2.勇者聖約の儀(1)
自分の悲鳴で、ルティナは目を覚ました。
荒い呼吸を必死に整えながら、あれがただの夢だったのだと自分に言い聞かせる。
汗ばんだ頬を拭い、ふらつく足で窓辺へ近づき、カーテンを開いた。
朝の冷気に身体が冷える。
なのに胸の鼓動は、まだ夢の中にいるかのように速い。
空は──夢と同じ紅く染まっていた。
今日は、女神が勇者を選ぶ『勇者聖約の儀』が執り行われる。
緊張のせいであんな夢を見たのだと、そう思いたかった。
「女神様……」
ルティナは静かに膝をつき、女神プリローダへ祈りを捧げる。
「どうか私たちに……
魔王に立ち向かう力を、お与えください」
その祈りに応えるように、仄かな光がふわりと彼女を包み込んだ。
***
王政国家オーブランカ。
そこでルティナは、女神に仕える聖女として育てられた。
民や王家のために祈りを捧げ、力を尽くす── それが彼女の日常だった。
いつか女神が勇者を選ぶ日が来る。
その日のために、ずっと準備してきた。
そして今日。ついに勇者が選ばれる。
十数年もの間、人々が待ち望んだ──魔王を倒す“希望”が。
朝の祈りを終えたルティナは深く息を吸い、
女神プリローダを奉る神殿へと歩き出した。
***
純白の大理石で造られた神殿は、
混沌とした世界の中で唯一の光のように輝いていた。
それは、人々を絶望から救う最後の希望の灯火。
ルティナが神殿へ足を踏み入れると、柔らかな鐘の音が響く。
白衣の神官たちが祈りを捧げ、すでに、ギムレット王太子を筆頭に
各貴族や騎士たちが席についている。
ルティナの姿を見ると皆が立ち上がり、一礼する。
コニャック大神官が皆の着席を見ると厳かな声で宣言した。
「勇者聖約の儀を執り行います」
集まった貴族や騎士から、期待の声があがる。
勇者聖約の儀とは、女神が勇者を選び、神の力の一端を授ける神聖な儀式。
これまで防戦一方だった人類に、初めて反撃の機会が訪れるのだ。
「ついに……この日が来たのだな」
ギムレット王太子は、清らかな碧眼を女神像に向けると祈りの言葉を呟いた。
人々が続く中、ひとりの青年が堂々と声をあげた。
「勇者に志願いたします!」
声をあげたのは、剣の名門ウインスキー侯爵家の嫡子── キール。
癖のある長い銀髪が光を帯び、まっすぐな瞳は不屈の正義と覚悟に満ちていた。
だが、それでいて、その眼差しの奥にはどこか翳りがある。
騎士たちが歓声を上げ、王太子も満足げにうなずく。
「養父に代わり
騎士の本懐を遂げるつもりか」
「はい」
その勇ましい声を聞き、ルティナは──
前夜、神殿の裏庭で交わした言葉を思い出していた。
勇者聖約の儀の前夜。
ルティナはキールに神殿の裏庭へ呼び出されていた。
そこは、世界にふたりしか存在しなかのように、寂しく静かな場所。
うつむいたまま、キールはかすれた声を漏らす。
「栄誉が……」
「せめて、魔王討伐の栄誉がなければ、
死んでいった者たちに、顔向けができない」
風が乾いた草を揺らし、二人の間を吹き抜けた。
キールは顔を上げ、真剣な眼差しでルティナに話す。
「どうか、俺を……
ウインスキー家の跡取りである俺を
勇者に選んでくれ!」
その声には、焦りと切実さがあった。
彼は、ルティナの前で膝をつくとすがるように手を握る。
「頼む、ルティナ……」
震える唇で名前を呼ばれ、ルティナは戸惑い、視線をそらす。
「……それは……」
夜風が吹き、キールの本音をさらった。
「勇者にならなければ、
父上は何のために……」
ウインスキー侯爵──かつて魔獣から孤児を救うため、自らの利き腕を失った男。
その命を賭して救ったのが、キールだった。
誰より強くあろうと努力してきた青年。
もし自分が勇者を選べるのなら、ルティナは迷わず彼の名を挙げていただろう。
だが──
神託が告げた名は
キールではなかった。
誰もが彼こそ勇者にふさわしいと思っていたのに。




