第十五夜 色っていろいろあるんですね
「ここに来てから三日しか経っていないとはいえ、やっぱりこのスケールには慣れねぇなぁ……」
三日ぶりの立派な門をくぐり抜け、俺は篠原の家の玄関横にある呼び出し鈴を押す。
来訪者の存在を知らせる軽快なチャイムと篠原の「今、行く」という声が聞こえてから、ガチャリと鍵が外れる音がして横開きの玄関扉がガラガラと音を立てて開く。
「よっ、お邪魔します」
デジャヴのような光景を目の当たりにして、俺は三日前と同じ挨拶を繰り返す。
「急に呼び出してすまないな」
「別にいいって! こっちも暇過ぎて死にそうだっしさ。ちょうど、よかったわ」
「外は暑かっただろ?」
「まぁ、こんか時期だからな」
「さっ、早く入ってくれ。あまり時間を無駄にしたくない」
「わかった」
篠原に急かされて靴を脱ぐと篠原の後ろを慌てて追う。
前回とは違って、俺は二階にある部屋に案内された。
部屋の中には、シンプルでコンパクトな座卓と背の高い大きな本棚、あとは蔵から出してきた戦争資料がいくつかあるだけだった。
ベッドは置かれていなかったが、大の大人一人が寝れるスペースと物置きのふすまがあったため、篠原は敷布団で寝る派なんだろうと推測がついた。
「少し待っていてくれ。飲み物を持って来る」
「かまわなくていいぞ。そこまで、喉も乾いてないし」
「そうはいかない。遠慮されて熱中症にでもなられたら、そっちの方が迷惑だ。いくら空調が効いていても、熱中症にならないとは限らない」
「あーわかったよ。じゃ、もらうよ。ったく、もう少し素直に言えよ」
俺が熱中症になってしまわないか、篠原は回りくどい言い方をして心配してくれたんだろう。
お前はツンデレヒロインか!
男にこんなことされても俺は嬉しくとも何ともねぇよ!
「最後、何か言ったか?」
「いや、何にも。前みたいに麦茶で頼むわ」
「わかった」
短く言って、篠原はそのまま一階へと降りて行った。
そういえば、冷蔵庫のあるキッチンは一階にあったな。
ぼーっと突っ立っているのもなんなので、俺は座卓の近くに腰を下ろした。
あれだけ大きい篠原の家にしては、この部屋はさほど広くない。
俺の部屋と同じくらいだ。
物が少なくてスッキリしている分、篠原の部屋の方が広く感じるが……
しばらくして、麦茶を入れたコップを二つお盆にのっけて篠原が帰ってきた。
麦茶を受け取った俺は軽く一口、麦茶を口に流し込んでからコップを座卓の上に置く。
氷も入れられていて、相変わらず麦茶は冷えきっている。
篠原は空いたお盆を座卓の脚のすぐ近くに置いて、俺の真正面に座った。
これから、篠原が言っていた話したいことをされるのだと感じて俺は立膝から胡座に座り直した。
「……」
座り直したはいいものの、篠原は一向にしゃべり出そうとする気配を見せない。
ずっと口元をきゅっと一文字に結んでいる。
「わざわざ呼び出しておいて、だんまりはな……」
沈黙に耐えきれず、軽い口調で話しかけようとした時に真剣というよりも顔面蒼白に近い顔つきの篠原が俺の瞳に映った。
家に来た時は気付かなかったが、こうやって面と向かってみると篠原は青白い顔をしている。
「お、おい、大丈夫か篠原? 顔色めちゃくちゃ悪いぞ。体調悪いんじゃないのか? それに、よく見ると目の下のクマもすごいし」
俺が本気で心配した様子を見せると篠原は我に返ったように目を見開く。
「……だ、大丈夫だ。少し寝不足なだけだ」
「寝不足でこんなにはならないだろ。まぁ、そのクマは寝不足のせいかもしんねぇけど。体調悪いなら、俺は帰った方がよさそうだな」
「ま、待ってくれ! 大丈夫だ、問題ない」
立ち上がろうとした俺の腕をガっと掴んできた篠原の手は、たしかに体調が悪い人間の握力じゃなかった。
俺でも振り払うのに時間がかかりそうなくらいに強い握力だった。
「わかったって! 帰んないから、離してくれ。ちょっと痛い」
「あ、あぁ、すまない」
はっとして篠原はゆっくりと俺の腕から手を離す。
「ったく、どうしたんだよ篠原? 今日のお前、普通じゃないぞ」
「普通じゃないか……その通りかもしれない。今の僕は普通じゃないのかもしれない。だから、こんな馬鹿な考えに囚われているんだろう」
力なく肩を落とした篠原を見て、俺が連絡を受けた時点でもう篠原は空元気だったんだと思った。
「篠原……」
そんな篠原に何て声をかけたらいいのか、言葉が見つからない。
言葉を探して手元をぐるぐる見渡していて俺はあることに気づいた。
「おい、篠原。お前の分の麦茶がないぞ?」
「あぁ、僕の分は持って来てないからね。喉も格段乾いているわけでもないからいらないと思ってね」
「人には熱中症になるかもって飲ませておいて、自分は飲まないのかよ」
「ハハッ、そうだね。でも、今は何も喉に通りそうにないんだ」
乾いた声で笑った篠原に俺は無理やり麦茶を飲ませようとはどうしても思えなかった。
「篠原がそう言うなら仕方ないか……それで、俺に会って話したいことってなんだ?」
このままでは埒が明かないと思い、俺は強引に話を推し進める。
「それは……」
そこまで言って篠原は部屋にあった戦争資料の中から二冊、冊子のような書物を取り出す。
そして、紫の表紙と赤の表紙の冊子を座卓の上に置く。
俺は麦茶がこぼれても濡れないようにコップを座卓の脚近くに置かれていたお盆の上に下ろした。
「これって……石塚が星越にぶつかったせいで雪崩落ちた時に、散らばっていた書物の中にあったやつか」
「知っていたのか?」
「知っていたって言うより見覚えがあっただけだ。昔の物なのに随分とカラフルだなと思ったから印象に残っていたんだ」
「そうだったのか……」
「これ、そんなに重要な物だったのか?」
知識の差だろうか、俺には色が付いた表紙がある珍しい物としか思えない。
だが、これは篠原が思い詰める程に重要な物だったんだろう。
「僕もそれほど詳しいわけじゃないんだけど、当時、日本海軍は秘密関連の物を五段階に分けていたらしい。秘密度の低い順に、『部外秘、秘、極秘、軍極秘、軍機』の順だったそうだ。そして、機密関係書類の装本は表紙の色を変えることで区別されていた。『部外秘は白の表紙、秘は桃色の表紙、極秘・軍極秘は赤の表紙、軍機は紫の表紙』って具合にね」
「ってことは、ここにある紫と赤の表紙のやつって!……」
「そう、日本海軍で最も機密レベルが高いと言われている軍機と極秘・軍極秘の機密書類だよ」
「マジかよ……」
そんな重要な物を俺達はカラフルだなとか能天気なことを考えて適当に運んでいたってことかよ!
もし、戦争資料と関係ないだろうと勘違いして蔵の中に放っておいたままだったと想像したら鳥肌が立ってきた。
「なんで、そんなもんが篠原の家の蔵から出てくるんだよ?」
篠原の家がただの地主じゃないってことだけはよくわかった。
「正直、僕もよくわからない。けど、このあいだ新庄達が手伝いに来てくれた時、戦時中に僕の家は軍と繋がりがあったって祖父が言っていたって話したのを覚えてるか?」
「あぁ、言ってたな。財閥の一歩手前までいったのに戦後は事業をやめたから土地だけ残ったって話をしてた時に言ってたよな?」
「よく覚えてるな」
「まぁね。伊達にテスト勉強を一夜漬けで、赤点回避してるわけじゃないからな」
少し自慢気に言って篠原からツッコミでも入れられて気分をちょっとでもよくしようとしてみたが、何も変わらずに篠原は青白い顔で淡々と話しを続ける。
「あっそう。つまるところ、祖父が話していたことが本当だったってことだ」
「そういうこと……なのか? いくら事業が成功してて超金持ちだったとしても、所詮は民間だろ? 民間と軍が繋がっているなんてどうにもピンとこないんだよ」
「何を言っている。零式艦上戦闘機などを手掛けた――」
「れいしき、なんだって?」
「すまない、ゼロ戦のことだ」
「お、それなら聞いたことあるぜ。日本が作った一番強い戦闘機だろ?」
「……それには異論がたくさんあるけど、今は長くなるからやめておこう」
少しだけ篠原の顔色がよくなってきていた。
人間、好きなことを話すと多少は気分が晴れる生き物なのかもしれない。
「そのゼロ戦を製造したのは三菱や中島飛行機、中島飛行機というのは今のスバルのことで、どちらも立派な民間企業だぞ」
「本当だ! じゃ、篠原の家が軍と繋がっていたっていうのはあながち嘘じゃないってことか!」
「現に、こうやって機密書類が僕の蔵から出てきている。戦時中に僕の家が軍と繋がっていたことは間違いないはずだ」
座卓の上に置かれた紫と赤の表紙の冊子を篠原は強調する。
「たしかに、そうだな。……あっ! そういや、この二つを見た時にピンクの表紙のやつも見たぞ! あれは、どうしたんだ?」
「それなら、もう中身は確認したよ。あれは、日立航空機の立川工場で生産された航空エンジンの生産量を記した物だった」
「日立航空機って、あの日立と関係あんのか?」
「あるよ。今の日立製作所の航空機部門として独立した子会社だったのが日立航空機なんだ。今はもう無くなってしまったけどね」
「おー、当たってた。これも篠原に教えてもらった成果が出たんだな」
「新庄が出さないといけない成果はオカ研としてだろ」
「まぁな」
ニヤリと俺が笑ったのを見て、篠原の表情がどことなく明るくなった。
顔面蒼白だったのは本当に体調が悪かったとかではないようだ。
よかった。
「でも、昔は日立で飛行機なんかも作ってたのか。電化製品のイメージしかなかったわ」
「企業側も表立っては明言してないからね。あのスポーツメーカーとして有名なミズノも戦時中は一時期、飛行機の木製プロペラを作っていたらしい」
「へえ〜全然知らなかった。もっと、世間に知られててもいいのにな。スポーツ用品も作って、飛行機のプロペラまで作れるなんてすげぇじゃん」
「世の中、そうやって肯定的にとらえてくれる人ばかりじゃない。企業側は戦争に加担した事実をなるべく知られたくないんだよ。企業イメージが悪くなってしまうからな」
「そうか? 今のご時世、応援されそうな気もするけど」
「とにかく、話を戻さしてくれ。脱線しすぎてどこまで話したのか忘れてしまった」
狙い通り、俺は篠原をいい感じにリフレッシュさせられたようだ。
「ピンクの表紙のやつはもう確認したとか話していたあたりだ。そういや、なんでエンジンの生産量なんかが機密書類に含まれているんだ? そんなに重要な内容か?」
シンプルに気になったので篠原に聞いてみた。
「人が話を戻そうとした矢先に……しょうがない。それだけは答えてあげるよ」
呆れられてしまったが、俺は構わず篠原に早く答えてくれと催促する。
「戦時中に航空戦力はより重視されるようになったんだ。つまり、航空エンジンの生産量は日本の航空戦力に直結する情報になる。だから、航空エンジンの生産量を記した物は機密書類として扱われた。日本の軍事力を敵国に知られないようにする重要な措置としてね」
「なるほど」
「もういいだろ。あの書類はそこまで重要じゃなかったってことだ!」
焦るように、何かを恐れるように話を進めようとする篠原はまた顔色を悪くしていた。
「今の話を聞いた限りだと、割と重要な書類だと思うんだが……そっちの二つには一体、何が書かれていたんだ?」
俺が紫と赤の表紙の冊子に目配せすると篠原の顔が凍りついた。
明らかにこの二つの冊子が篠原を普通じゃなくしている原因だ。
「……これを一人で読んだ時、頭がおかしくなりそうだった。人間という生き物がいかに残酷で、残虐で、残忍で、無慈悲で、冷酷で、悍ましい生き物であるかを骨の髄まで感じされられた。これをもう一度一人で読むことはできそうになかった。もし、もう一度一人で読んでいたら、おそらく僕は頭がどうにかなって自殺してしまっていたかもしれない。僕にはこんなことするなんて、耐えられない」
篠原の見開いた目は瞳孔が機能していないように見えた。
「俺達が一緒にやれば耐えられるんだな?」
「……うん、たぶんなんとか」
「わかった。じゃあ、やろうか」
俺の一言に小刻みに震えた篠原がゆっくりと頷き、おそるおそる紫の表紙の冊子に手をつけた。
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