表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
敗北の国  作者: Lv:7
7/13

前線、死地、実感

灰色の空が重く垂れ込め、地平の向こうから時折、砲撃の音が響いていた。湿った風が兵士たちの間を吹き抜け、軍馬の鼻息と、馬車の軋む音がそれに重なる。

カイたちを乗せた馬車が、ぬかるんだ道をのろのろと進んでいく。


「本当に……戦場なんだな」

マークがつぶやく。冗談ではない、現実の言葉だった。


到着したのは、前線の塹壕地帯。幾筋もの塹壕が地面を這い、泥に塗れた兵士たちが沈黙の中で動いている。兵の交代、負傷者の搬送、死者の回収。音もなく、それらは当然のように繰り返されていた。


カイたちは第三小隊の所属となり、仮設天幕で休息を与えられた。夕刻、天幕に戻ると、配給のスープとパンが手渡された。ぬるく、味気ない。誰も文句は言わなかった。


「なあ、カイ」

マークがぽつりと口を開く。

「あの帝国の貴族が殺されたって話……今でも信じられないんだ。そんなことで、本当にこんな戦争になるもんかね……」


カイは返事をせず、スープをすすった。口にしたところで味などない。戦争の理不尽さを、マークが問い直す気持ちは理解できた。第六話の教練で教えられた通り、帝国から留学していた貴族が、王都で何者かに襲撃され命を落とした。その報復としてヴァルド帝国は開戦を宣言し、王国は自衛の名のもとに総動員体制に入った。


だが真相は曖昧だ。犯人は不明。証拠も示されず、ただ人々の憎悪だけが燃え広がり、ついに両国は剣を交えるに至った。


「理屈なんて関係ないわ」

セリナが静かに言った。

「始まってしまったから、私たちはここにいる。ただ、それだけ」

彼女は小さく息をつき、スープの器をそっと置いた。


夜になると、交代制の監視が始まった。カイ、マーク、セリナの三人は、塹壕の狭い通路を抜けて監視地点へと向かう。空は曇天、月明かりも届かない。冷えた風が吹き抜ける中、三人はじっと前方の暗がりを睨んでいた。


「おい、音がした……!」

マークが小声で言った直後、遠方から爆音が轟いた。地面が揺れ、土が跳ね、破片が飛び散る。敵の奇襲だ。


「伏せろッ!」

セリナが叫ぶ。直後、敵兵の一団が塹壕へ突入してきた。斧や剣を構えた敵が、怒声を上げながら迫ってくる。


カイは剣を抜き、風の魔力を身にまとう。空気が唸り、身体が軽くなる。目の前の敵兵が斬りかかってきた。カイは紙一重で避け、風を纏わせた剣を一閃。相手の胸元に切っ先が届き、血が飛び散る。


マークも震える手で岩を生み出し、敵兵へと投げつける。ヒットした相手はよろめき、倒れた。その瞬間、マークは硬直した。


「……倒した……俺が……」


「まだ終わってない! 下がらないで!」

セリナが雷を纏った剣を振るい、敵兵を切り裂く。金色の閃光が夜を照らし、彼女の姿を戦場の中心へと引き上げるように見せた。


戦闘は短時間で終わった。敵は少数で、試し撃ちのような襲撃だったのだろう。だが、カイたちにとっては十分すぎる現実だった。敵兵の死体、自分の手で奪った命。震えが止まらない。


天幕に戻ると、誰も口を開こうとはしなかった。マークが重く沈んだ声で言った。


「さっきの奴……俺が投げた岩に当たって、死んだよな。目、合ったんだ。最後の瞬間……俺を、見てたんだ」


カイは焚き火を見つめたまま、パンを手に取ることができなかった。食欲など湧くはずもなかった。自分の手で斬った敵の顔が、まぶたの裏にこびりついて離れない。


「……人を殺した」

その言葉が喉を震わせた。


「仕方なかったのよ」

セリナがそっと言った。


「あなたが死ななければ、あの人が死ぬ。それだけのことだった。これは戦争……ただの現実よ」


「それで済ませていいのか……?」

カイの声は弱く、苦しかった。


セリナは黙っていたが、やがてぽつりと語った。


「私だって、怖いわ。でも、怖いって思えるうちは、まだ人間でいられる。何も感じなくなったら、それこそ、ただの“兵士”になる」


その言葉に、カイは何も返せなかった。ただ、火の揺らぎだけが天幕を照らしていた。


翌朝、遺体の回収と塹壕の補修が命じられた。敵味方を問わず、泥にまみれた死体を担架に載せていく。どの顔も、自分たちと年齢はそう変わらない。どんな理由で戦っていたのか、今となっては知る術もない。


「……これが始まりにすぎないってことよ」

セリナの声が、焼けつくような冷たさで響いた。カイは、否応なくそれを理解した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ