4.捨てられた聖女(1)
勇者ジンが魔王を討ってから三年──。
人々は平和を謳歌し、王都には再び活気が戻っていた。
しかしその片隅で、ひとりの女が物乞いをしている。
彼女の名はルティナ。かつて「聖女」と呼ばれた女だった。
桜色の髪は垢と油で固まり、純白だったローブは泥に汚れきっている。
その姿は、かつての神々しさを微塵も残していない。
そして、いまは空腹を抱えて、パン屋の前で立ち尽くしていた。
「あんたにやるパンも仕事もないよ!」
パン屋の女将が怒鳴り、箒を振る。
ルティナは小さく身をすくめて、追い払われるように歩き出した。
太陽の光が眩しい。
平和になったこの世界は、どこまでも明るくて、どこまでも冷たい。
誰のおかげで現在があるのか──
人々は恩を忘れ、目まぐるしく変わっていった。
廃れた神殿の方を見やると、そこにはもう誰もいない。
かつて、信徒たちの祈りに満ちていた場所は静まり返り、
純白の大理石は割れ、供えられたユリの花は枯れ果てていた。
「……あの頃とは、違うのね」
勇者が旅立ったあとも、ルティナは働き続けた。
傷ついた兵を癒やし、魔物襲撃の報せがあれば、祈りで結界を強める。
自分だけが頑張っていたとは思わない。苦労したとも言わない。
だが── 今の境遇はあまりにも不遇だった。
三年前、魔王が討たれた瞬間、女神プリローダの加護はその役目を終え、
ルティナの中の聖力は静かに消え去った。
その日から、境遇は転落していく。
(せめて、あのときのお金さえあれば……)
神殿が閉鎖される前日。
「新しい居場所を見つけなさい」その言葉と共に──
大神官から生活のための支度金を渡された。
しかし、神殿に捨てられていた孤児の彼女には、行く宛てもなければ、
温かく迎えてくれる家族もいない。
神殿に残りたいと必死に懇願したが、大神官は悲しみのこもった声で告げた。
「もう、我々は……
人々に必要とされていないのです」
「聖力を失ったことも
その証拠ではないですか?」
誰にも必要とされていない ── その事実に胸が痛んだ。
結局、神殿から与えられた支度金は、その日のうちに傭兵に奪われ、
それからは、ずっと誰かの施しにすがる日々が続いた。
街の人々は、力を失った“元聖女”に、価値などないと言わんばかりに、
彼女の前を足早に歩き去っていく。
溜息をついたとき、城下にざわめきが起こった。
「王家の馬車だ!」
振り返ると、金の装飾に飾られた馬車がゆっくりと止まる。
降り立ったのは王太子ギムレット。
金髪を風に揺らし、眩い衣をまとったその姿に、人々は歓声を上げた。
「ギムレット様だわ!」
「なんて麗しいの……!」
遠くからその姿を見て、ルティナの胸に懐かしい記憶が蘇る。
かつて、優しく微笑みかけてくれた王太子。
彼ならば── 救いの手を差し伸べてくれるかもしれない。
胸に、小さな光が宿る。
ルティナはふらりと立ち上がり、人々の輪の中に歩み出した。
「せめて今日、食べるものぐらいは……!」
わずかでも、人々に慈悲が残っていると信じて。
修正させていただきました。(11/10)




