この幻想の中、変わらない幻想を望む
季節は初秋。ミンミンジーヤジーヤとやかましかった蝉達もようやく落ち着きを見せ始め、ツクツクオーシ、ツクツクオーシと夏の終わりを悲しむ歌声に変わってゆく、そんな季節だ。
霖之助は、夏が嫌いだった。出歩く気にもならなければじっとしていても茹だる。道を歩けば蝉が転がるし、部屋に篭れば蚊の羽音が集中を削ぐ。
その上この幻想郷、盆地に位置しているのだから余計に質が悪い。夏暑く、冬寒いとはもはや苦行だ。
故に霖之助は秋という季節が大好きだった。うだるような暑さから解放され、徐々に過ごしやすくなってくる。先に見据える『冬』はいくらか憂鬱であるとはいえ、それまでの間は非常に快適に過ごすことができる。
味覚をうならせる食べ物が多いこともまた、霖之助にとっては利点だった。なにせ此処に毎日のように押しかけてくる我儘娘共は、一日でも同じ料理が続けばひたすら文句を垂れ始める。どころか、この間なんて2週間前と同じ料理を出してみたところ、思いっきり詰られた。出してやっているだけ有難いと思ってほしいものであるが、傍若無人な彼女たちにそれが聞き入れられるはずもないだろう。
となれば料理のレパートリーが増えることはすなわち、霖之助の心の平穏にもつながる、というわけだ。材料が多ければ多いほど作れる料理の種類も増えるわけで、だからこそ霖之助はやはり秋が好きだった。
そんな初秋のとある朝。湿気のほとんど混じっていないひんやりとした風を浴びるため、霖之助はパタリと窓を開け放した。
幻想郷の鳥達は早起きだ。別にそれは射命丸文などの鴉天狗だけではなく、小雀やムクドリといった小さな鳥でも同じ事だ。
ピピピ、チチチという声が響く。静かに澄んだ空気であった。夏であればこうは行くまい。静かに笑みをこぼすと、霖之助はやかんに水を張り、先日拾った『がすこんろ』なるもので沸かし始めた。
「毎度ー! 清く正しい射命丸が朝刊を持って参りました!」
「はいはい、いつもご苦労様。明日も頼むよ」
「お任せください! それでは!」
まるで見計らったかのようなタイミング。炎がやかんの底を舐めはじめた瞬間にドアベルが鳴り、元気な挨拶とともに飛び込んできたのは件の射命丸文であった。
風の様に去っていった彼女を尻目に、霖之助は深く椅子に腰掛け、背中を預けた。
ひんやりとした空気の中新聞を読むというのは、なかなかにオツなものである。そのうちやかんが霖之助を呼べば、それは手元に珈琲が加わるという合図で。何ともまぁ、風流ではないか。
秋の朝っぱらから突撃訪問してくる阿呆は居ない。客ならごくたまに訪れることもあるが、ならそれはそれで歓迎だ。
まさに、此処は理想の空間だと、そう言えた。
「やぁ、霖之助。少しいいだろうか」
カラン。来客を告げるベルが鳴る。理想の空間は早くもぶち壊しというわけだ。
とは言え客なら絶好のチャンスだ。今の霖之助なら、きっと確実に商談がうまくいく、そんなよくわからない確信が、彼にはあった。
バサリと新聞を閉じ、静かな溜息とともに霖之助は視線を上げる。
……だが。
「……なんだ、慧音か。何か用かい?」
「なんだとはご挨拶じゃないか。そんなんだから店が繁盛しないんじゃないか? 店というのはかくありき、というのは専門ではないから知らないが、少なくともそんな態度で繁盛する店があるとは到底思えん。もっと姿勢を正し、爽やかな笑顔でもって『いらっしゃいませ』と言うことぐらいできないか? さらに言えばだな――」
表情をぴくりとも変えることなく、無表情で言葉を発した霖之助に、さすがに彼女――上白沢慧音もむっとしたらしい。とはいえ、客でないなら霖之助が向ける目線は冷ややかなものでしかありえない。
そんな目線を向けられる慧音だが、目をつむり、人差し指を立ててくどくどと言葉を発する様はなるほど、寺子屋の先生が合っている、と頷かせられる。
まだまだ見た目は少女、だいたい人間年齢で十とその半分を刻んだ頃のような外見だが、彼女は半獣、外見の成長スピードは普通の人間よりはるかに遅い。
彼女、こう見えて霖之助とほとんど同い年なのだ。見た目は全く違うものだが、老化が早いということはつまり――やめよう。
しかし先生というのはこうも口うるさいもので、うざったいもので、眠くなるものであると何処かの文書で読んだことがあったが、実にその通りだと、霖之助は納得した。理想の空間をぶち壊しにした挙句その理想を限りなく零にまで下げるとは、なるほど害悪であるとしか言いようがない。
見つかると面倒なので声を抑えつつ、一つ欠伸。パサリと新聞を更にたたむと、まだくどくどと説教を続ける慧音女史に一つ意見を申し上げようと霖之助は口を開いた。
「慧音」
「――であるからして店の経営は――、と。なんだ?」
「一つ聞きたい。爽やかな笑顔でいらっしゃいませ、と言ったな?」
「ああ、言った。笑顔というのはそれだけで人を癒す力があるのだ。だから――」
「まぁ待ってくれ、まだだ。さて想像して貰いたい。香霖堂の扉が開く。扉の目の前には僕が立っている。爽やかに、人当たりのいい笑顔を浮かべて、『いらっしゃいませ』と口にだす。どうだろう、想像してもらえたかい?」
たっぷり三秒。香霖堂には沈黙が走った。
四秒。慧音は思いっきりブハッと吹き出し、腹を抱えて笑い出した。
「おまっ、あっはははははははは! 似合わ、ひい、ひいあっはははははははははははっはははは!! いらっしゃ、はははははははははははは!」
「とこうなる。さて、業務は可能かい?」
「冗談じゃな、あっはははははははははははははははは!! 苦し、あはははっははははははははははははは!!」
げえっほげっほと咳までし始め、それでもなお笑い続ける慧音に、霖之助はそろそろ本式に呼吸困難の心配を始めた。
「おーい慧音、落ち着いたら酸素缶があるからな?」
「わか、ないけど、分かったあっははははははははははははははははははははははははははは!!」
たっぷり十分は笑い転げ、結果慧音が酸素不足に陥る羽目となるのは想像に難くない。その未来を薄く想像し、霖之助はひとつため息をついた。
◇
「はいこれを口につける。此処を押す。口から呼吸」
外の世界の産物、酸素缶の使い方をレクチャーしながら、霖之助は予想通り貧血に倒れた慧音を介抱していた。もっとももとから転げまわってくれたおかげで、雑巾がけの心配がなくなったといってもまぁ、罰は当たらないだろう。
「……っふぅ。ようやく健常になれたような気がする」
「それはよかった。これ以上暴れられたらたまったものじゃないからね」
暴れるは言いすぎじゃないか。むっとしたように呟く慧音だが、霖之助の視線が向かった瞬間彼女は小さく縮こまった。迷惑をかけたのは慧音だ。彼女には何の文句も許される立場にはない。
コップに水を汲み、酸素缶と交換する形でそれを渡した霖之助は、勢い良く水を減らしてゆく慧音を半ば呆れたような表情で眺める。
「よく飲むねぇ」
「んっ……、笑いに笑って喉が渇いたからな……」
はっ、と一息ついた慧音はコップを返すと、そうだった、と手を打った。一転真面目な表情になる彼女に、霖之助も思わず身を引き締める。
「で、用についてなんだが。落ち着いて聞いてくれよ。霧雨が倒れ――」
「大事じゃないか!」
「その大事を君が茶化したんだろう!」
思わず霖之助も大きな声を出してしまうほどに、大事であった。
今代霧雨道具店店主は、霖之助と長い間の付き合いを持っている。霖之助自身、霧雨からたくさんのことを教えてもらった。だからこそ魔理沙とのつながりも大きくなったわけだが、まあそこはいいだろう。
また、霧雨は健康の権化とも名高い。それ故か彼の道具屋には健康促進用の薬がいくつかおいてあったりもする。軒先にはいぼとり地蔵なんて言うお地蔵様まであるくらいだから、その健康さは折り紙つきというわけだ。
しかしその健康の権化と名高い彼が倒れるとは、そう考えがたい。
よほど疲れが溜まってしまったのか。――ない。疲れがたまるほどあの店は人が詰めかけない。道具屋なのだから。
それでは流行り病か。――有り得る。いくら健康で有名な霧雨とて、耐性を持たない病原に対しては無力だ。
いや、それとも。――なんでもいい。何にせよ、早く、行かなくては。
「慧音、そうとわかれば急がなくては。鍵を渡しておくから、戸締りを頼む。君は飛べるんだから、僕に軽く追いつけるだろう。よろしく頼んだぞ」
「え、ちょ、ま――」
聞いている暇もない。とるものもとりあえず、霖之助は扉を開け放し駆け出した。
後ろから慧音の怒鳴り声が聞こえた気がしたが、関係ない。彼女が飛ぶスピードのほうが、霖之助自身が走るスピードよりはるかに速い。
何も考えられない。早く行かなければという、使命感だけが彼を突き動かし続けていた。
理想の空間がどうしたというのか。彼にできることは、一刻も早く霧雨に会って、対処法を探すことだけだ。
◇
「息が上がりすぎだぞ霖之助。慌てすぎだ」
「……君は、飛べるだろう、慧音。僕は、あいにくと、空を、飛べない、不便な、体だ、もので、ね……」
人里の入り口だ。ここまで来れば害意のある妖怪と顔を合わせることはない。もっとも、香霖堂と人里の間にそんな妖怪が出現することはめったにないのだが。
ぜえはあぜえはあと肩で息をしている霖之助に、此処でようやく追いついた慧音が呆れた表情で背中を摩る。先ほどとまるで逆の様相だが、一緒と思われたくはない。霖之助は心中そんなことを考えていた。
「――急ごう。もう僕は大丈夫だ。それより、親父さんの体調が心配だ」
「ああ、分かった。行くぞ、霖之助」
そんな考えなどしている場合ではない。思いを振り切るように大きく首をまわし、慧音の言葉に軽く頷く。
動かない古道具屋こと森近霖之助は、霧雨道具店に向かって足を踏み出した。またもや、全速力だ。――明日は、筋肉痛だろう。
ひたすら地面を蹴り続け、扉をブチ壊さん勢いで突き破る。慌て過ぎだと慧音に叩かれたが、そんなことを気にしている場合ではない。勝手知ったる他人の家、彼はその勢いのまま霧雨の寝室へと進入した。
「なんでえ、うるせぇな霖之助。何の用で来やがった?」
かんらかんらと豪快な笑い声。
布団に転がりながら、ひらひらと手を振っている店主の姿が、そこにはあった。
「何の用って、親父さん、貴方倒れたんでしょう? いてもたってもいられなくて」
「はっは、おめぇにもそんなことがあるんだなァ。俺ァてっきりおめぇは血も涙もない鋼鉄機械かと思ってたぜ?」
その言葉を否定する理由は、あらゆる意味でない。霖之助は小さく肩を竦めた。
とはいえ、ここまで一気に駆け抜けてきたのだ。そうではないということを証明するいい機会ともなった。……それを此処で言う気には更々なれないが。
霖之助のその様子にニヤリと一つ笑いをこぼすと、なんのこたァねぇ、と霧雨は頭を振った。
「別に流行り病だとか、そんなおっそろしいもんじゃねえ。ただの風邪だァ。近頃流行りのくうらあとか言うものを使ってみた結果がこれだぜ。見事に腹風邪ひいちまった」
健康にだけァ自信あったんだがなあ、と霧雨は豪快に笑う。よく見れば、彼の腹回りには似つかないピンク色の腹巻が巻いてある。まだ短い間とはいえ、鼻を啜ったり咳をしていないあたり、本当に腹を下しただけなのだろう。腹風邪かどうかはまた別としても。
「しかしクーラーですか。外の機械だったはずですが、よくもまあ」
「河童の女の子が設置してくれたぜ。なんでもいつも部品を売ってくれるからだとよ」
ははあ、と頷く。香霖堂にも度々やってくる河童が、霖之助の脳裏に走る。確か、河城某といったか。たしかに彼女は何かと気前がいい。部品を売ってくれたから恩返し、なんていうことも存分にやりかねない。……たしか彼女は人間嫌いだったはずなのだが、はて。
「しかしまあおんもしろかったのがよお、そこのちびっ子先生にちょっと脅かしたらすっ飛んでいきやがったことだァな。しまった、死んじまう……俺ァもうここまでだーってよ。そうしたらどうだ、決死の表情してでてったかと思やァ人里飛び出してやがるじゃねえか。俺ァしばらく笑いが止まらなかったぜ。……おう、慧音先生。慧音女史。上白沢教授や。その頭をおとなしく元の位置に戻しちゃくれねえか――」
ばきあ。
うわあ。思わず霖之助はそう嘆息した。
霖之助の眼の前に広がったのは、対象を砕かんばかりに振り下ろされた慧音のド頭と、それをモロに食らって悶絶する師匠の姿であった。
◇
「全くふざけているッ!」
「まだ怒っているのかい、君は」
「当然だろう!? 人をだまくらかして挙句笑い者にするなど言語道断! そのような人間が跋扈してはこの先人里の治安がどうなっていくか! 不安要素はとっとと取っ払ってあいつの心も矯正するべきだ! 全くもって有り得ん!」
ところ変わって香霖堂。もはや日は高く高く登り、むしろ傾き始めている。店の時計は午後の三時を指していた。何ともまあ、理想の時間が崩されてから六時間以上も経過しているとは笑えない。
唯一喜ぶべきところは、鍵のおかげか荒らされた形跡が全くないことだろう。扉のノブが若干動かしにくくなっていたことは気のせいだと信じたい。
兎にも角にも目の前で憤慨しているこの少女のおかげで、霖之助の貴重な安楽が大幅に失われてしまったわけであるが。しかし彼女自分が騙されていたことが相当に悔しいらしく、時に地団駄まで踏んで悔しがる始末。その巻き添えを食らった霖之助のことなど微塵も考えていないに違いない。白沢というのは豊富な知識量、人格者として有名な妖怪だったはずだが、いつから猪のような妖怪に変わったというのだろうか。
はたして最も迷惑を被った霖之助はいつものことだと苦く笑い、それで全てが片付いたにもかかわらず。この少女は一体何がそこまで不満だというのか。
「慧音」
「何だッ! 霖之助、お前まさか霧雨をかばうなんて馬鹿な真似しでかすんじゃないだろうな!?」
「庇うって」
だめだこりゃ、と一つ嘆息。このまま行けば日が暮れるまでこの少女の怒声に付き合わされる羽目になるだろう。全く迷惑な話である。肘掛け椅子に深く体重を預けていた霖之助は、思わず頬杖をついた。
とは言え慧音自身も「人里の守護者」たる仕事があるはずなのだが。こんなのが守護者でいいんだろうか、という思いと同時に、霖之助に小さな頭痛が走る。
「別にそういうわけじゃないさ。霧雨の親父さんだって悪気があってやったことだ。だが、それに対する報いは十分に受けたと思うよ?」
「甘い、甘い、甘すぎる! あの程度で改心するのなら私とてここまで憤慨などしまい!」
「……まぁ、親父さんに限ってはそうかもしれないねぇ……」
霖之助は微苦笑を一つ。霧雨の素行に関しては彼も苦笑いするしかないからである。自分が知っている限り、という線ではあったが、それはどうも今でも変わっていないらしい。
「そもそも私は別にそんなことのために休みをとったわけじゃないんだっくそおっ」
「……ん、休み? 休みなんてとっていたのか」
怒鳴り疲れたのだろうか、次はブツブツと低い声で呟き始めた慧音だが、そのつぶやきを霖之助は聞きとがめる。
途端きょとんとする慧音。瞬間、ぼんという効果音でも似合いそうなほどに一瞬で、慧音の表情は紅に彩られた。
「あ、あああ?」
「……あ?」
「き、……聞いてたのかっ乙女の呟きを盗み聞きとはたちの悪いこのぉぉぉおーッッ!!」
――そして、それが霖之助の見た最後の景色であった。
べきゃっ。
◇
「なにかいうことは?」
「大変申し訳無いッ!」
目を覚ました霖之助がいたところは、最後に見た景色と寸分違わない場所――つまりは、肘掛け椅子であった。
慧音曰わく、無理に起こしても体の害になるかもしれないので動かせなかった、らしいが霖之助にしてみれば大前提がおかしいのである。
少なくとも、こちらになんの落ち度もないにもかかわらずヘッドバッドを顔面にかましてくるような奴が体に害などちゃんちゃらおかしい。おかげで鼻の痛みがじんじんといつまでも引かない。幸い、眼鏡は弾着と同時ぐらいに何処かに弾け飛んでいたようで、損傷は何処にも見当たらなかった。
攻撃された理由も少し考えたが、盗み聞き、という単語しか思いつかない。しかしながら盗み聞きも何もこちらに聞こえるような真似をしたのは慧音である。基本的に人にあまり干渉したがらない霖之助としては、盗み聞きというレッテルを張られること自体迷惑な話ではあった。
まあ、とはいえ、比喩でなくここまで額を床にこすりつけて謝罪している慧音を、それでも許せない、というほど彼はひねくれているわけではなかった。
「君は毎度毎度口より先に頭が飛び出す癖をどうにかした方がいい。一応人里の長という立場の君が言葉でなく暴力に訴えてどうする」
「私だってしかるべきときは言葉をぶつけている……。いつでもどこでも粗暴な野獣なんて扱いは心外だ」
慧音はむくれるが、霖之助こそ心外だ。彼女が少なくとも霖之助の前で、粗暴な野獣でない姿を見せたことはない。まったくもって迷惑な話である。そっけない対応をするのも至極当然だといえる。
「そもそも、今日休みをとったのだって、霖之助に会いに来るためだったのに……」
「……は?」
ボソリ、呟いたその言葉を、聞き取れなかった。聞いてはいたが、聞こえなかった。正確に言うならば、聞こえていたが、聞けなかった。
「……うるさいな、私は今日わざわざ霖之助に合うためだけに休みをとって、でこんなアクシデントばっか作り出した痛々しい子供だ! さぁ笑うがいいさ!!」
今度は、はっきりと。
「……僕に、会いに」
「そうだよ、それの何が悪い!」
……ありえないと、思った。
霖之助だって、その言葉の意味がわからないわけではない。
香霖堂は、人里から決して近くはない。その間には、めったに出ないとはいえ妖怪も出現する可能性がある。
その距離を、半妖であるとはいえ女一人で歩いてくるということは。
そんな危険を犯してまで此処香霖堂に、自分、霖之助に会いに来るということが、どういうことなのか。霖之助に、わからないわけではない。
上白沢慧音は、森近霖之助に大きく好意を抱いている。
その行為は、はたして友人レベルか?
彼と違って多少は繁忙である上白沢慧音が、オフを使って彼に会いにくる、それほどの好意は、友人レベルであるものか?
「……わかってないなら言ってやる! ……私は、霖之助が好きなんだッ! 小さい頃から、ずっと、ずっと! いつも背中を追いかけた! その背中はずっとずっと大きいままだった!! でも、いつか追いつけると思っていた!」
ドクン、と。きた。
「こんな守護者なんて大層な役柄を持っているが、私はお前にこれっぽっちも追いつけてない! 私は子供だ、ずっと子供だ! だからこそこうして叫ぶことでしかこの気持を伝えられない!!」
目の前の少女から、目を、離せない。
「散々やった挙句のこんな言葉だ! お前には全く信じられないだろう! だがこれは私の言葉だ、私の心だ、私の歴史だ! 決して『くい』などしない、どんな結末になろうともだ!!」
「、……。」
口を動かしても、言葉が出ない。
「好きだ、大好きだ! ごめんなさい、こんな私で申し訳ないと思う! 勝手に爆発して勝手に叫んで! でも、……っ」
すぅ、と慧音は大きく息を吸う。瞬間、熱が冷めたような気がした。
霖之助は、慧音をみる。顔は激しく紅潮し、いつの間に流れだしたやら、涙は何本も川を作っている。
拳を固く握りしめ、慧音は俯いた。
「答えてほしい。――私では、お前の隣に居れないか?」
先生失格じゃないか。霖之助は、心のなかで苦笑した。
正解は。
「そうだね。君では僕の隣に居『ら』れないだろう」
ハッと、慧音が絶望に彩られたような表情で、霖之助を見る。
だが、違う。
「隣でなんて君は大人しくしていられないだろう? 好き勝手にあっち行ってこっち行って。それが君のはずだ。……それで、いいんだ」
受けよう。
「……り、……う、ふぇ……」
「……慧音?」
「うぇええええええええええぇぇぇ……」
「慧音!?」
慧音はその場にへたりと座り込み、顔を抑えて泣きだしたのであった。
◇
「……済まない、取り乱したな」
「いや、構わないさ」
取り乱したのは、こちらもだ。……今更だが、すごく恥ずかしいことを言った気がする。嗚呼、顔が熱い。
「……霖之助、本当に、いいのか。私なんかがそばに居て、本当にいいのか?」
「……そうだね、一つだけ条件がある」
霖之助は、慧音のそばで立ち上がった。
「大人になろう。君は確かにまだまだ子供だ。だが、自分を卑下することだけは、やめてくれ。君を愛すると決めた、僕をも卑下する行為だ」
「……。……ああ」
慧音がコクリと頷いたので、霖之助は軽く笑ってみせた。
「……なあ、霖之助」
「なんだい?」
「……本当に、本当なんだよな?」
「ああ、本当だとも」
「……じゃ、じゃあ」
「ん?」
「……き、キス、して、くれ」
何度目かも忘れたが、慧音の顔が激しく火照る。……こんな様子では、彼女が立ち上がることは、出来ないだろう。
そう勝手に判断する。
「り、霖之助っ!?」
「なんだい?」
「こ、これはこのそのっどういう状況でございましょうか!?」
「……さて、僕は君をただ抱き上げただけだが」
背中に右手を、膝裏に左手を。……俗に言う、お姫様抱っこ、というやつだ。
「さて、では誓いのキスでもするかい、姫」
「やはり確信犯かっこのバカッんぅ――――――!!」
――翌日、射命丸文は香霖堂にやってこなかった。
更にその翌日、人里で一人鴉天狗が撃墜されたとかいう話もあるが、彼らの歴史には、そんなものはなかった。
香霖堂が人里に移住し、慧音がそこに住まいを変える、ほんの五年前の秋だった。
了
お久しぶりです。初めましての方は初めまして。
今回は読了ありがとうございました。夜光沙羽です。
今回のこの慧霖、書き始めたのは去年の八月。何度か内容そのものを一新したりして、今回のこれに至ります。
話の方向性があっち行ってこっち行ってを繰り返しているので、なんかもう精進せねばなあと思う限り。もうちょっと慧音せんせー可愛く書いてあげたかったなあ。
それでは、また今度。ご意見、ご感想お待ちしております。