絵画に堕ちる
『最後の晩餐』だ。
女性――九匙萎波はいつも思う。
興味のない高級レストランに連行される時も思うし、相手の家族と食卓を囲む時もそう思う。
今回は高級レストランの時だった。
「息子をよろしくお願いします」
父親の言葉に息子――西村司は、はにかんだ笑みを見せる。
萎波は完璧な笑みを持ってしてそれに答えた。
「私の方こそ宜しくお願いします」
司は岩に宝石を詰め込んだような酷い顔をしている。
まあ、宝石が詰め込んであるだけマシと言ったところだ。
いや、宝石が詰め込んであるからこそ近づいた訳だが。
「いやー司にもいい嫁がくるとは思いませんでした」
父親がそう言ってから、豪快に笑う。
「おっと惚気てしまいましたね」
はいはいウザったい死ねばいいのに、とか思うが萎波は綺麗な笑みを作って笑う。
母親は胡散臭い画家を見るような眼で萎波を見る。
毎回私を嫌うのは母親の方だ。
(あー男からは受けが良かったりするんだけどなあ……)
まあどうせこの家族ともこの食事で終わりだ。
後は逃げるだけ。
正直、『両親が死に、妹と一緒に生きてきたから借金があるんです』で五百万円もの金を貰ったのでもう逃げちゃってもいい訳だがケータイ番号変える前に電話がかかってきたし、家も変えてない(無理やり家に招待させられた)。
そしてもう一つ、理由がある。
司がウザいからだ。
家を無理やりに招待させられたり、押しが強かったり、鬱陶しいことこの上なかった。
それに父親も鬱陶しい(今日初めてあった訳だが)し、ここは地獄の底で嘆いて貰おうと言う訳だ。
何という悪魔的発想だろう。
イエスを裏切ったイスカリオテのユダ並みの裏切り行為だと思う
あの絵に魅了され、ユダに魅了されたからこそ詐欺師なんてやっているのかもしれない。
そう思うと自分があの絵に操られているような滑稽さが心中で浮き彫りになる。
この男と自分は何ら変わらない。
変わらないのが、何より嫌だ。
だから萎波は嘲笑い、騙すのだ。
しかし、萎波自身はそんな自分の気持ちには気づかない。
いや、気づかない振りをしているのかもしれない。
「で、司のどこが気に入ったの?」
母親が笑顔のまま言う。
裏切りを予言しているような刺々しい声だ。
「別に。金を持ってたからですけど?」
萎波も刺々しい声で応じる。
どうせ終わりだ。
どれだけ疑われようがもうどうでもいい。
父親と司は意表を突かれた様に瞬きを数回繰り返す。
母親だけは萎波の言った言葉に微笑む。
まるで分かっていたかのように。
苛立つ。
「この女は何時か裏切るよ」
母親は何の躊躇いもなく言い放つ。
どうでもいい、とは思っていた萎波だが、これには驚いた。
心臓が跳ね上がり、不規則な速度を刻む。
(ユダもこういう気持ちだったのかな)
ふと思い出す。
七年前――十六歳の時だった。
美術館に行った訳でも、何か意気消沈していた時に見た訳でもない。
ちょっとした気紛れだった。
美術の時間に先生が言っていた『最後の晩餐』をケータイで調べただけだ。
十三人もの人間が食卓を囲んでいる風景だった。
左端に居る誰かに二人は身を乗り出し、追及するような表情を見せている。
真ん中に居る人にも三人程追及しているようにも見えた。
『最後の晩餐』というからにはもう少し泣いていたりするものかと考えていた。
ギスギスしているなあ、と思い笑う。
別にそれ単体では心を動かすには足りなかった。
それに付随していた説明文が心動かされるものがあったのだ。
たった一人の弟子が全てを台無しにする所に自覚せぬまま心惹かれていた。
たった一人の存在で全てを目茶苦茶に出来るのだ。
そして、無意識の内に萎波もそれを実行した。
家族をどれだけ目茶苦茶にしたのか。
男をどれだけ地獄に追いやったのか見当もつかない。
そして、母親の言葉に笑った。
どうせ、もう止められない。
「確かにそうかもしれませんね」




