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第九話 神の声


「……これを見てください。例の奇妙なノイズの分析結果の確認をお願いします」


 部下の声に、集まるデータを再確認していた島田の指が止まった。


 続けて、メインモニターには一つの複雑なグラフが大きく映し出された。


 それは以前から、様々な場所から検出されていたノイズのような異常なデジタル波形を、特定のアルゴリズムで変換したものだった。


「これは、可聴域を遥かに下回り、超低周波のサブリミナル信号でした。耳には聞こえませんが、特定の脳波を持つ人間や感じ取れる者には、直接……意識の奥(脳内)にリズムとして刻み込まれるのです。これは、ただの音ではなく、言わば……脳を強制的にハッキングする旋律となるでしょう」


「ハッキング……?じゃあ、無理やり頭の中に音を流し込まれてるってことですか?」


 零が不安げに問いかけると、島田は静かに頷いた。


 そして、島田がスピーカーのゲインを極限まで上げると、部屋全体が微かだが、不快な震動に包まれた。


「つまり……佐倉くんは、この望月がバラ撒いていたノイズ……この音を直接受信してしまっているのかもしれませんね。本来なら、我々が管理している要石システム……龍脈の監視や振動センサーが、悪意ある干渉に対して高度なフィルターとして検知し、防ぐはずなのですが……。それがない分、彼の脳はそのまま、この音に晒されて影響を受けているのかもしれません」


「そうですね……そして、その影響は人間だけにとどまらないでしょう」


 榊は窓の外を見つめ、苦渋に満ちた声で続けた。


「現在、各地でクジラの座礁や、渡り鳥の異常な進路変更が報告されています。鋭敏な感覚を持つ動物たちは、すでにこの超低周波の影響を受けているのでしょう。自然環境そのものが、望月の望む……理想とする神の声(音)に、無理やり共鳴させられているはずです」


「ネットだけじゃなくて、自然界まで……そんなの、どうやって?」


「恐らく、かなりの数の音源発生装置……スピーカーのようなものが各地に配置されているはずです」


 榊がそう言うと、慌てて島田は部下に指示を送り、自らもどこかへ電話をかけ始めた。


  

 榊と島田のやり取りを聞いていた零の顔からは、血の気が引いている。


「……そんな。じゃあ、佑真は、前からずっとその音を聴かされていたってことですか?いったい、いつから……?」


「いつからかは、分かりません。ノイズだと考えられていたので、記録にも残らず……おかしいと気づき分析を始めたのは、ごく最近の事なので……」 


 島田の部下の返答に、彼女はたまらず、電話をしている島田のデスクに詰め寄った。


「島田さん、佑真が今ネット上にいるか……ログインしている場所を調べられますか?私、以前佑真が(引きこもりだった頃) お気に入りだったゲームなら、いくつか知っています。せめて、そこに彼がいるかどうかを……それで、私がゲーム内のチャットで呼びかければ……!」


「いけません、新堂さん」


 榊の鋭い制止が、零の言葉を遮った。


「今の佐倉さんは、その超低周波の音によって脳を支配され、極限の過敏状態にあるかもしれないのです。いきなり現実世界からの呼びかけは……不用意な『光』の干渉となり、隠れている彼にとって激痛以外の何物でもないでしょう。何よりも、以前と同じように……いや、以前以上に今の彼は、自分自身を恐れているかもしれません」


「自分を、恐れている?」


 零が呆然と呟く。


「確かに……低周波の影響は、頭痛や不安、心理的な被害妄想、自律神経等の不調等に繋がるという論文を読んだ事があります」


「はい。それに、神様と近い距離にいる佐倉さんですから……何かを感じるかもしれません。この禍々しい共鳴が強まり、世界が裂けていく感覚を。そして、以前のように……自分という存在が、この大災害を引き起こしている原因なのだと……考えているとしたら。救いであるはずのあなたの声ですら、今の彼にとっては、その罪を糾弾する裁きとなり、追い込む眩しい光にしか見えないはずです」


 榊の言葉は、残酷なまでに真実を突いていた。



 零は、握りしめたままのスマートフォンの画面を見つめた。


 そこには、かつて一緒に笑い合っていた頃の、穏やかな佑真の面影がある。


(……そんなの、間違ってる。佑真のせいじゃないのに……!)


 叫びながら佑真の家へ駆けていきたい衝動を、必死に抑え込む。


 今の自分にできることは、彼が暗闇に完全に沈み、希望の光を失う前に救い出す……それしかないのだ。




 それから数時間が経ち……空には夕日と黒く厚い雲が流れていく。


 薄暗い拝殿の奥では、望月が静かに目を閉じ、大地の鼓動を聴くように祈りを捧げている……かつて、神主としてこの国を愛し、真剣に神との対話を求めていた頃、彼は破壊と再生こそが正義だと考えた。


(火……すべてを焼き尽くし、更地にする。無からの再生……それが、この国を救う唯一の未来への近道なのだ)


 社の壊れた屋根の隙間から覗く満月が、彼の顔を青白い光で照らし出している。


 ……突如、傍らに控えていた手下が持つ端末から、急上昇を示すアラート音が鳴り響いた。


 望月は祈りを捧げる手を止め、ゆっくりと振り返った。


「……今だ」


 その短い一言に、背後に控えていた手下の一人が無言で頭を下げ、足早に供物台へと駆け寄った。


 社の外には、黒塗りのワンボックス車が数台、異様な静寂を保って待機していた。


 中から出てきた手下は、その手に持つ黒い包みと何かの枝を車内の男に手渡し、再び社の闇の中へと戻っていった。


 望月は、狂気的な輝きを帯びた瞳で、画面に映る波形の状態を満足そうに見つめていた。


「よし、次の段階に移るぞ。神様が、我らの声を欲している……」


 やがて、各地に配備された車から、大地に響き渡るほどの超低周波が放たれ始めた。

 


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