11.聖女の使命(2)
神殿は、まるで時に見放されたように静まり返っていた。
天井は抜け落ち、月夜が瓦礫を照らしている。
崩れた壁の隙間から吹き込む風が、灰と砂を運び、鈍い音を立てて漂っていた。
「ルティナ……
ここで何があった!?」
瓦礫の中で座り込む、彼女の姿に胸がザワつき駆け出す。
「お前は無事なのか!?」
ルティナは、驚いたようにこちらを見上げた。
「キール……」
ひどく擦れた声だった。
月光に映し出された顔は青白く、陰影が骨を浮かび上がらせている。
輝かしい過去を知っているだけに、いまの姿は、あまりに痛々しく哀れだった。
「私……許せないの……」
「女神様や私に酷いことをした人たちが……」
その悔しげな声に、キールは過去の光景を思い出した。
神託が別の者を勇者に選んだ日 ── ウインスキー家は名誉を失い、
本来得られたはずの栄誉も、褒賞も、すべて消えた。
「聖女が神託に逆らえるはずがない」頭では理解していたが、
現実の冷たさが、キールに心を閉ざさせた。
恨みに思った彼女は、何倍もの絶望を背負って生きていたのに。
(俺がついていれば
こんなことには……)
後悔が胸の奥を焼き、思わず静かな問が漏れる。
「どうしたい?」
ルティナはうつむき、ぽつりと答えた。
「復讐したい……この世界に」
切羽詰まった聖女の言葉に、キールの息が止まる。
「そのために、私……」
ルティナは顔を上げ、唇を噛んだ。
覚悟を決めたように、ぎゅっと女神像の欠片を抱き締める。
そして、震える声で ──
「魔王を復活させようと思ってる」
あまりにも突飛な言葉にキールの瞳は揺れる。
だが、彼女の目には、確かな決意が宿っていた。
「何を言って……」
思わず出た声は、自分でも驚くほど弱かった。
ルティナは、自嘲するように微笑んだ。
「身勝手だよね……
軽蔑するよね……」
キールは戸惑いながらも、彼女の言葉の真意を探す。
「止めて、欲しいのか?」
ルティナは小さく首を横に振った。
「それは、違うかな……」
彼女が纏うぼろ布が小刻みに揺れている。
もしかしたら、自分の決意に怯えているのかもしれない。
「魔王を復活できたとして、
その後はどうするつもりだ?」
ルティナは少し間を置いて答えた。
「勇者に……倒してもらうことになると思う」
「私がしたいのは、
私や女神様の存在を“思い知らせる”ことだから」
「誰かを傷つけたいとか……そういうのじゃないの」
「つまり──」キールは大きく息を吐く。
「名声を取り戻すために、魔王を復活させ
その後、討伐するということだな」
「うん……」
あまりにも無茶な話だった。
だが、砕けた祭壇、崩れた女神像 ── ルティナが生きてきた場所は、
もう形をなしていない。
何より、弱弱しい姿に、責める気持ちは起きなかった。
「……わかった」
ここまで追い込まれた彼女を放ってはおけない。
キールは、破壊された彼女の世界をゆっくりと見渡し、手を差し伸べる。
「その無茶に、俺も付き合う」
「で、でも……」
ルティナは、差し出された手に戸惑っていた。
非難されると思っていたんだろう。
キールは少し切なげに笑った。
「今の世界は、あまりにも救いがなさすぎる。
それに──」
キールは得意げな声で言う。
「魔王を倒すには勇者が必要だろ?」
世界中に称えられる勇者になりたいわけじゃない。
キールが守りたいのは、ただひとり ―― 目の前の、怯えるルティナだった。
彼女が言葉を詰まらせたそのとき、腕に抱いた女神像の欠片がふわりと光った。
まるで、背中を押すように。
「……わかった
キールにお願いする!」
「よし!」
キールはルティナの手を握り、力強く頷く。
「それで、魔王の復活には
何をすればいいんだ?」
ルティナは、こめかみに指を当てて唸った。
「えーっと……昔読んだ本か何かに
書いてあったんだよね……」
「うーん……」
キールがぼそりと呟く。
「記憶……曖昧だな」
ふたりの間に、小さな笑いが生まれる。
崩れた神殿に響くその声は、どこか懐かしかった。
──その静寂の奥で、じっと彼らを見つめる影があった。
息を潜め、暗闇に溶け込む男の姿が。




