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渇望の果てにある幻想

「……結局、無かったんだ」



 耳の奥から響く風鳴りの音が、鼓膜を破り脳漿を揺らして止まない。

 その痛みと苦痛は、思わず喚いてのたうち回る熾烈なものだが、実際は一言も発することなく背を預けているのみ。


 咄嗟に耳を抑える筈の腕は既に存在せず、枯れ果て錆びた喉から産まれるのは、声にならない思念。

 喉から伝い流れて行く思い。

 それは身体を通して壁に伝い、反射しては消えゆくもの。



 そうーー




 ーー幻想なのだ。



 結局の所、それは何者にもなれぬ、哀れで愚かな誰かの思念。

 全てが清算される前に、振り返っているだけの過去。

 ただ思い馳せる記憶。


 ……消えゆく前の、ほんの些細な抵抗である。



「ーー分かっていた……知ってたよ」



 その思念は誰に言う訳では無い、唯一人の己に問い掛ける言葉。

 それは後悔であると同時に、全てを認めた証。

 己に住む願いを、真に受け入れた瞬間だ。

 今更受け入れた所で、何かが変わる訳では無い。

 ただ虚空を彷徨い、全てが無かった事になるだけ。

 そうして、俺の人生は終わりを迎える。


 命を燃やして闘い。


 魂を削りて抗い。


 存在を捧げて消えゆく。


 それだけ。

 

 穏やかに己の構成する全ては崩れ落ち、吹き抜ける風に運ばれては溶け込み姿を見失う。

 まるで、浜辺に構築された砂の城の如く、さざめく波に呑まれて消える。

 初めから。

 そこには何も無かった。

 そう主張するように。

 足跡一つ残す事なく、全てが逆巻く。


 そういう風にして、俺は死に消えゆく。


 やがて、思考すらもままならなくなり、形を構成するのが困難にたるだろう。

 一度崩れ落ちた砂の城は、誰の手にも止める術はなく、ただ黙って流れていく。


 全てが消えるこの瞬間。

 最早何もかもが曖昧で、一寸前の事すら忘れてしまう。

 感覚という機能は既に停止しており、おおよそ生物が存在する為の器官は果てている。



「……」



 だが、こんな瞬間だからなのだろうか。

 終わり際だからこそ、認めたくない想いが溢れるのか。

 だから、こんなにも。



 ーー生きたいと、強く願ってしまうのだろうか?



 分かっている。

 そんなのは身勝手で、赦される事ではないことを。


 でも。

 それでも。

 例え叶わぬ愚かでくだらない願いだとしてもーー



 ーー生きて……いたかった……



 この身は既に血で濡れていて、愛する者はおろか誰にも顔向け出来ない。

 あの時から、最早戻れぬ道を歩んでいた。

 その道が破滅に続くと知りつつも。

 その内に潜む想いと矛盾に揺らされても。

 知らぬ振りを続けて、此処まで来てしまった。


 本当は分かっていたのに。

 本当は知っていたくせに。

 本当はその通りにしたかったのに。


 ーー大罪を犯して続けたツケが、回ってきた。

 結局、業に呑まれたものは、その螺旋に喰われて知らず内に殺されるのだ。


 殺した者は、いずれ殺される。


 世界はそういう風に出来ていた。

 例えその想いが優しく穏やかなものでも、業に取り憑かれた者には叶わない。

 幻想にしか成り得ない罪。


 過ちを犯した者に救いは無い。


 それが世界の心理。

 それが、俺の清算だ。


 だから、仕方ないんだ。

 そうするしか……道が無いからーー



「ーーでも、それで、も……生きーーて、幸せに、してあ……げーーーーーー」



 ーー全ては、過ぎ去りし日々。

 二度は帰れぬ、幸せな場所。

 後悔した所で、戻れない楔。


 でも。

 それでも、穏やかな心根で消えゆくのは、矢張り最期だからなのだろう。

 今まで認める事が出来ず、存ぜぬ振りをして来た。

 求めていたものは直ぐ近くにあったのに。

 その行動が、全てを示したのに。

 分からない振りをし続けてきた。


 だが、それはもう終わりだ。

 もう偽る必要は無い。

 今なら、きっと思える。



 ーー安らぎを……ありがとうーー



 ーー何もかもが曖昧なこの瞬間。

 最早思考は意味を成さず、感情だけが動き回っては風に運ばれて霧散していく。

 既に身体は消え去り、存在の欠片だけが宙を舞いながら木霊する。

 やがて、全てが消える前に。

 その想いを伝えるように、ただ穏やかに舞う。


 この世の全てから、存在が消える瞬間まで、いつまでも、いつまでも舞い続ける。




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