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敗北の国  作者: Lv:7
5/13

約束、そして戦場へ

夜が明けきらぬうちに、軍の天幕は慌ただしく動き始めていた。

角笛はまだ鳴っていないが、兵たちは既に荷をまとめ、武具を整え、各自の覚悟を心に刻んでいた。


カイは静かに剣を手に取り、その重さを感じていた。

刃を抜くことに慣れはしていない。だが、今日それを振るう日が来る――その実感が、じわじわと胸を締め付けてくる。


「いよいよか……」

マークが、寝具をたたみながら低く呟く。

「訓練も、斥候任務もあったけど……今回はガチの前線だもんな」


「これが戦争の本番ってやつか」

カイは腰の剣を見つめながら答える。


「スリル谷の手前に配備だって聞いた。帝国軍が集結してるって噂、マジなんだな」

マークは努めて明るく話すが、その口調には明らかな緊張がにじんでいた。


そこへ、天幕の布がぱたんと揺れ、セリナが現れた。

銀色の髪を束ね、軽装鎧に身を包んだ姿。彼女の周囲だけ、少し空気が引き締まったように思えた。


「準備できてる?」

声は静かだが、よく通る。


「……まあ、一応な」

マークが苦笑しながら頷く。


「怖くないわけないよな」

そう続けた彼の言葉に、セリナはふっと小さく微笑んだ。


「怖くない人間なんていないわ。でも、怖さを理解して、それでも前に進もうとする人が、生き残るの」


「そう……ですか」

カイは、彼女の言葉を噛みしめるように口にした。


「カイ、あんた昨日の夜、ずっと剣の手入れしてたわね」

セリナが柔らかく目を細める。


「落ち着かなくて……何かしてないと、気が変になりそうで」

「真面目ね。でも、それでいい。心を殺して突っ込むより、心を保ちながら戦うほうが難しくて、大事なことよ」


沈黙が落ちた。


外では隊の馬が嘶き、荷車の車輪が土を軋ませる音がする。


カイがぽつりと聞いた。


「……セリナは、王都のパン屋、よく行ってたんですか?」


セリナは少し驚いたように目を見開いた。


「ええ。隊の訓練帰りによく寄ってたの。私の好きなパン屋があってね。あんバターが名物なのよ」


「俺もカイも、行ったことないんだよな」

マークが小さく苦笑する。


「ええ。知ってるわ。あなたたちの話、以前聞いたもの」

セリナは懐かしそうに目を細めた。


「帰ってきたら……一緒に行きましょう。案内してあげる」

「ほんとに?」

マークが目を輝かせる。


「もちろん」

少し照れたように笑いながら、セリナが続ける。

「もちろん――私のおごりでね」


カイはその横顔を見つめた。

訓練の時も、天幕の中で雑談を交わす時も、セリナはいつも凛としていた。

だけど今、ほんの一瞬だけ見せた優しい表情に、胸がぎゅっと締めつけられる。


この人を、守りたい。

その想いが、言葉ではなく身体の奥から湧き上がってきた。


「カイ?」

セリナが不意に呼ぶ。


「……あ、はい。行きましょう、必ず。あのパン屋に」


その時、角笛が鋭く鳴り響いた。

合図だ。出陣の刻限が来た。


セリナが立ち上がり、鎧の紐を軽く締め直す。


「行くわよ。後ろは私が守るから、安心して前を見てなさい」


カイとマークも荷物を担ぎ、彼女の後に続いた。

隊列の最後尾に加わりながら、カイは空を見上げる。


分厚い雲の向こう、わずかに光が差し込んでいた。

あの光が、彼らをどこへ導くのか――それは、まだ誰にもわからなかった。

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