10.聖女の使命(1)
五年前 ――
祈りの間は静寂に包まれ、ステンドグラスの光が淡く差し込んでいた。
その光は、女神像の前にひざまずくルティナを神々しく浮かび上がらせる。
ひたむきに祈る彼女の姿は、まるで神話の一場面のようで――
その清らかな表情は、凛とした美しさを帯びていた。
「女神様……」
静かに語りかける声。
その声音には疲れ切った民たちの思いが込められていた。
「人々は戦いに疲れ
もう抗う気力もありません」
両手を胸の前で固く握りしめ、さらに深く祈りを捧げる。
「どうか……
どうか私たちに、希望をお与えください」
「戦いの先に――
必ず皆が笑って過ごせる平和な世があると……
どうか、お示しください……!」
祈りはさらに熱を帯びた、その瞬間だった。
女神像からきらきらとした光が舞い降りる。
まるで女神そのものが応じたかのように。
「女神プリローダ様……」
彼女の願いは確かに、女神に届いたのだった。
***
月光が差し込む、瓦礫だらけの神殿。
ルティナは壊れた女神像の欠片を抱いていた。
耳の奥に美しい声が響く。
『――聖女よ』
抱きしめていた女神像が、柔らかな光を放っている。
ルティナは息を呑んだ。
「女神……様……!?」
奇跡に目が潤む。
魔王が勇者に討伐されてから、ルティナは聖女の力を失っていた。
聖力が枯れ、女神の声を聞くことすら叶わなかったのだ。
(もう、お声を
聞くことはないと思っていたのに……)
胸の奥から熱いものが込み上げる。
だが、続いた声は思いのほか冷たかった。
『本当に……
魔王を復活させようというのですか?』
普段とは違う厳しい声に、ルティナは思わず目を伏せる。
「……はい」
だが、実際に口してみると迷いはなかった。
「女神様に何と言われようと……
私の決意は揺らぎません」
光がふっと収まり、静寂が神殿を包む。
『……ルティナ』
『私の、可愛い子』
その声色は、一瞬だけ優しさを取り戻したかと思うと――
次の瞬間、まるで別人のように弾んだ。
突然、神殿にめでたい音が鳴り響き、
花火のような明るい光がルティナの暗い表情を照らす。
『よく決意しました♪』
いつもと違うテンションの高い声に、ルティナは硬直した。
「……え?」
「お、お怒りにならないのですか……?」
『なんで?』
「いや……ほら、その……
“聖女らしくない!”とか……」
「邪悪に支配されてけしからん! とか……」
もじもじと人差し指を突き合わせるルティナをよそに、女神は軽く笑った。
『いやねぇ〜
あのギムレットとかいう坊や?
私だったら――』
『……三回はコロス』
突然、空気が凍りつく。
『虫からやり直させる』
色のない闇の中、壊れた女神像が、不気味な陰影を浮かび上がらせている。
ルティナの背筋に冷たいものが走った。
「………」
「私の像をここまで壊した奴らよ!」
『私はあなたを応援するわ!
ファイトよ! ルティナ!』
ルティナは女神の反応に、本当にいいのかと逆に不安になる。
「あ、はい……
ありがとうございます、一応……」
そのとき、女神の声色がスッと厳かなものに変わった。
『聖女ルティナよ』
突然、威厳を見せた女神に、ルティナは慌てて背筋を伸ばす。
「は、はい!」
『魔王の復活は
あなたにとって試練の連続になるでしょう』
『それでも――
魔王を復活させる覚悟はありますか?』
ごくり、と喉が鳴る。
ルティナは ―― ためらいを捨てるように話し始めた。
「私だって本当は……
魔王の復活なんてしたくないです」
「人々が傷つく姿は
見たくありませんから……」
嘘偽りない本音だった。
「でも、魔王が討伐されてから、
用済みみたいに
町の人は見下してくるし、
食べる物に困ってても
仕事すらくれないんですよ?」
先ほどまで震えていた声が、次第に愚痴へと変わっていく。
「王太子は「拾え」なんて、
コイン一枚しかくれないし……
こっちは無償で助けてきたのに
馬鹿みたいですよね」
「あ、でも……本当は魔王復活なんて
したくないんですよ」
ためらいを捨てた後では、ただの建前でしかない。
「でも、弱い者なりに、意地もありますし……」
「なにより、救ってくださった女神様に
こんな仕打ちをする人を許せません」
「だから……──」
潤んだ瞳に、強い火が灯っていた。
「覚悟はあります!
絶対に最後までやり遂げます!」
一通り吐き出すと言葉は決意に変わっていた。
『うん、オッケー!』
『じゃあ、まずは仲間集めからね♪』
「仲間……?
いまの私に……仲間……?」
──沈黙。
女神もなぜか気まずそうに黙り込む。
そのときだった。
「ジャリ」崩れた瓦礫を踏む音が響いた。
ルティナが振り返ると、神殿の入口に、ひとりの男が立っていた。
月の光に照らされたその顔は ── キール。
驚いた表情で、キールはルティナを見つめていた。
「ルティナ……
ここで何があった!?」
光に照らされた銀色の髪がふわりと揺れ、瓦礫を踏むたびに脚の長い影が伸びる。
見つめ合うふたり。
その瞬間 ―― ルティナの心に、純白の羽が静かに舞い上がった。




