第十五話 びみなしっ!
蝿帝軍最狂の男、ニオ・セイ。その狂気の真髄とは……
―前回より・フェリキタス島の一角―
「キヒヒヒ、ヒキキキキキ、キヒキキヒキキキヒヒキヒィ……」
ケラスと丸藤の眼前へ突如として現れた、蝿帝配下の男"ニオ・セイ"。ただでさえ不気味で恐ろしげな顔面をより一層歪に歪ませて笑うその様子は、基本的に民間人のケラスや、武器としての攻撃性能に反して穏やかな性格である丸藤を恐怖で震え上がらせるには十分過ぎた。だがそれでも――否、それだからこそ二人は臆さず毅然と立ち向かおうと心に誓った。
「(こいつ……見るからに変質者っていうか、どう見てもまともじゃない……)」
《(ともすれば、ここで臆し怯えるようなそぶりを見せようものなら、奴を付け上がらせる……)》
「(わざと隙を見せるのも手といえば手だけど……何考えてるのかわかんない相手だし)」
《(ここはあくまで平静を装うのが得策……ですかね)》
二人は眼前の不気味で恐ろしげな餓えたブチハイエナの如き怪人物が何時何をしてきても大丈夫なようにと何時でも迎撃できるよう身構える。同じ頃ニオ・セイは唐突に――まるでスイッチが切れたか、電力供給が絶たれた電子オルゴールのように――ぱったりと動きを停止する。
「ま、丸藤さん……これって一体……」
《さて、私にもさっぱりです……が、これはもしかしたらこの場から逃げ出す絶好の好機かもしれませんよ御嬢様》
「そう、かなぁ……? ……うん、そうだよね。じゃあ失礼しちゃおっか。こんな奴ほっとい――てっ!?」
《はぁっ!》
ケラスがニオ・セイに背を向けその場から立ち去ろうとした、その一瞬。彼女の背後――より厳密に言うなら、高等部から首筋にかけての辺り――へと殺気立った何かが迫る。驚いたケラスが身をかがめるのと同時に、丸藤はケラスの背にある青銅色の装甲を瞬時に開きハンマーを展開。ケラスへ迫る"何か"を一瞬に弾き飛ばす。
《御嬢様、ご無事ですか?》
「う、うん。ありがとう丸藤さん、お蔭で命広い゛ぃぃぃっ!?」
《しつこいな貴様――「ぐぎゃっはああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁ!」――!」》
弾き飛ばされて尚迫りくる"何か"を丸藤の展開した刃物で串刺しにした瞬間、二人の背後で狂ったような悲鳴を上げる者がいた。振り向けばそれはニオ・セイであり、何故だか突然肘から先が欠損した左腕を抱えながらうずくまっている。どういう事かと二人が刃物を確認すると、案の定刺し貫かれた"何か"というのは明らかにニオ・セイのものであろう骨ばった毛むくじゃらの腕であった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛……い゛でえ……」
腕を抱え苦しむニオ・セイの反応を見て、ケラスと丸藤はある事を確信する。
「(こいつ……腕を切り離して遠隔操作できるっぽいわね……)」
《(正しそのデメリットとして、痛みも共有できてしまうわけですか……難儀なものですね)》
その推測は当たっていた。ただ、より厳密に言うならば切り離せるのは腕に限らず全身のあらゆる部位なのだが、その辺りは所詮些細な問題なので別にどうでもいい。
「い゛でええぇぇ……いでぇよぉ……腕ぇ……俺の、腕ぇ……」
尚も狂ったように痛がる様子の痩せこけた獣を見て、ケラスと丸藤は『もしかしてこのまま無抵抗倒のこいつを殺せるのでは』と考えた――が、次の瞬間ニオ・セイが打って出た衝撃的な行動に二人は度肝を抜かれる事となる。
「いっ、でぇなあぁああ……いっでえぇぇよなぁぁぁぁあああああ!」
何と刃物に突き刺さったままの左腕を、そのまま自分の方向へ勢いよく引き戻したのである。
「そんな馬鹿な!?」
《あいつ正気か!?》
皮膚が、筋肉が、血管が、硬骨が、腕を成すあらゆるものが鋭く頑丈な刃物によって無理矢理縦に引き裂かれる。結果的に中指から腕の真ん中辺り30cmにかけて縦に切り裂かれたニオ・セイの左腕は、主に命じられるまま勢いよくあるべき場所へ戻り、再び結合された。
「ぁあ、へはあ……」
腕を繋ぎ終えたニオ・セイは、縦に切り裂かれた左手を見ながら息を荒げる。しかしよく見れば、彼の顔に生じた歪みは苦痛によるものではななかったのである。
「ああぁ、へはあ……あぁはははははぁ! やったぜぇ! 傷口が開いたままだぁ! 再生ってねぇ! やった! やっぱあのクソは死んだんだ! ひぎゃーっはぁぁぁーっははははははぁ!」
それどころかニオ・セイは、裂けた腕をぶんぶんと乱暴に振り回しながら狂ったように(というか実際発狂したまま)盛大に笑い転げている。
「(こいつ、どう考えてもやばい……)」
《(幸い我々は眼中にないようだし、逃げるのが得策か……)》
その光景は余りにも異常であり、ケラスと丸藤はそっとその場から逃げ出そうとした――だが、そうはさせないのがニオ・セイという男である。
「えへへぇへへへえぇー……逃ぃぃがすっかぁあああ!」
「《!?」》
何とニオ・セイは手足や頭を切り離すのに飽きたらず、全身を"切り離す"ことで実質バラバラに切り崩し、それら全てを"飛ばして遠隔操作する"事によりケラスの体を拘束しにかかったのである(『もうそれは遠隔操作と呼べるのか』とか『切り崩す意味無いんじゃないか』とか『そのまま跳び付いて組み伏せればそれでよかったんじゃないか』とか、そういった突っ込みが通用するようなニオ・セイではないのである)。
「あっあはああ、はあぁ! どこ行くのかなぁカワイ子ちゃぁああん!? あんたにゃ"俺を殺す"っつー大事な仕事が残ってんだろぉ!?」
「なっ! ……殺すって、どういうこと!?」
「どういう事だってかあ!? そうだよなぁ! 教えてやんなきゃアレだよなぁ! 自分で言うのも何だがなぁ! 俺ってば仲間内でも評判のイカレトンチキ野郎でよぉ!? 他の奴が嫌がるようなコトでもキモチ好くなっちまうようなクソカスド変態なんだよなー! そんでもって、その"他の奴が嫌がるようなコト"の中にゃ、殴られるとか蹴られるとか斬り付けられるとか刺されるとか撃たれるとか、そういうのもあってよぉ? そんである時思ったんだよなぁ! 『殴られて蹴られて斬り付けられて刺されて撃たれて焼かれて、そういうのを繰り返した末にぽっくりとでも哀れにおっ死んじまえたら、きっとスゲーキモチ好いんだろうな』ってよぉ!」
「……つまり、私に貴方を殺せってこと?」
「そううそうそうそうそういうことだよ! あんた美人なだけじゃなくて物分かりもいいんだなぁ! 益々殺されるのが楽しみになってきたぜぇ!」
叫ぶと同時にケラスを解き放ったニオ・セイは、尚も狂った調子で叫び続ける。
「勿論俺もただで死のうとは思ってねぇ! 何せ一生で一度しか味わえねぇ上に、あのバサイだかバカイだかいうクソの所為で食えねーとばかり思ってたからよぉ! いやマジで冗談抜きに? 隅々まで味わうんだから? 料理しねぇーとなぁっ! "死"っつー、極上の食材をよぉ!」
「……えっと、どういうこと?」
「あり、わかんねーか? つまり、俺はただあんたに一方的に殺されるわけじゃねー、寧ろこっちから殺すつもりで全力抵抗するって事だよ。運動とか畑仕事とかした後にアイス食ったらうめぇだろ? アイスに限らず、うめぇもんを最高にうめぇ状態で食うんならその前に動き回って腹を空かしとくのは当然じゃん? あと、俺も一応蝿帝様に忠誠を誓った身だからよ。ここまで来て仕事ほっぽり出すのも何か気分悪ぃのよ。罪悪感は飯を不味くしちまうからなー!」
「《……」》
その発狂ぶりにケラスと丸藤は思わず絶句したが、然し根底にある理屈そのものはごく当たり前の心理であるとも理解したのか、身体に組み込まれた"電脳銀龍鍵"の固有効果を存分に開放。SFチックな銀色のパワードスーツを身に纏い、ニオ・セイと向かい合う。
次回、島に新たなる進展が!(実は特に決めてなかったり……)