表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/11

5.捨てられた聖女(2)

ルティナは緊張で手を震わせながらも、ギムレットの前へと歩み寄った。

そして、深々と頭を下げる。


「お、王太子殿下……

 私を、覚えておいででしょうか?」


その声は震え、擦れていた。

三年という歳月が、かつての聖女の誇りと気品を奪っていたのだ。


「女神様にお仕えしていた……

 ルティナです」


ギムレットは一瞬、その美しい瞳を見開いた。


「……ルティナ? あの聖女の?」


彼の視線が、まるで別人を見るかのように細められる。

目の前に立つ女は、汚れたローブに身を包み、髪は乱れ、

顔からは疲れが見て取れた。


「まあ……」と、近くの女が息をのむ。

「本当にあれが聖女か?」と、男の嘲り混じりの声が続いた。


ギムレットは信じられないというように顔を歪める。


(この女が……ルティナだと?

 俺の知っている聖女は、もっと美しかったはずだ)


思い出すのは、神殿の光に包まれたあの日の姿。

聖なる文様が輝き、ユリの花が舞う中で微笑んでいた、あの麗しき女。

だが今、目の前にいるのは、その面影すらない。


(美しさを失った“信仰の象徴”に、何の価値がある)


無関心な冷たい声が落ちる。


「……何か?」


ルティナは怯えながらも、必死に言葉を探す。


「あ、あの……食べるものに困っていて……それで……」


周囲の人々が、興味本位の笑みを浮かべる。

その視線が、針のように刺さった。

ギムレットは目を細め、内心で呟いた。


(物乞いを……?

 あの“女神プリローダの乙女”が、か?)


ふと、口元に笑みが浮かぶ。

それは、かつての優しさではなく、侮蔑だった。


「見ろよ!」誰かが叫ぶ。

「聖女がギムレット様の情けにすがってるぞ!」


笑いが広がる。

ルティナは恥ずかしさから身を縮こませ、肩を震わせている。

武器屋の男が薄笑いを浮かべて叫んだ。


「ギムレット様ー!」

「どうか、聖女様のご功績に見合う“施し”を!」


クスクス、クスクス。

人々の笑いに、ルティナの身体は冷水を浴びたかのように凍りつく。


ギムレットは肩をすくめ、懐から銅貨を取り出す。

それを軽く放り投げると、無情に言い放った。


「拾え。そなたへの褒美だ」


コインが乾いた音を立てて、石畳に転がった。

ルティナは動けなかった。

羞恥心と絶望が胸を締めつける。


「どうしました? ギムレット様のご厚意ですよ」


誰かが面白そうに煽る。

ルティナは唇を噛み、屈辱に耐えながら膝をついた。

指先が震え、やっとの思いで銅貨を拾う。


「……ありがとう……ございます……」


地面の冷たさが、指先にまで沁みた。

ギムレットはその姿を見下ろし、冷たく吐き捨てた。


「さっさと消えろ。目障りだ」


その一言で、ルティナの中の何かが崩れた。

周囲からは、また笑いが起こる。


「恥ずかしいわね……」

「聖女が物乞いだなんて……」

「アハハハハ!」


嘲りの声を背に、ルティナはふらふらと歩き出した。

視界が滲む。

耳の奥で、かつての声が蘇る。


──『世界が平和になれば、

皆が幸せになると、本当に思ってるのか?』


いつだって、ルティナだけを真っ直ぐに見つめていた、

キールのあの瞳が、彼の言葉が、今になって胸をえぐる。


(思ってたわ……今だって……)


声にならない叫びが喉で途切れる。

気づけば広場にいた。

雨が降り出す中、勇者ジンの像の前に立ち尽くしていたのだ。


「今だって……!」


しかし、返ってくるのは冷たい雨音だけ。

ルティナは膝から崩れ落ちた。


見上げた勇者像は、豪奢な装飾をまとい、人々の誇りとしてそびえ立っている。

その足元で、かつての聖女は濡れた地に手をついた。


「私……全然、幸せじゃない……」


頬を伝う雫は、雨か涙か分からなかった。

空は暗く、風が吹くたび、漆黒の羽がひとひら、地に落ちた。


修正いたしました。(10/10)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ