第霊話 夏を彷徨う者たちへ
俺達が地下壕を発見したことは世間で大々的に取り上げられたこともあって、体育館はたくさんの観客で埋め尽くされオカ研の発表は大成功に終わった。
あまりの観客の多さに星越はガチガチになっていたが、篠原のサポートもあってなんとか乗り切っていた。
大成功を収めて文化祭を終えた俺達は今、空き教室でジュースやお菓子を広げて打ち上げをしている。
最初はいつも通り部室で打ち上げを行うつもりだった。
しかし、せっかくの打ち上げだから狭い化学準備室の部室ではなく、どこか空いている教室でやろうという篠原の提案に満場一致で賛成することになった。
職員室で適当に見つけた先生に空き教室の使用を申し入れたところ、あっさりと空いていた教室を充てがわれた。
こういう対応をされると地下壕を発見した前と後では、オカ研への優遇の差が顕著に感じられる。
「いや〜それにしても星越の緊張具合は最高だったな! 緊張しすぎてて、ロボットみたいにカクカク動いてたぜ」
「うっ、うるさいっ! 多少は緊張してしまったが、ボクはそんな風には動いていない! そもそも、なんであんなに人が来るんだ! 聞いてないぞ!」
「誰も言ってないからな」
「石塚はわかっていたのか?」
「なんとなくは、な。ネットとかでも割りかし取り沙汰されてたし。けど、オレもあそこまで人が来るとは思ってなかったな」
それは石塚だけでなく、俺も篠原も感じていたことだ。
いくらネットやニュースで取り上げられていたからといって、内容は高校生が戦時中の地下壕を見つけたという案外地味なものだ。
そんなことの発表会にあれだけ大勢の人が来るのはどうもしっくりこない。
本当になんであんなに来たんだろうか。
「新庄と篠原はそこまで緊張してなかったよな。あの人数はオレでもちょっと膝笑ったぜ」
「いや、俺だって普通に緊張してたからな。本当に緊張してなかったのは篠原だ。カンペも一切見ずに淀みなく喋ってたぞ、コイツ」
「それは内容が僕の得意分野だったからだよ。発表の内容が他のことだったら、僕だって星越と同じような醜態をさらしていたかもしれない」
「ボクのどこが醜態だって!?」
「篠原にあんだけフォローされといて、どの口が言ってんだよ」
「ボクだってな、内容がクトゥルフ神話だったら篠原みたいに完璧な発表ができたわ!」
「誰がお前の話すクトゥルフ神話なんか聞きに来るか」
「なッ、なんだと石塚! もういっぺん言ってみろ!」
石塚が食べようとしていたお菓子を強引に奪い取って、星越が口いっぱいに頬張った。
「てめぇ〜〜! 何、人が食おうとしてたもん勝手に食ってんだよ!」
食べ物の恨みは恐ろしく、とうとう石塚と星越は取っ組み合いを始める。
普段は二人がこんな風に喧嘩をしだすことなんて滅多にない。
オカ研の存続と文化祭での発表が大成功したことの打ち上げがどうしてこうなってしまうのか……
何もこんな時にやらなくてもいいだろ。
「この光景を高山先生が見たら、オカ研はまた廃部を言い渡されるかもね」
「怖いこと言うなよ、篠原。もう一回、成果を出せなんて言われたらどうするんだよ。しかも、今回のことがあるから成果と認められるもののハードルがめちゃくちゃ上がってるんだぞ。巨大な地下壕の発見を超えるような成果ってなんだよ?」
「ロサンゼルスの戦いの真相解明とか?」
「オカルトや戦争系は今回で懲り懲りだ。もう勘弁してくれ。いい加減、俺達を解放してくれ」
「それは僕も同意見だ」
互いに目を合わせて軽く笑い合い、飲んでいたジュースで乾杯してクイッと一気に飲み干す。
その後も、くだらない話で盛り上がったり、ダラダラとしていたりと、あっと言う間に下校時刻になっていた。
教室の窓から薄いカーテン越しに淡いオレンジ色の夕日が差し込んでいる。
自分達が飲み食いして出たゴミを片付けて、俺以外の全員がぞろぞろと教室を出ていく。
「おい、おいてくなよ。俺も先にいくよ」
忘れ物がないかを確認していて出遅れてしまった俺は皆を追いかけようとしたが、扉の下にある銀のサッシを一歩跨いだところで違和感を感じて振り返った。
「うおっ!」
すると、そこには若い女の人が立っていた。
黒髪のロングヘアーが胸元までかかっていて、結構キレイな人だ。
さっきまで教室には俺以外は誰もいなかったはず。
不思議に思いながらも、文化祭に来ていた来校者がまだ残っていて、教室の後ろにある扉から入ってきたのだろうと俺は無理矢理納得した。
「すみません、文化祭はもう終了しているので外部から来校された方は帰って頂くことになっているんです」
「帰ってくるべきなのは、駲君だよ」
「……は?」
初対面で俺の名前を知ってることや発言の内容も含めて、一層この女性の存在が不思議に感じられる。
いつの間にか教室のドアは廊下と教室を隔てるように隙間なく閉められている。
「とりあえず、そこの椅子に座ろっか」
ここに座れと言わんばかりに引かれた椅子がポツンと目の前に置かれている。
戸惑いながらも俺は謎の女性に言われた通りに座った。
座ると目の前には机が一つどころではなく、10個はあろうかという数が縦一列にぴったりと隙間を作らずに並んでいる。
目の前にある机単体では横長の長方形であるが、こうも机が縦一列に並んでいると巨大な縦長の長方形へと早変わりする。
いや、それ以前にさっきまでこんな机の並び方をしていただろうか。
謎の女性は俺の真向い、つまり5メートル近く並べられた机の先に座った。
ここに銀食器やろうそくを立てる燭台があれば、ヨーロッパ貴族の御屋敷にある食堂そのものだろう。
「ここがどこだかわかるかな?」
「どこって、どう見ても教室ですよ?」
「……そっか。駲君にはまだそう見えているんだね」
「何の話ですか? それになんで俺の名前を知ってるんですか? 俺とは初対面のはずですよね?」
「初対面かぁ……ううん、なんでもないよ。こっちの話だから」
「はぁ……? あの友達を待たせてしまっているので、もう帰りたいんですけど」
俺の質問には一切答えてくれな様子だったため、話を切り上げて席を立とうとする。
「わかってるよ。だから、駲君が帰るべき場所へと帰れるようにこうしてお話ししているんだよ」
「帰るべき場所?」
発言の内容があまりにもトンチンカンすぎて、つい浮いた腰が元に戻ってしまった。
「うん、そうだよ。駲君だってもう気づいているはずだよね。正確には言えば、最初から全てを知っているんだよ。知っていても、その情報が駲君の中で情報として認識されていないだけなの」
「……何を言っているんですか? すみません、もう帰らせて下さい」
いよいよ訳のわからないことを言い始めたこの謎の女性を教師か警備員に知らせなければと思い、今度こそはと席を立ち上がる。
教室から出るために扉に手をかけて開こうとしたが、扉はビクとも動かなかった。
なんだか俺は壁に描かれている扉をアホみたいに開けようとしている気分だった。
「ここまで来た時点で、駲君はもう自分が望んだ世界へは帰れないよ。私を認識できているのがその証拠だしね」
「認識って……そりゃあ目の前にいるんだから認識できるに決まってるじゃないですか」
「それは違うよ。駲君はついさっきまで私を認識できていなかったんだよ。だから、振り向いた時に私が急に現れたと思って驚いたんじゃない?」
「誰もいなかった教室を振り返って、いきなり人がいたら驚くのは当たり前じゃないですか」
「誰もいなかった教室に人がいきなり現れることなんかあり得るのかな?」
そう聞かれて、俺は自分を無理矢理納得させた理論がガラガラと崩れていくのを感じた。
俺以外の全員が教室を出た時、廊下には石塚や星越、篠原以外に人はいなかった。
それなのに、どうして教室にある後ろの扉から人が入ってこれるだろうか。
後ろを振り向くまでの僅かな時間で、どうして俺の真後ろに立てるだろうか。
「そんなことはあり得ない……そうだよ、あり得ないんだよ! どうやってアンタはこの教室に、俺の真後ろに現れんだ!?」
「現れたわけじゃないよ。私は最初からずっと駲君のすぐ側にいたんだよ。それもオカルト研究会の廃部を伝えられた時からね」
「は? そんなわけないだろ。俺は今日、楓さんとは初めて会ったんだぞ!」
「本当にそうかな? 初対面同士がお互いの名前を知っているのは少し変じゃないかな?」
「え? あ、あれ……なんで……俺はアンタの名前を知っているんだ……?」
「駲君はね、今の今まで私を認識できていなかっただけなんだよ。私という存在の情報を情報として認識できていなかったの。だから、駲君は自分の隣には誰もいない虚無の空間が広がっていると勘違いしていたわけなんだよ。それでも、チャットという形であれば、かろうじて私の存在を認識できていたみたいだけどね」
「あのチャットの相手は楓さんだったんですか……」
なぜかこれまで、チャットの相手が誰なのかと意識することがなかった。
いや、相手が誰なのかという発想すら湧いてこなかった。
それは俺が楓さんのことを認識できていなかったからなのか?
「さぁ、もう帰る時間なんだよ」
「帰る? 帰るってどこにですか?」
「駲君が生きていくべき世界、現実にだよ」
「現実? 楓さん、何言ってるんですか。そんなのまるで、今いるこの世界が現実じゃないみたいな言い草じゃないですか」
「その通りなんだよ。駲君が今見ている世界は現実じゃないの」
「じゃあ、なんだって言うんですか!?」
「駲君が見ている夢なんだよ」
夢?
これが?
どう考えても現実だろ。
楓さんは何を言っているんだ?
今日の楓さんはどこかおかしい気がする。
「夢? ふっ、そんなわけないでしょ。現に俺はこうして意識が覚醒しているし、痛覚だってありますよ。物に触れて感じる触覚だってあるし、視覚も聴覚も嗅覚、味覚だってあるんです。それなのに楓さんはこれが夢だって言うんですか?」
「そうなの。信じられないかもしれないけど、それは駲君が見ている夢なんだよ。今まで起きた出来事をよく思い出してみて。何か不自然な点とかはなかったかな?」
俺は必死に頭を巡らせる。
夢だなんてそんな馬鹿なと思いつつも、本当に夢ではなく現実であるという確たる証拠が欲しかったのも事実だ。
これまでに不自然なことがなかったかと記憶を駆け巡らせる。
一つ思い当たることとすれば、変電所の地下で見たあの名状しがたいものであるが、あれこそ夢か何かだろう。
そう考えてみると、不自然なことなど何一つないはずだ。
「……不自然な出来事なんて何もありませんよ」
故に、俺はそう結論づけた。
「そっか。どうしても、こうなっちゃうよね。こういうことは自分で気づくことが一番いいんだけど、仕方ないかもしれないね。少し強引かもしれないけど、私が断片的にでも教えるしかないようだね」
「今日の楓さん、何かおかしいですよ。俺が見てる世界が夢だって言うなら、教えて下さいよ。この世界が現実じゃないって証明してみて下さいよ」
俺が憤慨して執拗に問い詰めるのに対して、楓さんは落ち着いた様子でゆっくりと目を一度瞬きさせる。
この仕草をするということは、これから楓さんは仕事モードに入るということだ。
「じゃあ、まずは手始めに。駲君が所属している部活は何ですか?」
「……オカルト研究会です」
「オカルト研究会ですか……駲君、あなたの通っていた学校に研究会なんてものは存在しませんよ。あるのは部だけです」
「オカ研がない? いやいや、そしたら俺達がやってきた活動は何だって言うんですか? それに篠原の所属してた歴史研究会だってどうなるんです?」
「存在していません」
仕事モードに入った楓さんは淡々と応答を繰り返していく。
そんな楓さんをなんだか俺は不気味に感じてしまっている。
「存在しない? さっき、体育館の舞台で発表をしてたんですよ? それなのに存在しないわけがないでしょ!」
「なら、それを証明して下さい」
「証明なんてどうやってやるんですか?」
「何でもいいですよ。例えば、文化祭で配られていたパンフレットにオカルト研究会について記載されているとか」
いつの間にか俺と楓さんとの机の間に文化祭のパンフレットが置かれていた。
俺の位置からであれば、身を乗り出せばなんとか届く位置だ。
上半身を机の天板に預けて、俺は身を乗り出した状態でできる限り手を伸ばす。
指先がパンフレットの端をかすめたことで、なんとか手繰り寄せることができた。
「そんなことでいいなら、簡単ですよ」
パンフレットには体育館で行われるプログラムが時刻表と一緒になって記載されている。
体育館の舞台で地下壕について発表を行ったオカ研の名前がパンフレットに記載されていないわけがない。
あれだけの人が発表を聞きに来ていたんだ、むしろ大々的に取り上げられているはずだ。
楽観的でも何でもなく、オカ研の名前が書かれていると確信を持って俺はパンフレットを開いた。
だが、パラパラとパンフレットをめくる俺の手つきは次第に自信をなくしていく。
「無い、無い、無い、どこにも無い……なんでだよ? なんで無いんだよ!!」
「証明できませんか?」
「いや、何かの間違いでしょ。きっとこれは落丁かなんかで印刷ミスしたパンフレットなんですよ。正式なパンフレットの方にはちゃんとオカ研のことが書かれているに決まってますよ!」
「いいえ、そのパンフレットには印刷ミスはありません。ちゃんとした正規のパンフレットです」
「う、嘘だ……」
「他にもありますよ。新庄さん、今は何時ですか?」
俺はズボンのポッケに入っていたスマホを取り出して時刻を確認する。
「22時13分ですけど……え、22時?」
何気なく、視線を窓の方に移す。
教室を出ようとした時よりも今の教室は濃い夕焼け色に包まれていた。
カーテン越しでも太陽が一日のラストスパートをかけるかのように、最後の力を振り絞って世界を照らしつくそうと頑張っているのがわかる。
「いつから日本は白夜のある高緯度の国になったんでしょうね? いいえ、それ以前の問題ですね」
「……こ、これこそ何かの間違いですよ。こんな馬鹿なことがあってたまるかってんですよ! 俺のスマホの時計表示が故障しているだけです!」
「教室にある時計もたまたま同じように同じ時刻で故障していると?」
楓さんに言われて俺は教室の黒板中央上にかかっていた針時計を見る。
「ッ!……」
教室の時計も俺のスマホと同じ時刻を指し示していた。
「それに窓の外をよく見て下さい」
俺は危うい足取りで窓に近づき、ひらひらと揺れるカーテンをめくって外の世界を確認する。
「なッ! た、太陽が南に沈ん……で……る?」
「これでわかったと思います。この世界が現実ではないということを」
「で、でも! そんなことがあるかよ! 石塚や星越、篠原だってちゃんと実在しているんだぞ! この夏休みのことだったり、それ以前の記憶だってちゃんとある。これが全部、夢だって言うのかよ!?」
アイツら全員、俺が生み出した幻だって言うのかよ!
一人の人間の頭から、あんな精巧な幻なんか作れるわけないだろ!
「そう思いたくなる気持ちもわからなくはありません。だけど、これがあなたの夢であるという事実は変わりらないんです。必要であれば他にもいくらでも不自然な点をあげられますよ。ナチス・ドイツがゾンビを作る研究をしていたことや変電所の地下に巨大な地下壕があるなんてこと、あるわけないじゃないですか。文化祭の日程だって支離滅裂ですよ」
「……」
見えている現実が信じられず、俺は一度目をつぶってしまう。
視界が暗くなり、もう一度目を開けると楓さんが一瞬のうちに机一つ分の距離まで近づいていた。
目と鼻の先の真正面に楓さんがいる。
あまりの物理法則を無視する動きに俺が目を見開いて驚いたかと思えば、次の瞬間にはまた遠く離れた元の位置へと楓さんは戻っていた。
「本当に……本当に俺が見ている世界は現実じゃなくて、ただの夢なんですか?」
「そうです。新庄さんは夢と現実の違いが何かわかりますか?」
「……より多くの他者と同じ空間や出来事を共有できるか否か」
「その通りです。物理法則や時間、感覚の整合性などもありますが、私は多くの他者とどれだけ認識した事象を共有できているかが夢と現実の相違点として重要な要素だと考えています」
「俺が認識してきた出来事は他者と共有できていないのか……」
「はい。現に、私と新庄さんとでは共有ができていません」
この世界が現実ではなく、自分が見ている夢であると認識できたことで俺の中で意識が徐々に切り替わっていくのがわかる。
それと同時に、優しいオルゴールの音色が次第に強く耳の鼓膜を通して聞こえてくる。
「ここは……」
教室だったはずの場所は幻だったかのように跡形もなく消え、全体的に淡い白のクリーム色を基調とした壁に小さい窓と応接用のテーブルとソファが置かれている部屋に変わっていた。
楓さんは俺の座っている真向いで、同じようにソファに腰を掛けて座っている。
テーブルにはアールグレイが入った二人分のティーカップが置かれていた。
「ここは国立国府台医療センターの第一カウンセラー室です」
「これこそが現実?」
「そうだよ。おかえりなさい、駲君」
楓さんの穏やかな微笑みを見て、俺は現実に帰ってこれたのかと実感して肩の力が抜けていく。
「俺はここで治療中だったわけなんですね……」
「治療中……まぁ、端的に言えばそうなるかな。駲君は夢と現実の区別ができずに、今までずっと夢の世界を現実と思って生きてしまっていたんだ。たぶん、現実と向き合って生きていくことがとても辛かったんだと思うの。自分の精神を保つためには夢の世界に逃げ込むしかなかった。それだけ、駲君にとって現実という世界は過酷なものだったんだよ」
仕事モードではなくなった楓さんはまた、いつもの優しい口調に戻っていた。
「じゃあ、夢から醒めた俺は現実と向き合える精神に……治ったということなんですか?」
「完全にとは言えないけど、完治への大きな一歩ではあるよ」
そう、たしかにこれは大きな一歩だ。
これまでに何回、何十回、何百回、何千回、何万回も繰り返してきた中で、ここまで来たことはなかった。
あと少しだ。
あと少しで、俺は……私は……
「それはつまり、ここが現実であるということですよね? それが間違っていなければの話ですが……」
「ん? どういう意味?」
「……うつし世はゆめ、夜の夢こそまこと」
「たしか……江戸川乱歩の言葉だったよね?」
「現実の世界は夢であり、夢こそが真実である」
「そうだね、そんな感じの意味だったよ」
「ここには俺と楓さんの二人しかいない。そして、俺と楓さんは互いに認識している世界を共有できていない。……なら、どちらの認識している世界が本当の現実なんでしょうね? いや、どちらも現実ではないかもしれない」
「な、何を言っているの駲君? もちろん、私が認識している今の世界が現実に決まってるんだよ」
「では、それを証明できますか? この世界が現実を模した夢の続きでないと断言できますか?」
「断言できるよ。物理法則や時間、感覚の整合性に加えて駲君と同じ空間や出来事を共有できていることがその証明。駲君が夢から現実に戻ってきてくれたことがこの世界が現実であると証明しているんだよ」
「チャットの相手は楓さんだったんですよね?」
「え? そうだよ」
「俺達が肝試しに行くことを伝えた時の会話って覚えてますか?」
「うん、覚えてるよ。たしか、肝試しに行く日がちょうど敗戦の日だったよね?」
「その言葉に間違いはありませんか? 間違いないのであれば、この世界が現実であることの証明はできていませんよ」
「どういうこと?」
「敗戦の日なんて俺は知りません。知っているとしたら終戦の日です」
「終戦の日? 何、それ? 私はそんな言葉、聞いたことないよ」
「でしょうね。つまり、我々は同じ出来事を共有できていないんですよ」
「だから、この世界が現実であると証明できていないって駲君は言いたいんだね。だけど、これぐらいの差異だったら双方の知識に違いがあるというだけで、この世界が現実でないということにはならないはずだよ」
「他にもありますよ。楓さんは日本が最初の被爆国だと言っていましたよね?」
「そうだよ。日本が最初の……最初?」
「日本が唯一の被爆国、これが戦後80年時の俺達が認識しているべき事象であるはずです。にも関わらず、楓さんは最初と言った。まるで、次の被爆国があることを知っているかのように」
「で、でも!……たしかに、日本は最初の被爆国であって……東京が陥落したあの日、私達の国は戦争に負けて……一緒にいた皆はもう……」
私は無意識のうちにボロボロと涙を流してしまう。
そして、いつの間にか第一カウンセラー室は元の教室の姿へと戻っていた。
「なっ……なんで?」
「辛かったですよね。俺達みたいな若い奴らだけが先にいって」
「皆の心のケアをするために一緒についていったのに、私だけが残ってしまった」
「楓さんが気に病む必要ないですよ」
「皆すごく良い子達だった。彁易君だって、槞真君だってそう。最近、入ってきた軅浩君だってそう。やっと、皆と仲良くなってきたばっかりだったのに……なのに私だけが残ってしまった」
「俺達だって残りたかった。けど、皆は先にいってしまったじゃない! それに俺達はあんなことをしたんだ。俺も、石塚も、星越も、篠原も、いい子ではいられなかった。あれは皆のせいじゃないよ! あの時は、ああするしかなかったんだよ!」
「あれは私のせいでもあるんだよ……皆の不安を取り除くために私はいた。でも、それは皆の背中を押す行為でしかなかった。だから、やり通すことができた。そして、恐れずに先にいけた」
「私も一緒にいきたかった。私だけを残して、おいていって欲しくなかった。ねぇ、私をおいてかないで。おいてかないで、おいてかないで!」
「怖かったの。それは俺達だって……いや、皆の方が怖かったよね。怖くて向き合えなかった。逃げてしまったんだ。また、目醒めてもう一度同じ体験をするなんて耐えられない」
「目醒めた先だって夢かもしれない。夢だったらいいのに。夢か現実かどうかはもう関係ない。数多の人々と共有できてきていても本当はその世界が夢で、私しか認識できていない世界が本当の現実かもしれない。しかし、それは夢が現実へ、現実が夢へと変化するだけ」
「だとしても、ここはあなたが生きていくべき世界じゃない。私がいきたい世界なの。皆はそれじゃ駄目なんだって。皆がいきたい世界と私がいきたい世界は違うの? そっか……そうなんだね」
「さぁ、帰りましょう。あなたが生きていくべき世界に――」
新庄駲が教室の針時計の隣にある灰色の四角いスピーカを見つめる。
葛城楓も同じように、スピーカの中央にある暗い円を見つめる。
『……ジジッ』
スピーカから小さなノイズが走る。
そして、臨時ニュースを報じる緊急放送チャイムのメロディーが流れる。
「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます――」
直後、国民保護サイレンの不協和音が鳴り響いた。
最後までお読み頂きましてありがとうございます。
「夏を彷徨う者たちへ」はこれにて完結となりました。
読後の感想など様々あるかと思います。
ぜひ、忌憚のない感想を頂けたら嬉しいです。
また、少しでも面白いと思った方はブックマーク、ポイントをして頂ければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
活動報告も書いています。
よろしければそちらもご覧ください。




