第十七夜 現実はオカルトよりも奇なり
赤の表紙の冊子を篠原がパッと開くと、そこには何頁にも渡って地図が記されていた。
「これはどこの地図なんだ?」
「変電所があった周辺の地図だ。そして――」
篠原がさらに頁をめくると巨大な迷路のような地図が記されていた。
時々、少し広めのスペースが記されていたが、ほとんどは細長い通路のようなものが迷路のように張り巡らされている。
「この地図は変電所の地下にある巨大地下壕の全容を記している」
「地下壕? 学校の近くの地下にこんなバカでかい地下壕があるっていうのかよ。そんなの俺、聞いたことねぇぞ」
「この目で見たわけじゃないから、僕だって信じられない。でも、これには巨大な地下壕があるって書かれている。学校の近くなんてレベルじゃない。学校の地下にもこの巨大地下壕は張り巡らされている」
「マジかよ……」
いつも何気なく立っていた学校という場所の見えないところに、そんなものが隠されていたなんて実感が湧かない。
「じゃ、あれか? 何十年もの間、誰にも見つかっていなかったってことか?」
「その可能性もあると思う。あとは、計画はされていたけど着工にはいたらなかった可能性も考えられる。その場合だと、この地図は計画書ってことになる」
「巨大な地下壕があってもなくても、この発見ってすごいことなんじゃないのか? これまで、変電所の近くに巨大地下壕があったかもしれないって話は出てこなかったんだろ? いや、地下壕だけの話じゃない。さっきの人体実験だって今まで見つかってこなかった大発見だろ」
「そうだね。歴史学的に見てもこれは大きな発見だと思う」
この発見があれば篠原だけでも歴研の存続は可能じゃないだろうか。
「だけど、それは資料が見つかったってだけの話にすぎない。人体実験が行われていたことや巨大地下壕があるっていう物的証拠にはならない」
「そりゃあ、そうかもしれないけどよ。ないもんは仕方ねぇだろ」
「そんなことはないよ。今もまだ残っているはず」
「残ってるって何が?」
「巨大地下壕だよ」
「まだ見つかってないだけだって言いたいのか?」
「その通り。新庄だって、言ってたじゃないか。人体実験なんかバレずにどこでやるんだって」
「あぁ、言ったな」
「その条件を満たしたぴったりな場所があるじゃないか」
「……まさか、それがこの巨大な地下壕だって言いたいのか?」
「そうだよ。何十年も経った今も見つかっていない。これほど機密性のある場所は他にないはずだ」
「巨大地下壕なんて最初っから存在しないから、見つかっていないとも考えられるだろ」
俺の反論を予測していたようで篠原はゆっくりと目を閉じた。
「僕もそれを考えなかったわけじゃない。だけど、巨大地下壕の中で秘密裏に非人道的な人体実験が行われていたと考えると辻褄が合うんだ」
「その根拠はなんだよ?」
「被検体として生きて運び込まれてきた人の数は46人だった。そして、この46人という数字は78人の約六割に該当する」
「それがどう根拠に……六割? 六割って……」
「防空壕が潰れたことによる窒息死で亡くなったとされる人数とほぼ一致する。もし、潰れたとされる防空壕があの巨大な地下壕と繋がっていたとしたら?」
「防空壕は米軍の爆撃によって潰れたんじゃなくて、日本軍によって故意的に潰されたってことか? それどころか、窒息死したのは嘘ってことで全員防空壕で生きてたことになるじゃねぇか!」
「防空壕が巨大地下壕に繋がっていたとしたら、入ってきた人間を他の誰にも見られずに運び込むことができる上、空襲の被害として防空壕を潰せば完璧な隠蔽工作になる。これだけの根拠が揃えば巨大地下壕が存在して、そこで人体実験が行われていたと考えても論理的に破綻しない」
篠原の仮説が正しいのなら、日本軍は相当用意周到にこの計画を練っていたことになる。
同じ日本人から生きた被検体を手に入れるために。
狂気の沙汰だとしか言えない。
「なんでそこまでして、日本軍は生きた被検体を手に入れたかったんだよ? 痛みを感じなくさせることができたからって、死ぬことには変わりないだろ。痛くないだけで、不死身になったわけじゃねぇんだから」
「そうとも言えない。痛みがなくなるっていうのは兵士からしてみれば大きな要素だ。痛みという恐怖から解放され、死への恐怖が大きく軽減される。苦しまずに死ねるっていうのは、人間の死生観に大きく影響すると思う。それに、当時は命を捨ててまで敵兵を殺せと言われた時代だったんだ。痛みを感じなければ、致命傷を負ってようが体が動く限り戦闘に参加できる。これほど軍部の思想に近づけさせるものはない」
ただ、痛みがなくなるだけ。
これが戦場ではどれだけ大きい意味を持つのか、俺は篠原に言われたことでよくやく理解した。
「一億玉砕を本気でやろうとしてたってわけかよ……同じ日本人から見てもこの民族、頭おかしすぎだろ。結局、痛みをなくす実験も成功しなかったんだろ?」
世の中には無痛症というものがあるらしいが、それを人為的に起こそうなど無理に決まっている。
「だと思うよ。もし、成功させていたなら今の医学の麻酔分野はもっと発展していてしかるべきだからね」
「たしかに、注射だってあんな痛いはずないよな」
「それぐらいは我慢しなよ」
高校生にもなって何を言っているんだと篠原から冷ややかな視線を向けられる。
しょうがないだろ!
あんな尖った先端が肌に食い込んでくるんだから、痛がって当然じゃないか!
「ってか、オカ研が呼ばれた理由は何なんだよ? 今のところ、オカ研に関係ありそうなことなんてこれっぽっちも出てきてねぇぞ」
話も逸らせて、聞きたいことも聞ける。
まさに、一石二鳥の素晴らしい質問だ。
「あぁ、それはだな……」
今度もまた戦争資料の中から何かを引っ張り出してくるのかと思ったが、俺の予想は外れたようだった。
篠原が手に取ってきたのはタブレットであった。
「ここにきて、急にハイテクだな」
「今回の場合だと、こちらの方が見やすいからな」
80年程で人類の科学技術は随分と進歩したものだ。
「このタブレットにはスキャナーで読み込んだ、さっきの地図が入っている」
タブレットには篠原の言う通り見たばかりの巨大な地下壕の地図がアナログではなくデジタルとして映し出されていた。
自由に動かしたり、拡大・縮小できたりとたしかに便利だ。
「そして、もう一つ。現在の最新版の地図もこのタブレットには読み込ませてある」
篠原がタブレットをスライドすると今の地図が映し出される。
俺達が通っていた学校もバッチリ地図に載っている。
「そうか、地下壕の地図と今の地図を照らし合わせるんだな?」
「そういうこと。今の地図の上に地下壕の地図を重ねて、透過率を上げていくと……こうなる」
蟻の巣のように張り巡らされた巨大な地下壕が現在のどこに埋まっているのかがよくわかる。
俺達の学校の下にもしっかりと地下壕は張り巡らされていた。
「え?……おい、これって」
「新庄も気づいたか。僕がオカ研に声をかけた理由はこれだよ」
学校の下に張り巡らされた地下壕から伸びた一本の通路の先端が中庭にある貯水池にピッタリと重なっていた。
まるでそこが、巨大な地下壕に入るための出入り口の一つであるかのように……
「まさか……学校にある貯水池とこの巨大地下壕が繋がっているってことかよ?」
「この地図を見る限りではね」
中庭からうめき声から聞こえるという噂。
そのうめき声は中庭にある貯水池からよく聞こえるという。
「マジかよ……本当にオカルト地味てきたじゃねぇかよ」
「新庄から中庭の噂話を聞いておいてよかったよ。でなければ、僕はこのことを一人では調べられずに一生墓場まで持っていくか、近くの大学か何かに調査を丸投げしていたと思う」
中庭の噂話を聞いていたからこそ、篠原にも何かピンとくるものがあったのだろう。
「この地図が本当だとしたら、中庭にある貯水池には巨大な地下壕に繋がる出入り口があるってことなのか? 貯水池に地下壕の出入り口を作っても不便だろ。水位が常に一定とは限らないんだ。雨かなんかで水位が上がったら入りづらくなるし、水が地下壕に溢れて来たらどうすんだよ?」
「その辺はちゃんと考えて工夫して作られているよ。それにまず、前提としてここは地下壕への出入り口じゃない」
「え? 出入り口じゃないのか? だったら、なんでこんなとこに地下壕に繋がる穴なんか開けてんの?」
「それは地下壕から安全に水を手に入れるためだと思う。この巨大な地下壕は本土決戦も想定して作られているはず。米軍が上陸してきたら当然地下壕の外は危険になる。地下壕にこもって長期戦を戦うとなると飲水を安全に確保する手段が必要になる。実際、地下壕にこもって徹底抗戦を続けた日本兵は壕内で水不足になるという問題に直面した。抵抗して戦い続けるためには誰かが外にある井戸へ水を汲みに行かなければならない。それは米軍もわかっているから、水を求めて壕内を出た日本兵は待ち伏せしていた米兵にたくさん殺された。日本兵は殺されるとわかっていても外に水を汲みに行かなければならない。そうしないと戦い続けることができない。そんな死の連鎖が作られていったんだ」
「その連鎖を防ぐために貯水池に繋がる通路を作ったわけか。学校の中庭にひっそりとあった貯水池がそんな昔からあったなんてな。案外、先の大戦の名残りっていうのはそこら辺に転がってるのかもな」
「そうかもしれない」
意識していなかっただけで、見慣れた景色の中にも戦争の過去を持った物は眠っているのかもしれない。
眠ったまま忘れられて、また新しく作られていってしまうのだろうか。
「飲水を汲むだけに作られたってことは、そこから地下壕に入るのは難しいよな。どこか他に、まともな出入り口ねぇの?」
せっかく見つけた巨大な地下壕をこの目で見ないわけにはいかない。
それに中庭の噂の真相を明らかにするこができる可能性だってある。
そうすれば、オカ研廃部の阻止だって夢じゃないはず。
「僕もそう思って探してみたら、一つだけ目ぼしい出入り口を見つけた」
「おお! どこにあったんだ?」
「変電所のすぐ近くにある。地下壕の中に入るのはここから入るのが最も現実的だと思う」
俺達だけで地下壕に入ることも不可能じゃないってことか。
「歴研がオカ研と無理矢理合併された時、僕は自分の不運を呪った」
「おい、無理矢理って人聞き悪いな」
俺の否定を篠原は聞き流す。
まぁ、事実その通りではあるのだが。
「でも、今は合併してよかったと思ってる。オカ研と合併していなかったら、新庄達と出会っていなかったら、僕はここまでたどり着けることができなかった」
「なんだよ、急に」
「新庄が僕に戦争が関係するオカルトみたいな話はないかと聞いてきたのは覚えてるか?」
「そりゃあ、もちろん」
「僕はあの時、オカルトなんてあるわけない。ただの与太話として新庄に話した」
「あぁ、そうだったな。ロサンゼルスに日本軍が空襲したとか、ナチスがゾンビみたいな不死身の兵隊を作ろうとしてた……とか?」
そうだよ……なんで俺はこんな簡単なことに気づかなかったんだ?
巨大な地下壕が中庭にある貯水池に繋がっていた。
そこから人のうめき声がみたいな音が聞こえる。
その要素だけでオカルトっぽいと感じたまま、思考停止をしていた。
その先を考えもせずに。
「人のうめき声がすると噂されている学校の中庭にある貯水池は巨大な地下壕と繋がっている。その地下壕では、死体を機械的に動かす試みと生きている人間に痛みを感じなくさせる試みの非情な人体実験が行われていた。人体実験が行われるきっかけとなったのはナチス・ドイツから送られてきた極秘情報だった」
「待て、待て、待て、待て! そんなオカルト話、あり得ないだろ!」
オカ研に所属している自分がオカルトを否定するのはどうかと思ったが、この際それはどうでもいい。
「火のないところに煙は立たない。どんな与太話にも必ずどこかに事実が混ざっているのかもしれない。ゾンビみたいな不死身の兵隊というのは言いすぎかもしれないけど、似たような技術を開発しようとしていた事実がある。このことが後に、尾ひれがついて後世に伝わったということだと思う」
「あぁ、それはわかる! 俺も篠原と同じ考えだ。だがな、中庭のうめき声はどう説明する? 死体を機械的に動かす実験が成功してて、80年経った今になって再び地下壕の中で動き出したっていうのか!?」
「空襲の二回目あたりから死体が運び込まれる数がなくなっているって話しただろう。さっき、僕はそれを実験を断念したからだと説明したけど、これには別の見方もできる」
「……別の見方ってなんだよ?」
「実験をする必要がなくなったから、死体が運び込まれる必要もなくなった。つまり、実験に成功したという見方だよ」
死体を動かすことができる技術が完成していた。
しかし、終戦を迎えたことでその技術は必要なくなった。
加えて、極秘情報でもあったため戦後の混乱期に乗じて、実験に関係する全ての情報が闇に葬り去られた。
忘れ去られていた巨大な地下壕には完成した技術を埋め込まれた死体が放置されたまま、何十年も眠ることになった。
そして、篠原の家の蔵から偶然見つけた極秘書類によって俺達がその存在を知るに至った。
そんな筋書きが俺の頭に思い描かれる。
「もし本当に実験が成功していたとしても、どうして今になってその死体が動き出したんだよ!?」
「それは僕にもわからない。今年は戦後80年だから、この節目の年に動き出すように設定していたのかもしれない。または、何かがきっかけでたまたま動き出してしまっただけなのかもしれない。一晩中鳴っていた雷の一つが変電所の近くに落ちたとかね」
俺が飲み干して空になったコップから、氷がカランと落ちた音が鳴る。
麦茶の入ったコップを見ると、水滴が一筋すぅ~っと流れていた。




