第二十一夜 。
星越から借りた懐中電灯を頼りに、俺達は暗い中をコンクリート製の階段を下っていた。
俺が先頭で懐中電灯を持って先を照らし、篠原が地図を確認しながら指示を出すといった具合の編成だ。
足裏から無機質なコンクリートの硬さと冷たさが伝わってくる。
「……やっぱり、僕達だけで地下壕を調査するというのはやめた方がいいんじゃないか?」
「ここまで来て何言ってんだよ、篠原」
篠原はさっきからずっと、こんな調子だ。
地下壕に入ろうとした時も調査は専門家に任せて、入るのはやめようとためらっていた。
ひょっとすると、篠原は星越よりも怖がっているかもしれない。
俺も怖いのはわかる。
使命感のおかげでなんとか足を止めずに進められているが、それがなかったらとっくのとうに逃げ出している。
だとしても、篠原にはもう少し頑張ってもらいたい。
「そうだけど……この地下壕は迷路みたいに入り組んでいるんだ。迷って戻れなくなったらどうするんだよ」
「そのために案内役として篠原がいるんだろ? その手に持っているスマホの画面に映っている地図は何のためにあるんだ? しかも、星越から借りたロープもあるんだぞ」
地下壕に入る直前、星越から遭難防止の目印しとして何十メートルもありそうなぐるぐる巻の赤いロープを渡された。
外で待機する石塚と星越がロープを固定して、ロープを持っている俺達が壁伝いにロープを張っていくという寸法だ。
そうすれば、自分達が通ってきた道の壁にだけ赤いロープが張ってあることになり、迷わず帰って来れるわけだ。
「慎重に進んでいけば大丈夫だ。何かあっても石塚と星越がすぐに助けを呼んでくれる」
「……新庄の言うとおりかもしれないな」
雑念を振り払うように篠原は額を拭った。
それから、篠原の指示に従って俺達は慎重に歩みを進めていった。
ようやく階段を下り終えると、足場はコンクリートから土に変わった。
「ここからどう進む?」
「そうだな……とりあえず、この一番広い広間のようなとこを目指そうと思う。現在地からはそこまで離れていない。距離的に考えて十分に一時間以内で往復できそうだ」
「よし、そこをゴールとして進んで行こう」
そこから先もまた篠原の指示に従って進んでいく。
地下壕の足下はお世辞にもいいとは言えず、所々水が溜まっている。
あまり水はけがよくないのかもな。
地下壕の高さは立って歩くには少し低く、若干頭を下げながら歩くしかない。
そのせいで歩きづらく、気をつけてはいても何度か水溜りに足を踏み入れてしまった。
靴の隙間から中まで染み込んできた水が靴下をじんわりと濡らして、不快感を感じさせてくる。
加えて、湿気のせいか体にまとわりつくような蒸し暑さとなんとも言い難い匂いが鼻につく。
地下壕は決して居心地のいい環境ではなく、こんなとこに立てこもって戦っていたなど信じられなかった。
「その先に見えてくる角を左に曲がってくれ。そうすると目的地である一番広い部屋に行き着くはずだ」
この地図が正しければの話だけどと篠原は補足する。
「地図に記されてることが間違っていないことを信じるしかないだろ」
俺達は見えてきた角を左に曲がった。
歩いてすぐにゴールである部屋の扉らしき物が目に入る。
「あったぞ。地図はちゃんと合っていたみたいだな」
俺達は足早に扉へ近づく。
錆びてはいるが、出入り口よりも頑丈そうな鉄の扉だった。
扉には鍵は付いておらず、少しだけ隙間が空いていた。
そこから俺は中の様子を覗こうと試みる。
「どうだ? 何か見えたか?」
「いや、残念ながら見えそうで何も見えない。絶妙に視野が塞がれている。これはもう少し、開ける必要があるな」
覗き込むのをやめて、俺は隙間に手を掛ける。
「篠原も手伝ってくれ。二人でやれば開けられるかもしれない」
「わかった。なら、僕も手を貸そう」
篠原は地図を映していたスマホをズボンのポッケにしまう。
そして、両手で俺と同じように手を掛ける。
俺は片手に持っていた懐中電灯を俺達の手元をいい感じに照らしてくれるように角度を調整して足下に置く。
「せーのの合図で手前に引っ張るぞ。準備はいいか?」
「大丈夫だ」
「よし、いくぞ。……せーのッ!」
二人で力を合わせて扉を手前に強く引っ張る。
歯を食いしばりながら手に力を込めると金属が悲鳴をあげてズズッと動いた。
「くッ! ふぅ〜〜〜はぁ……」
渾身の力を振り絞ってなんとか扉は少しだけ動かすことができた。
動いたのは頭一つ分が入るくらいのスペースで、中に入るにはさらにもう少し開けなくてはならないが、中の様子を覗くには問題さそうだ。
「これなら中は見えそうだな」
「早速、覗いてみるか?」
篠原に足下にあった懐中電灯を渡そうとする。
「僕はいい。新庄が先に見てくれ」
「そうか?」
俺は篠原に渡そうとした懐中電灯と自分の頭を空いたスペースに突っ込み中を覗く。
突っ込んだ顔に部屋の中から何とも言い難い匂いや空気が肌で感じられた。
この部屋と地下壕では完全に異質な空間だった。
ここまで歩いて来た地下壕とは全く異なる不愉快な感覚が顔にある毛穴という毛穴から入り込んでくる気分だ。
正直、生きた心地がしない。
すぐにでも頭を引っ込めて外に出たい。
だが、俺はまだ中の様子を確認できていないため頭を引っ込めることなど到底できない。
俺は意を決して懐中電灯の光が部屋全体を照らすようにして目を凝らす。
それでも広い部屋の奥は懐中電灯の光が届かず、暗いままであった。
懐中電灯の光が届いたところには、複数の錆びれた検死台のような金属の台の上に損傷が激しく所々欠けている部分があるが人の頭蓋骨だと思われるものが検死台の数だけ乗っている。
他にも人体のどこかであっただろう骨もいくつか見受けられた。
あまりの光景に体が硬直していくのをじわじわと感じさせられる。
「どうなんだ? 中の様子はどんな感じだ?」
「……」
篠原が中の様子が気になって俺に聞いてくる声は耳に届いている。
しかし、それに答えようと声を出さそうとしても体が硬直しているせいで一言も発せられない。
「篠原? どうした?」
「……」
「おい、大丈夫か!? 今、何が見えている!?」
びくとも動かない俺の肩を篠原が揺さぶる。
それでも俺は指ひとつ動かせなかった。
すると、俺の頭上で篠原が中を覗きこもうとする気配がした。
俺が何を見ているのか気になり、好奇心を抑えられずに篠原も中を覗こうとしているのか。
「っ……!」
直後、篠原が息を呑む音がした。
そこから篠原が動く気配はなくなった。
きっと、俺と同じように体が硬直してしまったのだろう。
しばらく二人して動けずに目の前の光景に釘付けにされていた。
どのくらいそうしていたのかはわからないが、突如として部屋の空気が一変した。
その場の空気を吸うことすら憚られるような、嗅覚による感知を超えた恐怖や狂気の匂いだ。
それらの匂いは白骨化した複数の死体から来るものではない。
根拠なんてものはなかったが、俺にはわかった。
そして、その匂いがどこから来ているのかも俺にはわかった。
俺だけじゃない。
篠原にもわかっているはずだ。
懐中電灯を照らしても暗闇に包まれたままである、この部屋の奥から来るものだと。
自分達の目には決して見えないが、確実にこの世の理を逸した名状しがたいものがこちらを覗いている。
なんだアレは……?
なんなんだよ、アレは……
見えない。
見えないのに、そこにいることはわかる。
そこにいるはずなのに、見ることができない……
だが、そこにいる。
理解ができない……
いや、理解してはいけない。
頭が、俺の脳みそが、そこにいる何かを理解することを全力で拒否している。
理解してしまったら、わかってしまったら、気づいてしまったら、全てが消えてしまう。
それだけは阻止しなければならない。
早く……
早く、ここから逃げなければ
さもないと私は……
死を超えた恐怖で身動きが取れずにいた俺は部屋の壁に赤いロープが見えたことで我に返った。
呪縛から解き放たれかのように体を自由に動かすことができる。
すぐさま覗いていた頭を部屋から引き離して、俺と同じく硬直状態の篠原を叩き起こす。
「おい、しっかりしろ篠原っ!」
正気に戻らない篠原の頬を俺はぶん殴る。
なすがままに殴られた篠原は力なく倒れ込む。
「いッ……し、新庄?」
殴ったことによる強い衝撃のおかげか、痛がる素振りを見せながらも篠原の硬直も解けたようだ。
「大丈夫か、篠原!?」
「ぼ、僕は、何を見て……」
「んなことは、今はいい! こっから逃げるぞ!」
篠原を強引に引っ張り、壁伝いに張られている赤いロープを頼りに一目散に元来た道を走り抜ける。
逃げる途中、後ろは振り向かない。
正しく言うなら振り向けなかった。
名状しがたいものが俺達にピッタリと張り付いて迫って来ているのが肌でわかる。
もしも、振り向いてしまえば今度こそ体が硬直したまま動けなくなるだろう。
そうなったら、俺達は名状しがたいものに呑み込まれてお終いだ。
俺は懐中電灯で照らされる赤いロープを、篠原は自分の目の前を走る俺の背中一点だけを見て無我夢中で息をするのも忘れて走る。
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どれだけ走ったのだろうか。
いつの間にか背中に張り付いていた何かが離れていくのを感じ、同時にあの匂いも薄れていった。
『……おいてかないで……おいてかないで』
「え……?」
匂いが完全に消える寸前、かすかにそんな声が聞こえた気がした。
体が無意識に足を止めて振り向こうとする。
咄嗟に、今は一刻でも早く地上に出るべきだという俺の理性が働いたことで、振り向かずに足を前に進めることができた。
結局、どのくらいの距離をどのくらいの時間走ったのか見当もつかずに俺達はヘロヘロの状態で地上へと飛び出す。
水溜りなどでぬかるんだ足下から乾いた硬い地面に足がついたことで、俺達は無事地上に出られたことを気づかされる。
「びっ、ビックリした〜! おい、どうしたんだよ!? いきなり飛び出して来て!」
「な、何があったの……?」
血相変えて勢いよく飛び出してきた俺達を見て石塚と星越は何事かと驚いていた。
「……」
「……」
「なぁ、何があったんだよ? 地下壕はどんな感じだったんだよ?」
「こんなに急いで帰って来たってことはなんかアクシデントでもあった?」
「……」
「……」
「黙ってねぇで、何か言ってくれよ。なんか、すごいもんでも見つけたのか?」
「ネクロノミコンやナコト写本でもあったのか?」
「……」
「……」
何があったと質問攻めされるが俺も篠原も何も答えなかったし、答えられなかった。
言葉にしようと考えては消え、考えては消えを繰り返すだけで何も言えない。
ただ、自分達が出てきた地獄の門のように見えない闇が広がり、ぱっくりと開いた地下壕の出入口をじっと見つめることしかできなかった。
「な、なぁって! 本当に、何があったんだよ……」
「だ、大丈夫か? 顔色悪いぞ……」
何の反応も見せない俺と篠原に二人が戸惑いきった頃――
「……帰ろう」
俺はポツリと一言、そう言った。
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