなんて、そんなことないと私は思うよ」
もう、雨の音は聞こえなかった。
もう、雨の空も見えてなかった。
僕の意識は、ただ目の前の微笑みに向けられていた。
こんな近くで見ることなんて一生ないと思っていた、天津水さんの微笑みに。
「……ありがとう。天津水さ──」
伝えたかった言葉。
それは突如響いた雷鳴と……銃声によってかき消された。
「ひゃあっ!?」
直後に聞こえたのは天津水さんの悲鳴。
画面に映ったのは瀕死状態となった天津水さんのキャラクターだった。
「天津水さんっ‼」
天津水さん(のキャラクター)を抱きかかえて、すぐさま物陰に隠れる。
身を少しだけ乗り出してスコープで様子を窺う。ここから当てられる狙撃ポイントを絞りつつ、敵の姿を探す。いた。距離にして450mほど。マンション型の建物の中に動く影が……。
「……7人……!?」
確認を終えるとすぐに身を戻した。
しばらく絶句した。僕と天津水さんがやっているのはタッグマッチ、つまり2人組で1つのチームを作るもので、言うまでもなく3人以上で1つのチームを作ることは出来ない。
だけど、あの建物の中にいる敵の数を見てハッキリと分かった。序盤の3人目も含めて、全ての謎が。
「あいつら……”チーミング”していたのか!」
”チーミング”とは不正行為の一種で、本来敵同士であるプレイヤーが連携を取り合い、互いは攻撃し合わず他のプレイヤーを撃破していくという行為だ。
だが不特定多数のプレイヤーとマッチをするというシステム上、その場ですぐ連携を取り合うのは不可能だ。だからこそこういう時はボイスチャットを仲間内ではなく全体に聞こえるようにして話している可能性が高い。
僕はボイスチャットをオンにし、自分の声はカットして全体で話している人達がいないかどうかを探った。
【ウェーーイwww 一人やったった!】
【翔ちゃんお見事!】
【あと残り2人だし余裕じゃねコレ。ちょっとトイレ行ってきて良い?】
【私は一向に構わんッ!!】
【ザスケェ! そこの棚のウォレオ取ってウォレオ!】
【りょ】
【相手突っ込んでこねーな。このままでも安地外で死ぬっしょ】
騒がしい声が一気に聞こえて来る。聞いたところ、同じくらいの歳で高校生くらい。
というか、それ以前に……。
「これって……同じクラスの……」
「うん。高橋達だよ」
「!」
僕の疑念は天津水さんの肯定によって確信へと変わった。
いつも取り巻きでもある高橋達。いつもゲームに誘う高橋達……そんな彼らと天津水さんがプレイをしない理由は……。
「高橋達は、チーミングを誘ってくるの?」
「うん」
これでようやく合点がいった。
天津水さんは良くも悪くも正々堂々の勝負を望む気質だ。そんな彼女がチーミングという不正に手を染める高橋達と一緒にやりたいと思うはずがない。
「私ね、どんな時でも自分に素直でありたいんだ」
「素直に?」
「思ったことを言ったり、やりたいことをやったり、自分らしくありたいって」
瀕死状態から回復させていると、おもむろに天津水さんが話し始める。
素直でありたい、だからこそ天津水さんは言い方が容赦なかったりするのか。
「このゲームだってそう。私がやってるような正面突破は、勝つには向いてない。芋プレイの方が適してるって、分かってるよ。でも……それでも。私は、私を貫きたい。素直で、ありたいんだ」
回復が終わり、天津水さんのキャラクターが立ち上がる。
何度も見たそのモーションは、どこか力強く見えた気がした。いや、きっと気のせいなんかじゃない。
天津水さんの気持ちが……想いがそれには宿っていたから。
「……もう安全地帯の縮小まで時間もない。……天津水さん」
「うん、分かってる。やることはさっきと一緒だよね」
僕と天津水さんはそこで顔を上げて、見つめ合いながら言った。
「私が攻めて」
「僕が守る」
そうして僕らは武器を構えて。
僕が光子による煙幕を張ったのを合図に、同時に物陰から飛び出した──。
「ったくマジで信じらんねー。あの状況で負けるとか」
「相手ゼッテーチート使ってるってあれ! だって普通あり得ねえだろ! 1発もヘッショ外さねえとか!」
「前衛の奴も動きヤバい、ってかキモかったよねー。上手すぎて逆に引くわー」
「躊躇なく突っ込んできやがって、回復くらいさせろってのクソが」
「お前が序盤で仕留めそこなったからだぞ」
「は? あのスナイパー野郎に至近ヘッショされた雑魚に言われたくないんですけど」
「つーか通報したよな? なんかしらチート使ってるわあれ絶対」
翌日。
今日の天気も雨。黒く濁った雲が空を覆い、雨音がしとしとと世界に響く。
しかし、教室に響き渡るのは雨音ではなく騒がしい声の数々。教室の中央に集まって話す高橋達の声だった。
結果から言えば、昨日の戦いは僕と天津水さんの勝利で幕を閉じた。
勝利が絶望的だったあの状況で、僕も天津水さんも神がかったプレイを見せた。僕は一発も外すことなくヘッショを決め、相手が回復している間に天津水さんが距離を詰めて圧倒した。
真っ当な手段、方法で勝った。なのに、高橋達と言えば自分達の不正行為は棚に上げて寧ろ僕達を通報する始末。これは確かに、天津水さんが一緒にプレイしたいと思わないに決まっている。
「つかさ昨日のあのクソ共の片方、”Thanatos2666”っていたじゃん。あいつ、プロも一目置くプレイヤーらしいよ」
「マ?」
「だってこの動画とかSNSとか見てみ。名だたるプロが絶賛してるし負けてて悔しがってる。なんでプロじゃないのかとすら言われてるくらいだよ」
「そんな奴だったのかあのスナイパー野郎。だったらまぁ負けてもしょうがないか。クッソうぜぇけど」
……え? 僕ってそんな風に言われてるの?
普段動画とか見ずにひたすらプレイしてるだけだしなぁ、全然知らなかった。でも、プロの人にも褒めて貰えるなんて嬉しいな。
と、思わぬ所で自分が凄かったことに気付いていた矢先、教室がわっと沸く。
「天津水さん! おはよーっ‼」
その声を真っ先に発したのは取り巻きの中でも最も彼女に馴れ馴れしい男子生徒、高橋だった。彼を初めとして、教室は彼女への挨拶で溢れかえる。
「おはよ」
今日も今日とて天津水さんはそっけなく、全員分への返事をそれだけで済ませて自分の席に座っていた。しかし、天津水さんはそっとしておいて欲しいだろうに彼女の周りには人だかりが出来ていた。
「天津水さん、今日こそは一緒にやろうぜ”フォトンナイト”!」
「またその話? 別に良いって言ってるのに」
「いやマジで楽しいから! 天津水さんだって楽しめるって絶対に! 俺が保証するから!」
「ふーん。10人もいてたった2人にやられるクソ雑魚のくせに?」
その一言は、まさに雷鳴が如き衝撃で教室中を伝う。
言われた高橋も周囲の取り巻き達も、皆が顔を凍り付かせている。絶句と呼ぶべき状態だった。
「な……なんで……それを……?」
「そりゃあ決まってんじゃん。昨日あんた達をぶっ倒したの、あたしだし」
ようやく絞り出した震える声に、容赦なく真実を告げていく天津水さん。一体、今の高橋達の心境はどういったものなのか、察するに余りある。
対して、言った方の天津水さんはと言うとどこかスッキリしたような面持ちでいた。自分に素直でいたい、それを貫き通せたからだろうか。
と、僕も何故か満足感を覚えていた所で「あ、さっきのちょっと嘘入ってた」と天津水さんが言って。おもむろに、教室の端……僕の席の方に歩いてきて。
「あたしと日向、だった」
隣に立つと彼女は誇らしげに微笑みを浮かべていて。
僕は、そんな天津水さんに見惚れずにはいられなかったのだった。
雨が──嫌いだった。
でも今では。天津水レインというただのクラスメイトでしかなかった彼女のことを知ることが出来た今では。
嫌いだった雨も、ほんの少しだけ好きになれた。