わかりやすい現代語訳シリーズ その6 論語 より いくつか
「論語」より、高校の教科書にも載るくらいの名句を、いくつか現代語訳してみました。
◯人から教えてもらったことを、機会をみつけては、何度も復習するのは、嬉しくないであろうか、イヤ、とっても楽しいことである。
◯世間の人が、自分を認めてくれなくても、腹を立てない人がいたら、その人は、立派な人格者だといえないであろうか、イヤ大変な人格者だということができる。
◯由よ、おまえに、ほんとうに知るとはどういうことか教えようか、ほんとうに知っていることだけを知っているとし、知らないことは知らないと認めること、これがほんとうの知るということなんだよ。
◯子貢が質問をした。「ただ一言で死ぬまで通用する教えというものがありましょうか」
孔子先生が答えた。「それは、思いやりだろうなあ。自分が、他人からされたらイヤだと思うようなことは、他の人にたいしても、せぬことじや」
◯粗末な食事をして、水を飲み、ひじを枕にして寝るというような質素な生き方の中に、ほをとうの楽しさがある。悪いことをして、金を儲け、高い地位にのぼるなんてことは、私にとっては、浮き雲のように遠く、愚かしい世界のことだ。
◯徳の高い人(人格者)は、自分が生き延びようとして、道徳にそむくことはない。たとえ、命を捨てても、道徳を守ろうとするものだ。
◯国民をみちびく道具として、権力を用い、刑をふりかざして、秩序を守ろうとすれば、国民は、法律違反をしても、恥ずかしいとは思わない。しかし、道徳や礼儀で国民をみちびけば、それに反した時、恥ずかしいという気持ちになるので、悪いことはしなくなる。(=徳治主義、徳治思想)
◯葉の国の王様が言った。
「わしの国には、正直者のキュウという男がいる。オヤジが羊ドロボウをした時、その子が証人になったほどだ」
それを聞いて、孔子が言った。
「私の所の正直者は、ちがいますね。オヤジは、わが子が悪いことをしてもかばい、子は、オヤジが悪いことをしてもかばおうとします。自然な人情(これこそが正直)というものは、そういうものではないでしょうか」
◯私は、15歳で学問に志を立てた。30歳でひとり立ちの自信がついた。40歳になったら、あれこれ迷うこともなくなり、50歳では、(神様から)自分に与えられた使命というものがわかるようになった。60歳では、人の言葉が、すなおに聞けるようになった。70歳になると、したいと思うことをしても、道徳に はずれるようなこともなくなった。
◯指導者が、道徳的にキチンとしていたら、無理な命令を振り回さなくっても、その組織はスムーズに動く。指導者が道徳的に間違っていたら、いくら厳しく命令しても、組織は、うまくは動かない。
◯人から教えてもらうだけで、自分で考えようとしなければ、なかなか真理はつかめない。その反対に、自分で考えるだけで、人から教えてもらおうとしなければ、間違った結論を出す恐れが強い。
◯過ちをおかして、あらためようともしない。これこそが、ほんとうの過ちというものだ。
◯うまいことを言って、愛想よくふるまっている人には、まごころは、ほとんどない。
(元は、「巧言令色、すくなし仁」です。孔子が、安倍首相のことを予言しているような気がします)
わかりやすかったでしょ?