第二十話 これは主人公の危機ですか? A.はい。柄にもなくピンチです
更なる"フライ"の能力とは……
―解説―
あの後、蝿帝は更に二つのフライが擁する能力を明らかにした。サウスの語った十字大陸の昔話に曰く東西それぞれの国を治めていた二人の王に由来するという『大義』と『仁愛』の能力である。
それらは方角に於いて対を成す為かどちらも同じ部類の能力であった。即ち『自身に対する肉体強化』である。しかも特徴的なことに、『大義』と『仁愛』の能力はただ単純に自身の肉体を強化するだけのものではない。その強化は『自分に対して周囲が抱いている感情』を基準に度合いが変化するのである。
端的に言えば『大義』は自分に向けられている敵意等のネガティブな感情に応じて主に筋力や瞬発力を向上させ、総合的な攻撃力の強化を行う。一方『仁愛』は自分に向けられている好意等のポジティブな感情に応じて骨格や筋肉の強度を増し加える等の方法で、総合的な防御力の強化を行う。この内『仁愛』の能力については明確な自我と知性を持つ配下の全滅した蝿帝にとってそのままではほぼ意味をなさない無用の長物となっていたが、然し一方『大義』の能力については(侵攻の期限を宣言より早めたこともあって)全世界の者が彼に敵意や憎悪といった感情を抱いており、その結果蝿帝の総合的な攻撃能力はそれまで彼自身でさえ想定し得なかった程にまで上昇。繁に及ぶダメージも常軌を逸したものとなっていた。
―前回より・蝿帝軍本部―
「っ……くそ、が……」
「ふむ。優れているのは精々小手先の技と逃げの足捌き、その他は大概平均かそれをも下回る程度か……哀れなものだな椿刺象よ。少し前までの威勢はどこに行った?」
「……っ……ぁ」
「言葉を発する力も残っていないとは、いよいよ無様な姿よな」
動かぬ繁の側へ歩み寄り、蝿帝は静かに手刀を掲げる。
「本来ならば活動体を仕向けて蜂の巣ならぬ"蝿の巣"にでもしてやる所だが……特別にこの手で葬ってやろう」
振りかぶった蝿帝の手刀(大気中へ真空波を生じさせ触れずして万物を切り裂く程のスピードを誇る)が、容赦無く振り下ろされる――刹那、何者かが二人の間へ割って入り凄まじい力で蝿帝を突き飛ばした。
「ぐぉう!?」
突き飛ばされた蝿帝は分厚い壁に頭から減り込み身動きが取れなくなる。一方割って入った何者かはそんな蝿帝になど目も暮れず、瀕死同然の繁へ手を宛てがい何かへの祈りらしき言葉を囁き続ける。
「――……――……」
すると一体何事か、繁に手を宛てがう何者かの身体から黄金色の光がオーラのように溢れ出す。光はやがて傷口を伝って繁の体内へ流れ込み、瞬く間に彼の傷や疲れを癒していく。何者かが祈りを終えるのと同時に光も弱まり消えていく。そしてそっぽを向いた何者かは苦しげに何度か咳込み、長い体毛に覆われ滅多に見えることのない臼歯だらけの大口から煙と見紛う程に大きな蝿の群れを吐き出した。激しい羽音を立てて飛び回る蝿の群れは、吐き出されて一分と待たずに跡形もなく消滅してしまった。
「(傷が深かった分、かなりの量を吸わねばならなかったが……この男にここで死なれる事に比べれば、この程度……間に合ってくれよ……)」
何者かの思いが通じたのか、瀕死同然だった繁は完全に癒され意識を取り戻す。
「ん……こりゃ一体……?」
「気が付いたか」
「あ、あぁ……まぁ、な。一時は死ぬかと思ったが、気付いたら何故だか無事だった……あんたが助けてくれたのか?」
「如何にもそうだ。君の傷は私が癒した」
「……そうか。どこの誰か知らんが助かった、有り難うな」
「礼には及ばん。私も君に死なれては困るのでな、当然のことをしたまでだ」
「そうなのか……ところで、あんた誰だ? 俺は辻原ってモンだが」
「おっと、すまんな。申し遅れた。私は――「貴様、ウィア・ウィリディス! よくも無礼た真似をしてくれたなぁ!?」
何者か――もとい、毛むくじゃらの黒い巨漢ことウィア・ウィリディス――の言葉は、壁から脱してきた蝿帝の怒鳴り声に遮られる。怒鳴られたウィリディスは『名乗る手間が省けたな』と言って立ち上がり、蝿帝と向かい合った。
「やあ、久し振りだね蝿帝閣下。あの時以来どうなったのかと不安だったけれど、相変わらずなようで安心したよ」
「ああ、久し振りだなウィリディス。私はこの通り壮健だとも――貴様が居なくなってくれたお陰でな。寧ろ前より気分が良くなった」
「酷い言い草だな。かつて一心同体だった仲だろう?」
「ああ、かつてはな。だが今は違う。私は貴様を取り除き、捨て去った。……貴様こそ何だ、そのなりは。猩々の真似事か?」
「せめて熊と言って欲しいね。詳しくは省くが、必要に迫られてのものだよ」
「そうか、まぁいい。……何にせよ、切除された虫垂の分際で再び肉体へ戻り炎症を引き起こすとは愚かな奴よ。最早無事では済まさんぞ」
「あのさぁ――」
「無事で済まされないのはどちらだと思うね? 確かに私は無力だが、此方にはこの男がいるんだぞ」
「ちょっと待てそれは――」
「ほう、その男が貴様の頼みの綱か? 先程私にコテンパンにやられては無様に死にかけていたのを貴様が必死で助けたその男が?」
「うん、まさしくそうなんだけど――」
「今日日コテンパンって正直古くないか君」
「だからさ――」
「言う程古くもないだろ。というか私の言い回しが古かろうがその男が私より弱い事実に変わりはあるまい」
「それな。本当それなんだがよ――」
「何て無礼な奴だ。それでも年長者か君は。なぁ邪なる、何か言ってやったらどうだ?」
「……そうかい? なら言うが――」
訳も分からぬまま蝿帝とウィリディスの言い争いに巻き込まれた繁は、数回深呼吸してからストレートに言い放つ。
「ウィリディスさん、だっけ? あんた一体何だよ?」
ごもっともです